午後八時5
共鳴機関の設計図がディスプレイに浮かぶ中、彼方はキーボードを叩く手を止めて、手にした資料を読み漁る。
資料の中身は共鳴機関の事故報告書。報告書の中身は彼方が伝え聞いた通り、被験者がウィッチとしての能力を発現されたことにより事なきを得たとされていた。
被験者の名はベルゼット・ロウフェラー。実験にはソフィア王女も立ち会っていた事が分かった。
「俺が事故報告書をちゃんと読んでいたのなら、今回の一件はおおよそ察することができていた訳か」
あの頃の自分は失敗を直視できないほど子供だったのだろうか、情けなさと後悔に彼方は天を仰ぐ。
「と……いかんいかん」
彼方は資料の紙束でぱんと自分の顔をはたいて弱い心を戒める。
「クラリーチェと約束した以上、もう過去に囚われてはいられないよな」
過去の過ちを懺悔し続けても時計の針は未来へと進まない。そして今すべきことは明確だ。
ならばこれ以上迷っていてはクラリーチェやエリス達と並び立つ権利を失ってしまう。
「だが……どうしてソフィア王女とベルゼットは次世代種計画に共鳴機関を選んだ?」
それは二人の背景が見えて彼方に生じた疑問。
二人は彼方の同じ失敗体験を持つはずなのだ。遥が言うには次世代種計画は様々なアプローチから行われている。その中でベルゼットと言う規格外のウィッチを使い、あえて再び共鳴機関を選んだ理由が分からない。
もし彼方が同じ立場なら心情的にも共鳴機関は使いたくない、間違いなく別の手段を選んだことだろう。
「心情だけでは変えられない何らかの要素、か……ウィッチの領分は俺では理解しかねるからな。明日クラリーチェにでも尋ねてみるか」
彼方はどことなくいつもと違ったクラリーチェの表情を思い出す。
「あいつ、無理をしていなければいいんだが……」
もし無理をしているようならば今回の件から外れてもらおう。彼女は文句を言うだろうが、互いの辛い部分を肩代わりするのも支えあいに違いないはずだ。
玄関のドアが勢いよく開いたのは彼方がそう心に決めた時だった。
「はあっ、はあっ……! カナ君! お泊り! お泊りさせてっ!?」
開いたドアから息を切らせたクラリーチェが涙目で飛び込んで来くる。
「クラリーチェ? どうしたんだ、ドアを閉める前にその発言は正直止めて欲しいんだが」
少し呆れ顔をした彼方が玄関まで歩いていくと、クラリーチェは玄関で仰向けになって倒れていた。
全身ずぶ濡れ。濡れて透けたパジャマは下着のラインが分かるほど素肌にぴったりと張り付き、その魅惑的なラインを余すところなく見せつけている。
「ごめん……後、少し休ませて、ちょっと余裕ない」
床に仰向けに寝転がったクラリーチェは呼吸を整えながら何度も身をよじらせ、その度に見事な大きさ形の双丘が右に左に動いて彼方を誘う。
濡れて淫靡さを増したクラリーチェの姿はどこを切り取っても扇情的で、彼方の精神衛生上実によろしくない。
だが彼女の様子を見るに何らかの異常事態が起こったことは間違いない。ならば恥ずかしがっている場合ではないだろう。
彼方はクラリーチェの脇を通って玄関の扉を閉めると、彼女の呼吸が落ち着くのを待って改めて尋ねることにした。
「それで一体何があった? お前がここまでなるのはどう考えても普通じゃない」
「うー、うーっ!」
クラリーチェはよろよろと立ち上がると、勢いよく彼方に抱きつく。
それに合わせてその胸がぎゅむっと遠慮なく彼方に押し付けられた。
クラリーチェは抱きつく手に力を入れて事のあらましを説明していく。
彼女にしては要領を得ない説明だったが、信仰時計の影響で狂った人々に散々追いかけ回されたらしい。
「本当に本当に酷い目に遭った……! 私、絶対に信仰時計壊すから。あんな危険物徹底破壊ですよ、徹底破……くしゅんっ!」
「全く、決意を新たにするのはいいが、その前にシャワーを浴びた方がいい。このままじゃ風邪をひくぞ」
彼方はやんわりとクラリーチェを自分から離して、風呂場の前まで連れていく。
