35 笑えない君を笑顔にしてみたいと思って
「それ、温かい?」
「結構いい感じ。宮代さんは買った?」
「うん、紺色の買ってもらった」
スクールシャツの上に、グレーのセーターを着た綾人は温かそうであれば、馴染むことになった低い声音に対し言葉を返していく。
今も履くローファーを慣らすため、ふたりして歩いている。せっかくならと、泊まりに行った際に訪れた、見晴らしのいい場所まで向かっていた。
淡い景色を彩るは舞い散る桜。これも今のように、前向きな気持ちで見ることはなかったかもしれない。綺麗だと思えるその景色は、心の中をざわつかせている。
良いも悪いも、全てが混ざり合っているような感覚。現在と過去を見比べてしまい、感傷に浸ってしまう。
高校生活は大丈夫だろうか。顔を歪ませてしまいそうな内容には、彼も同じではあるだろう。
だけど、少しばかり気を付けたい。巻き込んでしまわないよう立ち回りたい。表情がだめなら、伝える言葉を大切にしよう。そう意気込みつつも、空回りはしないようにと落ち着くことに。
「その眼鏡、どうしたの?」
不思議そうに綾人は訊いてくる。
先ほどから眼鏡を掛けていれば、レンズ越しに彼の姿が映っている。
「家といっしょの。学校もこれで行こうと思って」
「そっか……知的イメージアップって感じでいいんじゃない」
「それ、意味ある?」
「意味はあるでしょ。勉強のことなら頼ってください、て感じで友達できるかもよ。もしくは漫画とか読んでたら、それきっかけで会話できそうだし、知らなくても、そっから話を広げることできそうだし。やっぱり、一学期が何よりも肝心だから」
綾人の言葉には、盲点であったと、そよいは心の中で感心する。
友達のひとりやふたり、最悪無理に作らなくてもいいけれど、周りに馴染むことは大切だ。彼の言うとおりになってくれたら、案の定クラスで浮くことはないだろう。
勉強は得意だと思いたい。だけど、あの高校ではどうだろうといったところ。漫画は……多少なので、会話を広げるような質問を投げかけることができるかが問題に。
とはいえ、勉強できるも漫画を読むも、偏見なのではと感じてはしまうが、あくまできっかけになるかもといった話であった。
しかし、もとは違った意味で眼鏡をかけていくつもり。
自意識過剰だと思われても仕方がないが、男避けになるのなら掛けておきたい。
濁すことのない会話に堂々とした佇まい。きっぱりと断ることが大切だと理解しているけど、そもそもの対策ぐらいはしておきたかった。
「てか、宮代さん可愛いし眼鏡かけてても関係ないか。話しかけてくれる女子、結構多いんじゃない?」
だから、迷うようなことを言わないでほしかった。
彼の意図としては友達関係の話だとわかるが、眼鏡かけてても、といった言葉には顔を顰めそうにもなってしまう。
こちらの対策は意味がないと言っている。
そんな綾人へジト目を向けると、彼の動揺した表情が目に映る。
今はそれでいい。余計なことを言わないで、と咎めるようなものであれば、異性に向かって可愛いと、平気で言える神経を疑いたいから。
だけど、自分よりも可愛い子なんて、多くいるのは確かであった。
振り返れば、彼と同じ中学の結望と瑞季は、とても可愛い容姿の持ち主。ふたりもレベルが高いというべきか、合否の時の電車内で出会った女の子も同様であった。
もしかしたら、自分の容姿がいいは気のせいであるだろうか。
だったら助かるかも。それは、中学の事情が絡んでいるだけに、思ってしまうことであった。
少し胸が苦しくなるも、今いる環境はとても居心地がいいもの。レンズ越しに映る景色は心を落ち着かせている。
まだ何も解決はしていない。だけど、お泊りをきっかけとした一か月の暮らしが、不安材料を和らげてくれる。沈んでいた気持ちを少しずつ前へと向かせ、変わろうとしたいその背中を優しく押してくれている。
紛れもなく、今いる家のおかげだろう。そして、まだまだ先があるその暮らしは、安心して生活ができそうであった。
見晴らしのいい高台に到着した。満開の桜が快晴の空を埋め尽くすように咲いていれば、思わず感嘆の声を漏らしてしまい、見惚れてしまう。
隣へと視線を移すと、彼もまた同じような表情を浮かべていた。
「すごいでしょ」そう誇らしげに言っている彼を見れば素直に頷きつつも「どうして三原君がドヤってるの?」と返せば、彼は視線を逸らし、口元は波線を描いているように苦い口元を見せていた。
高台からの景色を見渡していると、自分のタイミングで声を掛ける。
思いのままに伝えることに。
