信仰時計2
入り口で彼方を止めた三人が最後の守りだったのだろう、生命の如く脈打つビルの中にはウィッチの姿はない。
「あの三人には感謝しないといけないな」
起動している共鳴機関を乗っ取ると言う繊細な作業の真っ只中に、ウィッチの相手など到底していられない。
障害がソフィア王女のみに絞られたことは、残り時間を指折り数える今の彼方達にとって大いなる幸運だ。
そう考えながら彼方は支社長室の扉を開く。
薄暗い支社長室には佇む人影が一つ。
「やはり来たか、七荻彼方……お主は迷わずここへ来ると思っておったよ」
その人影──ソフィアの言葉と共に支社長室に明かりが灯る。
彼女の言葉の通り、机や観葉樹の植木は全て脇へと片付けられていた。
つまり、言葉通り彼方が来ることは既に織り込み済みであり、彼女は戦うつもりでもあると言う事だ。
「ソフィア王女……」
「残念ながら、既にここから共鳴機関への接続はできぬように切り離されているがのう」
薄い笑みを浮かべてソフィアが言う。
「なら共鳴機関に直接アクセスすればいいだけのことだ。屋上にあるだろう共鳴機関のコントロールパネルからならアクセスできる」
「確かに理屈の上ではできよう……しかし、それをワシが許すと思うか?」
ソフィアが彼方に向ける視線を鋭くする。
「ソフィア王女、ベルゼットを助けたいのは俺達も同じだ。妥協してくれる気はないか」
「……それは確実にベルゼットの命を救うと断言できるか?」
「勝算はある。だが……確実とは言えない」
「ならばその提案は受けられぬ。もう飽き飽きなのじゃよ。抱いた希望を"もしも"に踏みにじられ続けるのは! ワシは確実な明日を求める! どうせ裏切る"もしも"なぞ要らぬ!」
ソフィアは深々と息を吐くと、毅然とした眼差しを彼方に向けてロッドを構えた。
「それが多くの明日を踏みにじっても、なんだな?」
彼方も全断の剣を構える。
「そうじゃ、かつての過ちは己を縛る意思の鎖。ベルゼットを死のレールに乗せたワシは、あ奴をそこから降ろす義務がある!」
ソフィアが手にしたロッドを天にかざす。
同時、ソフィアのロッドが因果調律鍵へとすり替わる。それはベルゼットが使っていた鍵束に連なる一振りだった。
それを見ても彼方は慌てない。鍵束が全断の剣に至る系譜ならば想定されていたこと。鍵束よりも全断の剣の方が高性能、この状況は彼方が有利なはずだ。
「なら力ずくで押し通らせてもらう。お前がベルゼットを助ける義務があると言うのなら、俺は全てを選んで明日へと進む義務がある!」
言って彼方が踏み込む。
「夢想家め! そんなか細い"もしも"はとうの昔に捨てた! 幼い理想論は抗えぬ現実に打ち砕かれるが道理。知れ、身の程を!」
それに合わせてソフィアも踏み込んだ。
同じ過ちを持つ二人の戦いの火蓋が切って落とされる。
二人は互いに剣を振り下ろし、二つの剣閃が交差する。打ち負けて弾き飛んだのは──彼方の方だった。
「ぐあっ!?」
予想以上に重い一撃。彼方は入り口の壁に叩きつけられそうになるが、何とか魔法で姿勢を制御する。
そして、そのまま両足で壁を蹴りつけて再度ソフィアに迫った。
「ふん、無駄じゃ」
ソフィアがその場で鍵束を薙ぐ。
彼方は空中でそれを咄嗟に受け止め──薙がれた勢いのまま壁際の本棚に打ち付けられた。
「なっ──!?」
本棚が収められていた本をまき散らす中、彼方が痛みと驚きに満ちた表情でソフィアを見上げる。
