第三十五話 月夜の珍客1
既に避難の完了した無人のホール、僅かに戦闘の跡が残る中庭、血痕の散った渡り廊下。
王宮中を忙しなく駆け回る近衛士達は、犯人の追跡は外部で待機していた追跡班に任せ、被害の確認に移り始めたらしかった。やや疲弊の色が見える近衛士達と軽く情報を交換しながら、私は不審人物を探す。
やがて人気のない中庭の一つに顔を出した私は、そこで一人の少年を見つけた。
どこから迷い込んだのか。まだ十を少し過ぎたぐらいであろう、あどけない顔立ちの少年は、中庭に生えた木の根元に座り込み、足元をじーっと眺めていた。肩元で切り揃えられた金の髪に、とろんと垂れた青の瞳。
よもや何か被害に遭って放心でもしているのだろうか。慌てて駆け寄った私は、少年の顔を覗き込む。
「君、大丈夫!?怪我はない?何か怖い目にあったりとか……」
少年の丸い瞳に、私の顔が映り込んだ。パチパチ、と大きく瞬きし、少年は軽く、小首を傾げる。
「……怖い目?」
「そう、うん。……何もなかった?誰かが来たり、怖い目にあったり。あぁもう、子供を放置するってどうよ。保護者どこにいるわけ?」
キョロキョロと辺りを見回すも、それらしき人影はない。再び少年に視線を戻した私は、凍りついた。
「あぁ、特に何もありませんでしたよ。心配してくれて、ありがとうございます」
大きな瞳をすっと細めて、少年は笑う。純粋を装ったような笑みで。その外見にひどく不釣合いな、大人びた笑みで。
その違和感を、なんと表現すればいいのだろう。まるで大の大人が子供の外見を借りたような。優しげなのに、気圧されそうになる圧倒的な威圧感。そう、無害を装ったその外見の下に、計り知れない脅威を感じる。
人じゃない、ような。
ふと視線を落とした私は、少年の足元に何かが転がっているのに気付く。それが人間、しかも自分の良く知る人物だと理解するのに、しばらくの時間がかかった。
ついさっきまで、活発に辺りを駆け回っていたデューイ。彼が、長い金の髪を地面に散らし、少年の足元に崩れ落ちている。
さぁっと私の脳内を駆け巡ったのは、あの日の記憶。そう、あの日もこんなふうに、彼等は地面に伏せていた。赤く塗れた地面の上、死神に誘われようとする二人に、私はただすがりつくしかなかった。
放心している私から興味が削がれた少年は、再び足元のデューイへと視線を落とす。小さな体がゆっくりとしゃがみこみ、そして、その小さな手がデューイへと伸ばされた。――明らかな意図を持って。
「……っ、離れろ!」
「ん?……って、ちょ、」
少年の襟首を掴んで、無理やりデューイから引き離す。薄闇の中、草に埋もれるようにしてきつく瞼を閉じた横顔は青白く、ひどく顔色が悪い。パッと見たところ出血などは確認できないが、明らかに大丈夫ではない様子だった。
「デューイに何をした!」
「待っ、苦し……」
思わず両手で少年の体を吊し上げると、彼の顔が苦悶に歪む。じたばたと暴れる少年の動きを押さえ込んでいると、後ろから呆れた声が聞こえた。
「副隊長、何してんですか……幼児虐待はダメですよ!ダメ絶対!」
「……っ、ロイ」
振り返ると、やや引いた表情のロイが近づいてきて、私の手をつかむ。
やっと地面に足が着いた少年は激しく咳き込んだ。その声を聞いて、私は我に返る。
なんでこんな事を思ったのだろう。ただ少年があまりにも不自然な空気を纏っていたから、彼が何か危険なものだと――人ではないと、思ってしまった。
人ではないこの『何か』が、デューイに害を成したのだと。
涙目の少年は何度か咳を続けながら、地面のデューイに視線を向け、それから私を仰ぎ見る。その瞳にわずかでも怯えの色があれば私の勘違いだと納得できたのに、彼は何事もなかったかのような顔で私を見上げるから、私は動揺した。
「君、大丈夫……ってうわ!デューイ先輩!え、ちょ、これはやばくないですか。急いで救護室に運びましょう。えぇと、その、君!彼がどうしたのか分かる!?」
デューイの存在に気づいたロイが、やや上ずった声で叫ぶ。慌ててデューイの体を起こしながら少年に視線を向けると、少年は「あー、」と悩むようにして天を仰いだ。
「おそらく、負荷のかけ過ぎによる魔力切れかと。あと魔力酔いも起こしている可能性がありますね。まさか彼らと戦う場面があるなんて考えてませんでしたからねぇ。あぁ、でもこれは僕の情報不足にも原因が…………あの、お姉さん?また苦しいんですけど」
「デューイ、私はこの子供があまりにも不審なんでちょっと強制連行をしようと思うんだけど、どう思う」
「えー、まぁ、明らかにただの迷子じゃないですね。いいんじゃないっすか、連れてって」
ロイがデューイを担ぐのと同時に、私も少年の両手を一纏めに拘束すると、その体を抱え上げる。
「……えぇっと、こういう時はどういう反応をするべきなんですかね。……うわーん、誘拐だー!だれか助けてくださーい!」
「棒読みで言われても胡散臭いだけなんだけど」
「僕は無実ですよー、怪しくないですよー!助けてくださーい!」
「えぇいちょっとは静かにしなさい!」
「アリシア姫、幼児虐待はダメですよ」
「分かってるよそれぐらいは!」
実にやかましい一行は、人気が少なかったことが幸いして、特に見咎められることもなく、救護室にたどり着いたのであった。




