第1話「婚活歴10年の大ベテラン!!」
はじめまして!
本作は、新人結婚相談員・佐倉ひよりと、個性豊かな婚活相談者たちが繰り広げる、お仕事コメディです。
真面目で一生懸命。でも、ちょっと残念なオタク女子・ひよりちゃん。
そんな彼女の奮闘を、どうぞ温かく見守っていただければ嬉しいです。
それでは、ひよりちゃんの初仕事をお楽しみください!
「佐倉さん。今日から、会員様の面談を一人で担当してもらいます」
「はいっ!」
勢いよく返事をしたものの、佐倉ひよりの心臓は、先ほどから落ち着く気配がなかった。
結婚相談所に入社して、まだ間もない。
研修中は先輩の面談に同席し、資料の整理や日程調整を手伝ってきた。けれど、今日は違う。
自分が担当者として、会員の悩みを聞くのだ。
目の前の先輩相談員は、そんな新人の緊張など気にも留めず、タブレットを操作している。
「今回お願いするのは、白石麗奈さん。三十五歳。以前からうちで活動されている会員様よ」
「白石麗奈さんですね!」
「婚活歴は十年」
「……十年?」
ひよりの手が止まった。
「ええ。うちに入会される前から活動されている方だから」
「十年……」
(大ベテランじゃないですか!!)
ひよりが十年前に何をしていたかといえば、まだランドセルを背負っていた頃である。
人生の相手を探し続けて十年。
新人の自分が何を助言できるというのか。
「希望条件がはっきりしている方だから、まずはお話をよく聞いて。今日は活動状況の振り返りが中心ね」
「はい! 理解しました!」
「……まだ白石さんと会ってないでしょう」
「あっ」
先輩は小さく息を吐いた。
「分からないことは、分からないままでいいの。勝手に分かったことにしないでね」
「はい!」
(すでに見透かされている!?)
ひよりは背筋を伸ばした。
先輩はもう一度、画面に目を落とす。
「それと、白石さんはとても努力家よ」
「努力家、ですか?」
「ええ。会えば分かると思う」
その言葉の意味を、ひよりはまだ知らなかった。
***
「本日はよろしくお願いいたします」
面談室に入ってきた女性を見て、ひよりは一瞬、言葉を失った。
艶のある長い髪。
整った顔立ち。
上品なブラウスに、すらりと伸びた背筋。
身につけているものはどれも華やかなのに、不思議と派手すぎない。
何より、その立ち居振る舞いに隙がなかった。
(……綺麗な人)
思わず見とれてしまう。
「白石麗奈と申します」
「あっ! 本日から担当いたします、佐倉ひよりです! よろしくお願いいたします!」
慌てて頭を下げる。
白石は柔らかく微笑んだ。
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」
「す、すみません!」
「私も最初はそうでしたから。何事も慣れるまで大変ですよね」
(優しい……!)
ひよりは少し安心した。
白石は椅子に腰を下ろすと、膝の上に上品に手を重ねた。
「今日は、今後の活動について相談したくて」
「はい。ぜひお聞かせください」
「私、婚活を始めて十年になるんです」
「十年……!」
聞いてはいた。
しかし本人の口から聞くと、やはり重みが違う。
「長いですよね」
白石は苦笑する。
「でも、その間ずっと、自分磨きも続けてきたんですよ」
「自分磨き、ですか?」
「はい。ヨガにジム、エステにスキンケア。食事にも気を遣っていますし、姿勢や歩き方も勉強してきました」
「すごいですね!」
「ありがとうございます。でも、まだまだです」
白石は嬉しそうに続ける。
「最近はパーソナルトレーニングも取り入れていて。今の自分に満足せず、もっと上を目指したいんです」
(十年間、修行を続けて……)
(なおも、さらなる高みを目指す……!?)
ひよりの頭の中に、険しい山岳地帯が広がった。
吹き荒れる風。
立ちはだかる岩山。
過酷な修行に身を投じる、一人の武闘家。
(ギアナ高地……!?)