ソフィアの一撃一撃が余りに力強い。幾度となくウィッチと対峙してきた彼方だったが、ここまでの威力差を感じたことはほとんどない。かつてエリスと対峙した時ぐらいのものだ。
「不思議か? ウィッチでもないワシが使う因果調律鍵が強いことが、全断の剣が打ち負けることが」
「いや、全断の剣自体は負けていない」
それは間違いない。クラリーチェが扱う全断の剣はべルゼットの鍵束を容易く切り裂いていた。
「全断の剣は最強の因果調律鍵、それはワシも認めるところじゃ。しかし、因果調律鍵を借り受けるワシ達は所詮只人。人とウィッチとの間を橋渡しをするロッドの限界によって、その力には制限が掛かっておる」
「ロッドの差……! ソフィア王女、お前まさか!?」
幾らクラリーチェが補助してくれているとは言え、彼方は全断の剣の性能を最大限には発揮できない。そして、発揮できる限界値を定めるのがロッドの性能なのだ。
しかし、今使用しているロッドは彼方のカスタム品であり、現行のロッドの十年は先を行く性能を誇る。
そのロッドを圧倒的に上回るような超高性能ロッドなど世界に一つしかない。
「そうじゃ、ワシが使っておるロッドは共鳴機関、これこそお主が本来想定した運用方法じゃ。そして、ベルゼット他多数のウィッチを接続した共鳴機関は鍵束本体に近しい権能を持つ」
「なんてことを……それでどうなるかはお前が一番知っているはずだろう!?」
狂気としか呼べないソフィアの行動に彼方が叫ぶ。
共鳴機関を使えば人間はその負荷に耐えきれない。しかも、この共鳴機関の接続先は普通の魔法機関ではなくウィッチなのだ。どんな悪影響が出るのか想像すらできない。
「無論、ワシもその前に片をつけるつもりじゃよ。ああ……思えばあの時もワシが先に共鳴機関を試しておけばよかったのじゃ。ベルゼットに業を背負わせるより、ワシが背負った方がどれだけ良かったことか……!」
ソフィアは自らの顔を手で押さえながら自嘲する。きっと彼女も己の過ちと向き合い続けてきたのだ。
クラリーチェに諭されていなければ彼方もしていただろう、過去に囚われた向き合い方で。
「そんなことはさせない。お前が負荷で壊れる前に俺がお前を倒す──!」
彼方は全断の剣を強く握りしめると、ソフィアを見据えて立ち上がる。
ソフィアが彼方の"もしも"なのだとすれば、彼方達の答えが正しいと証明するためにも尚更負ける訳にはいかない。
「ふん、出来ぬ夢を語るなと何度も言わせるでないわ!」
ソフィアが深く踏み込んで鍵束を振りかぶる。
「それで聞き分け良く諦めたら、本当にできない夢のまま終わるだろう!? 足掻き続けなくて得られる夢なんてない!」
彼方は本棚に残っていた本を手に取って投げつけ、間髪入れずに横に跳躍する。
「っ──! 小賢しい真似をするものじゃ──なッ!」
ソフィアは鍵束を振り抜いたままの姿勢で魔法を行使、飛んできた本を弾き飛ばす。
横に飛び退いていた彼方はそのまま宙を蹴って天井まで跳躍、更に天井を蹴り飛ばしてソフィアへ向けて急降下する。
「温いわ!」
ソフィアはすくい上げるように鍵束を振り回して迎撃を試みる。
鍔迫り合いが起こる寸前、更に宙を蹴り飛ばして彼方が軌道を変えた。
「何──!?」
「打ち負けるのが分かっているんだ。まともに打ち合うつもりは無い」
一面に敷かれた深紅の絨毯を摩擦で削り取りながら彼方が滑り、壁に掛かっていた絵画を手にして投げつける。
同時、再び彼方が跳ねた。
「姑息なッ──!」
投げつけられた絵画が視界を塞ぎ、彼方に対するソフィアの反応に僅かな遅れが生じた。
