「ああ。俺の……故郷だ」
「………行ってきます」
家に一礼して欄丸の背に乗り込む。
「頼むぞ」
「ウォン!」
パシン、と首の辺りを叩いて合図し欄丸が走り出した。木に隠れていく数年暮らした家を最後にちらと見てからは、もう振り向かなかった。
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「リシャット!」
ヨシフが荒々しく扉を開ける。
家のなかは静かで人の気配がなかった。
「マジかよ………」
そのままリビングに入らず、リシャットの部屋に直行する。
「………っ!」
部屋が、綺麗に片付いていた。ベッドには一切のシワも見当たらず欄丸が愛用していたタオルケットがご丁寧に畳まれて部屋のすみに固めてある。
リシャットの服や靴もそこにおいてあった。
机のなかを見てもなにも入っておらず、小さなペン立てだけがポツリと残されていた。
呆然としながらリビングに入ると一通の手紙と通信機が机の上に置かれていた。
部屋は掃除も片付けもされていてゴミ箱にはゴミひとつ見当たらない。リシャットが作っていたハーブの茶葉だけが色鮮やかに主張していた。
ヨシフは黙ったまま手紙を手にとって見る。宛名に皆さんへ、とだけ書かれた封筒は飾り気がないように見えて小さく精緻な模様が刻まれていた。
ご丁寧にペーパーナイフまで近くに置いてあったのでそれを使って封を開けた。
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皆さんへ
こんな別れ方で申し訳ありません。
留守番を頼まれていたのに、放り出すような形になってしまい、本当にごめんなさい。
こうするしかなかったんです。
戦場に行く前に軍の方から無理矢理にでもつれていくと脅されました。その時に少しやり過ぎてしまったんです。
今回の件は恐らくそれが狙いだったのでしょう。私が拒否することをわかっていてヨシフさんたちと別れさせようとしていた。
その証拠に私が戦場で戦闘不能にした人のなかに軍の人間が入っていました。きっと、私の帰る場所を先に潰そうと考えたのでしょう。
私がいるから皆さんが狙われるのなら、私はここから出ていきます。
前から考えてはいたので後悔はありません。それに私にはやることがあります。少し予定より早くなってしまいましたが私はそれを成しに行こうと思います。
だから、心配しないでください。
欄丸に話したら、欄丸も来てくれるそうです。だから、大丈夫です。
皆さんに買ってもらったものは全ておいていきます。服や靴はどうでもいいかと思いますが、私の使ったペンは少し特殊な改造を施してあるのでもしかしたらお守りくらいにはなるかもしれません。
自分勝手でごめんなさい。
もう二度と会わないことを祈っています。
リシャット
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「……………」
小さな文字でそう綴られていた。
ヨシフはその場から動くことができなかった。
「ヨシフ‼ リシャットは………? どうしたの?」
「………」
無言で遅れてきたリズにリシャットの手紙を手渡す。
「これ…………本当に?」
「ああ。部屋の中も全部持ち物まとめてあった」
なんとなく、そんな気はしていたのだ。
「あいつは………自分のせいだって溜め込むタイプだからな………」
壁を見てみると銃痕が消えていた。リシャットはこんなところまで直していったのかと呆れを通り越して笑いが止まらない。
「探す?」
「探すなって書いてないからな。当たり前だろ」
笑いながら、泣き続けていた。
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【どうやって日本に行くんですか? パスポートは無いんじゃないですか?】
「ないな。特に欄丸は」
【? じゃあどうするんです?】
「密入国」
【………貴方も大分悪くなりましたね】
「お前ほどじゃない」
リシャットは平然とそんなことを言って欄丸に跨がっていた。
『パスポートとやらがないのにどうやって他国へ渡るのだ?』
「? 誰も乗り物を使うなんて言ってないだろ」
『はぁ………せっかく少しずつ溜めていた魔力を大放出しちゃうんですか』
「仕方ないだろ。あっちにいけばなんとかなるって。多分」
計画性のないリシャットの言葉に全員がため息をはく。
『貴様がそこまでなにも考えていないのは珍しいな』
「そうか? 一応考えてはいるけどな。どれが成功するか判んないし、行き当たりばったりになる可能性が高いから期待するなよ」
そう言って地面に棒で何かをガリガリと書いていく。
計算式やその答え、魔方陣がごちゃごちゃに書かれたものなのだが、乱雑に見えて綺麗に整頓されたようなものになっている。
「さぁ、飛ぶぞ。この辺りの魔力が濃くて助かった。俺の魔力を使うのは少しですむし……なにより」
『どうした?』
「いや。なんでもない。じゃあ飛ぶから俺にくっ付けよ」
ピタリと欄丸とライレンがくっついたのを確認してから魔方陣を発動させる。リシャットと周囲の魔力を吸い込んで徐々に増していく光に手を翳して小さく詠唱を終える。
「物質転移」
その一言で魔法が完成しリシャット達の姿が霞のように消えた。地面に書いていた魔方陣も同様に跡形もなく消え去った。
「っと」
「キャン!?」
「ああ、ごめん。大丈夫か?」
欄丸が丘を転げ落ちる。
『こうなるなら早く言え……』
「ごめんって。標高差があるから地面には直接つくにはちょっと魔力いるんだよ」
欄丸を起こしながら周りを見るように促す。
『これがにほん………』
「ああ。俺の……故郷だ」
蝉の声が耳に飛び込んでくる山の中に転移したリシャット達はすぐに山を下り始める。
『………暑いな。後このジージー言うやつも五月蠅い』
「我慢しろ。蝉はそういうもんだ。もう少し進んだら沢がある。そこで休憩するから」
『詳しいのだな』
「この山は………誰よりも詳しい自信があるぞ」
そう言って寂しげに笑った。自分を責めるような笑みに欄丸も何も言葉を返せず、そこから先は無言だった。
「ついたぞ」
『おお!』
沢についたと思ったら欄丸がそこに飛び込んだ。
「おい。拭くものは………あんまり用意したくないぞ」
『いいではないか。暑いのだ』
「はいはい。もう濡れてるから仕方ないけど」
チャパチャパと水で遊ぶ欄丸に苦笑しながら自分もその近くで腰を下ろして涼む。深さもそんなにないので流される危険もないだろうと判断してリシャットは欄丸から目を離して少し目を瞑る。
『お疲れ様です』
「シアン………。ああ。少し疲れたよ」
『殆ど溜めていた魔力を使っちゃったんですから仕方ないですよ。取り合えず今は休みましょう』
「そうも言ってられないんだよね、これが………」
苦笑しつつペットボトルから取り出した水を飲む。
『リシャット! 魚がとれたぞ!』
「え?」
欄丸は欄丸で口に獲物をくわえてリシャットの前に持ってきた。
「欄丸……これは返してこい」
『何故だ』
「稚魚だから駄目。ほら」
『むぅ』
「どうせそんな大きさじゃ食べるところ少ないから」
『………それもそうだな』
欄丸が沢に魚を返すのを見ながら小さく欠伸をする。
「欄丸。少し寝るからこの砂が落ちきったら起こして」
『うむ』
水の中に頭を突っ込んで魚を探す欄丸を見ながらゆっくりと目を閉じて休むのだった。




