〈慣れれば誰だってできる。頑張れ〉
「…………」
リシャットが目を見開くと篠原の体がゆっくりと地面に向かって倒れていく。リシャットはそれを受け止めながら服に泥がつかないように担いだ。
『結局そんなことをしても気休めにしか』
(判ってる。けどとりあえず時間は稼げる。今この事が問題になって俺の存在が周囲に知れたら奴等が嗅ぎ付けてくるかもしれない。今の俺じゃ守りきれない)
確実に大事になってしまうのでなるべく静かに暮らしたいリシャットとしては苛めの事を言われるのはやめて欲しい。
まだ、戦えるまで成長もできていない。十代前半では戦えるものも戦えないのが事実だ。
(ここでいいかな……ごめんなさい)
適当に廊下の隅に篠原を置き、心のなかで謝る。
「リシャットさん?」
「?」
一瞬ドキッとしたが岡村だったのでホッとする。
「なにがあったんです?」
〈苛められているところを見られてちょっと忘れてもらった〉
「相変わらず強引ですね。それでどうするんです? その子」
「…………」
このまま放置しようとした。書かなくても伝わってくる。
「…………では貧血で突然倒れたということにして保健室に連れていきましょう。リシャットさんも替えの服は?」
〈持ってきてる〉
「……そうですか。では彼女は運んでおきますね」
〈記憶は外に出た瞬間からない筈だ。そう話をあわせてくれ〉
「では、昇降口で倒れていたということにしましょうか」
〈頼む〉
こういうとき学校のトップが味方だと楽だ。
話をあわせるのはそう難しくない。
リシャットはトイレで服を着替えて教室に戻った。浄化でもいいかなと思ったのだがそれはそれで不自然なのでわざと別の服にしたのだ。
「リシャットさん! どこに行ってたの! 遅刻だよ⁉」
〈目の前で倒れた人を保健室に連れていきました〉
「え?」
〈一人では運べなかったので校長先生に頼みました〉
「嘘じゃないのね?」
頷く。嘘ではない。肝心なところは言っていないが。
「じゃあ席について。算数の教科書28ページを開いて」
教室の端で数人の男子がリシャットを睨み付けるような目付きでバカにするように嗤っていた。
「それで大丈夫だったんですか?」
〈一応〉
全員がジト目でリシャットを見る。今実践して見せたことがあまりにも複雑な上に効果が微妙だと判ったからだ。
「そんなに難しいのにこんだけのことしか出来ないんですか」
〈そうだ。だが、これは基礎の基礎。気弾だったら気力を感じとるくらいのレベルだぞ〉
「「「えええええええ」」」
〈慣れれば誰だってできる。頑張れ〉
さらっとそう言い放つリシャット。もう後は個人の努力次第なので応援するしかないのだが。
今何をやっているかというと気力を直接体に纏わせる身体強化である。これは情報が漏れると危険なので警察のほうでもある程度の基準をクリアした人でないと教わることすら出来ない。
気力がかなり少ない人でも工夫すれば少しはできてしまう程のコストパフォーマンスの良さが魅力だがその分体に負担がかかる上にやけに難しい。
「俺たちって基準満たしてるのか? 今更だけど」
〈それは問題ない。ちゃんと許可もとっているし俺が合格すれば大抵のことは許される〉
「まぁ、あの白亜ですもんね………」
逆にリシャットに言われると断りきれないのが警察なのだ。
「本当は違法とかそんなんじゃないですよね?」
〈合法だ。刑法やらなんやらは粗方覚えているし注意する点も理解している〉
「最初に配られたあれですか。あれ数百ページはあったと思うんですけど」
〈丸暗記する方法があるんだよ。そんなことより練習始めろ〉
博識者超便利である。
なんだかんだ言ってシアンが今までの中で一番の幸運なのではないかと思えてくるほどにシアンは役に立っている。
死角からの攻撃や詠唱なしノールックでの魔法の発動に対応しているのだから本当に有難い。