もちろん、目の前にいるのは優雅に微笑む婚活女性である。
山奥で修行してきたわけではない。
それでも、ひよりの脳内ではすでに壮大な修行編が始まっていた。
「特に、手元のケアは欠かさないようにしているんです」
白石がそう言って、そっと指先を持ち上げた。
その瞬間。
ひよりの目に、光が飛び込んだ。
美しく整えられた爪。
淡いピンクを基調としたネイルには、細かな装飾が施されている。
照明を受けて、指先がきらきらと輝いた。
(シャイニングフィンガー!?)
脳内の修行編が、突如として最終決戦へ突入した。
(十年の修行を経て、ついに必殺技を……!)
「佐倉さん?」
「は、はい!」
「このネイル、どう思います?」
「とても素敵です! シャイニングフィンガーさん!」
「…………はい?」
沈黙。
面談室の空気が、ぴたりと止まった。
(…………あ)
(言った)
(今、言ったあああああ!!)
ひよりの背筋を冷たい汗が伝う。
「あ、あの! 指先がとてもシャイニングで!」
(説明になってない!!)
「い、いえ、その! すごく輝いていて綺麗だなと!」
白石は目を丸くしたまま、数秒ほどひよりを見つめていた。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「シャイニングフィンガーって、初めて言われました」
「本当に申し訳ありません!」
「いいんですよ。褒めてくださったんでしょう?」
「はいっ!」
「ありがとうございます。実は、今日のために新しくしてきたんです」
白石は嬉しそうに爪を眺める。
ひよりは深々と頭を下げた。
(助かった……)
(危うく初面談でゲームオーバーになるところだった……)
ただし。
これ以降、ひよりの脳内では、白石麗奈という名前の横に、別の呼称が完全に定着してしまった。
――シャイニングフィンガーさん。
本人には、二度と言わない。
絶対に。
***
「それで、白石さん。今後の活動についてですが……」
ひよりは資料に目を落とした。
「現在の希望条件を、改めて確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
白石は待っていましたとばかりに姿勢を正した。
「まず、年齢は二十代ですね」
「二十代の男性ですね」
「はい。できれば高学歴で、高身長の方がいいです」
「なるほど」
「それと、やっぱりお顔も大事ですよね。清潔感があって、できれば整った顔立ちの方が」
「はい……」
(なるほど……)
(若くて、頭が良くて、背が高くて、顔もいい……)
(勇者選抜試験かな!?)
ひよりは必死に表情を保った。
「そういった方がお好みなんですね」
「ええ。でも、そんなに特別なことを言っているつもりはないんです」
「そうなんですか?」
「はい。私なりに理由がありますから」
白石は穏やかに微笑んだ。
(理由……?)
ひよりは、もう一度希望条件に目を落とした。
(この方、どうしてそこまで二十代にこだわるんだろう……)
聞いてみたい気持ちはあったが、まずは活動状況を確認することにした。
「それでは、これまでのお申し込みについても確認させてください」
「はい」
ひよりは先輩から引き継いだ活動記録を開いた。
白石に興味を持ち、お見合いを申し込んだ男性は、決して少なくない。
「こちらの方は、いかがでしたか?」
「優しそうな方でしたね。でも、年齢が少し……」
「こちらの方は?」
「お仕事は立派だと思いました。ただ、背が私の希望より低かったので」
「なるほど……」
何人かの名前を確認していく。
白石は一人ひとりについて、きちんと覚えていた。
誰がどんな仕事をしていて、どこが希望と違っていたのか。
その説明は、ひよりが驚くほど明確だった。
(すごい……)
(十年の経験値、伊達じゃない……!)
一方で、白石から申し込んだ男性については、状況が異なっていた。
「こちらの方は、残念ながらお見合いには至らなかったんですね」
「そうなんです」
白石は小さくため息をつく。
「なかなかお返事をいただけなくて」
「そうなんですね……」
「私のプロフィール、何か問題があるんでしょうか」
「いえ、とても素敵なお写真ですし、自己紹介文も丁寧だと思います」
それは本心だった。
プロフィールの写真にも、文章にも、白石の努力が表れていた。
「でも、どうしてでしょうね」
白石は首を傾げた。
ひよりも、すぐには答えられなかった。
申し込んでくれる男性はいる。
けれど、白石の希望には合わない。
白石が希望する男性には申し込める。
けれど、相手が会ってくれるとは限らない。
(……あれ?)
