「この学校に転校してくるなんて史上初ですからねー」
「えっと………」
現在、ラインサッカーの真っ最中である。
ラインサッカーは普通のサッカーとは少しだけ違い、ゴールがただの線で、ボールさえあればできるスポーツである。
久しぶりすぎてサッカーのルールを忘れていたリシャットが飛んできたボールをつい片手で掴んでしまうというミスがあったもの、それ以外は特に何があるわけでもなく授業が進む。
視界の端に入ってきた男子にノールックでパスを出しながらリシャットの目は結衣を見ていた。
彼女は今、先生の横に座って見学中である。
何故か授業に参加しないのだ。
(シアン。少しだけいいか?)
『どれくらいですか』
(一秒も要らない)
『それなら大丈夫です』
微妙にいつも閉じられている目をパッチリと開けて結衣を見るリシャット。その目は一瞬、赤と緑に光を放った。
「…………ふーん」
「おい、リシャット!」
「心配無用、ですっ」
完全に余所見をしているリシャットの足元にボールが飛んできたのでゴールの方向に蹴っ飛ばす。真っ直ぐと飛んだボールはそのままラインを越え、得点が入った。
「おお、やるじゃん!」
体の制限がキツくなってきた頃、授業の終わりを告げるチャイムが広い校庭に鳴り響く。
リシャットは片付けをするためにボールを掴んだ。すると、
「リシャット。別にやらなくていいんだよ」
「?」
「あいつがやるからいいの。そんなことよりお前体力無いのにサッカー上手いんだな」
「え、あ、そうでしょうか………」
「そうそう。手で持ったときはなにやってんだよって思ったけどな」
結衣がボールを拾って倉庫に持っていくのを横目で確認して、遠くに落ちているボールを発見する。
「あ、先にいってください」
「なんで?」
「ちょっと忘れ物………」
「鉛筆忘れたのか?」
「まぁ………」
「早くしないと休み時間終わるから気を付けろよー」
リシャットは輪の中から外れてボールを取りに行き、体育倉庫に持っていく。
「結衣さん」
「え? ああ、リシャット君。あ、ボールまだあった? 持ってきて貰ってごめんね」
「いえ、それはいいのですが。何故結衣さんが片付けを? それ以前に…………何故結衣さんは避けられているのですか?」
「…………いいでしょ、そんなこと。関係ないでしょ」
「…………はい」
この状況ではやはり言えなかったか、と思いつつ、ボールの籠にサッカーボールを蹴り入れる。
それを見た結衣が目を丸くする。明かにボールのコントロールが上手いのに先程の授業ではその素振りさえ見せなかったからだ。
「誰だって秘密や隠し事の一つや二つ持ち合わせています。それを無理に聞こうとも聞きたいとも思いません。ゆっくりでいい。話してくれるのを待ってます」
7歳とは思えない落ち着きをみせるリシャット。それを見た結衣は、
「リシャット君って大人なんだね」
「結衣さんこそ大人だと思いますよ。私なんかより、ずっと」
錆び付いた引戸を力任せに動かして倉庫の外へ出ていった。
(それにしても嫌なもんだな)
『いじめですか』
(それもそうだけど………彼女の中、見ただろ?)
『そうですね。かなり危険な状態でしたね』
(誰も気づいてやれない所がまた危険だ。俺が今話しても不安にさせるだけだし)
時計を見て、足を早めながらどうしたものかと首を捻るリシャットだった。
「リシャット、お前弁当なのか?」
「ええ」
「いいなー、弁当」
「………食べます?」
「マジでっ⁉」
椀に入れられたスープを溢しそうになるほど嬉しかったようで、なんどもしきりに首を縦に振っている。
「ええ。お好きな物をどうぞ」
「おおー。じゃあ唐揚げいただきっ」
弁当から唐揚げを抜くとは容赦ないが、特にリシャットは唐揚げが好きで入れているわけでもないので無反応である。
「うっめぇ⁉」
「それは良かったです」
「マジで美味い! 母ちゃんの100倍美味い!」
「それ、お母さん傷付きますよ………」
その言葉に周囲の子供たちもリシャットの弁当に興味を持ち始めた。
結局、一度もリシャットは自分のおかずに手を出すことはできなかった。残ったの白米のみである。
「滅茶滅茶美味いな。お母さんが作ったやつ?」
「一応自分で」
「自分でっ⁉ やベェ」
羨望の眼差しを向けられて困ったように肩を竦めるリシャット。
「慣れているだけです」
「それでもすげぇよ!」
「本当に自分で作ったの⁉ 私もできるかな」
「止めとけ。食えない物体が増えるだけだ」
「………なんて?」
「いや、なんでもない」
全員の目に、怒り狂った般若が映った。
リシャットが白米のみの淋しい昼食を箸でつついているとそっと隣からおかずがいくつか入った椀がそっと差し出された。
「これ、あげる」
「いいんですか? でも、結衣さんのが」
「食べたからいいの。はい」
「……ありがとう」
食べたとは言ってもそんなに椀のなかに食べ物が残っているようには見えなかった。リシャットはそれでも差し出してくれる結衣に敬語ではない、心からの言葉を贈る。
リシャットのそれまでほぼ無表情だった顔が緩み、笑みが覗く。こういうところはやはり昔とは大分変わった所なのだろう。
「ううん。全然いいよ」
「ありがたくいただきます」
クラスの中で何が起こっているのかわからないのなら、それを最大限にまで利用してやろうというのがリシャットの考えである。
リシャットは、彼女がこのクラスで避けられている理由を知らない。
このクラスでどんな蟠りがあるのかも知らない。
だからそれを逆手にとって彼女との距離を少し縮めてみようと思ったのである。
以前の白亜なら、考えもしなかったことを実行にすら移そうとしているリシャットをみたら、ジュードやリンはどう思うのだろうか。
授業が全て終わり、リシャットが再び校長室に呼び出される。
「どうでしたか?」
「ん………まぁ、色々と気になるところはあるけど、って感じだな」
「そうですか………。それで急なのですが」
「顔合わせか?」
「よくお分かりになられましたね」
「それぐらいはな。俺だって指示した人は少なくない」
ジュードとか。
「では早速宜しいですか?」
「ああ」
鞄を担ぎ直して会議室に向かった。そこには既に三人程集まっていた。
「あの。校長。何故実技担当の教師だけここに………?」
「それはまた後で話します。二人が来てからですね」
「それと、その子は……?」
ちら、と目線を送られて、
「リシャット・アルノルドです。本日転校してきました」
「ああ! 噂の!」
「………噂?」
「この学校に転校してくるなんて史上初ですからねー」
普通、気力持ちだとバレないようにする人などいないのでそうなりようがないのである。
「すみません遅れました!」
「遅れました」
そこに二人の男女が突撃してきた。校長、リシャット除き男性三名女性二名の実技担当の教師が集まった。
実技担当とはその名の通り、亜人戦闘機と戦うことを最終目的とした授業である。
「会議室に集まってもらったのは、皆さんに提案をする為です」
「提案?」
「はい。この方に指導していただいて本気で強くなるという提案です」
「はぁ⁉ 子供ですよ⁉」
「わかっています」
ざわつく会議室に岡村の声が響く。
「リシャットさん、この人達と一度手合わせをしていただけませんか?」
「「「はぁっ⁉」」」
絶叫にも似た心の底からの声が教師陣の喉から出た。




