十二月二十四日 金曜日 午後三時二十六分 見えない混乱
数が増えていた。明らかに人狼の数は増えている。死体となる数も増えるが、どこからか現れて戦おうとする数も増えてる。いったいどこから沸いて、どこから生まれてくるのだろうか?
銃声がよく聞こえてくる。数が多くなったからだが、それだけ密接すると仲間にも危害を加えかねないがために、それぞれ背中合わせで銃撃してる。前衛を申し出た私が戦う範囲は咲羅が銃撃を担当してる。動きを予想してくれてほとんど銃弾はかすめない。リサさんはナイフに持ち替えて同じく前衛出てる。美穂の射程範囲で、銃撃を予想してる。生まれつきの戦いのセンスが違うのか、舞を踊っているように見えてしまう。
足を切り飛ばした人狼は地面を這いながら、ふいに私の足を引っ張った。私は顔面から地面に倒れた。なんとか正面は免れたが、横面を地面にぶつけ、脳みそがぐらぐらする。空気を吸うたびに鼻腔で鉄くさいにおいがする。鼻血が出たらしい。
地面に叩きつけられた衝撃で包丁が手から投げ出され、三メートルほど向こうに転がってる。はいつくばったまま、進もうとするが脹脛が剥ぎ取られそうな痛みで私は呻いた。
突然、脳漿のようなものが飛び散ってきた。マーブル模様の奇抜な色をした血をたくさん浴びたが、脳漿は血よりも嫌悪感を増す。目の前の地面に脳の一部が散らばっていた。
包丁を拾おうと私が走る前方から人狼が戦車のように走ってくる。このままでは正面衝突してしまう。私は包丁を拾いながら、スライディングで股の下を滑りぬけようと身をかがめる。銃弾が飛んできた。人狼の振り上げた腕に一発は掠め、もう一発は貫いた。しかし、人狼はレーシングカーよりも速く、腐った牛乳のような血がほとばしる腕を包丁を拾った私に向かって振り下ろす。それは強力なゴムのように私をバチンと弾き飛ばした。
銃撃してる咲羅たちのほうに吹っ飛ばされ、陣形が崩れる。咲羅は私の下敷きで、さらに上別府が咲羅の下敷きになっていた。手から包丁が転げ落ちた。
私は飛びのこうとしたが、左足に銃弾を受けてしまっていて上手く立てなかった。矢坂が手を貸してくれて何とか立ち上がれたが、その手からは発砲の反動が伝わってきて何だか胸が詰まる。
「お前何やってんだよ! はやくしろ、死ぬぞ!」
上別府のまともな叱責が聞こえてきた。だけど、私はその言葉が痛いほど身に沁みる事になった。
上別府の声に重なるように悲鳴のようなうめき声が聞こえた。続いて銃声。
「ミホ!」
美穂が人狼に殴り飛ばされ、別の人狼に腹を引き裂かれていた。二匹の人狼は、ナイフを投げ出したリサさんの持つ銃の弾が空になるまで銃弾を浴びた。
「美穂!」
咲羅が美穂のほうに駆け寄り、圧し掛かった人狼を押しのけた。咲羅に貸していた日本刀を拾って私も駆け寄り、近づいてくる人狼の足を切り払う。だけど、矢坂の支えなしじゃ、立てなくなって目の前の人狼の絶命を確認してやむ終えず刀を振るうのをやめてしまった。
引き金を絞っているのは上別府だけ、人狼を切り倒してるのはリサさんだけだったが、私たちはそれを知らなかった。当然の事のようにそれはほとんど死を意味していた。
私がここに残ると提案したばっかりにこうなってしまった。指揮する者として失格だ。いや、人間としてかもしれない。どっちにしろそんな事はどうでもいい。誰も死なないというのが私にとって重要な事なのだから。落ち着け。自分に言う。自分を散々貶す事ならいつでも出来る。
「逃げようっ!」
