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黄金の魔女4

「はあっ、はあっ……。なんという、なんという、なんという──ッ!!」


 夜の街をふらふらと歩く遥は自らの胸元を押さえて立ち止まると苦しげな息を吐く。

 その表情は憎悪に満ちていた。


 もしも、ファントムが全断の剣を彼方に突き刺さすと言う気転を利かせなければ。


 もしも、この体の所有権をギリギリで奪い返せなければ。


 そんな薄氷のようなもしもが重ならなかったとしたら、


「こともあろうか、この私がお兄様を殺めていたッ──!!」


 即刻万死に値する愚行。それをよりにもよってこの身が起こそうとするなど到底許せるものではない。


「一刻も早く手を打たねば……!」


 どうにか取り戻した自我は、今も刻々と叡智の塔(パラレルヒストリー)という記憶と意思の海によって希釈されている。

 そう遠くない未来、この体は再び叡智の塔の所有物に戻ってしまうことだろう。そして、それは最愛の兄に再び危害を加えることを意味している。


 そんなことは絶対にさせない。

 自らの言うことを聞かない愚かな体を意思でねじ伏せ、遥は歩く。


「雌狐め……! どうしてこんな凄惨な未来予想図を描くッ!」


 自我が記憶の海に溶けていくにつれ、その底に沈んだものがくっきりと見えてきてしまう。


 己の特異性に驕り、人類を蔑んだウィッチ。


 人を蔑むウィッチとの共存を求めてロッドを作りあげた兄。


 その兄を自らの保身のために殺めた愚かな人間達。


 その報復として人類に圧倒的な破壊を与えた自分。


 そうして最悪の厄災となった自分を涙ながらに打ち倒し、終わりを定められてしまった世界に平穏をもたらした最強の魔女たる親友。


 叡智の塔が記録している未来は嘆きと怨嗟に満ちあふれ、それら全てが流れ去った後に残ったものは終焉という名の静寂だけ。


「エリス……向こうでも、こちらでも、貴方には酷な選択を強いてしまうのですね」


 遥は己が親友に助けを求めるため、備え付けられた呼び鈴を鳴らす。

 暫しの後、遥も見慣れた使用人が現れ、驚いた様子で遥を玄関まで案内すると、エリスに取り次ぐため急ぎ足で屋敷の奥へと戻っていく。


「遥、急に来るなんてどうしたの? 様子が変だってばあやが驚いていたわよ。具合が悪いのならお医者様を呼ぶけれど」


 突如来訪した親友に、カーディガンを羽織ってやってきたエリスがいつもの調子で言う。


「問題ありません……」


 マイペースな親友の姿に僅かながら安堵しつつ、遥は苦痛に満ちた顔でそう返答する。


「そう? なんだか苦しそうで、私にはとても具合がいいようには見えないのだけれど」

「これは医者に掛かってどうこうなる問題ではないのです。エリス、単刀直入に言います。私の体は間もなく私の意志とは無関係なものに成り下がります」


 遥は自らの胸元を押さえ込むように掴みながら、掠れるような言葉を吐き出す。


「えーと、遥? 貴方が何を言っているのか、私はまるで分からないのだけれど」


 対するエリスは全く意味が分からないと言った風に首を傾げた。


「今の私は魔女議会が庭園憑きと呼ぶもの……私の内には平行世界の記憶を御巫彩華の悪意でデコレーションしたものが入っているのです」


 前かがみになってぐらりとよろめく遥。

 慌てて駆け寄ろうとするエリスに、遥の体は刀を手にして突き刺そうとする。


「は、遥!?」


 刃がエリスに突き刺さる寸前、エリスの前に顕現した漆黒の大剣がその刃を受け止めた。


「うぐっ、見ての通りです……。既にこの体は平然と私の意思に反するのです」

「たっ、大変じゃない!? 遥、ちょっとそこに正座するのよ! 私が因果調律鍵(コード)使って粉砕してあげるわ!」

「落ち着きなさい! 確かに貴方の因果調律鍵は強力無比。ですが、それでも一度憑いてしまったこれを切り離すのは容易ではありません。恐らく同じく並行世界由来である全断の剣(マスターキー)を用いなければ完全には切り離せないでしょう」

「分かったわ、ファントムを見つけてくればいいのね!?」

「それも違うのです! 私はもういいのです、諦めています。それよりもお兄様を、七荻ビルを訪れるであろうお兄様を、他のウィッチに先んじて確保して欲しいのです。もし……そこで私が立ち塞がったとしても!」


 今にも暴れだしそうな自らの体を押さえ込み、遥はエリスに危害が及ばぬように少しずつ距離をとっていく。


「へっ、彼方さん? どうしてそこに彼方さんが出てくるの?」

「平行世界の歴史をなぞるには重要な出来事の再現が必要。そして黎明の日……今日、ウィッチ達が起こそうとしている歴史の再現、最悪の蛮行……それこそが兄様を殺めるということなのです!」


 そう言い終えるとエリスに背を向け、遥は走り去っていく。


「遥、彼方さん……」


 ぽつんとその場に取り残されたエリスは開かれたままの扉をじっと見つめていたが、


「大切なものが知らないところで消えてしまうのなら、絶対に後悔する……そうよね、クラリーチェ」


 やがて自らを奮い立たせるようにそう呟いた。






 クラリーチェが綾音を安全な場所に匿っている間、彼方はエリスの協力を求めるべくエリス邸へと赴いていた。


「申し訳ございません、彼方様。エリス様は現在不在でして、従者達総出で探しているところなのです」

「不在? 探していると言うことは行き先不明なんですね」


 しかし、そこにエリスの姿は無く、従者達も誰一人その行き先を知らないと言う。

 おかげでエリスの家は大騒ぎになっていた。


「はい、こんな事ははじめてでして……」

「そうですね、俺の記憶にもありません」

「彼方様もエリス様の行方が分かったら是非ともご一報を頂きたく……」

「勿論です。その時はこちらへ連絡します」


エリスの不在は彼方にとっても気になる話だが、ここで探す手伝いをしている時間もない。

 所在が分かったら連絡すると約束し、彼方はクラリーチェと合流すべくビルの灯りが消えたオフィス街へと向かう。


「こんな時にエリスまで居なくなるなんて、一体どうなってるんだ……?」


 この緊迫した状況下での不在、エリスがこの一件と無関係だとは到底思えない。

 かといって、庭園憑きになっているとも考え難いだろう。


「いや、まさか逆か?」


 今日エリスとクラリーチェが内緒にしていた何か、それがエリスとの協力体制だったのだろうか。その方がまだ可能性は高い。


 しかしそれも違うだろう。クラリーチェは叡智の塔の封印が完了していると思っていた。

 ならばファントムとして行動するつもりは無かったはずだ。


 結局、これだと言う結論が出ないまま、彼方は合流地点となっている七荻ビルに通じる大通り付近へと辿り着く。

 立ち入り禁止のテープを踏み越え、先んじて周囲の様子を探る。

 付近は街灯だけが静かに明かりを灯し、人の気配も、ウィッチの気配も無い。


 ──否。居たであろうウィッチは世界から遮断され、その場に浮かんでいた。


「もう戦闘になっているのか!?」


 それがクラリーチェが行ったものだと疑いもせず、彼方は大通りを目指す。

 途中、大勢の叫び声が聞こえ、一度だけ大通りが眩く輝く。戦闘になっているのはもはや疑う余地は無い。

 彼方も一刻も早く加勢すべくロッドを起動し、通常の脚力を超越した速度で大通りへと躍り出る。


「な……!?」


 そして、彼方は言葉を失った。


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