その遅れを突いて彼方が横から振りかぶる。
ソフィアが体をねじって無理やりそれを受け止めようとした所で──彼方が再度飛び退いた。
「くぐうっ!」
「こちらの利を使わせて貰うぞ」
彼方がソフィアに対して持っている優位点は三つ。体力、戦闘経験、加えて時間制限だ。
共鳴機関を用いるソフィアは負荷のせいで長時間の戦闘はできない。故に勝負を急いで隙を生じさせる。だから彼方は体力と経験でそこを突く。彼方も急ぐ以上、最善手ではないがそれ以外に方法はない。
上、下、右、前、左、右、後。幾何学模様を描くように彼方は部屋を縦横無尽に駆けて跳ねる。
そして、ソフィアを一刀両断すべく虎視眈々と追い詰めていく。ただし深追いはしない。ひたすらに隙をついてじっくりとソフィアを削り取る。
「ふぅううっっ! これほど性格が悪いとは思わなんだわッ!」
共鳴機関による負荷に加え、集中力と体力を大幅に消耗していくことで、ソフィアの動きと判断力が徐々に鈍くなっていく。
「はあっ……! そろそろか──!」
同じく息を荒げながらも、彼方はその様子をしっかりと見据え続ける。
体力を削っているのは彼方も同じ、だが先に体力が尽きるのは間違いなくソフィアだ。
これで何度目か、彼方は拾い上げた本を投げつけて横に跳ねた。
更に壁を蹴り、その勢いを利用してソフィアに向けて突撃する。
「くどい、何度目じゃ──!」
苦悶に満ちた表情でソフィアがそれを迎撃する。
先程までならば彼方は軌道を変えて飛び退いていただろう。
しかし、彼女の反応は大分遅れている──故に、彼方はここで決着をつけるべく剣を振り抜いた。
「終わりだ、ソフィア王女!」
彼方が全断の剣を振り抜く。受け止める鍵束はもはや間に合わない。
勝利を確信した彼方だったが、その剣は空を切った。
「な──!?」
勝利を確信していた彼方は大慌てで踵を返す。
彼方の後ろ、ソフィアは全断の剣で両断されるよりも早く床に倒れ伏していた。
「うぐぐぐううっ……」
ソフィアは頭を押さえ、苦悶に満ちたうめきをあげている。
「共鳴機関の過負荷が来たのか……だから言わんこっちゃない!」
彼方は全断の剣を振り上げる。
これが最善策。彼女を救うためには一刻も早く共鳴機関から切り離す必要があるのだ。
迷いなく振り下ろされる全断の剣。
だが、それを握っていた彼方が吹き飛んだ。
「ぐあっ!?」
彼方は何が起こったのか理解できずに周囲を見回す。
この期に及んでソフィアが何かをできるとは考えられない。
「…………」
部屋の中心付近、無言で倒れたままのソフィアの姿。しかし、既に苦悶のうめきは消えている。
不穏な静寂の中、ソフィアの手にしていた鍵束が消失し、すり替わっていたロッドが過負荷で盛大に弾け飛んだ。
だが、ロッドが無いにも拘わらず、部屋の因果は徐々に整ってソフィアの周囲で渦巻いている。ウィッチでない彼方でも分かるほど明確に。
「まさか……」
ぞくりと猛烈な寒気が彼方を襲う。最悪の展開が脳裏をよぎる。
今ソフィアの身に起こっていること、彼方にしてみれば考えたくもないが、それは恐らく──
「ウィッチとしての覚醒……」
その言葉を肯定するように、ソフィアの周りで強固に制御された因果が黄金の色をした鎖の形へと変貌し、ソフィアを守るように張り巡らされていく。これこそが庭園の発現。
ソフィアがピクリと右の指先を動かし虚空を掴む。その手には突剣を模した因果調律鍵が握られていた。