(これ、どっちも相手を選んでるんだ)
当たり前のことのはずだった。
でも、目の前の記録を見て、ひよりは初めてその意味を実感した。
白石が希望条件を持っているのと同じように、男性側にも希望条件がある。
そして、お互いの希望が重ならなければ、出会いは成立しない。
(条件を満たしているかどうかだけじゃなくて……)
(相手にも、選ぶ権利があるんだ)
ひよりは、画面から顔を上げた。
「白石さん」
「はい?」
「先ほど、希望条件には理由があるとおっしゃっていましたよね」
「ええ」
「差し支えなければ、その理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」
白石は少し考えてから、口を開いた。
「……実は私、昔お付き合いしていた方がいるんです」
「はい」
「高学歴で、背も高くて、顔も格好よくて。今の希望条件と、ほとんど同じような男性でした」
「えっ……!」
(実績があったあああ!?)
「周りの友達からも、よく羨ましがられました」
「そうだったんですね」
「残念ながら、彼の方からお別れを告げられてしまったんですけどね」
白石は少しだけ目を伏せた。
「……そうだったんですか」
「でも、あの頃より今の方が、ずっと努力しているんです」
白石は、静かに言葉を続けた。
「美容にも健康にも気を遣ってきました。仕事も続けていますし、昔より自分のことをちゃんと管理できていると思います」
「はい」
「だから、あの頃と同じくらい……いえ、もっと素敵な人と出会えても、おかしくないと思うんです」
ひよりは、すぐには答えられなかった。
白石は確かに綺麗だった。
その美しさが、生まれ持ったものだけではなく、長い努力の積み重ねによるものだということも伝わってくる。
ただ。
その努力と、希望する相手から選ばれることは、同じなのだろうか。
ひよりには、まだ分からなかった。
***
「白石さん、もう一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
「白石さんは、どんな方と結婚したいか、とてもはっきりされていますよね」
「はい。それはもう」
「では……その方と結婚したら、どんな毎日を過ごしたいですか?」
白石が瞬きをした。
「毎日、ですか?」
「はい。結婚して、一緒に暮らすようになってからのことです」
「そうですね……」
白石は少し考えた。
「休日には素敵なお店に行ったり、旅行をしたり……」
「いいですね」
「記念日も大事にしたいですし。いつまでも綺麗な奥さんでいたいです」
「素敵だと思います」
ひよりは頷いた。
けれど、もう少し聞いてみたくなった。
「何も予定がない日だったら、どうでしょう?」
「何も予定がない日?」
「例えば、お仕事から帰ってきて、二人で家にいるような日です」
白石は黙った。
ひよりも、その答えを待った。
「……そうですね」
やがて、白石は小さく笑った。
「考えたこと、あまりなかったかもしれません」
「そうなんですか?」
「素敵な人と結婚できたら、それだけで幸せになれると思っていたので」
「……そうだったんですね」
「でも、十年も頑張ってきたのに、なかなかうまくいかなくて」
それまで真っすぐだった白石の視線が、ふと手元に落ちた。
「私、あの頃よりずっと頑張っているんです」
「はい」
「だから……あの頃の私より、幸せになりたいんです」
ひよりは何も言えなかった。
キラキラと輝くネイル。
先ほどまでは、ただ華やかで、綺麗だと思っていた。
でも今は、その指先に積み重ねられた十年間があるように感じた。
楽しいことばかりではなかったはずだ。
それでも白石は、自分を磨くことをやめなかった。
(シャイニングフィンガーさん……)
脳内の呼び名は、相変わらず少しおかしい。
けれど、そこに込められた印象は、最初とは違っていた。
ひよりは背筋を正した。
「白石さん」
「はい」
「私、まだ経験が浅いので、すぐに正しい答えを出せるわけではありません」
「……ええ」
「でも、白石さんがどんな方と、どんな毎日を過ごしたいのか。もう少し一緒に考えていけたらと思います」
白石は、少し驚いたようにひよりを見た。
それから、ふっと表情を和らげる。
「……そうですね」
「はい!」
「私、少し考え方を変えてみようと思います」
「本当ですか!?」
思わず声が弾んだ。
「はい。やっぱり、結婚って条件だけじゃないですよね」
「そうですね!」
「一緒にいて落ち着ける方がいいと思いますし」
「はい!」
「価値観が合うことも大事ですよね」
「おっしゃるとおりだと思います!」
(やった……!)
