「………人質、私に任せてもらえませんか?」
『そろそろですかね』
(ああ、もういいだろう。ライレン!)
【はい】
がこん、と音がして窯の奥からパンが板ごと滑ってこちらに運ばれてくる。
リシャットの魔法は純粋な物体操作に長けていない。間接的に物を動かすことは可能なのだが、その物を動かすことが出来ないのだ。
簡単にいえば、風を起こしてその風に乗せて物を運ぶとか蔓を伸ばして物を掴むとかは可能だが、実際に直接物体に干渉することは出来ないのだ。
これを得意とするのがライレンである。
日常的に物体に干渉する類いの魔法を使っているのでその精密さもなかなかのものである。魔法というより超能力の方が近い気がするが。
「っと、いい感じだな」
熱々のパンを籠にどんどん放り込みながら小さく欠伸をする。
『魔力不足ですか』
「かもな………ここ最近あんまり使ってないんだけど」
回復速度が遅いので迂闊に魔法も使えないのだ。
「リシャット? できた?」
「はい。もう食べられますよ」
「やった!」
リズに出来立てのそれを手渡して籠に残りを放り込む。
「大分奥にパンがいってなかった? よくとれたね。熱くなかった?」
「そんなことないですよ? 手の届く範囲にありましたし、熱いのは慣れてますから」
籠をリズに渡して窯の火を消し、軽く掃除をする。
「最近暑くなってきたな」
『そうですね』
「ロシアだからもう少し涼しくなるかなって思ってたんだけどな」
【そのロシアの中でも赤道に近い方ですからねぇ】
このパン焼き窯はミラの家にあるもので、現在ミラの家にヨシフ達と泊まりに来ているのだ。
リシャット初仕事の為に来たのだ。遊びではない。断じて遊びではない。
「よっと」
巨大な籠を抱えて歩いていくリシャット。当然前は全く見えていないがここに入ってきたときに物の位置は大体覚えたのでスイスイと通り抜けていく。
この2年、技もそうだが記憶力を鍛え続けてきた。部屋全体を一瞬見ればどこに何があるのか目を瞑っていても把握できる。
「手伝いは要る?」
「大丈夫ですよ」
ミラの声にそう答えて机の上にパンを置く。意外だが、ミラの家は代々パン屋を営んでいるらしく、何でも屋と兼業しているそうだ。
因みに旦那もいる。何でも屋をやっていることは絶対の秘密らしい。
「これで良かったですか?」
「オッケー。私よりも上手いぐらいだよ。やっぱこっちで働かない? ちゃんとお給料も払うし―――」
「ミラ。リシャットは家で働いて貰ってるんだから駄目よ」
「ケチー」
リズといがみ合いを始めた。ここ最近リシャットの取り合いが激しくなってきた。
「私も手伝いには来ますので」
「えー、一緒に働きたいのにー」
ミラが不満の声を漏らすとリズが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ちょっとなによその顔」
「別にぃ?」
止めたのにまた始まった。もうリシャットは取り合えずスルーすることに決めた。
【毎度毎度よくやりますね】
『それだけマスターが慕われているのです』
(何でシアンが誇らしげなんだ……)
少々げんなりしつつパンを袋に詰めて店の方に持っていく。
このパンは全てリシャットが作ったものなので味の保証はないから、ということでB級品として安く提供している。
窯を使うなら一気に焼いちゃいたい、というリシャットの面倒くさがりが発動したために三人では食べきれない量を一回で焼いてしまうので余っていたのをミラが売ったらどうかと提案したためだ。
本当は普通のパンに紛れさせて置くはずだったのだが、リシャットがあり得ないほど遠慮したのでB級品としての扱いに収まったのである。
だが、リシャットの作るパンは創作パンが多く、種類豊富な上に普通のパンの半分以下の値段で売られているのでこっちの方が人気になってしまっている。
ミラの旦那が半泣きでリシャットのパンを買っていく客を見つめているのを知っているのはミラくらいなのだが。
「持ってきましたよ」
「ああ……いつもありがとうね……」
「? いえ、作りすぎる私がいけないんですけどね」
店主の様子に気付いてやれよ、とは誰も言わない。
「値下げするのかい?」
「はい。小麦粉が安く手に入ったので試しに少し下げようかと」
横に並んでいるパンの三分の一の値段である。このパン屋にあるパンの中で一番高いものと比べると五分の一の値段である。
