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午後三時2

「ソフィア王女の言葉は至極当然。なら俺に有ってソフィア王女に無い物……。彼女達が持ちえず俺達だけが持っている可能性、それはなんだ?」


 エレベータを降りた彼方は無人のエントランスで独り呟く。

 恐らくソフィアはベルゼットの為に知恵を絞り続けていたことだろう。そんな彼女達が試行錯誤した答えを今事情を知ったばかりの彼方が上回れると言うのは慢心に他ならない。

 ならば彼女の答えを超えるためには、彼女になく彼方達にしか持たないものから導き出すしかない。

 だが、そんなものがあるのだろうか。


「カナ君、お疲れ様」

「クラリーチェ」


 重々しい表情のままビルを出た彼方を出迎えたのはクラリーチェだった。


「待っていたのか」

「うん、一度はエリスと一緒に家に帰ったんだけどなんか落ち着かなくて」


 クラリーチェは無理やり作り笑いをすると、すっかり冷えてしまった缶コーヒーを彼方に手渡す。


「そうか……。とりあえずベルゼットは無事だ。ただあまり良い状態とは言えないな」


 彼方は先んじてベルゼットの容体を説明する。

 彼女がここに居たのはただ彼方を待っていただけでなく、ベルゼットの身も案じていたと思ったからだ。


「そう……無事でよかった。君に任せて逃げるなんて情けないことしたから、余計に気になっちゃってさ」


 クラリーチェはベルゼットの無事を聞いてほっと胸を撫で下ろす。


「詳しくは帰りの道すがらに説明する。まだ夜は寒い、今日はもう帰ろう」


 彼方は寒さで冷たくなったクラリーチェの手を引いて、ゆっくりと帰路に就く。

 彼女の手が心なしか震えているように感じるのは、寒さのせいではなくその心中によるものだろうか。


「あ……。カナ君ったら珍しく積極的、だね」

「クラリーチェ、こういう時に無理はしなくていいんだぞ。俺だって共鳴機関で弱みを見せたんだ、お前も俺に弱い所を見せてくれて丁度いいぐらいだ」

「ああ、そういうことですか。そう言われてもねぇ、私は別に無理なんてしてないから。うん、してない……多分、きっとそのはず」


 クラリーチェは視線を僅かに逸らしながら歯切れ悪く言う。


「ふぅ……。無理していない人間があんな場面で俺に任せて逃げる訳がないだろう。普段のお前なら助けるために奔走していたはずだ」

「むぅ……そこを指摘されちゃうと痛いなぁ。並行世界とこちらの世界、一見同じ人でも全くの別人で他人。そうやって割り切っていたつもりなのに、今の私は全くそんな風に振舞えてないもの」


 クラリーチェは掴んだ彼方の手を前後に揺らし、あははと自虐的な笑みを浮かべた。


「全く、そんなことを考えていたのか。そんな折り合いの付け方をしていたらそうもなる」


 そんなクラリーチェの様子を見た彼方は、呆れるようにため息をつく。


「え?」

「俺だって並行世界のお前達が窮地に陥っていたら心穏やかじゃないはずだ。それを他人だと割り切って振舞おうとすれば歪にもなる」

「むー、そりゃそうかもしれませんよ。でもね、仲の良かった友人達と同一人物が自分だけを覚えていない世界って結構傷つくんだよ。なら割り切ろうとしたっていいじゃない」


 クラリーチェは拗ねるような表情で吐露する。胸の内で抱えていたその想いは並行世界からやって来た彼女にしか理解できない悩みだろう。


「全く、ようやく本音を出してくれたか。……そうだな、確かに俺にはその気持ちは分からない。けれど、見ないふりではなく向き合ったからこそ、こっちでもエリスと仲良くなれたんじゃないのか?」


 彼女がこの時代にやって来たのは歴史改竄ともう一つ、エリスと再び友人となるためだった。

 そしてその望みの通りクラリーチェとエリスは良好な友人関係を築けている。それは、彼女が今言ったように無理やり目を逸らしていては叶わなかったことのはずだ。


「それは、そうかも……そうだよね。私、友人と母親って違いで少し難しく考えているのかな」


 クラリーチェは少し上目遣いでうんうんと小さく頷く。

 心中を吐き出したことで彼女の中でも心の整理ができはじめたのだろう、その表情は先程よりも少し晴れやかだ。


「お前にとっての並行世界は歴とした過去の一部なんだ。既に自分の血肉となっているものを綺麗に選り分けることなんてできる訳がない。いいじゃないか複雑な感情を抱えても。それで迷うことがあるのなら、その時は俺やエリス達がひっぱっていくさ」

