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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第8章 魔物退治
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8-19.馬鹿

『殿下の周囲を固めて川辺まで後退、そのまま川沿いに国境警備隊の砦に向かってください』

 そう言うなりアレックスは前へと踏み出し、フィルが彼に続いた。その二人によって魔物たちの姿はフェルドリックの視界から遮られる。

『周囲にあと何匹いるかわかりませんから、ここに割く人数は少ない方がいいです』

 自分の何十倍もありそうな化け物に睨まれていながら、フィルは微かに笑った。

 そして、だからなるべく多くの者を連れて、

「行け」

 と、二人は“フェルドリック”に告げた。


 誰もが顔をこわばらせる異常な魔物、それにまっすぐ飛び込んでいったフィルの顔には静かな決意が満ちていた。すぐに彼女を追ったアレックスには、揺ぎ無い意思が見て取れた。

 用意された道を捨て、望む未来を手にしようと足掻いて変わっていく二人と、用意された道を捨てることも選ぶことも出来ないまま、同じ場所に佇んでいる自分――遠ざかっていく二人の姿は、その縮図にしか思えなかった。



 * * *



「ハフトリーを捕らえ損ねた?」

 地方の巡察を中止して、急遽王都へ戻る途中の宿。頭の中を整理しようとフェルドリックはアレックスを訪れている。

「プレビカの警護隊が、城を押さえるより先にグリフィスの養成場に踏み込んだ。それで察知されたらしい。愚かにもほどがある」

 その報告をロンデールが持ってきた時は出せなかった罵りも、アレックスの前であれば歯止めなく漏れる。

「篭城する気か……応援が期待できる相手がいるということだな」

「ああ、かなり根が深そうだ。さて、馬鹿はどこのどいつか……――とことん追い込んでやる」

 憎悪を顔に浮かべて笑うフェルドリックに、アレックスが呆れたような目を向けてきた。が、それで引かないのも彼だ。

 

 フェルドリックの従弟であるこのアレクサンダー・エル・フォルデリークは、際立って知識が豊富な上、常に冷静沈着で思考力が高い。人の感情の機微を読むことにも長けていており、早い頭の回転とあわせて、問題に現実的に対処できる。加えて見た目もよければ、威圧的な空気もある、有用以外の言葉がない人物だ。

 中でも一番好ましいのは、これだけ恵まれていながら野心の欠片もなく、フェルドリックに嘘をつかないことだろう。


 先日の信号弾による『初旅に風聖鳥の加護のあらんことを オルス』という暗号は、特別難しいものではないが、彼とだからこそ成立するやりとりではあった。

 初旅はこの視察旅行のことで、風聖鳥は夏に乾いた空気を運んで凶作をもたらす東風を打ち払うと言われている、人類の守護を司るセナデル神の御使いだ。

 オルスは昔フェルドリックが飼っていた犬の名で、アレックスと相談してヌクレイヌ英雄譚に出てくる人造の生物の名にちなんでつけた。

 そのヌクレイヌ英雄譚では、主人公が最初の航海で、部下の裏切りによって危機を迎える。

 つまり、表面的に誰かの旅の加護を祈る内容に見えたあれは、フェルドリックがこれから向かうタンタールの東、ハフトリー辺境伯の領地で、配下の彼によって引き起こされる危難が待っているというものだった。

 隠された意図はまだある。人造の化け物であるオルスの名からフェルドリックが連想したのは、異常だと騎士たちが口をそろえるあのグリフィスに人の手が加えられているという可能性だ。

 では、なぜアレックスはそれらをそのまま信号にしなかったか? そこから推測されるのは、ハフトリーにとって今の状況が不測の事態であるということ。

 結果、暗殺計画をこちらが悟ったと奴らに知られる前に、手を打つことができた。


 そう、アレックスはフェルドリックにとって、この上なく得難い存在の一人だ。

 側に置いておくのにこれ以上はないというほどなのに、あの、この上ない能天気馬鹿のせいで――。


「……っ!」

 戸を開けて部屋に入ってきた、その能天気馬鹿ことフィルは、フェルドリックと目が合うなり、回れ右した。あからさまなその態度に腹が立って、戸を再び開けようとするのを、枕を投げて阻止する。当然フィルの枕だ。

「なんで逃げる」

 つかつかと歩いていき、フィルの頭を挟んで両手を戸につく。

 ほぼ同じ高さにある顔を覗き込めば、その表情に何かを連想した。

「お、お話の邪魔をしてはいけないと……」

「嘘はいけないと思わないか、フィル」

「………………嘘をつかなきゃつかないで、さらにひどい目に遭わせるくせに」

 嫌そうな顔でぼそっと呟いたフィルに目を眇める。つまり、正直に言ったら、フェルドリックがキレるようなことを思っているわけだ。

 今本音をさらしたも同然だろうが、と微笑んだフェルドリックを見て、彼女は「げ」と小さく声を漏らした。

「そうとも限らないよ。試しに正直に言ってごらん?」

「わ、罠……! そんな手には引っかからない! ……で、はなく、ぜ、全力で遠慮します……っ」

(そうか、何かに似ていると思ったら、悪戯が見つかって一旦逃げたものの再度追い詰められた猫……やることなすことは猫なんて可愛いものじゃないけど)

