十二月二十四日 金曜日 午後三時三十四分 秘められている本心
刃物、水、対象物、そして血。
蘇らせるには十分だった。それがなくても蘇っていたかもしれない。
しかも、今度は別のものが姿を現した。言葉で表すなら「狂気」。どんな人にもあるかもしれないが現れる事がほとんどない。それが私には現れた。
つい昨日の事。
たった一日ですべては変わった。
私は十五歳と三百六十三日で最初の命を奪った。直接、自分自身の手で。
その日は悩みに悩み、一眠りし次の日になると完全に忘れていた。夢のように全くといっていいほど憶えていなかったが、それが間違いだった。
言葉で表せない激しい感情があふれ出す。体を器とするなら、その器を内側から殴って穴を開けてしまったよう。
「あ゛あ゛あ゛あぁ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁぁ!」
喉の奥がかすれる。両耳の奥の鼓膜が破け、液体のようなものが溜まってる気がした。
「畜生ォォォォオォォォ!」
最後に決めるのは自分の手だ。
言い訳であろうとなかろうと、周りに流されて殺したようなもの。渡された斧は振り下ろすしかなかった。
道徳を超えた。あるいは失った。
私が私であり、私でないために。
後で考えれば、そうあれは、いい経験。だけど、人間の本能に近いものがある。
たぶん、サバイバル。槍を構え、獲物を自ら仕留めていた時代からの遺伝子。それより前、いや、内に秘められていたような、もしくは口にしてはならないような禁忌。その遺伝子が蘇った気がした。
それを楽しんでいた。心の奥の奥の奥底では楽しんでいた。
[助けて]
彼女の叫びはわからない。
私は…………。あの子を殺したんだ。
助けを乞うてたかもしれない。暴れて逃げようとするのは生きたがってたからだ。それを無視してどこかの暴君のように殺した。少なくとも残酷じゃないけど、それは私たちの解釈で、痛みを感じる命に差別は出来ない。
「フフハハハハハッ!」
ありえない力でつぐみは人狼の頭を掴むと、片手だけでその巨体を掴み上げた。筋肉の塊のような体を持ち上げるなど、尋常ではない。親指が眼窩に入って目玉を押しつぶしている。大きすぎる人狼の足は足洗い場の溜まった血まみれの水についている。
つぐみは刀の柄を握り締めた。切っ先を喉元に添えた。脳裏でそれは被った。
(!!!!!!!)
赤くない血の量は比べ物にならないほど多かった。視界を失いそうなほどだったが、つぐみは視覚を使っていないようにその血に目もくれない。業務用のエプロンをつけていない全身に血が飛びつく。
『ねぇ、血は奇麗……?』
今までの声とは違う声。それはつぐみだけに聞こえた。
『ねぇ、どう思う?』
鼻につくにおい。鉄くさくも生臭くはなく、酸味のあるようなにおい。あの時と同じだ。
『奇麗でしょ? 素敵じゃない? 魅力的よね?』
途端に左腕に米俵をつけたような重量がのしかかった。腕の力が正常に戻ったのだ。左腕が落ちると共につぐみは手を放した。それに引っ張られるように体が崩れた。人狼の目玉が転がり落ちる。
『どう? 予想は中った?』
つぐみは頭から血溜まりに突っ込みそうだったが、意識を取り戻したかのようにドシンと両手を前に突いた。足と両手が血の中に沈み、底を捉える。カン、カランとコンクリートに響く音。
「予想って何……」
目の前の濁った水面を見つめる。
孔雀の飾り羽のようなマーブル模様の中に漂っている赤い血。
それ以前の…………。
どうして。
思い出させやがって。
消すべきじゃなかった記憶だった。
『わかってるでしょ?』
わかったよ……。
四つ。
一つ、壊れた日から感じていた。私は誰でもない。
二つ、消しちゃいけなかった。でも、私にはああするしかなかった。
三つ、人間が持ってはいけない感情を持っている。
「四つ。私…………」
私だけが、知っている事実。どこか間違っているかもしれないが、ただ一つ合っている。
『ねぇ』
私の頭に雷が響いたようだった。
どうしてか周囲が見えた。獣と戦う、友達。いや、戦友。
粘り気のあるものが飛び散る音が聞こえた。それははるか遠くから聞こえた気がした。
自分だけじゃない。全部変わってしまったんだ。
感染している。言いようのない“ソレ”が当たり前かのように。
悲鳴、絶叫、怒号、咆哮。すべての音が間違っていた。
自分だけが変わっていない。いや、少し早くに私は変わっていた。異常な日常になりつつある“ソレ”は受け入れられ、日常の異常な“ソレ”は受け入れられない。
「ブラッディアウト」は本物の戦争のように、すべてを変えてしまった。
後頭部から何かが響く。外部からの痛みではなく内側からの痛み。
力が抜け、何も考える事が出来なくなり、コンクリートに頭をぶつけ、気が遠くなっていく。




