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「よければ手伝います」

 白亜は手の中の蝋石をじっと見つめて長く息を吐く。


 声を聞きすぎず、思った通りに手を動かすこと。それの塩梅が中々難しい。


 声を聞きすぎれば大きさに差が出てしまい、無視しすぎれば上手く柔らかいところを見付けられずに石そのものをグニャリと変形させてしまう。


 元々の力が強いのもひとつの要因だろう。


「難しい」

「焦らない焦らない。疲れで冷静な判断ができなくなれば、より成功が遠ざかるよ。君は元人間なんだろう? 精神がそれほど頑強ではないはずだ」


 元人間だとやはり精神的には脆いのだろうか。


 チカオラートもそんな感じの事を言っていたのだが、どれくらいの差があるのかは白亜からはよくわからなかった。


「そんなに人間って脆いんですか」

「うーん……侮辱してるみたいでなんか嫌なんだけど、その通りなんだよ。君は急に成ったんだろう? 体の疲労というものがなくなった筈なのになにもしたくないって思うことはあるかい?」


 物凄い覚えがある。


 というか、つい最近もなにもしたくない日があった。


 白亜からすればそれだけのことだったがジュードとダイの神経を磨り減らしたのは記憶に新しい。


「あります。朝起きて急になにもしたくなくなる」

「それだ。体が急に強くなったせいで精神が慣れきっていないんだよ。いつまでも動き続けられると勘違いしてしまうせいで、ある時突然思考が鈍る」


 体は働き続けられるからずっと気を張っていられると勘違いしてしまうのだ。


 不眠不休で動き続けられる神でも、感情がないわけではない。


 やりたいこととやりたくないこと位あるだろう。


 それを無理にやり通し過ぎると思考回路が急に鈍るのだそうだ。


「俺たちは全智全能の存在じゃない。基本的に死なないと言っても死ぬときは死ぬしね。楽しいことは好きだし、嫌なことは嫌だ。本質的には人間とあまり変わらないんだよ」


 エレニカはカップに追加のお茶を注いだ。


「強くなっても俺たちは生き物だ。無理しすぎればそのツケは後で返ってくる。自分を過信しすぎないでいれば直に『なにもしたくない日』は無くなっていくと思う」


 白亜はそう言われて初めて神も人とそう変わらないものだと気づいた。


 自分自身もう既に人でなくなってそれなりの年月が経つが、どこか『神と人は違う』と考えていた。


 実際、生きる時間も、持っている力も神と人では大きく異なる。


 だが、神でもゲーム好きな者やギャンブルにハマっている者も人の作ったものに心打たれる者もいる。


 彼らは人なのだ。理解できない天上の存在ではない。少なくとも白亜にとっては人も神もそう変わらない。


 神は人とは全く別の生き物だと思っていたせいで、無意識にどんな無茶をしてもなんとかなると考えてしまっていたのかもしれない。


「そう、ですね。気を付けます」


 納得した白亜の様子を見て、エレニカが満足そうに頷いた。


 外見年齢的にはそこまで差があるようには思えないエレニカだが、こういう仕草を見ると妙に年長者に見えてくる。


 自称数百億歳は伊達ではない。


 その後も適度にお茶を飲んだりお菓子を食べたりしながら練習を続け、三時間後にようやくコツがつかめてきた。


「かなりいい感じじゃないか」

「でもまだ端が少し小さい」

「蝋石は丸いからね。どうしたって均等に斬ろうとするとそこが小さくなってしまって難しい」


 エレニカもなんとアドバイスすればいいだろうか、と顎に手をやって考える。


 すると突然、なにかが近づいてくる音がした。白亜が扉の方を見て身構えると荒々しく扉が開け放たれる。


「エレン! 帰ってきたわよ!」

「ああー、うん。おかえり」


 エレニカがいつものほんのりとした笑みを浮かべて声の主に話しかける。


「帰ってくるのって明日じゃなかった?」


 すると扉をあけた女性が胸を張って、


「あっちの業務切り上げてきたわ!」


 高らかに告げる。


 エレニカは白亜に苦笑いを浮かべながらその人物を指さした。


「えっと、その人は蒼鈴。別の世界の狐神だよ。蒼、こちら白亜君。日本の時空神だ」

「へー」


 よろしく、と握手をすると蒼鈴が意外そうな表情を浮かべた。


 何度も白亜の顔を見て首をかしげている。


「日本人っぽくない」


 その辺りは白亜もあまり追求されてもわからない。もって生まれた顔がたまたま日本人離れしてしまっていただけである。


 揮卿台 白亜だった頃に外国人のハーフかクオーターかと聞かれたことはあるが、白亜の知る限り両親ともに日本人だ。もっと遠い親戚などにはいたかもしれないが、それを聞く前に両親とは死別したし唯一の持ち物であった家も燃えて無くなった。


 資料のあてもないのでは調べようがない。


 だが、白亜としてはあまりその辺りのことは頓着がないので調べることが出来たとしても調べようとは特に思わない。


「こら。失礼だぞ、蒼」

「いえ。大丈夫です」


 何が会話のなかで地雷になるかわからないからか、エレニカが即座に蒼鈴を窘めた。


 もし出生にコンプレックスがある者だったら確かに気分を害してしまった可能性もある発言だったからだろう。白亜は特に気にしていないが。


「あ、そうだ。エレン。レイラが探してたわよ」

「なんで」

「書類探し手伝ってほしいんだって」


 そう言われたとたん、エレニカのポーカーフェイスが一瞬揺らいだ。


「なんで俺なの」

「エレンが一番詳しいからでしょ」


 たかが書類探しなのだから手伝ってあければいいじゃない、と蒼鈴が付け加えるがエレニカの表情は微妙に歪んだままだ。


「そんなに嫌なんですか、書類探し」

「うん……下手したら一枚の紙探すのに三日かかるんだ」

「え」


 そりゃこの表情になるのも納得である。


「……はぁ、わかったいくよ。ごめんね白亜君。出口まで案内するよ」

「よければ手伝います」

「え、でもかなり大変だよ」

「世話になってますから。それに人手は多い方がいいでしょう?」


 数秒目を泳がせたエレニカだが、面倒くささが手伝わせる罪悪感を上回ったらしい。軽くため息をついた。


「じゃあお願いできるかな」

「はい」


 一分後、白亜はこの発言を軽く後悔することになる。


 疲れを知らない神が『最悪探し出すのに三日かかる』ということは、並大抵の資料の量ではないことも理解できなかった訳ではないのに。

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