「……うん、そうだね。ありがとう、君がそう言ってくれることが何よりも心強いよ」


 クラリーチェは夜空を見上げて頷くと彼方の手を離す。


「そうだね、うん。きっともう大丈夫。私の体と血潮の半分はベルゼットと同じものなんだってちゃんと認めた上で、ちゃんとこっちの彼女とも新しい関係を作っていくね」


 クラリーチェは軽やかに縁石に飛び乗って、晴々とした笑顔を彼方の方へと向ける。

 その笑顔はいつも通りの彼女だった。


「ああ、並行世界では血を分けた親子なんだ、きっと良好な関係を築けるさ。そしてその為にもベルゼットを何とかして助けてやらないとな」


 心強い笑顔に彼方の張りつめていた緊張が僅かに緩む。そして同時に決意する。彼女の為にも何としてもベルゼットを助け、その暴走を止めなければならないと。


 ──と、そこで彼方は気が付く。


 生物学上、彼女とベルゼットは血を分けた親子。つまりその半分はベルゼット由来のもの。

 親子ならば臓器移植なども高確率で適合する。加えて彼女は因果を統べる最強のウィッチ。ならば打つの手が無いように見えたベルゼット相手でも光明が見えるのではないだろうか。


「クラリーチェ! 一つ聞きたい!」

「え、ええ? カナ君、急にどうしたの」


 力強く言う彼方。

 まだ縁石に乗っていたクラリーチェはそれに驚いてバランスを崩し、その体を前に後ろに揺らした。


「ベルゼットを助けること。お前になら……いや、お前にだけはできるかもしれない」

「えっ? それは……」 


 彼方の言葉をちゃんと聞くべく、クラリーチェが縁石から飛び降りたその時だった。


「ふやっ!?」


 その顔の上に大ぶりの麻袋が被せられた。


「クラリーチェ!?」


 麻袋の中でもがくクラリーチェの背後にはメイド服を着た少女が二人、源十郎との会談に同席していたウィッチの少女だ。


「はーい、クサレリア充一名ごあんなーい。七荻彼方さん、この人の命が欲しくばご同行願いまーす」

「くっ、油断した……!」


 彼方は歯噛みする。

 なまじ源十郎と言う男を知っていたからこその読み違い。

 まさかあの臆病な源十郎がこんな明確に犯罪行為に打って出るとは思っても居なかった。ウィッチと言う力を手に入れて正気を失っているとしか思えない。


「おっと、動かないでくださいー。この子が酷い事になりますよー」

「むぐっ!」


 全断の剣(マスターキー)を手に取ろうとした彼方を一方のウィッチが牽制し、もう一方のウィッチが麻袋に入ったクラリーチェを担ぎあげる。

 クラリーチェを人質に取られた彼方が渋々両手をあげた。

 クラリーチェもようやくファントムと言う嫌疑を晴らした所だ、迂闊に実力行使をすることはできない。


「さー、同行してくださいね。源十郎そーすいがお待ちです」

「分かった、同行する。その代わりクラリーチェには手を出すな」

「はいはい、約束しますよー。バカップル共は爆発四散させてやりたいですけどー。私達だってドーム貸し切りライブが掛かってるんで、そこんところはちゃんとやりますとも」


 ウィッチの少女達は江戸時代の籠屋のようにクラリーチェ入りの袋を担ぐと、彼方を源十郎の待つ場所へと案内するのだった。


   ***


 白いベッドの上、一人残され手持ち無沙汰になったベルゼットは本を読んでいた。

 それは弱き者に手を差し伸べ、背負った苦難を乗り越えひた走る少年の物語。ソフィアが眩しいと言って読むことを躊躇っていた物語だ。


「確かに眩しいでございますよねぇ、悔しいでございます。本当はベルゼット達もこんな風になりたかったのに」


 幼い頃は本を片手にこんな風になるのだと力強く夢を語っていたものだ。だが、全てを踏み台にしてでも進むと決めた自らとこの物語は真逆、だから今のベルゼットにとってもこの物語は眩し過ぎる。


 ベルゼットは膝の上に置いた本をそっと閉じて静かに目をつむっる。

 静謐に満ちた部屋の中は時を刻む懐中時計の音だけが聞こえている。

 自分は後何度この音を聞けるのだろうか。自らが受け継ぎ、我が子に手渡すはずだったこの時計が刻む針の音を。


「……もうベルゼットはこの時計を手渡す権利を持たないでございましょうね」


 代々伝わる懐中時計を手渡すと言う事。それはこの時計を手渡した母と同じように、自らも誇り高く刻んだ時の続きを託すと言う事。

 ならば人々の意思と時間を奪うことによって時を刻む自分は、きっとこの懐中時計を手渡す権利を持たない。


「でも、もしも……」


 幾度となく裏切られ、二度と口にしまいと決めていた"もしも"。


「この身朽ち果ててでも自らの誇りを失わず、時を刻み続けるこの時計を手渡す事を選んだとしたら。そんな未来があったとしたら……」


 もしも、自らを陥れた人間の窮地に手を差し伸べることができるような生き様をしていたのなら。

 この時計を受け取った我が子はどんな未来を紡ごうとするのだろうか。

 それは自らが置き去りにしてしまったもう一つの可能性(もしも)


