40ー1 夢の可能性
「ぅ……くっ」
指先の感覚が無くなってきた。登り始めて三メートルも進んでいないのにもう既に限界が近い。
「あっ、ぶなっ⁉」
岩肌が削れて足場が消え、落ちかけるがなんとか握力で持ちこたえた。
だが、所詮現代っ子の握力。ズルズルとそのままゆっくりと地面に降りることになってしまった。
ここまでの苦労が全て水の泡である。その上に手が使い物にならないほどボロボロになっていて、酷使した指先など血まみれになっていた。
相当見た目はグロいが痛覚が薄いお陰でなんとか踏ん張っている。
「はぁ、はぁ、はぁ」
だが、それも何時間も続ければ体力の限界というものが訪れるのは当然の結果だ。
ペタンと地面に座り込んでしまう。薄暗く変に生温い風が頬を撫でるこの場所から早く抜け出したいのはやまやまなのだが。
落ちてきた入り口まで自力で上るのは不可能。
周りにある道はどれもここに戻ってきてしまうところにしか繋がっておらず。
力業で神解きをつっかえ棒にしながら登ろうとしても神解きを呼び出すことすらできず、それどころか折角凛音達から教わった魔法は発動すらしない。
発動しない、というより『魔力そのもの』が使えないのだ。
いくつかのスキルは使えはしたものの裁縫のスキルなど今のこの状況でなんの役にもたたない。
「物も作れないし琥珀もいないし……っていうかこれどういう状況だよ……」
手をゆっくりと治しながら岩に背をもたれさせる。
何故天宮城がここまで疲労しているのか、その理由は数時間前に遡る。
船上の服屋というのはやはりどこでも少しは有名になるものである。
天宮城の名前は少し物騒な名前で広まってしまっていることもあるが、まさか不思議な格好をしたどう見てもひょろっちく気弱そうな青年が『首狩り』などという名前で呼ばれているとは誰も気づかないだろう。
服というものは他人に身に付けてもらって初めて意味をなす。それもその人が毎日身に付けるものだ。
ペンや手帳等の普段鞄にしまわれっぱなしのものではなく、一目見て誰もが一瞬で認識できる日用品なのである。
着てもらうことで歩く広告にもなるのだ。
噂というものは一気に広まるもので、お陰さまでこの国でもかなりの額を稼いでいる。
「これの色違いはありますか?」
「はい。何色をご所望でしょうか」
「ここの色がもう少し明るいものであれば」
「明るいものでしたらパステルカラーでしょうか。それか他のところの色を抑えて全体的に色味を薄くしましょうか?」
「できるんですか?」
「少しお時間をいただければ作り直しますよ」
今の時間ならそれほどお客も多くはない。他の接客をアインたちに任せてささっと作るくらいの時間はとれるだろう。
そう判断して早速布の見本を持ってくる天宮城。
布色や着心地の説明をしつつ、手縫いでスルスルと作り上げていく。
「店員さんかと思ったら職人さんだったんですね」
「兼任ですよ。人件費も減らせますし、何よりお客様に直接買っていただけるのは嬉しいので」
サービスでワンポイントをつけたパーカーを手渡し、レジへ持っていくようにと告げて捲っていた袖を下ろす。
「そろそろ休憩かな……」
午後になればニルバートの所へ行かなければならないので早めに昼食を済ませるべきだろう。
昼食は作りおきのものなので、今から調理する必要はないがそれなりに距離のある世界樹のところまで移動することを考えると食べてすぐ移動、というのは避けたい。
客が店から出たタイミングを見計らい、一旦昼休憩に入ると書いたプレートを看板の前にかけた。
「はい、おつかれー。ご飯にしていいよ」
全員に声をかけてから昼食を配り、自分もさっさと胃に食べ物を放り込んだ。
洗い物を済ませて少し服を縫い、凛音を連れて外に出る。
『アレク』
「どうした?」
『アレクは弱い』
「わかってるよそれくらい」
突然なんでそんな当たり前のことを、と小さく笑いながら問う。
凛音はさも不思議だと言いたげな目をして、
『もっと、強いはず』
「最初から弱いよ。俺は強いんじゃなくて、無茶苦茶な力に頼ってるだけだから」
『それでも、アレクの力』
凛音はそれきり黙ってしまった。天宮城も意味がわからなかったが、なにやら考え込んでいる凛音の邪魔をするつもりもないのでそのまま無言で歩いた。
道も覚えていたので思っていたよりすぐについた。
前に来たときに裏口から入れと言われたので裏口の扉をノックする。
「はーい、お待ちくださーい………誰?」
『凛音。ニールに会いに来た』
「あっ! あなたが凛音ちゃんね? ニルバート様から話は聞いているわよ。じゃあこっちの人がリュウイチさん、ね?」
「はい。あ、一応アレクって名前で通ってるのでそっちで読んでいただけると嬉しいです」
リュウイチ、と言った瞬間に扉を開けた女性が一瞬訝しげに眉を潜めた。
凛音に名前知られてて大丈夫? と聞くと、
『ニールの契約者。下手なことは漏らさない』
簡潔にそう言いきったので信じるしかない。
「人間様なんですよね?」
「周りには隠していますが人間ですよ。それと、敬語も敬称も結構ですよ。こちらが勝手に伺っている方ですし」
「人間の方はそういう性格の人が多いので?」
「勿論人によりますよ。ですが僕のような性格の人もそれなりに多いと思います」
こちらの世界で相手に下に見られるような行為は下手をすれば死に直結する。
店の接客ですらここまで下に回る人はそうそういない。
貴族社会ではまた別物だったりするが、強いものが勝つこの世界ではそれが当たり前のことなのだ。
「そうなんだ……あ、私はニルバート様の第371代契約者のサナ。同じ契約者同士、仲良くしようね」
「はい。改めましてリュウイチ、偽名ではアレクと名乗っています。よろしく頼みます」
少し砕けた敬語を使いながらニルバートの所へ歩いていく。
ニルバートは離れのような場所に居た。
「ニルバート様。お連れしました」
『どーぞ』
中に入ると、どこかの神殿のようなデザインのなにもない部屋だった。足元の床には見たこともない文字が散らばっている。
『来てくれてありがとうな。今日ここに呼んだんはこれをするためや。頑張ってな』
「え? 頑張るって………ぇぇえええええ⁉」
一瞬床の文字が強く光を放ったと思ったら足が滑った。
いや、滑ったというより、足場がなくなった。
しかも天宮城だけである。
絶叫しながら天宮城が視界から消えるのを見てから凛音が頬を膨らませた。
『雑』
『それは許したって? 毎回こうやってやるのが決まりなんやから』
凛音は天宮城の落ちた穴をもう一度覗き込んで小さく頑張ってと呟いた。
凛音の肩にはアクアたち精霊が乗っており、一際強く輝いていた。