「三原君、言い忘れてたことだけど──」
前置きをすれば、予行練習というかのように、彼の目を真っすぐに捉えてみせる。
それは顔だけを向けるのではなく、体ごと正面に向け、少し見上げる形を取った。
感謝の意図もある。それに、これから頼ることが多くありそうで、こちらも気にせず頼ってくれそうで。
変わらず接してくれたらうれしい。変に気を遣わない今のやり取りが、とても話しやすく、とても救われている。
そう言った意味も籠めて送る感情は、ありのままに口にした。
「これから三年間、よろしくお願いします」
心地よい風が吹き抜けるのを感じれば、無理をしていない自分が一歩踏み込んでいると自覚する。
今後の高校でも言葉を大切に。
どうせといったネガティブな言葉は中学まで。もしかすると、伝わらないことが今までのように多く出てくるかもしれない。
だけど、今度こそ挫けずに進んでみようと、心の中は笑っていた。
───────────────────────────────────
青空の中、柔らかく吹き抜ける春風が、彼女の艶やかな髪を靡かせる。
泊りで訪れていた別れ際、笑うことが苦手だと、勇気を振り絞って伝えてくれた。
だけど、から笑いや苦笑い、愛想笑いすらも彼女から見られることは、今日の今日まで目にすることはなかった。
苦手というより、笑えないのだろうか。
彼女と接して振り返るは、そういった確証とはいえないが、感じてしまうものが綾人の中には存在していた。
会話の時もテレビを見ている時も。誰かの笑う姿につられることはなく、表情の変化としては目を細めるくらい。やさしい眼差しを向けていると感じたり、たまに睨んでいる、怒っていると感じたりはするも、決して口角が上がることはなかった。
(笑った……?)
だからこそ、彼女の姿に見惚れてしまう。
少しばかり微笑んだだろうか。改めてと挨拶のような言葉を送られると、呆然としてしまった。
見間違いではあるだろう。彼女の口元には変化が見られないが、背景となる青い空に舞い散る桜が彼女という存在を惹きたててもいれば、笑っていると錯覚もしてしまう。
ただ、表情以外に変化が訪れていた。
真っすぐに伝えようといった気持ちは、以前のように視線を外されることはなかった。
無機質に感じてしまう声音に柔らかな色が乗っていれば、彼女の思いを乗せた、とてもやさしい声音を聞き取ることができる。
出会った当初と比べては明確に変わっていた。暗い表情で、抑揚が薄い声音で、あまり話しかけないほうがいいような、物静かな人物。
今目の前に佇むは、笑ってはいないけど、面白くて、可笑しくもあって、時には恥じらった様子も見せ、睨んでもくれば、柔らかな声音を掛けてくれる、心やさしい人。
自分に何ができるのか。それは、今のように自然体でいることだと思っている。
今のような距離感でいることが、彼女が安心して生活できると感じている。
余計なことはしなくていいはず。気を遣われるほど肩身が狭くなりそうで、たまに外で遊ぶ程度に声を掛けるのが、ちょうどよさそうで。
言葉を送られた綾人は、自然と柔らかい表情へと変わり、頷いてみせる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そう微笑むように返せば、互いに町の景色を見渡していた。
しばらくすると、静かなこの場に空腹の音が鳴ってしまう。
それは綾人であれば、彼女に指摘されると顔に熱を帯び始め、誤魔化すように帰りましょうと逃げだしていた。
靴ならしのローファーを気にしながら、ふたりしてゆっくりと歩いていく。
笑うところを見てみたい。
笑っている姿で、その気持ちで、この三年間を暮らしてほしい。
横を歩く女の子の笑顔は、きっと今咲く桜のように人の心をも和らげてくれる、柔らかい笑顔だろう。
それは、苦しんでいるだろう、彼女自身の気持ちも晴れてくれると信じたい。
自然と目が合い、彼女は逸らすことなく返している。
少しずつ芽生えてくる感情を胸に、綾人はこの日に思う。
──笑えない君を笑顔にしてみたいと思って──
以上で区切りの良いところまでとさせていただきます。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました<(_ _)>
ゆっくりとしたお話となっていますが、次回以降踏み込んだ話も出てくると思われます。
しばらく更新が途絶えてしまいますが、できる限り早く、この物語をお届けできるよう執筆してまいりますので何卒よろしくお願いいたします。