他のパンが売れなくなるのも当然かもしれない。
「あ、おひとついかがです?」
「いや、パンはいいかな………」
「あ、毎日食べてますもんね。失礼しました。後程お菓子を作る予定なので、宜しかったらそちらをどうぞ」
ますます凹んでいる。が、それにリシャットは全く気づかない。流石は天然記念物だ。
一応リシャット達はここに遊びに来ていることになっているので下手に口を滑らせないように必死である。ミラの旦那にバレたらミラに殺されるので。
結婚一年目の夫婦でミラと会ったのはリシャットの方が先である。もうそろそろ何でも屋のことがバレるのではないかとリシャットは思っている。
たまにミラが返り血を拭き忘れて帰っていったのを見ているので。そこで指摘しないリシャットも中々酷いが。
仕事の後、ミラやデニス達はいつも一旦ヨシフの家に立ち寄ってから家に帰っていく。今まで危険だからという理由でリシャットは一人家に置き去りだったのだが。
【リシャット君、初めてのお仕事ですね】
(なんだそのテンションは)
【いやー、本気で戦ってるところなんてほとんど見たことないですからね】
『マスターが本気で戦ったことなんて殆ど無いですよ? 私が知ってるなかでも数えるほどしかないです』
本気なんて出さなくても簡単に勝ててしまうので。
【えー、本気出してみてくださいよ】
(お前この数年で妙に馴れ馴れしくなったよな………。別に本気だしてもいいけど、その場合お前を吹き飛ばす為に―――)
【何でもないです】
人間に本気出した瞬間、素敵な肉片に変身してしまうだろう。手加減というものがまるで出来ないので。
「リシャットは今日何するか聞いてるよね?」
「はい。強盗集団に捕まっている人質の解放、可能であれば逮捕でしたよね」
「そう」
テーブルの上に掌位の大きさの四角い機械を置くと、テーブルの上に地図が映し出される。小型のプロジェクターのようだ。
「今いるのがここ。で、今夜行くのがここ」
目測で20キロ程離れている。近くも遠くもない場所だ。
「それで、最優先に人質、余裕があれば捕まえればいいんだけど」
「………人質、私に任せてもらえませんか?」
「え?」
「最初でそれはキツいんじゃないか?」
「いえ、小さいのでバレにくいでしょうし、粗方の事は出来るので逆に安全かもしれません」
戦闘は勿論、鍵開けや目眩まし、もし人質が怪我していた場合の応急処置の知識等、基本なんでも出来るのでこういうときは本当に役に立つ。
「そうかもしれないけど……」
「リシャットは子供だからなぁ……俺達は兎も角、人質が信じてくれるか………?」
「流石に子供のお遊びで片付けられるほど問題は軽くないとは思いますけど………その点については問題ないです。考えがあるので」
流石にいつ殺されるかも判らない状況で入ってきた子供を無下にするような人物は恐らくいないだろうが、念のため策は練ってある。
下手したら死にかねない方法だが。
「じゃあ、私がリシャットに付いていく」
「リズが? …………でも、適任かもな」
「リシャット、それでいい?」
「はい。大丈夫です」
この仕事、国の方から依頼されている。何でも屋の中ではヨシフ達はかなりの地位にあるようだ。
「それじゃあ俺とミラ、イリヤはここから侵入、デニスとキルサンとアルビナはここから侵入だ。リシャットとリズは任せてもいいか?」
「はい」
決行は夜中の2時から。住居は周辺にはないが、他の一般人に知られると不味いので日が上るまでがタイムリミットだ。
「リズさん、少しだけ話すことがあるので来てくれませんか?」
会議が終わって直ぐ、リシャットはリズを呼び出した。
「どうしたの?」
「………以前、私は精神年齢が大分違うとお話ししましたよね」
「ええ。たしか60………今は62かな」
「はい。その60年もの間の生きてきた時間の中で習得した物が幾つかあるんです」
瞬きをした瞬間、目の色が一気に変わる。白い部分は黒くなり、青い部分は赤と緑に鮮やかに輝く。
「!」
「……気持ち悪いでしょう? でもこれ相当便利なんですよ。真っ暗な場所でもハッキリと前が見える。太陽や強い光を直視しても目が眩まない、何キロも先を見通せる、その他にもありますが、そんなものです」
この世界では魔力眼は殆ど使用しないだろう。その分別の魔眼が余計によく見える。
「それを使うと、なにかできるの?」
「ただ見えるだけです。それだけでも大分違いますけどね」