「リック」

 押し殺した声と共にアレックスに襟首をつかまれて、ベッドにまで引きずり戻された。フィルは露骨に息を吐く。この辺も本当に気に入らない。



「ええと、私のベッド……」

 アレックスは、アレックスのベッドの上。フェルドリックは、フィルのになるはずだったベッドの上――フェルドリックに無理やり部屋に入らされたフィルは、己の居場所を考えてか、情けない顔をして立ち竦んでいる。

 フェルドリックは気付かないふりをして、アレックスと会話を続けていく。

 途中、アレックスがフィルを手招きして横に座らせようとした。

 顔を輝かせ、嬉しそうに足を踏み出した彼女を、ぎろっと一瞥すれば、彼女はその体勢のまま停止する。

 足音を殺してすすっと窓際に遠ざかっていったその様は、やはり猫に似ていた。

 自分たちのそんな様子にだろう、アレックスがため息をついたが、フェルドリックはそれも当然無視する。

(この僕からアレックスを取り上げたんだから、これぐらいの嫌がらせはかまわない)

 心の底からそう思っている。


「そんなに嫌なら部屋から追い出してくれればいいのに、嫌がらせのためにわざわざ入れるとか、相変わらず性格悪すぎ……」

「――いい加減学習する気はないのかな、フィル?」

 ぼそりと呟いた彼女に敢えて微笑んで見せれば、彼女は心底嫌そうに顔を歪めた。

 昔からそうだ。僕が笑えば笑うほど、彼女は嫌がる。それも気に入らないといえば気に入らないが、それで嫌がらせになるならよしとしてやらないこともない。

 それにしてもこの情けなさたるや、剣を握った時と同一人物だとはとても思えない。


「……」

 結局、フィルは部屋の奥の窓辺に腰掛けて、剣の手入れを始めた。

 真剣な眼差しと正確な手つきで刃に触れる彼女の周囲には、厳かな空気が漂っている。

 見るともなしに眺めているうちに、昔アル・ド・ザルアナックが同じようにしていたことを思い出した。本当に彼の孫以外の何者でもないと再確認する。

「……君、剣舞できる?」

「え、あ、はい」

「師から教わったの?」

 長い四肢で力強く、この上なく優雅に剣と共に舞うアルが好きだった。剣技大会の表彰式でフィルがナシュアナに捧げていた場面の舞も見たことがある。

 祖父と同じくらい自分を可愛がってくれた人への懐古と共に発した言葉に、目をみはっていたフィルは一呼吸おいて微笑み、頷いた。

「……」

 その表情に少しだけ見惚れ……呆れた。

「君、マゾだろう?」

 ――なんで僕相手にそんな風に笑うんだ。


「マゾ?」

 剣舞からなぜそんな話になるのか、眉間に皺を寄せたフィルの顔にはっきりそう書いてある。

 彼女は嘘がつけない。嘘をつかない、のではなく、ただつけないのだろうと思う。

「リック」

 対面に座るアレックスが眉をひそめている。

「被虐趣味。他者から身体的もしくは精神的な、うぐ」

 一歩踏み出してきたアレックスに口を押さえられて、強制的に黙らされた。

「そうやって過保護にしてどうすんのさ?」

 いつの間にか自分より大きく硬く、筋張るようになった彼の手を払いのけて睨みつける。

「別に過保護な訳じゃない」

「過保護だよ」

 そう断定し返して胸を張ると、顔を引きつらせるフィルを指差した。

「見なよ、この世間知らずなお人よしぶり。これだけ遊ばれている相手を普通庇ったりしないよ、あんな化け物相手にさ」

「やっぱり遊ばれてるんだ……」という呟きがフィルの口から零れたのは無視する。


 あの時彼女はまったく迷っていなかった。迷いがあればわかる。口だけで忠誠を誓う者がいざという時にどんな態度に出るのか、嫌というほど思い知らされている。

 彼女は幼い頃から一緒にいたアレックスじゃない。フェルドリックが信用を置いていて、それに答えようとしてくれる彼ではない。

 どちらかといえば、フェルドリックにとって彼女はずっと目障りな存在で、今も昔も苛立ちの吐け口にしている。

 彼女はフェルドリックが普段彼女に言っているほど馬鹿じゃない。それがわかっていないはずはないのに――。


 ええと、とフィルの戸惑ったような声が聞こえた。

「あなたは王さまになるかもしれないのでしょう?」

 首を傾げての一言に、はっと嘲笑をもらした。アレックスがじっとフィルと自分を見ているのを感じたが、敢えて顔を向けない。

「だから庇ったって? 褒美に何が欲しい? それとも何か都合して欲しいことでもあるのか?」

 皮肉を言われているというのに、フィルは心底意味がわかりませんという顔をして眉根を寄せ、首をさらに傾けた。

「ええと、祖父が言っていたんです。王さまっていうのは最初からそうなんじゃなくて、そうなっていくものなんだって。だから、王さまに期待するだけじゃなくて、皆も努力する必要があって、そうやって王さまになってもいい、王さまでいてもいいって思わせなきゃ駄目だって」

 剣を鞘にしまって、フィルは話を続ける。

「王さまなんて、面倒くさくて一つもいいことのない仕事なのでしょう? でも面倒くさがっているくらいの人が王さまにはちょうどいいって」

「……め、んど、う……」

(に、いいことが一つもない? ちょうどいい……?)