「うん、それは勿論私だって浴びたいけれど……」
歯切れ悪く何かを訴えようとしているクラリーチェだったが、彼方に後押しされて諦めたように脱衣場に入っていく。
それを見届けた彼方はひとまず安堵して作業の続きに戻る。あの格好のまま居られては彼女の体だけでなく、彼方にとっても目の毒だ。
土砂降りの雨がシャワーの音をかき消してくれるのも実に幸運。後は彼女が出てきたら信仰時計について落ち着いて話し合おう。
──そう彼方は油断していた。
「ねえカナ君、暖房入れてもらえる? 流石にこの格好じゃすぐ湯冷めしちゃうから」
「ああ、分かった」
彼方は家電と連携している万能端末を操作し、少し高めの温度で暖房のスイッチを入れる。
そして今後の方針を話し合うべく立ち上がった所で、クラリーチェが言うこの格好の意味を理解した。
クラリーチェは自慢の長髪をタオルで巻いて、大きめのバスタオルを巻きつけただけの格好で自らの指定席であるソファに座っていた。扇情的という意味ではランクアップしている。
「クラリーチェ、その恰好は何なんだ……」
「だって着替えなんて持ってないもの。そう言おうとしたのに、カナ君ったら無理やりお風呂に押し込んじゃうし」
むーっと頬を膨らめ、タオルの上から胸と股の間を隠すようにしてクラリーチェが言う。
羞恥心からか風呂上りだからか、その体はほんのりと赤らんでいる。
「ああ、そうか……。それはそうだな、すまん」
彼方は己の浅はかさを悔いる。
「まあ、ずっと濡れたままって訳にはいかないからしょうがないけど……これから着るものどうしようね?」
地味に切実な問題だった。聞く限り着替えを取りに帰ることはできないだろう。かと言って彼方の家に乾燥機はない。
当然、洗った着替えが乾くまでクラリーチェにこんな格好をさせている訳にもいかず、コインランドリーでクラリーチェの使用済み下着を洗うの自らの姿は完全に犯罪だ。
「むぅ、無から洋服を作れないのか? 前に存在しない食材から料理を作ったことがあっただろう」
「無理です。作る時に言ったと思うけどあれは失敗した時用のリスクヘッジなの。完成していた料理を因果律を逆算して紐解き、情報の状態で別次元にキープしていたものを復元しただけだから」
「あれはそんな高度な魔法による代物だったのか……」
普通に料理を覚えた方が簡単だろう代物を難なく作り上げてしまう彼女の非凡さに呆れつつ、彼方は当座をしのぐため、替えのシーツをクラリーチェの体に巻き付けていく。
「カナ君、カナ君。いくら外が土砂降りの雨だからって、許可なく私でてるてる坊主を作るのはどうかと思うよ」
「いや、その恰好はちょっと刺激が強すぎるだろう。不格好でも隠そうかと思ってな」
「むー、そりゃカナ君はそれで一安心かもしれないけどさ、私には道化的な意味合いの恥ずかしさが追加されちゃうんだよ?」
彼方の作戦は頬を膨らめたクラリーチェに断固拒否された。
「とは言えシーツで駄目なら毛布か俺の着替え位しか選択しがなくなるだろう?」
シーツもドレスのように巻くと言う手もあるが透けて見えたら一大事。彼方の服を着せるにしても彼女の美貌にかかればフェチズムを刺激する仕上がりになるのは間違いない。
どれも選びたくないが、消去法で選ぶとしたらやはり自分の着替えが一番だろうか。などと思案する彼方の考えを見透かしたのか、クラリーチェが不満そうに口をとがらせる。
「むー、突発的でもこれは初めてのお泊りなんだよ。カナ君だって少しロマンティックにしてやろうって思ってくれてもいいじゃない」
「今更ロマンを求める間柄でもない気もするんだがな」
「あ、そう。カナ君ったらそんなこと言っちゃう。そう言うんなら試してみたくなりますねぇ」
彼方の言葉を不服に思ったのだろう。クラリーチェは不敵な笑みを浮かべて立ち上が──る途中で巻き付けたバスタオルがずれかけ、慌てて両手で隠しながら着席した。
「うーっ、初お泊りイベントだけじゃなく、初裸イベントまで無駄射ちするところだった」
