「根性、あるね」
リシューとエヴォックはお茶を探しに来た、という言葉に半分呆れつつも納得したらしい。
特にリシューは白亜がお茶を侮辱された時にキレたことをよく知っているので、疑う必要もないと思っただろう。
『上手く誤魔化せたみたいだな』
『ええ、なんとか……ではありますが』
流石はシアンである。白亜らしい回答を作ることに関して彼女の右に出る者はいない。
アンノウンとシアンが胸をなでおろした(どちらにも胸はないのだが)その時、シアンが何かに気付いた。
即座に白亜に話し掛けつつ右目に映像を投影する。
『トラブルです! おそらく、偶然通り道を通ってしまったのでしょう』
右目には、白亜の現監視対象である前田の姿が映っている。今前田はとある護衛依頼で町の外に出ている。護衛先までは歩きだと一週間ほどかかる道のりだ。
護衛対象は馬車だが、護衛である前田のパーティーは全員歩きなので一週間ほどかかる依頼の筈。
その間白亜はリシューの件で町から出られない為、とりあえずシアンの監視だけ続ける形をとっていた。
「……黒い、蜥蜴?」
白亜の目には、馬車二台分ほどの大きさの蜥蜴が前田に向かって走っているのが見える。
蜥蜴は黒く艶がある鱗で、尻尾が少し短く足が異様に発達している。後ろ足二本で立って走るスタイルだからか、蜥蜴というより恐竜っぽさがある。
白亜は見たことがない生物だ。リシューと同じくこの世界特有の動物だろう。
前田とはまだ少し距離があるが、確実に追いつかれるだろう。戦うなどという無謀な選択肢ではなく撤退しているだけ、まだ冷静さはあるようではある。
だが、いつメンバーがバラバラになって逃げてもおかしくない状況だ。
こんな時白亜と仲間達ならもっと統制の取れた動きで即時撤退できるのだが、まだこの世界に来て一ヶ月も立っていない人にそれを要求するのは無理だろう。
このままでは前田は護衛対象を巻き込んで死ぬ。
「すみません、エヴォックさん」
「? さっきからどうしたんだい?」
「今からこの街を出ます」
「今から!?」
手際よく荷物を鞄にまとめる白亜に、何が起こったのかわからない二人はオロオロしている。
「お茶が見つかったからか?」
「まぁ、それもありますが……急用ができまして」
「も、もう戻ってこないのか?」
「? いや、まだ用事終わってないから帰ってくるけど?」
「「……?」」
今から出るって行ったじゃないか、と二人がさらに混乱する。
『言葉足らずだぞ。一旦用事ができたから外に出ると言うんだ』
アンノウンの言葉を聞いて、ああ、と白亜は思い直す。
「町の外に用事ができたから一旦出るだけで、まだ町には帰ってきますよ」
「あ、なるほど……」
「紛らわしい……」
さっきまで町に定住はしない、いつか出て行く。などと言っていた白亜が直後に「街をでる」なんて言ったら確かに紛らわしい事この上ない。
「それで、リシューを町に一人にしなければならないので」
「こちらで把握しておいてくれ、ということかな」
「はい」
リシューは本当なら白亜が見張っているから町に入れるのであって、白亜が町から出てしまったらその権利はない。
だが、契約が正式に認められたのなら問題はない筈、と白亜は判断したのである。エヴォックもそれを理解してか困り顔にも似た曖昧な笑みを浮かべた。
「仕方ないね。理由は聞いても教えてくれないのかな」
「言ってもいいですが、片付いてからでいいですか?」
「ああ、もういいよ。君がやろうとしたことを止められない事はよく知っているからね」
エヴォックに礼を言ってから宿の外へ出る。
雨がサラサラ音を立てながら降り出し始めた。
失敗した、と前田は拳を握りしめる。降り始めた雨が目に入って鬱陶しいと考える暇すら今はない。
そもそも護衛依頼など受けるべきではなかったのだ。
依頼主の貴族はあまり金銭的に余裕がないらしく、低ランクの冒険者にかなり長い道のりの護衛依頼を申し込んできた。そのことに関しては注意喚起もあった。
護衛依頼など、普通は長くとも三日ほどのものが多い。
それ以上になるともっと高位の冒険者や専用の傭兵などに頼むのが普通だ。
だが、頼もうと思っていた相手が事情により町から出られないと言うことで急遽前田達に依頼が回ってきたのだ。
前田のランクから考えれば報酬が非常に高かった。高ランク冒険者になればこんなもの大した額ではないのだろうが、入ったばかりの底辺ランカーには大金である。
単純計算で、いつもやっている仕事の一ヶ月分に相当する報酬額だった。
それに飛びついてしまったが為に、今死にかけている。
「もう、矢がないです!」
隣を走っているパーティーメンバーの女の子が半泣きになりながら弓を引く。
街道を歩いていたら本当に偶然、巨大な蜥蜴に見つかってしまったのだ。どう見ても勝てる相手ではないので逃げることを選択したのだが、体が大きい分歩幅も大きくどんどん距離を詰められて行く。
遠距離から走りつつ攻撃できるのは彼女しかいないのだが、鱗が固すぎて全くダメージが入っておらず、唯一ダメージを与えられそうな目にはまるで届いていない。
彼女の腕は悪くはないのだが、所詮低ランクの冒険者。立ち止まっていても目に当てる事は困難だろう。
護衛対象は自分たちをおいてサッサと先に走って行ってしまった。馬車と人の足では文字通り馬力が違う。
かなり疲れが溜まってきた。最初から全員全速力で走っているので息も上がっている。
「シャァアアア!」
後ろから甲高い威嚇音が迫ってくる様子は恐怖しかない。振り返っている暇はないが、足音と威嚇音で迫ってきているのがわかるのが怖い。
「あっ!」
その時、弓を射り続けて体力が底をついたのか、隣を走っていた仲間が転んだ。
正直、立ち止まって彼女を起こしても一緒に食われるだけだ。そう判断した前田は彼女を無視して走ろうとして、
「っ、俺がっ!」
見捨てることができず、腰の剣を抜いて蜥蜴に向き直った。もう真後ろまで来ていた蜥蜴に剣を振り下ろすが、鱗に弾かれた。
やけに金属質な音を立てながら弾かれた剣に、ヒビが入るのがわかった。
もう、防ぐ手立てがない。目の前に迫る鋭い爪を睨みつけるしかなかった。
「……案外、悪くないかも?」
フッとなんの前触れもなく蜥蜴と前田の間に一人の人間が滑り込み、独り言を呟きつつ蜥蜴に蹴りを入れた。
バキッと骨が折れる音が響き、蜥蜴が宙を舞う。
目算で10メートルは吹っ飛ばされた蜥蜴がゆっくりと地面に落下し、動かなくなった。
ぽかんと口を開けたまま固まる前田を見て、白亜は目を細める。
「根性、あるね」
小さくそう言った。