(白石さんが、新しい視点を……!)
ひよりは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
初めての担当面談。
失言もした。
分からないことも多かった。
でも、少しは役に立てたのかもしれない。
白石は晴れやかな笑顔を浮かべた。
「では、佐倉さん」
「はい!」
「次回からは、今までの希望条件に、それも追加してください」
「…………」
「二十代で、高学歴、高身長、容姿端麗。それから、一緒にいて落ち着けて、価値観も合う方ですね」
「…………」
(条件増えたあああああ!!)
ひよりの脳内で、何かが盛大に崩れ落ちた。
(違う! そうじゃない!)
(いや、違わないのか!?)
(確かに価値観は大事だけど!)
(元の条件、ひとつも減ってないいいい!!)
白石は満足そうに微笑んでいる。
「今日は来てよかったです」
「あ、ありがとうございます……」
「十年婚活していても、まだまだ学ぶことがありますね」
「そ、そうですね……」
「次こそ素敵な方と出会えそうな気がします」
(理想がさらに遠くなった気がするんですけどおおお!!)
もちろん、そんなことは口にしない。
ひよりは社会人としての笑顔を必死に維持した。
「では、新しく伺ったご希望も記録しておきますね。次回、どれを特に大切にされたいか、一緒に整理しましょう」
「はい。よろしくお願いします」
白石は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「佐倉さん、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました!」
「またお話できるのを楽しみにしていますね」
「はい!」
扉が閉まる。
ひよりは、しばらくその場から動けなかった。
(……面談って)
(こんなに難しいの……?)
***
「お疲れさま」
事務スペースに戻ると、先輩が声をかけてきた。
「どうだった?」
「……先輩」
「何?」
「希望条件が二つ増えました……」
「少ない方ね」
「…………はい?」
「減らそうとして十個増えたこともあるから」
「十個!?」
「ええ。本人は改善したつもりだったみたいだけど」
(改善で増殖するんですか!?)
先輩は平然とタブレットを操作している。
「佐倉さん」
「はい!」
「希望を聞くことと、全部そのまま検索条件にすることは別だからね」
「……なるほど」
「次回、何が一番大事か確認しましょう」
「はい!」
ひよりは少し安心した。
白石の希望条件が増えたからといって、今日の面談がすべて失敗だったわけではない。
少なくとも、彼女がどんな結婚生活を望んでいるのか、考えるきっかけにはなった。
先輩が続ける。
「そういえば佐倉さん」
「はい?」
「白石さん、あなたのこと気に入ってたわよ。また話したいって」
「……本当ですか?」
「ええ。受付で話してたわ」
ひよりは、少しだけ嬉しくなった。
白石麗奈。
三十五歳。婚活歴十年。
今もなお、自分を磨き続けている女性。
(シャイニングフィンガーさん……)
ひよりは、今日の面談を思い返した。
少し変わっている。
希望条件も、正直まだよく分からない。
でも。
(……また、お話したいな)
「ただ、一つ気になることを言ってたけど」
「……気になること?」
「『シャイニングフィンガーって呼ばれたんですけど、最近の若い子の褒め言葉なんですか?』って」
「…………」
ひよりの笑顔が凍りついた。
「佐倉さん。面談中、何してたの?」
(覚えてたあああああ!!)
――第1話 完




