「俺はまだ動ける」
「あ、やべ……」
ポットから泡が吹き出たので急いでコンロの火を止める。
『本当に大丈夫か………?』
目の前のポットにすら集中出来ずにどこかぼんやりしているリシャットをハラハラとした目で見つめる欄丸。
今はなにやらせても危ないな、と再認識しながらリシャットの動きに常に気を配る。
昼は面倒になったのでカップ麺にすることにしたのだが、それさえも危なっかしい。
「ウォン!」
「………ん?」
ワンテンポ遅れてリシャットが欄丸の方に目を向ける。
「……どうした?」
『……少し休め。先程から地に足がついていないぞ』
「あー、うん………そうだな」
お湯を注ぎながら生返事を返すリシャット。因みに、リシャットはあり得ないほど食が細いのでおやつに出すような本来の四分の一くらいしかないやつを食べる。
それでもたまに食べきれないのだが。
なんとか食べきってソファに寝転がる。
「んー………なんかボーッとするんだよな………」
『…………? おい』
「………ん?」
『発熱しているぞ』
「………え?」
体温計で計ってみた。
「39,7………」
『それは高いのか?』
「高いと思う………」
『魔力熱ですね。使いすぎなんですよ』
「ああ、うん……」
もうあまり聞こえていない。
「取り合えず休む………」
「ウォン」
蘭丸に背を押されながら自分の部屋に行き、ベッドに倒れ込むようにして寝た。
『欄丸。マスターの額を冷やす物を持ってきてください』
『む………よくわからぬ』
『では、マスターの作った水を桶にいれてタオルも持ってきてください』
「ウォン!」
欄丸はすぐに帰ってきた。
『そのタオルを水に浸して絞ってください』
『し、絞るのか……。うむ』
前足を器用に動かしてなんとか絞った。
『それをマスターの額に』
『これをだな』
何を勘違いしたのか桶を持ち上げた。
『違いますよ! タオルですよ!』
『む』
悪戦苦闘の末、なんとかタオルを頭に乗せることに成功した。
『それにしても、どうすれば治るのだ?』
『一晩眠れば治りますよ』
『そうか』
その後も、何度も何度も水に浸しては乗せを繰り返し続けた。
【リシャットさん! って寝てるんですか!?】
『リシャットは魔力熱とやらで寝込んでいるぞ』
【なんでそんなに冷静なんですか………って、そんなことより】
ライレンが妙に焦っている。一気に騒がしくなったのでリシャットの目も覚めた。
「ライレン………どうした? 何かあったのか?」
【こんな状態の貴方には言いたくありませんけど……軍が劣勢で押されています】
『それだけか?』
【いえ………その。………ヨシフさん達も戦っているんです】
それを聞いて直ぐに起き上がるリシャット。
「………怪我は」
【私が見てきた限りではヨシフさん達に怪我人は居ませんでしたが……】
「……行かないと」
『無茶言わないでください! 今ここで回復を待った方が……』
「……それで間に合わなかったら、俺はきっと死ぬほど後悔する」
底冷えのする声で、そう言った。
「俺はまだ動ける」
『無理だ! 先程から言っているだろう!』
『そうですよ! それに魔力熱は寝るしか回復方法はないんですから!』
「ここで休んで一人でも間に合わなくなれば………多分俺は死ぬぞ?」
シアンにはわかっていた。リシャットは、それが躊躇なくできてしまう人だと。
見捨てるなどという選択肢など、初めから無いことを。
『はぁ………魔力を絶対に使わない、危なくなったら私が強制的に休ませます』
「っ、ありがとう」
『ここで意地張られても困るだけですからね。特別ですよ』
リシャットはベッドから飛び降りて支度を始めた。それはもう、物凄い速度で。
まずコートとマフラーを棚から引き摺り出して麻酔銃に中身と予備を投入する。机の引き出しからトランプを数束取り出して服の裏ポケットに収納。
そのままリビングへ突入し、ストラップサイズの懐中電灯とスタンガンを見付けて腰のベルトに装着する。
「ウォン!」
「ああ、助かる」
欄丸の首に小さなウエストポーチを取り付け、使えそうな包帯やハンカチ、ラップを詰める。
最後にいつも持ち歩いている鞄を背負い、自分の体をコートとマフラーで蘭丸に固定する。
「頼む!」
「ウォン!」
家の鍵をしめ、欄丸の背にしがみつくようにして体重を預ける。
欄丸がどんどん加速していき、家が見えなくなった。
『家は守らなくてもよいのか?』
『家はライレンについてもらってる。もし何かあったとき主従権限で呼び出せるしあいつは今の俺より強いから安心できる』
高熱で意識が何度も飛びそうになるのを必死で堪えるうち、目の前がたまに真っ暗になったりした。
「ぐっ………」
『一旦休むか?』
『いや、いい………大丈夫だ』
口の端から血が流れているのにも気付かずにただヨシフ達を助けたい一心で前を見続けていた。
「っ……そこの樹を右!」
流れ弾が飛んできたのをいち早く察知して欄丸に伝える。
「はぁ、はぁ、はぁ………そこ、左!」
曲がった瞬間に後ろの木に弾が食い込む。
「ウォン!」
「! ヨシフさん!」
もはや体力的にも限界を越えているのだが、リシャットの目はヨシフ達だけを真っ直ぐと捉えていた。
そのヨシフ達を狙っている影も。
「! 欄丸‼」
『間に合わん!』
かなり遠くで銃をヨシフに向けている男に向かって全力でトランプをぶん投げた。欄丸の背に乗っているので不安定な位置からの投擲な上、熱で意識が朦朧としている状態なのだが。
リシャットは、絶対に外さない。
「ギャアァアアア!?」
手の甲にザックリと突き刺さったトランプに絶叫している。戦場なのでその声も大分小さく聞こえるのだが。
「取り合えず何人かは無力化する! 適当に走り回れ!」
「ウォン!」
欄丸が木の間を巧みに縫うように走り、リシャットが左手に持ったカードで迎撃していく。
一人、また一人と見えない攻撃にやられていく。
そんなことをしていると当然目立つ。
「おい! どこかから狙われてるぞ!」
「探せ!」
戦闘、というより奇襲をしている相手がいる、というのは抑止力になりやすい。どこから狙われているのか判らないのだから。
「ぐぁっ!?」
ヨシフはすぐ横で敵が倒れたので見てみると足にカードが突き刺さっている。
「これは………トランプ?」
倒れた者は皆、体のどこかにトランプが突き刺さっていた。
「嘘だろ…………!」
まさか、という言葉が頭をよぎる。物陰に身を隠してトランプが飛んできた方をじっと見る。
一瞬、何かが通り過ぎた。早すぎて見えなかったが、
「間違いない………リシャットだ」
金髪の子供のような背格好だった。
「来ちゃったのかよ…………」
「ちょっとヨシフ!? なにやって………」
「リシャットがいる」
「は? リシャットは留守番してる筈じゃ………」
「倒れてるやつらの足見てみろよ」
「え? ………トランプ?」
リズも状況がわかったようだ。
「取り合えずリシャットを家に帰さないと………。戦場に連れてきたくなかったから留守番してって言ったのに……」
だが、トランプで倒される相手はどんどん増えても本人が全く見当たらない。
「リシャット……!」
ヨシフは金髪の子供を探して目を動かし続けた。