顔を真っ赤にして身を縮こまらせるクラリーチェ。
「分かった、俺の配慮が欠けていたことは認める。だから無理はしないでくれ、本当に」
「そこだけ大人しく認められても何の意味もないよ。カナ君には初のお泊りイベントをロマンティックにする配慮まで所望します」
言いながら、クラリーチェはソファの下からノートを取り出す。恐らく初めてのお泊りに向けた計画書なのだろう。
「お前な……。あれこれと妄想計画書を作るのはいいが、それを俺の所に置いておいて見つかったら恥ずかしいだろう」
「見つけたのがカナ君なら何の問題もないよ。むしろ私の主張がさりげなく伝わる訳だから大歓迎じゃない」
含みのある笑顔を作るクラリーチェを見て彼方が苦笑いする。
「いつもながら、お前のしたたかさには降参だよ」
彼方はノートを手に取ってぱらぱらとめくっていく。
ノートには何通りもの緻密なタイムスケジュールやトラブルに対する対応策、挙句の果てには彼方に言わせたいのだろう台詞まで記載されている。
彼方は呆れつつもぺらぺらとその内容に目を通す。
『ベッドに押し倒したカナ君が耳元で囁く。逃げようとしてももう遅いぞ、俺のマスターキーで鍵の掛かったお前の扉を開いてしまうぞ。そして二人は一つとなり──」
そこまで読んで、耐えきれなくなった彼方がノートを閉じる。
痛い。痛々しい。彼方は光景を想像してしまった自らの迂闊さを心底悔やんだ。
「なんだ、その……クラリーチェ、お前はこの台詞を本当に言って欲しいのか?」
彼方はクラリーチェにノートを返しながら渋い顔で尋ねる。
「そう? カナ君に似合うような台詞を考えたつもりだけど……」
クラリーチェはノートを手に取りながらぺらぺらとめくり、真っ赤になって硬直した。
「ど……? どうああぁぁっ……!? 何これ、痛い! 痛い上にボキャブラリーも貧相過ぎて直視できませんけど!? ……ねえねえ、これ書いた人、正気なのかな。信仰時計の影響とか受けてない?」
「書いた奴が信仰時計の影響を受けるんだったら、正気の人間は世界のどこにも居なくなってるな」
思い切り絶叫した直後に白々しくすっとぼけて見せるクラリーチェ。
彼方は彼女に冷静な突っ込みを入れた。
「不思議ですねぇ、本当に不思議。書いた人、書く直前に変な恋愛小説でも読んでたね、絶対。はたから見たら痛いんだから止めてくださいって感じですよ」
クラリーチェは顔を赤らめたまま視線を逸らすと、ノートを雑巾のように絞って虚空に突き刺す。
ノートはシュレッダーにかけられたように粉々になり、そのまま光の粒子となって跡形もなく消え去った。
「……とりあえずお前が本気であんなことをして欲しい人種じゃなくて安心したよ」
「おんやぁ、カナ君ったら突然何の話ですか。今は私の着替えについてのお話ですよね」
クラリーチェは赤い顔のまま大胆にしらばっくれる。本人も動揺しているのだろう、彼女にしては演技が大根だ。
彼方としてもこれ以上突いて藪から蛇が出てはたまらない。提案通り会話を戻すことにした。
「着替えなんだが誰かに買って来て貰うのが一番無難だろう。情けない頼みをすることになるが、ここはお互いに痛み分けで勘弁してくれ」
「むぅ……。パジャマが乾いても外は出歩けないもんね。でもさ、誰に買って来て貰うの? カナ君はともかく知らない人に私のサイズとか教えたくないんだけど」
クラリーチェは我慢するような表情で、体に巻いたバスタオルをぎゅっと掴んだ。
「そうだな……」
彼方にしてみてもそんなことを頼める人間は限られる。
遥かエリスどちらに頼むか思案する彼方、そこでロウフェラービルにトラックで突っ込んだ遥の姿を思い出し、
「エリスに頼もう。それでいいな」
消去法でそう決めた。
「まあ他にないよね。義妹さんだとわざと変な服とか買ってきそうだし」
「端末は俺のを使っていいから交渉は自分でしてくれないか。流石に俺が頼むのは抵抗がある」
恥ずかしげにしているクラリーチェの仕草に艶めかしさを感じてしまい、彼方は目のやり場に困りながら端末を手渡す。