私は今にも泣いてしまいそうだったに違いない。周囲が血の海だと改めて理解した。みんなが血だらけに見えるのは幻覚かもしれない。気が変になりそうだ。シンディが死んでしまった時よりも鮮明に発狂という言葉が理解出来る。この感覚だ。気を一瞬でも抜いてしまえば、神経がはちきれそうな感じ。
ほとんど混乱してたと言っても過言ではない。最初ほど統一性がなくなった。
咲羅やリサさんですら、銃を手に死に物狂いに見えた。上別府は手持ちの銃の弾倉を空にしてしまい、自らの体を武器にしている。矢坂は私の手から刀を奪い取り、人狼を切り裂いていた。
だけど、どの攻撃も的確に急所を狙っていなかった。ただ数撃ちゃ当たるといった感じに、撃ち、殴り、蹴り、斬っていた。
何かが違って見えた。さっきまでとは何かが違う。
私は矢坂の支えがなくなり、肩の痛みがぶり返し、足の痛みが増してその場に座ってしまった。傷口が燃えてるように熱い。少し遠くに落ちている包丁に手を伸ばしたが届かなかった。
背中とズボンの間から銃を取り出して、人狼の眉間を狙おうとしたが、無意識に手が震えていたために左胸を打ち抜いた。射撃ゲームの時は何十秒も集中する時間が取れたが今はたった一瞬が生死を分けてしまう。十分には狙いをつけられなかった。弾がなくなると私は何とか包丁を拾ったが、すぐに人狼は私の足を掴み上げ、振り投げた。運動場に面する足洗い場の壁に叩きつけられ、蛇口が取れた。水が溢れ、背中から水が衣服に染みているのがわかる。水に力を奪い取られる気がした。戦いの真っ最中なのにまぶたを閉じたらこのまま寝てしまいそうだ。
殺して次も殺さなきゃならない。早くしなきゃ、みんな死ぬ。混乱してる。それを早く静めないと……。
何かにゆっくりと持ち上げられた。首に鋭い爪が食い込んでる。焦点を合わせると琥珀色の眼と黄ばんだ乳白色の牙が見えた。怒りでそれ自体が強力なライトのように光っているような気がして眼を直視出来なかった。
凄まじい力で首を押され、頚椎をやってしまったかもしれない。粗い砂が混じったようなコンクリートの壁に頬をぶつけた。頬骨もやってしまったかもしれない。痛みに耐えるために包丁の柄を握り締める。血か水道水かわからない何かが滴ってる。人狼の剃刀のような五つの爪が首に食い込み、汗が吹き出る。いや、血だ。
私は血を滴らせている食欲をそそるただの肉だ。心臓を貫くか、頭を砕く、頭を引き千切る。最悪のパターンが脳裏に浮かぶ。
右目で必死に突破口を探しながら、足をバタつかせた。だけど、この時、獣の怒りに満ちた目が急に困惑に変わった。人間が持たない感情のように見えた。腕が痙攣していたが、首を掴む力は緩まない。私が持っていた包丁で獣の腕を刺した瞬間、もう人狼の目は憤怒しか映していなかった。人狼は腕から包丁を引き抜こうと腕を動かした。
もうする事は一つしかない。
アニメのように小さな悪魔と小さな天使が自分に囁いているような気がした。「殺さなければ殺される。いつも言っていたように殺されるのか? 殺せ」と「すべて平等よ。ここで殺すなら、いつでも殺される覚悟をしておきなさい」。幻想とも空想とも考える事が出来かねない二つの声が耳元で聞こえる。心の偏りか悪魔も天使も同じような事を言っているように聞こえた。
『過去の過ちを清算する時が来た』
まったく別の声が聞こえた気がした。あの「声」とはまったく違う。今まで聞いた事のない声質をしていた。
私は覚悟を決め、包丁を握り締める。右腕を伸ばし、迷いなく人狼の首に刺した。
( )
同じ感触が手に伝わり、思わず涙があふれた。涙と共に血も頬を濡らす。生温かい赤い血が涙との区別をつける。
ああ、私はこんなはずじゃなかった…………。
「チックショォォオォォォォ!」
神経がはちきれた。




