8-18.共感
「……そろそろ寝た方がよくないか」
「やだ」
「やーだ」
涙こそ止まったものの、真っ赤な目をした少女たちは、アレックスの戸惑いいっぱいの声に元気いっぱいに返事した。
「もっと遊んで」
「うん、もっと」
「……」
せがまれて延々とおままごとに付き合っていたアレックスが、途方に暮れたように眉尻を下げた。それを見た二人は、悪い子そのものの笑みを顔いっぱいに広げる――『我がままを許してもらえる』と認識した時の子どもの顔だ。
(こうなると手に負えないんだよなあ……)
思わずくすりと笑う。
アレックスは一見冷たい印象の人だが、その実、とても優しい。姉妹もそれをわかっていて、甘えているのだろう。
近隣の村に住む、彼女たちの母方の祖父母が、彼女らを迎えに急いでここに向かっているらしく、明日には到着するそうだ。そうしたらお別れだ。
フィルたちを引き留めようと遊びに誘うのも、欠伸を零しているくせに二人が寝ないのも、それを知っているせいなのかもしれない。
「じゃあ、今日はみんなで一緒に寝るかい?」
フィルの思いつきに少女たちは顔を輝かせた。
「本当……?」
「うわ、それなら寝るっ」
アレックスがそんな会話に目を丸くし、苦笑を零した。
二人は部屋にある二段式のベッドから毛布を床に運んでくると、フィルとアレックスの間にそれを引き、ちょこんと横になった。
部屋の明かりを落とし、枕もとのランプに火を灯す。
「……」
柔らかい光に照らされた少女たちの頭を順に撫で、フィルは目を細めた。
小さな頭と柔らかい子供の髪の感触。野営をしている時に祖父が、ザルアの別邸で眠りにつく時には祖母が、山小屋ではロギア爺がよくこうしてくれたことを思い出す。あの頃は撫でられる側だったけれど。
「そしたら、ヒンギスさんがね、この服をくれたの」
「でもお古なんだって。ニッカもっと可愛いのが良かった」
「ニッカぁ、そういうこと言っちゃ、駄目なのよ?」
眠れないのか眠りたくないのか、頼りなく揺らぐ灯の光の中、二人のおしゃべりはそれでも続いていく。
姉妹ってこんな感じなのかも、と微笑む。そういえば、メアリーも花屋のリンもリアニ亭の娘のメイもケーキ屋のジルもよくしゃべる。二人になるとただ倍になるだけじゃないらしい。
「そうだ、私、お兄ちゃんのおよめさんになってあげる」
おままごとの振り返りをしていたニッカが、不意にアレックスを向いた。その台詞に驚いて、フィルは目を瞬かせる。
(およめさん……)
ニッカはにこにこと笑っている。
「そしたら、すっごくきれいな白いドレスが着られるの! それでね、それを着てね、神殿でお式をあげるのよ。お花がいっぱいなの」
(……そういえば、メイも嬉しそうに私のお嫁さんになってくれると言っていた。メアリーも友達の結婚式がどうの、とはしゃいでいたし、リンもジェットと、って言っていたっけ。ジルだけはどうでもよさそうにしてたけど、オッズが二人の将来の話をした時はそれでもちょっと嬉しそうだった)
(……そうか結婚に憧れる人も多いのか)
『お前ももう十六だ。いつまでもそんな物を振り回し、剣士を気取っていてどうする。せいぜい着飾り、結婚相手を探す努力でもしろ』
(……嫌だな、そんなのは)
吐き捨てるように呟いた父の顔を思い出して、フィルは視線を伏せた。どうしてもしっくりこない。
騎士になって、楽しいばかりじゃないこともわかった。それでも父の言ったような未来は想像できない。やはり私はどうしようもないらしい、と苦く笑う。
「……?」
視線を感じて顔を上げたところで、目の前のマリーから「馬鹿ねー、ニッカは」という声が響いた。
マリーはそのフィルを見、ニッカを見、そしてアレックスを見て、なぜか得意そうな顔をする。「馬鹿ってなによぅ」とニッカがむくれた。
「お兄ちゃんにはフィルお姉ちゃんがいるでしょ?」
「……うん? それがなあに?」
「いーい? お兄ちゃんのお嫁さんになるのはお姉ちゃん。ニッカの入る隙なんてないんだから」
「……え」
呆然と口を開けた自分に、マリーがやはり得意そうな顔を向けてくる。
「……え?」
(私……? アレックス? え? お嫁、さん、アレックスの……?)
