「え、やだ」
目を開けると、左手が開いていた。
「っ、指輪っ……あった」
胸にかかっているものを優しく握りこんでそっと表面をなぞるように触る。
元の形には戻さない。どうしても弄りたくなかったのだ。
リシャットは自分の体を確認してホッとしたようにため息をつく。
シアンと会話もできないので本当に一人きりだ。
ズルズルと壁際まで這うようにして動き、荒く息を吐きながら壁を杖にするようにして立ち上がる。
支えがないと立っていられない程の痛みと疲れが全身を襲う。精神的な消耗も激しく、指輪を握りしめてなんとか気力を振り絞っている状態だ。
立ち上がったことで傷口が開いたようで服が赤く染まっていく。
「まだ……まだだ……まだ全然足りない……」
血の道を描きながら気配のする方へと足を引きずるようにしながら歩いていく。
何度も躓き、倒れこむがそれでもやはり歩く。
額から垂れてきた血が目の中に入り、翠色の目が赤く染まっていく。
白い肌が赤い水で濡れ、顔色は真っ青。それが町中に出現したらゾンビだなんだと騒がれるだろう。
どれだけ顔が整っていようと恐いものはやはり恐い。
「シド⁉ 出てきちゃったの⁉ その怪我で⁉」
扉を倒れこむようにして開けるとジャックがバインダーのようなものをもって何か書いていた。勿論リシャットは無視して歩き続ける。
「どこ行くの⁉」
「………」
「本当に無視はやめて欲しいんだけど……今スッゴい顔恐いよ?」
「………」
「シドー。シドさーん」
「………」
徹底的に無視し続けるリシャット。面倒くさいというのと会話もしたくないというのもあるが、それどころではないというのもある。
声を出すのも辛い。
その瞬間、体が空中に浮いた。正確には何かで思いっきり殴られて吹き飛ばされたというのが正しいだろう。
普通なら動けないほどの消耗で歩くのもやっとだった為に受け身などとれるはずもなく、地面に落下して血反吐を吐く。
「待った待った‼ 死んじゃうよ⁉」
「もう我慢なりません。殺しましょう。死体からでもエネルギーは供給できます」
「駄目だってそれじゃあ! 普通ならそれでいいけどこの子の場合は生命力が直接エネルギーになってるって話したでしょ⁉ 死んじゃったら取れないって!」
金属バットのような鈍器で更にリシャットを甚振り始める。
「駄目だって!」
「いいえ、もういいです。生かしておくのにもコストがかかります。どんな危険があるかわからない以上、殺しておいた方がいい」
「そんなことないよ」
「何故そう言いきれるんです」
「それは……」
下を向くジャックに、
「ただ同情しているだけでしょう? ならさっさと死んでもらう方がいいです」
リシャットの髪を掴んで無理矢理上を向かせる。
「ぅ……ぐっ……」
「これ以上隊長を惑わされると困ります。いまここで始末します」
「ふ、ははは……はは……やってみ、れば?」
どうせ出来ないだろう? とでも言いたげな目を向けて挑発的な笑いを溢すリシャット。
「ならば今すぐ、殺してやりますよ!」
思いっきり振りかぶった腕が、一瞬で高質化する。
それを見たリシャットが何かに気づいたような目に変わった。そして、口の端をニヤリと上げる。
位置的にそれを見ることができたのはジャックだけだった。嫌な予感がして直ぐに部下を止めにかかる。
「待て!」
「いいえ待ちません‼」
だが、先程からずっと待てと繰り返されているので事の重要さに気付かないままリシャットを本気で壁に向かって殴った。
木の葉のように舞い上がり、壁に赤い花が咲く。
「何て事を………」
だらんと腕を下げ、地面に倒れ伏すリシャットはどう見たって死んでいた。息は勿論心臓も止まっている。
「折角の大切なサンプルが……人でなしに対抗するためにどうしても必要だったのに……」
項垂れるジャック。
「その……ついカッとなってしまって……」
「うん。やりすぎだよこれは」
ジャックが目の奥に怒りの色を滲ませて部下を睨み付ける。
「確かに危険な存在だ。何人も同朋がやられてる。けどこの子を使う事でそれ以上の成果を得られるようになるはずだったのに……」
怒っているが、それを暴力としてぶつける気はないらしく頭を抱えて座り込んでしまった。
「この国が人でなしに襲われてから……救世主を待っていたのに……この子ならきっと助けてくれると思ったのに……」
「じゃあなんでここまで拘束して監禁する必要が?」
「だってシドって敵のいうこと聞いてくれないだろうし……落ち着いたら話そうと思ってただけで……それに研究所の人でなしにバレないように………え?」
そこまで言ってバッと振り向く。
リシャットが起き上がってコキコキと肩をならしている。先程よりも明らかに調子が良さそうだ。
「な、なんで……⁉」
「さぁな。教えねぇよ」
ビリビリと首と手に巻かれている包帯を破りとる。あれほど苦労していた筈のものをあっさりと。
「包帯が千切れた⁉」
リシャットがぱちんと指をならすと体の傷は全て塞がり、あれほど死にそうな顔色をしていたのに肌も健康的な色になる。
「ふぅ……よし、ここ粉砕して帰ろう」
「ストップストップ! どういうことか説明……」
「しない」
「でも君を助けようとしてあげたじゃん!」
「助からなかったからそれはカウントしない」
「そんなぁ……」
あくまでもさっさと帰るというスタイルを貫き通そうとしているようだ。
「何故動ける。確かに死んでいたはずだ。脈も呼吸も止まっていた」
「脈も呼吸も止める方法なんていくらでもある。本気で殺す気なら地中に埋めるべきだったな。それでも俺は出てこられるが」
死んだ振りをしていた発言をするリシャット。睨み付けて、
「時空を司る神がこれぐらいで死んでたらその辺の時間止まりまくってる」
「お、お願いだ! こちらで出来ることはなんでもする。だから私達を助けてくれ」
「え、やだ」
真顔で言われるならまだしも、満面の笑みで言われた。
本気で苛立っているようである。
リシャットは本当にキレると笑顔で周囲のものを破壊しだすので笑顔が出たら絶対にかかわってはいけない。
「知ってるんだろう、この国の状況を」
「知ってるけどなにか?」
「クーデターを手伝ってくれたらそちらの世界への侵攻は止める。約束しよう」
「口約束ごときで俺がその話に乗るとでも? 残念だがいまここでこの国を壊せばこちらの世界への侵攻が勝手に止まるだろう。信頼関係ってもんがないんだよ、俺とお前の間には」
にっこりとそう言うリシャットの目は表情とは対照的に冷めきっていて触っただけで全身凍りついてしまいそうな拒絶が表れていた。




