「この世には不可解なことはたくさんあるんですよ」
「それには賛同しかねる。そもそもどうやってあそこまで上る? 子供もいる」
「それは簡単です。私が一人一人引き上げればいいだけですので。それに最悪、投げれば届く距離なので」
投げれば届く。何を投げるのか、怖くて誰も聞けなかった。勿論答えは人間である。
「天窓から出たとして、そこから先は?」
「屋上は人がいるようなので屋根づたいに移動して―――」
バン!
壁が壊されたような何かが聞こえた。
「な、なに……?」
「………」
リシャットは目だけを外に向けてほんの少しため息をつく。
「まだ大丈夫です」
「まだ、だって? それはいつか危険になるということか?」
「? そもそもテロが起きてる時点で危ないでしょう」
「そ、そうだが……」
正論ではあるが、本人の表情がここに入ってきてから一度も変わらない。
「それに、お前があいつらの仲間ではないという保証もないだろう」
「別に信じて貰わずとも構いませんよ? 私は平崎さんを守るようにとしか命じられていないのでそれ以外の人がどうなっても契約違反にはなりません」
「ここにいる人がどうなっても構わない、と?」
「極端に言えばそうです」
あまりにも冷酷な言葉に全員が息を飲む。
リシャットが味方ではないとハッキリとそう言ったからだ。
「それでもあんた人間か」
「………どうでしょうね」
青い目が氷のように冷たく固まる。触れば切れてしまいそうなほど鋭い目付きだった。
なにもかも興味のない目で周りを見ていたリシャットが、初めて意思を持った目をしていたように見えた。
「それでここにいる人が全員亡くなったと後で聞いて気分が悪くなるのが嫌なので働きますが。期待しないでくださいね」
そんな人に任せたくないというのが全員の総意ではあるが、この状況を打破できそうな人物がこの人一人ということは明確であり、誰も言い返せなかった。
そんな状況をよそにリシャットはポケットから黒い球を幾つか取り出す。
大体直径は4、5センチ程だろうか。
それを空調の為に開いている天窓に向かって軽く投げた。すると天窓を越えた球が空中で突然停止し、意思をもっているかのように動き出す。
「あれ、どういう原理……?」
「言っても理解していただけないかと」
いつのまにかリシャットの手には掌サイズのディスプレイが乗っており、外の風景が映し出されている。
「ドローン……?」
「量産型高機動監視用ゴーレム……まぁ、ドローンです」
とんでもなく長い名前が出てきたが、説明が面倒になったのかドローンの一言で済ませるリシャット。
幾つもの目線からディスプレイに表示された外の状況に皆釘付けである。
「……天窓から降りようと思っていたのですが中々難しそうですね。狙い撃ちされる危険がありますね」
「じゃ、じゃあどうするんだ?」
「正面突破したところで私以外の人が狙われたら終わりますし……」
「映画とかだとパイプの中通ってたりするよな」
「この人数では不可能です。それにあそこはかなり狭いので大人は詰まってしまうかと」
「入ったことあるの?」
「仕事で、なんどか……。奇襲の時だけですが」
本当に一体なんの仕事やってんの?
そもそも奇襲ってなに?
聞かない方が良さそうではある。滅茶苦茶聞きたいが、実際そんな無駄話をする時間もあまりない。
「局内はどうなってるんだ?」
「中央の階段下に人質として皆集められているようです。犯人たちは連絡を取り合って合流させているようですね。それで空いた時間を見廻りに当てているようですので廊下を馬鹿正直に通るのも難しいかと」
「そういえばこいつら連絡とかさせてないけど、誰かここに来るんじゃないのか?」
「それは問題ないかと。もう対処済みです」
縛り上げている人たちのポケットに手を突っ込んで連絡用の携帯を開く。
「ウィルスを侵入させてデータベースならびに連絡手段を全て乗っ取りました」
(((こぇええええええ⁉)))
本当に恐ろしいことをするものである。これをやったのはライレン、コンピューターウィルスを作ったのはシアンである。
この三人(全員人間ではないが)、絶対に相手したくない。
「誰かを探しているということしかまだわかりませんが。仕込んでいるうちに放送を聞き流してしまって」
「仕込むって、何を?」
「ここに入る前にちょっとした罠を」
そんな短時間でなにを仕込んできたのだろう。
「これだけ人が集まっていれば救助が来るまで待つのは難しいですし……皆さん戦えます?」
ほぼ全員がブンブンと首を横に振る。振っていない数人もちょっと武術をやっていただけのようであまり戦力にはならなさそうだ。
ほぼ全方位駄目なので抜け出す場所がない。
すると、あの黒い球が天窓から帰ってきた。
「お疲れ。情報はシアンに送ってくれ」
「なんでそれに喋ってんの……?」
「これ、人工知能搭載してるんです。正確に言うと人工知能がこれを動かしてるんですけどね」
技術の無駄遣いである。
戦闘の出来ない素人をつれて歩き回るのは無謀である。たとえリシャットでも全方位から一斉に撃たれたら守りきれる保証はない。
自分の存在をあまり知られずに全部助け出すのは中々に難しい。
「じゃあもういっそのこと捕まった振りでもしますか?」
「え? 自分から捕まりに?」
「はい。逃げ出すタイミングさえ掴めれば私が動きますが、流石に二十人近くを全員守り抜くのは危険ですから」
犯人を全員見つけ次第倒していったとしてもリシャットが把握しているだけで犯人は三十人、しかも外には十二人いる。いまここで五人減ったが、それだけである。
『準備が整いました。それと現在局内にいるのはそこにいる方々を含め三十人、外に十二人、付近の建物に六人です』
(思ったより多いな……。ありがとう。ライレンはいるか?)
【ここに】
(前言っていたやつは出来るか?)
【出来ますが、気絶していないと】
(じゃあそれでいい)
【了解しました】
むくり、とガムテープで縛られた男が一人立ち上がった。
周囲の者から悲鳴があがる。
「ああ、それは大丈夫です。ライレン、だよな?」
ガムテープまみれの男は三十度腰を曲げてお辞儀をした。リシャットは男のガムテープを乱暴に剥がしていく。
「い、痛いです」
「我慢だ我慢。で、動けそうか?」
「なんとか」
「ならよし」
全員がポカンとしているとリシャットはそれを完全に取り終わった。
「なんで縛ったやつを解放してるの」
「協力者になりました」
「いや、意味がわからないんだけど……」
「この世には不可解なことはたくさんあるんですよ」
もう説明する気すらないらしい。
ライレンは悪魔、それも冥王と呼ばれる高位の悪魔である。悪魔には精神体しかなく、肉体を持たないのが普通でそれはリシャットもよく知っている。
それを利用した方法が憑依なのだ。
ライレンは憑依対象が憑依を許可しているときか憑依対象の意識がないときのみ、その体を借りることができる。
まるで幽霊だが、本当のところは生き霊に近い。
リシャットやシアンもそうだがライレンも十分謎生物である。