 ――その台詞を言ったのはアルか、それともうちの祖父か。

 思わず顔を引きつらせれば、目の前のアレックスが顔を俯けて肩を震わせ始めた。

「ぴったりでしょう?」

 さらに彼女は、事もあろうに王太子であるフェルドリックを指さし、アレックスに同意を求めた。堪え切れなくなったらしい彼が盛大に吹き出し、その様子に彼女は目を丸くする。

「つまり、その面倒くさい仕事を『ぴったり』の僕に押し付けるつもりで、僕をその気にさせようと……?」

(それはつまり……)

 フェルドリックはぎろりとフィルを睨む。

 腹立たしいことに同じ考えに行き着いたらしいフィルが、「あ」と呟いて頬を痙攣させた。

「ひょっとしてこれ、嫌がらせってことになる……? い、や、そんなつもりはなかったと思う、んですけど……」

 彼女はそこで口を噤み、「ああでも、無意識に、と言われれば、ものすごーくありそうな気がする」としみじみ呟いた。

 そう、彼女は嘘を吐けない――余計腹が立つ。

「っ」

 フェルドリックの殺気交じりの視線に気付くや、フィルは飛び後退って、背を窓にピッタリと貼り付けた。

 アレックスが声を出して笑い続けているが、フェルドリックは笑えるような気分ではもちろんない。

「――本当、君ってとことんむかつく」

 この世で一番腹立たしい相手と言われれば、真っ先にこいつを思い浮かべてやる。


「……笑いすぎだ、アレックス」

「悪い」

 フェルドリックはため息を吐き出すと、諦め半分に従弟に目を向けた。アレックスは謝罪を口にして姿勢を正したが、声はまだ笑っている。

「……」

 それから彼はフェルドリックへと目元を緩ませた。何かを喜ぶ目――こっちはこっちで気に入らない。


 あの日の夜もそうだった。

 遅くにタンタール要塞に着いたこの二人は、ボロボロのまま一目散にフェルドリックの元にやってきた。

 扉を忙しなく押し開いたフィルは、フェルドリックを見るなり『無事……』と呟いて脱力し、アレックスがその横で大きく安堵の息を吐き出す。そして、二人は顔を見合わせ、泣き笑うかのような表情を交わした。

 それを見た瞬間、『多分彼らはこの先も変わらないし、僕を裏切らない』と思ってしまった。


「……」

 二人はフェルドリックを、こんな立場にいることも含めてフェルドリックとして見ている。そして、できることをしようとしてくれている。

『皆を幸せにして、自分も幸せになれる』

 幼馴染二人を前に顔をしかめるフェルドリックの脳内に、南の異国で出会った凛とした少女の声がまた響いた。

 彼女はああ言ったが、自分が幸せになれるとはフェルドリックにはやはり思えない。

 でも、自分が用意された道を行くことで、幸せにできる人間は多分いる、こんな自分を心配するこの二人のような馬鹿は少なくとも。

 ――そう思い始めてしまっていることは面白くないから、絶対に秘密にしておく。


「決めた――この先一生こき使ってやる」

「は?」

「げ」

 そう宣言すれば、二人が顔を引きつらせた。

 溜飲を下げ、フェルドリックは「せいぜい覚悟しておけ」と捨て台詞を残して、彼らの部屋から出ていった。



 廊下に出たところで、控えていた近衛騎士が寄ってきた。

 その目の中に彼の家が近しくないアレックスへの妬みを見てとる。だが、敢えて気付かないふりをして笑みを浮かべ、ねぎらいの言葉をかけた。

 簡単に自尊を取り戻す彼の様子に内心で嘲笑を覚え、同時にそんなくだらないふるまいをする自分をも冷笑する。

 このままこの道を行けば、これが日常になるのだろう。そして、今回のように命を狙われることも。


 田舎の宿らしい、どこか不均質なガラス窓の向こう。一年のうちで最も日の長い季節の太陽の光が、森の海の彼方でその名残を薄く漂わせている。その上の刷毛で掃いたような薄い雲は、既に夜の青に染まりつつあった。


 嘘にまみれた、フィル曰くの『面倒くさくて、一つもいいことのない仕事』を引き受けようとしている自分は、多分救いがたいほどに愚かだ。

 だが、馬鹿と紙一重なまでにお人よしの彼らがいれば、それも少しは薄れる――。

「……結局三人とも馬鹿だってことか」

 そんな気がしてしまって、フェルドリックは部屋へと歩きながら、「まあ、あの子ほどじゃないけど」と小さく笑いを零した。



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