「何を今更……センチメンタルでございますねぇ」


 そう自嘲して目を開ける。

 見ればベッドの横にはソフィアが立っていた。


「ソフィア、居たのなら言って欲しかったでございますよ」


 ベルゼットが弱々しく笑う。


「何を言う、思索にふけって気が付いておらぬとは思ってもみなんだわ」

「そう言われてしまうと返す言葉もないでございますが……」


 呆れ顔で言うソフィアにベルゼットが苦笑いを返す。


「まあ良い、それよりも体調の方はどうじゃ」

「おかげさまで、まあ何とか生き永らえているでございますよ」

「そうか、あの男を招き入れた甲斐はあったと言う事じゃな。……七荻と言えば黒幕気取りの方もついに業を煮やしたようじゃ」

「強引な手に出ると言う事でございますね」

「出たが正しい。武器を携えたウィッチ共が駆けずり回っているのが目撃されておる。商人の領分も人としての領分も弁えられぬとは愚かな男じゃ」


 ソフィアは嫌悪感を隠すことなく言う。今はベルゼットを救うために悪党ぶっているが、本来この少女は人並み以上の正義感を持っているのだ。

 きっと彼女の可能性(もしも)を殺してしまったのもベルゼットなのだろう。それはベルゼットにとっても堪らなく悲しい事だ。


 ベルゼットは閉じられた本に手を置くと、再び静かに目をつむって一呼吸する。


「……時にソフィア」

「どうした?」

「手品の種は割れ、ベルゼットに残された時間も少ない。次世代種計画は無理やりにでも最終段階へ行かざるを得ないでございましょうね」

「じゃろうな、ファントムに因果調律鍵(コード)を突き立てて解析など悠長なことは言っていられぬ。人々全てを飲み込んででも次世代種の先へと急ぎ駆け抜けていかねばならぬ」


 ソフィアは感情を押し殺すように言う。

 彼女がそれをできる限り避けたいと思っていることはベルゼットも知っている。そして、それ以外に自らが生き残る術がないだろうことも。


「もしも、その前に少しだけ正義の味方になりたいと言ったら……ソフィアは笑うでございますか?」


 だからベルゼットは二度と使うまいと決めていた"もしも"添えてそう尋ねた。


「何を今更と言った所じゃな。まさか七荻彼方に絆されたとでも言うまいな」


 ソフィアはどことなく寂しげな表情でそう言う。

 まるで鎖で縛りあげた自らの心の内が軋んでいるとでも言うように。


「そうかもしれないでございますね。……ただ、ベルゼット達はちゃんと決別しておくべきだと思うのでございます。物語に夢焦がれ、自らもああなるのだと心に誓った自分自身を完全に裏切ってしまう前に、ベルゼット達があえて捨てて来た"もしも"を裏切る前に」


 人々の意思と時間を喰らい自らの時計の針を刻み続ける。その業を背負う覚悟はとうの昔に決めている。

 だが、だからこそ誠意を示さなければならない。こんな自分に手を差し伸べた者に対して、夢見ていた"未来(もしも)"を踏みにじってしまった昔の自分自身に対して。


「……確かにワシもあの男に借りを作ったままと言うのは気分が悪い。見え透いた悪事を企むあの小悪党に引導でも渡してやるのも一興じゃろうな」

「ソフィア、無理をさせるでございますね」

「無理をしているのはお互い様じゃ」


 ソフィアは微かに笑うと、今まで一度も身に着けることのなかった魔法騎士団の制服を静かに羽織った。


「ヒルダ、留守は任せた。信仰時計の演算装置となって多くのウィッチは庭園が弱体化しておる、お主位でなければ留守は守れまい」

「ほい、承知しました。ファントム以外が相手ならなんとかしてみせます。……それとボス、魔法騎士団の制服似合ってますよ」

「ふん、今宵限りじゃ。正義足りえぬワシにはこれを着る資格はない」

「全く相変わらずのクソ真面目なことで。まあボスらしいって言えばボスらしいですけどね」


 ソフィアはヒルダの軽口に何も答えない。

 ただ制服の裾をはためかせ、ゆっくりと深い夜の中へと歩き出すのだった。


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