「エリス、エリス……と言う理由があってね。エリスに私の着替えを買って来てほしいの」
『そう……ソフィアったらクラリーチェにも迷惑を掛けてるのね。分かったわ、丁度私も彼方さんの所に行く予定だったの。すぐに持っていくから待っていて』
ほどなくして電話が終わり、不思議そうに首を傾げたままのクラリーチェに彼方が声を掛ける。
「どうだった?」
「すぐに持って来てくれるって。丁度カナ君の所に来る予定だったって言った」
「この時間に? 暫く夜の外出はできないって言っていたはずだが」
「だよね?」
彼方もクラリーチェと合わせて小首を傾げる。
何しろ偽ファントムを探しに行く時にそういうメッセージを見たばかりだ。流石に昨日の今日でそれが解除されたとも思えない。
それから暫くしてインターホンが鳴り、エリスがやって来る。
その後ろには大ぶりのトランクを二つ持った従者の姿もあった。
「こんばんは、彼方さん。クラリーチェはどこかしら?」
「あそこの物陰にいる。話した通りの格好をしているからな」
彼方は玄関から死角になっている部分を指さす。
彼方相手でも恥ずかしがっていたのだ。当然、従者にバスタオル姿を見られるのは嫌らしい。
「そう、それじゃあ彼方さんから渡して貰えるかしら? サイズは大丈夫だと思うけれど、私既製服って着たことがないから」
エリスの従者が大ぶりのトランクの片方をエリスに手渡し、エリスが彼方にトランクを手渡す。それをリレーするように彼方がクラリーチェに手渡した。
クラリーチェはいそいそと脱衣場に入ると、用意された服に着替えて登場した。
「ありがとう、エリス。いつもの服より上等過ぎる事以外サイズまで完璧だったよ」
「なら良かったわ。ソフィアが迷惑を掛けたって聞いて私としても申し訳なかったから」
エリスはクラリーチェが満足したことに安堵すると、後ろの従者に指示を出す。
指示を受けた従者は彼方に深々とお辞儀をするとそのまま部屋から立ち去っていく。
だが従者が立ち去った玄関には、大ぶりのトランクがまだ一つ残されていた。
「エリス、向こうのトランクは?」
「あれは私の着替えよ。これから暫く彼方さんの所にご厄介になろうと思っているの」
事もなげにエリスが言う。
一方、彼方とクラリーチェは突然の爆弾発言に凍り付いた。
「ま、まてエリス。それはどういう意味なんだ!?」
「家出。ソフィアが彼方さん達に悪さをしたのもウィズダリアの意向らしいの。でも私は彼方さん達の味方をするわ。だからお母様達に迷惑が掛からないように暫く家に戻らないつもりよ」
「いや、いやいやいや、だがな、俺のマンションでなく、七荻の実家の方がいいだろう? あっちなら部屋の空きも多いし遥だって居る」
いくら気心の知れた相手だと言っても、年頃の少女が男の一人暮らしにご厄介になるのはあまりに無防備だろう。
従者が深々とお辞儀をして行った事実に若干目を逸らしつつ彼方はエリスを必死に窘める。
「だって遥は魔女議会のお仕事で毎晩忙しいみたいだし、おじ様とおば様の所に私だけでは流石に居辛いわ」
「いや、でもさ、いっくらカナ君だって言っても男の人の部屋だよ。ちょっと淑女としてまずくない?」
中々退かないエリスを見かね、クラリーチェが苦言を呈する。
「彼方さんなら大丈夫よ。それにクラリーチェもお泊りするんでしょう?」
「う、私の場合は已むに已まれぬ理由があってですね」
エリスの反論もごもっとも。傍から見れば確かに大差はないだろう。
痛い所を突かれてクラリーチェの威勢が弱まった。
「私の場合も同じよ。悪事の片棒を担いだままじゃ、私は彼方さんに大手を振って会えなくなってしまうもの。ね、彼方さん?」
反論がなくなったことを確認し、エリスが満面の笑顔で同意を求めた。
彼方はクラリーチェに視線を送り、クラリーチェが困り顔で小さく首を振る。どうやら流石の彼女も降参らしい。
「仕方ないな……」
言いくるめられないと判断した彼方は渋々ながらエリスの居候を認めるのだった。