頭が真っ白になった。そして混乱した時はいつもそうするようにアレックスへと視線を向けて……。
「っ」
優しいけれど、どこか物言いたげに見える目線に、心臓がギュッと縮んだ。
知らず赤くなっていく顔と、どんどん速まっていく心臓の鼓動。耐えかねてアレックスの視線から隠れようと、急いで毛布を頭まで引き上げる。
その向こうから「ねえ、お兄ちゃん?」「ほんと、お兄ちゃん?」という追撃が聞こえてきた。
(い、居たたまれないってこういうことかも……)
グリフィスに囲まれる方がこの状況よりはるかに心臓に優しい。
「……?」
先ほどまでの賑わいが嘘のように静まったことで、羞恥とは別に疑問が頭をもたげる。
二人は完全におしゃべりを止めてしまっていて、アレックスの返事も聞こえない。
「……」
なんとなく居心地が悪くなって、目元を赤くしたままそっと毛布を引き下げた。半身を起こしたアレックスが二人に向けて人差し指を口にあてている。
「っ」
その彼の目がフィルに向いた。視線が絡んで、心臓が音を立てて跳ねる。
青い瞳が真っ直ぐ、怖さを感じさせるほど真剣にこっちを見つめている。
なぜか呼吸が苦しくなった。悲しいわけじゃないのに、体の中心から湧き上がってくる何かのせいで泣きそうになる。
(……ああ、そうか、こういうことなんだ、好き、って)
この人に見つめられることが、この人を見ていられることが、何かが壊れそうなくらい、どうしようもなく嬉しい――。
「……フィル」
間にいる姉妹の頭越しにアレックスが手を伸ばしてくる。長い指が近づいてくる。
やがてフィルの頬に届いた。赤く染まっているだろうそこを優しく撫でた後、彼は毛布を握り締めるフィルの手に触れる。
「アレック、ス……?」
目を丸くしている少女たちの上、手が彼へとゆっくり引き寄せられていく。
「っ」
手の甲にアレックスの唇が落ちた。小さいはずのその熱が、腕に、全身に広がっていく。
思考が痺れる。手に口づけたまま、こちらを見つめる彼しか見えなくなる。青い瞳に魅入られる。
「っ、すっごいラブラブ!」
「仲よしだ! 結婚式にはご招待してね!」
「っ!」
マリーとニッカのはしゃぐ声に我に返った。指先まで真っ赤に染まった手を慌てて自分の許へと戻し、毛布の中に隠した。
「え、あ、ええ、と……ら、らぶら……」
しどろもどろに二人に返すフィルを見、アレックスが声を漏らして笑う。
「……ぅー」
死にそうなほど恥ずかしいと思うのに、なんてことするんだ、子供の前で、と思うのに、やっぱり離れたくないと思ってしまって、気付いた。
(ああ、そうか。結婚やお嫁さんに憧れるのは、こんなに好きな人とずっと一緒にいることができるようになるからなのかも……)
ちらりと彼の顔をうかがえば、幸せそうな笑みを浮かべたまま「さあ、明日はたくさん歩くんだろう? いい加減寝ないと」と少女たちに話しかけている。
「うーん、じゃあ、お手紙書くから、お返事くれる? 約束してくれたら寝る」
「ニッカも、ニッカも!」
「わかった、約束する」
「……」
優しくて温かい、居心地が悪い気もするのに、ずっと浸っていたいとも思ってしまう不思議な空気――こんな空気にずっと浸っていられるようになるなら、彼女たちの憧れも少し、少しだけ理解できるかもしれない。




