「そこまでする必要があるのですか?」
誰よりも冷静で負けず嫌い。
感情表現や表情は乏しいがたまに嬉しそうに目を細める。
どれだけの窮地に陥っても直ぐには諦めず、その場では不可能でもいつかはその不可能を可能にする頑固さ。
それのせいで何度死にかけたかわからないし身体中普通の人間なら崩れるようにボロボロにになってもおかしくはない。
だが、その不器用さに助けられた人はそれこそ数えきれないほど多く、自分もその一人だと思っている。
たとえただの能力のひとつで、他人の中でしか生きられない弱い存在でもこの人の役にたてるなら本望。
傷だらけになりながらも皆の幸せを願える、悪く言えば自己中心的で自分をすぐに犠牲にする性格だが、この人を慕うものが多いのはその性格のお陰だろう。
だから何度か訊いたりしたことはある。『自分の幸せは良いのですか』と。
そう訊くと毎回こう返すのだ。ほんの少し目を細めてから『俺は十分幸せだよ』と。
その言葉に偽りはないだろう。勿論、本人がどれだけ小さな幸福でもそれを幸せだと感じられるのならそれでいいのだろう。
だが、そうは思えないところがある。
この人はとある“人間的なもの”が圧倒的に不足しているのだ。
まるで脳の一部が完全に欠損してしまっているかのようにそれを他のもので補うこともできず、ましてや感じることなどできない。
底の抜けたコップにいくら水を注いでも溜まることはないように。
この人に不足しているもの、それは『欲』だ。
自分の欲求があまりにも少なすぎるのだ。それ故に何をするにも一度は他人の意見を求め、それが他人にとってメリットであるのかデメリットであるのか考えてから行動する。
そう、自分にとってではなく他人にとってなのだ。
そしてその欲の欠損に気付かれないように他人を守るという固定観念に自分を縛り付けて、自分が傷ついてまで他人の幸せを守ることだけに徹する。
今ではそれが当たり前になっていて自分ですら欲がないことに気付いていない。
その理由は明白だ。この人には過去がない。
幸せを身に沁みて感じることのできる時間が少なすぎたのだ。普通現代日本で身近に死を感じることはほぼないだろう。
治療法のない病気や老衰などは除いて、自分の死期を悟ることができる人はそうそういない。リグラート等と比べれば『未来が約束されている』世界。
医療も発達し、危険な仕事は大抵は機械化されている。
本当に身近に死を感じることがある人というのはそれこそヨシフ達のような裏の職業の人なのだろう。
その平和な土地で突然両親が殺されたら、否、殺されるのを見たら。正気でいられる人の方がすくないだろう。
次は自分ではないだろうかという不安に押し潰されそうになると人という生き物は壊れてしまう。それはもう、簡単に。
この人の場合、死なないために最低限の食欲や睡眠欲以外は全て捨ててしまったのではないだろうか。
しかも残った欲求でさえほぼないくらいだ。まだ胃は空っぽなのに空腹感が無くなるために食べ物だけでは栄養をとりきれない上、欲がないからか一つのことに集中すると睡眠すら忘れる。
最早病気のレベルだ。
だからあんなに簡単に人を止めるという決断も出来てしまう。人でありたいという欲がないからだ。
それでも、シアンは構わなかった。寧ろどんなときでも主と慕う人と居られることが何よりも嬉しかった。
見えなくとも、認識されなくとも、自分には主がいる。主にさえ見られていればそれでいい。
それ以外を、それ以上を欲してはいけないとすら思っていた。
……今このときまでは。
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背中が壁に激突し、一瞬息が止まる。手を口に当てて咳き込むと、咳と同時に血も出てくる。
「あの衝撃で骨が折れていないとはどれだけ頑丈なのでしょうかね?」
部屋中にある赤い染みが、どれだけの時間殴られてきたのかを示している。
白銀の髪は血に汚れて赤黒く染まり、目は閉じられたまま開かない。左手だけはなにかを握りしめていた。
「さっさと吐けば楽になりますよ?」
「………」
リシャットは薄目を開けて口角をほんの少しあげ、
「………ハッ」
鼻で嗤った。
「つべこべ……言……わずに、殴れ……俺が死……ねば、あいつらに、も連……絡がはいる、がな」
途切れ途切れのその言葉は普通に聞けば負け惜しみのようにしか聞こえない。
今にも死にそうな深傷を追いつつも、どんな逆境をも跳ね返す強さがリシャットにはあるのだ。
だがその強さは敵にたいしては煽りでしかない。
「お望み通り、殺して差し上げましょうか?」
「ちょっとちょっと、殺さないでよ? たった一人で数百人分のエネルギーを賄える子なんだから」
「隊長……ですがこの者の無礼は目に余ります」
「まぁまぁ、抑えて抑えて。この子煽るの大好きだからさ、多目に見てやってよ」
リシャットの前に立ち塞がったのはジャックだ。
ジャックはリシャットの方に向いて、
「シドも意地張ってないでさ、あっちでなにしようとしてたのか教えてよ? そうしたら殴るのもやめてあげるから」
「…………」
「無視はちょっと酷いなぁ……」
しかも目を瞑り、壁に体重を預けて寝始めた。何て度胸だ。
正確には度胸とかそんな話ではなく、あまりにも消耗が激しかったので強制的に電源が落ちた、というのが正しいだろう。
別に電気で動いているわけではないが。
「どうします、隊長」
「これ以上は無駄だね……この子も口を開く気はないみたいだし、それ以前に私たちはこの子に対して相当恨まれている」
「自分が殺された相手だから、でしょうか」
「多分、そうじゃないと思う」
ジャックはリシャットを担いで部屋の掃除を命じてから、
「ご先祖様があちらに最初に行った時、最初の遠征の時だ。あの時になにかがあったんだ。恐らく、行動を見られてやむ無く殺した一般人……その中にこの子の親がいたんだろうね」
「そんなことがあったのですか?」
「まぁ、一般には公開されていない情報だからね。さらっと見てくるつもりが民間人と接触、殺したなんて口が裂けても言えなかっただろうし」
リシャットの握りしめた手を無理矢理開けさせてその中のものを見る。
「それで別の世界にすれば良かったのかもしれない。けど、そのまま計画は実行に移されてしまった。それによって、この子は人でなしになったんだろうね……」
グニャリと曲がった指輪を部下に渡し、
「ずっと手を握りしめられてるのもあれだからさ、首からかけられるように紐でもくっつけてくれる?」
「そこまでする必要があるのですか?」
「あんまりないかもしれないね。でも……少しだけ同情してしまうんだ。似たようなものだからさ。この子も、私も」




