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翌日、万菜美はリビングで目を覚ました。全てのことは夢だったのかと思ったが、そうではないことは、彼女の目覚めにホッとした顔の母親の姿で分かった。
「榊さんがあなたを助けてくれたのよ」
と母親は言った。
あの後、突然開くようになったドアの向こうで、気絶していた万菜美を抱き起し、榊はリビングに寝かせ、母と、遅くなったが駆けつけた父を家の中に入れたと言う。
そして榊は、今回の一連の出来事の真相を二人に告げたらしい。
「浮遊霊……って──そんな……」
榊の言うことは、何とも眉唾物だった。万菜美の家は、元々、外から悪いものが入らないように出来ているらしい。それは万菜美や父母の守護霊が強いおかげで、そう言った類のものが入らないようになっているからなのだが、それは裏を返せば、中のものも外に出ない様になっている造りらしかった。勿論、そんなつもりで父母は家を建てたつもりはなく、偶々、そうなってしまっただけだと榊は説明したそうだ。
そこに運悪く、何かの折に、この家の中に浮遊霊が入ってしまったそうだ。絶対入ることのないものが、家の中に入ってしまったのだと言う。それ位、我が家というのは、神社の結界張りに霊が入らない場所なのだそうだ。
そんなところに迷い込んでしまった霊は、出口を求めてさ迷い歩くが、どこを探しても出口は見当たらない。それがあの、中途半端に開けられるドアの真相で、とうとう家の中から出られなくなった霊が癇癪を起した結果が、昨日の出来事だったそうだ。
「でも、どうしてそんなものが家の中に──」
「あのオルゴールのせいだって」
母親が申し訳なさそうにそう言った。オルゴールは、玄関にあったあれだ。姉の家から貰ってきたもの。姉自身も子供の幼稚園のバザーで手に入れたもの。
あれは霊を呼ぶ為に作られたものだと父母は説明を受けたそうだ。一見して普通のオルゴールでしかない筈のそれは、置いておくだけで周囲の霊を呼んでしまう物騒な代物だったのだと言う。普通ならばそんなものがあっても、ただ気持ちが悪いだけで済むのだが、そんなものがあったのがよりによって万菜美の家で、万菜美の家は外部の者を受け入れず、また内部の者を外にも出さない家でもあったから、出られなくなったのだそうだ。
しかも、玄関という場所は、万菜美の家で唯一、外から入りやすい場所でもあったらしく、外からオルゴールに惹かれた者たちが、玄関のドアの開閉に乗じて中に入り込んでくる。しかし、中に入ったが最後、外には出られない。
人間も怖かったが、霊たちにとっても非常に怖い家だったのそうだ、この家は。
「榊さんが、オルゴールと一緒に、怖いもの外に出してくれたらしいから、もう大丈夫だそうよ」
そう言われても、それが本当かどうか万菜美には判断つかないし、直接、あの異常な体験をしていない父などは、半信半疑の様子ではあったが、それでもこの日を境に、ピタリと万菜美の家の奇妙な出来事は起こらなくなった。
だが、それでも万菜美はあの生首が忘れられず、自分の部屋を姉の部屋と交換してしまったが。
「榊君、あのオルゴール、どうした?」
後日、お礼も兼ねてそう尋ねると、榊は苦笑しながら、
「盗まれた」
と返した。
「えっ!」
「神社にもっていこうとして車の中に置いてスーパーで奉納用の酒を買いにいったら、その隙に盗まれた」
「えぇぇ……」
「まあ、そういうもんなんだと思うよ」
あっさりと榊は言うが、そういうものなのだろうか。
「だって、あれって……霊……呼ぶんでしょ?」
「呼ぶには呼ぶけど、小祝さんちみたいに魔窟になる方が珍しいし、大抵は何か気持ち悪いな、で済む話なんだよ」
姉も買ったはいいがそう思ったらしく、それであのオルゴールが母に回ってきたらしい。その姉も、元々の出所を確認したところ、やはり幼稚園のママさんが、子供が何故か泣いて嫌がるからという理由でオルゴールを手放したのだと聞いて、流れに流れていた品なのだと知った。
「でも、あれ……本当に浮遊霊なの?」
未だにあの生首の気持ち悪さに夜中魘される時もあるのだ。だから万菜美が恐る恐るそう問えば、榊はケロリとした顔で「そうだよ」と返した。
万菜美は、納得はしなかったが、あの生首以外には見たことがないのだから、信じるしかなく、渋々といった体で仕事に戻っていった。
榊はそんな万菜美の背中を眺める。その肩の上に、髪の長い女の首がしっかりとくっついているのだが、当然、そんなことは万菜美に告げられるわけがない。
「守護霊が、みんな綺麗な霊とは限らないしね」
しかし、小祝家程、生首に好かれる家もないな……と、あの日のことを思い出しながら榊は肩を回す。
あの日、万菜美の父母とも面会したが、母親の肩にも生首が憑いていた。過去に首を切られた誰かが先祖にいるにしては母親も娘も同じことが解せないが、それでもその生首が最後に万菜美を助けたのは確かだった。
部屋の中に閉じ込められた万菜美を、万菜美の守護霊でもある生首が助けた。そんなこと出来るはずがないのに、それだけ強い霊というものを、榊は久しぶりに見た気がする。しかも、それが人に憑いているのだというから、何ともゾッとする話だ。流石に本人たちにそのことは言えなかったが、あの家の間取りを考えた人間が誰かと、あの日、万菜美が気絶した時に尋ねると、それは万菜美の母の父、つまり母方の祖父だと聞いた。
あからさまに外へ出さないような仕組みの家は、あの生首たちの家だからこそではないだろうか、とも思ったが、そこまでは人の家のことに口出す気にもなれず黙っていた。
「知らぬが仏、だ」
そう言って、榊も自分の仕事へと戻っていく。
盗まれてしまったオルゴールの中に、あの家に入っていた霊が全てぶちこまれていたなんて、万菜美は知らなくてもいいことだし、このオルゴールに入った輩が、扉を少し開けるという『いたずら』を覚えてしまったことも、榊にとっては預かり知らぬことだ。
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(何かおかしい──)
金目のものがない車の中から、唯一、掻っ攫てきたオルゴール。それを売り払うつもりでいた男は、そのオルゴールを手に入れてから、アパートの部屋の中がどうにも落ち着かなくなっていることに気付いていた。
僅かに戸に隙間ができるのだ。
別に今までなら気にならなかったが、どうにも気持ちが落ち着かない。
その日も帰ってくるなり、家の中を見回してうんざりした。押し入れの襖上の引き戸が僅かに開いていたのだ。勿論、そんなところ、開けた覚えは男にはない。
「くそっ」
訳もなく苛立ちながら、男は台替わりに押し入れに寄せたテーブルの上に乗ると、その引き戸に手をかけた。
その瞬間、
男の手に、小さな白い指が──。