第三十九話 黒犬のお仕事
事件から半月。王宮での混乱は急速に収まり、表面上は完全な平穏を保っていた。
(……疲れた)
片っ端から書類を裁いたアルバードは、小さくため息をついた。一ヵ月半前退役した副官の穴は、未だそれを埋める人材を選抜できず、空のままになっている。彼――いや彼女は明るくお調子者であるがゆえに人望厚かったが、同時にまじめで非常に有能でもあった。できれば部下としてもずっと手元においておきたかった。彼女が辞表を出す原因の一端は、自分にもあったのだが。
顔にかかるうっとうしい前髪を掻き上げ、凝り固まった肩を回していると、ふいにノックの音が響いた。
「誰だ?」
「おー、俺だ俺」
扉の向こうから聞こえてきたのは旧友の声だった。無造作に扉をくぐり、「よ」、と小さく片手を挙げる。
「ひさしぶりだな。……てかお前、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
「問題ない。少し疲れているだけだ。――――で、用件は何だ。ジョシュ」
「お前変なところに首突っ込むなって話だ」
勧めてもいないのに勝手に近場の椅子を引いて座り込んだ友人――ジョシュアは、小さく肩をすくめた。
「うちのたいちょー、怒ってたぜぇ。王都警備隊の縄張りを荒らしまくった上にこのざまか、近衛隊は何がしたいんだ、ってね」
「……まぁ、尤もな意見だな」
「事件の前に結構な数の犯罪者を検挙したらしいなー。……どれだけ削った?」
「俺の体が保つだけ」
アルバードの短い返答に、ジョシュアは腕を組んだまま沈黙した。
エルヴァーレンの常備軍は、王国騎士団と呼ばれる。王国騎士団の中は、王都の治安を維持する王都警備隊、各地の国境を監視する辺境警備隊、王族の安全を守る近衛隊、そして公には知らされていないが、国内の情勢を監視し報告する巡察隊が存在する。ジョシュアはその中でも王都警備隊副隊長の肩書きをもつ人物であった。
王国騎士団はお互い、自分の縄張りに他隊が踏み込んでくることを嫌う。にもかかわらず、先日アルバードはこともあろうに王都警備隊に混ざって腹黒い貴族やら商人やらを片っ端から牢屋に放り込んだ。アルバード単独だったことは幸いだが、それでも王都警備隊からは不満が爆発した。人様の縄張りに用もないのに首を突っ込むな、と。
ジョシュアも本来ならば、機を見てアルバードに苦情を入れるつもりでいた。―――が。捕らえた者たちへの尋問を進めて行くうちに、先日起きた事件との関連性が浮かび上がってきたのである。
貴族たちが裏仕事のために私兵として抱えていた傭兵団、その中でも最も強大で名うての団員は、皆黒髪紅眼の者達であった、と。
アルバードは、どこからか情報を得ていたのではないか。そして襲撃者たちの牙城となっている場所を端から叩き潰し、未然に襲撃を防ごうとしたのではないか。
しばらくの沈黙。やがてジョシュアはポツリ、と口を開いた。
「アル、一人で走るなよ。何かするならば協力を仰げ。せめて先に話してくれていたら、そこそこの根回しはできたぞ?」
返答はない。ジョシュアは顔を上げてアルバードを見た。多忙のせいで切り損ねたのか、目にかかるほどの前髪に阻まれ、考えを伺い見ることはできない。
ふと、嫌な予感がしてジョシュアは声を潜めた。
「……お前、逃亡した襲撃者を近衛隊率いて追撃しよー、なんて考えてないよな」
「ははは、何を馬鹿なことを」
「デスヨネー」
アルバードが笑い飛ばしたので、ジョシュアはそっと胸をなでおろした。ここ最近の仕事量が多いのはまた良からぬことを企んでいるからではと思ったのだが、杞憂のよう―――。
「もう実行に移そうとして大将軍から説教を受けた後だ。仕事と始末書の量が半端ないのもそのせいだな」
「実行済みだった―――ッ!!馬鹿だろ、お前正真正銘の馬鹿だろッ!!」
「何、この行動力が買われての現在の地位のようなものだ。むしろ動かないほうがおかしいだろう」
ハハハハハと空ろに笑って、それからアルバードは小さくため息をつく。
「……少々焦っているのかもしれないな。全て失ってしまいそうで」
「まぁ、そいやお前、王女を嫁にもらったんだもんな。仕事でも嫁のためにも、無茶するしかないってか」
「そんなもんだと思っていてくれ」
アルバードは小さく苦笑した。そんなアルバードに、ジョシュアは「でも」と言葉を続ける。
「お前新婚なら、嫁さんを気遣って早めに帰ってやれよ。大人しくしている分には大将軍もたいした小言を言ってこないだろ。嫁さんはもう家に戻したのか?」
あぁ、とアルバードは頷く。
「現在自宅に軟禁中だ」
「――――――軟禁?」




