「だれにたすけてもらうの?」
「「「⁉」」」
その場にいた全員が………否、一人を除いた全員が空を見上げ、絶叫、もしくは絶句する。
コンクリートの塊がまるで雨のように降ってくる。そこには自動車も混じっていた。
一瞬、何が起こったのか誰にも判断が出来なかった。
少ししてから高速道路が真ん中から崩れて落ちてきているのだと理解し、我先にと走ってその場から逃げ出す。
小さな子供が椅子に引っ掛かって転んだのを、誰も気にすら止めなかったほどに、その場は混乱していた。
「リシャット! 早く!」
「すみません、お嬢様! 先に行ってください‼」
「はぁ⁉」
「欄丸‼ 何があってもお嬢様を守れよ!」
「…………訳がわからんが、後で説明してもらうぞ」
リシャットの直前の言葉に確信を持ったような顔をしながら欄丸が美織を担ぐ。
「ちょっ⁉」
美織の叫び声も、直ぐに瓦礫の音と辺りの誰かの声で掻き消された。
「……………大丈夫?」
「ぅぁぁあああああ!」
膝を擦りむいて大泣きしている子供にゆっくりと歩み寄り、優しく声をかけるリシャット。その横に小さなコンクリートについていた砂がパラパラと落下した。
「………ほら、落ち着いて」
無理矢理に首を自分の顔の方に向けさせ、目を真っ直ぐに見つめる。その子供の目は純粋で穢れをしらない真っ直ぐで美しい目だった。
「落ち着いた?」
「うん………」
強制力があるわけでもない、それでも諭すような静かで鋭い響きを持った良く通る声がリシャットの喉から発せられる。
「怖い?」
優しげな声が言葉を続ける。ゆっくりと頷く子供の頭をそっと撫でて立ち上がった。
「…………おにいちゃん、こわくないの?」
小さな声でそう聞かれ、苦笑を浮かべながら、
「怖いよ。物凄い怖い」
「………?」
「だから、やらなきゃいけないんだ。助けなきゃいけないんだ。これが出来るのは俺だけだから。誰にも、出来ないことだから。昔から、そう思うようにしてる」
ただただ悲しそうな目をしてそう言う。その目は、意図せずに人と自分とを線引きし、踏み入らせない拒絶の色と誰にもわかってもらえない孤独の色とが混ざりあい、どす黒く透明な色が出来ていた。
「………じゃあおにいちゃんは」
「………ん?」
「だれにたすけてもらうの?」
心臓が、一瞬止まったかと思った。
周囲の音が一気に耳に入らなくなり、自分の呼吸の音と心臓の音が嫌なまでに聞こえてくる。
誰に助けてもらう? その言葉はリシャットの心をほんの少し傷つけると共に、奮起させる充分な切っ掛けになっていた。
「そう、だね。わかんないな」
徐々に大きなコンクリートの塊が地面につき始める。幸い人には当たっていない。
「じゃあ」
リシャットの顔を見上げながら、
「ぼくが、たすけてあげるね」
その言葉を聞いた途端、リシャットは頬に水が伝うのを感じた。無邪気で自分が死の淵にいることにすら気づかない小さな子供。
本気で誰かからそう言ってもらえるのは初めてではないのだろうか、という思いが涌き出るように涙を作り出す。
今まで、この言葉を言ってくれた人は数多くいるが、本心からそれを言ってくれる人など、誰もいなかった、
覚えていないほど昔から誰の手も借りずに生きられるほど強かっただけに、守るという言葉は言われる言葉ではなく言う言葉になっていた。
ジュードやルギリアもそれを言ってくれていたが、白亜やシュリアの強さをわかっていただけに、本心から、というわけではなかった。
初めてではないのにその言葉はリシャットの揺らいでいた覚悟を決める、どうでもいいと投げ捨てていた考えを修復させる力があった。
「なんでないてるの………?」
「………? なんでだろうね」
笑いながら零れ落ちる涙をそっと拭う。
「ありがとう。きっと俺のことを助けてね」
「うん!」
また泣きそうになるのを堪えながら地面に両手をつく。バチッという何かが放電したような音が周囲に鳴り響き、リシャットの姿が本来の色を取り戻す。
「なにもかも全部…………壊させやしねぇぞ、この野郎‼」
両目を光らせながらそう叫ぶリシャット。その口元は、少しだけ弛んでいた。
「シアン、ライレン!」
『【お任せを!】』
シアンとリシャットは膨大な量の計算を頭のなかで即座に処理し、気力と魔力を練り合わせたものを周囲に浸透させながら放出する。
だが、それでは到底間に合わない。そこでライレンが重力を操作し、物が落ちるスピードを即座に引き延ばす。
小さな範囲ならば無重力状態にも出来るのだが範囲が広すぎて魔法がうまく使えないので少し軽くする程度に抑えたのだ。
「出来たっ!」
『こっちもです!』
右手を担当していたリシャットと左手を担当していたシアンが同時に処理を終える。
元々あまりなかった魔力を掻き集めてほぼ全て使いきったために体への負担が大きかったのか鼻からポタポタと血を垂らしながら全力で魔法を完成させる。
その瞬間、まるで時間が止まったように瓦礫の音と瓦礫その物が動きを止めた。
降ってくる車の中にいた人も、高速道路の下に居た人も、少し離れた海水浴場に居た人も、皆助かった。
瓦礫を無理矢理退けるのではなく、そのものを全て止め、上に居た人たちも全員助けたのだ。
「うっ………ぐっ」
リシャットは地面を掴むようにして強烈な痛みに耐える。
顔色が目に見えて悪くなっていき、冷たい汗が顎を伝って地面に吸い込まれていく。
震える手を空中に持っていき、何かを混ぜるように交差させて胸の前で指を組む。
すると車がコンクリートの隙間を通り抜け、ゆっくりと地面に下ろされる。真上にまで迫ってきていたコンクリートが空を移動し、人のいない道路の真ん中に積み重ねられるようにガラガラと落下していった。
誰もが、その異常としか言えない光景を無言で眺めていた。
「あ…………ガハッ……」
リシャットは蹲りながら苦しそうに喘ぎ、口から赤い液体を地面にぶちまける。
「おにいちゃん………?」
顔を覗き込み、不思議そうにリシャットを見つめる子供。だが、その言葉に声を返せないほど限界だったリシャットは薄目を開けながら無理矢理に笑みを作る。
「大丈夫………。そうだ、名前、を………教えて、くれ………ないかな………?」
「ぼくはせいたろうだよ。おにいちゃんは?」
「お、れは………」
声がまるで喉に引っ掛かっているような、そんな感じがした。
「俺は………リシャット」
その感覚の意味もわからぬまま、そう自分の名を告げる。
「りしゃっと?」
「ああ………。いつか、きっと俺のこと、助けてくれるんだろ………? 清太郎」
「うん!」
その言葉が聞きたかった。と汗を滴らせながらふらつく足取りで立ち上がる。
「俺は………もう行く。………一人で、帰れる?」
「うん。じゃあね、りしゃっと!」
「じゃあ、な」
自分が今抱えている気持ちに気づくことのないまま、足を引き摺るようにしてその場を去っていった。