実質相手にとっては二対一で戦っているようなものであるのだから。
普段戦うときでも気弾のロスを最小限にしたり魔法を使うとき効率がいいように魔方陣を組み換えてくれたりする。
だが、身体強化は白亜が一人で考え付いたものだ。ここまで複雑なものをよく考え付くなと感心するレベルである。
分かりやすく言えばその辺にいる三歳児くらいの子供が大学生用のテスト問題を作っているようなものだ。
もしかしたらできる人はいるかもしれないが先ずないだろうと思われるレベルである。
「ぅえっ、ムズッ」
「なにこれ痛っ」
〈流す量間違えると腕が大火傷するから気を付けろ〉
「「「それ先に教えて⁉」」」
色々遅い。リシャットは知らん顔をしているが。
教師陣との訓練を終え、帰宅するとミュルがさっそくおやつをねだってきた。
「ミー」
棚の上をチラチラと見て、食べたいアピールをする。
リシャットは首を横に振る。なぜなら夜にこっそりヨシフ達からおやつを貰っているのを知っているからだ。
「ミー! ミー!」
ガリガリとズボンを爪で引っ掻くがリシャットにその程度の攻撃は効かない。その後もガリガリとやり続け、流石に面倒になってきたリシャットは袋を出して一個だけボーロをあげようと蓋をあける。
ミュルの目がキラキラし始め、インターホンがなった。
おやつを食べ損なったミュルが抗議の声をあげるが来客が先である。ミュルを抱いて玄関の扉を開け、リシャットが固まった。
(この、感覚…………!)
馴染み深いような懐かしいような、それでいて近寄りがたい雰囲気を漂わせた男が立っていた。
「………」
リシャットはミュルをできるだけ遠くに投げ、拳を握った。
「ああ、心配はいらない。今戦う気はないからな」
「…………」
帽子で目元が隠れている男は両手を挙げてなにもしないという意思表示をする。
〈ご用は何でしょうか〉
「冷たい反応だね。はじめて会ったのに私を知ってるみたいだ」
〈ええ、貴方とは初対面でしょう。ですが、貴方と同類の者ならよく知っているので〉
油断なくリシャットは相手を観察する。ここから一歩も動かないのは家のなかに入れるのだけは絶対に阻止しなければと思ったからだ。
最悪の場合庭が粉砕するが家のなかだけはなんとしてでも守りきらないといけない。これだけの覇気を纏っている相手にリシャットが気づけなかったのがまず異常なのだ。
「いや、本当になにもする気はない。私は君と話をしてみたかったんだよ」
〈話などありません。帰っていただけると嬉しいのですが〉
「酷いな。そんなにも嫌われてるのか」
〈貴方のことは存じませんが貴方の同類で面倒な人を知っているので〉
さっさと追い返したいリシャットは少し挑発的な態度をとるが、相手もリシャットの性格を理解しているのかその場を動こうとしない。
「いや、本当なんだって。君がよく知るあの人に頼まれたんだ。君の様子を見てやってくれって」
「………」
「それと、大切な話がある。本当に大切な話だ。君やここの人達の生死に関わる」
正直、自分の生死に関わると言われていても無視しただろう。だが、そこに美織や大地、ヨシフ達が絡んでくるのなら別だ。
話などしたくもないが話さなければいけないようである。
「……………」
「別に中まで入ろうとは思わないさ。少しお茶に付き合ってくれるかな?」
「……………」
渋々首を縦に振るリシャットに笑みを浮かべる男。ミュルが爪を立てて威嚇しているのを止めさせながらリシャットは美織達にとメモを書き、ミュルの首輪にくっつけた。
ミュルにボーロを三つあげてから家を出ていく。
「ああ、自己紹介がまだだったね。とは言っても君はもうほぼ気づいているだろうけど」
男が帽子をとると長く黒い髪がその中から現れた。腰ほどまであるそれは男の雰囲気によく似合っていた。
「私は大国主神。君に分かりやすく言うと転生神、ってところかな」
どうやらまた面倒なことが始まりそうである。




