「どうして、言ってくれなかった」
目の前にある、本当の意味でピクリとも動かないそれを何度も揺する。
いつもみたいにからかわれているなら、どれだけ良かっただろうか。
もう、暖かみがないどころか固まって動かないそれを目にして呆然とただただ同じことを繰り返す。
「なんで………調べものがあったんじゃなかったんですか……?」
ジュードはリンから、そう聞いていた。急に調べたいことがあるから何日か空けると。
「ごめんね……。本当のこと言ったらハクア君の覚悟が無駄になっちゃうかと思ったの……」
リンが泣きじゃくりながら小さく言う。白亜なら、こう言ってくれと頼むだろうから。
「―――っ!」
その時、その場に飛び込んできたのはスターリだった。遅れてダイ達も入ってくる。
誰も、動けなかった。皆俯いて唇を噛み締め、ただ後悔していた。
「ああああああ!」
スターリは白亜に抱き付いて離れない。叫び、涙を流してもう息を吹き返さない白亜を力強く抱き締める。
普段なら、苦しいとか動きにくいとかそんな言葉が聞こえてくるだろう。だが、もうそんな声は二度と紡がれない。
誰もスターリを引き剥がそうとしなかった。皆、同じ気持ちだった。
「………どうして」
そのまま、どれだけの時間が流れたか判らない。人がどんどん入ってくるが、出ていく者は誰一人としていなかった。
「どうして、言ってくれなかった」
何時間も抱きついたまま離れなかったスターリがリンを睨み付ける。声は、嗄れきっていて殆ど息漏れのような音になっていた。
「どうして、どうして!」
「ハクア君が………そう言ったから」
「でも! それで主が……!」
「やめろ。スターリ。見苦しいぞ」
ダイに静かに諭されて涙目でダイを睨んでから走ってその場から駆け出す。
「「「………」」」
皆、無言だった。スターリを追いかけることも出来なかった。
「…………師匠は、最後に何と?」
「………謝ってた」
「……………そう」
リンとジュードの間にそんな会話が交わされたが再び重々しい空気に辺りが支配される。
本来、契約獣であるダイたちは白亜が死んだら契約が切れて元の場所に返されるのだが、前々から白亜が術式に改良を加えて自力でこちらにいられるようにしてあるのだ。
キキョウとルナも同様に。
「………ハクア様は、大分前から御自身の最期を悟っていました。毎晩、ポーションを消費しているせいで自分に全く効かなくなっていることもよく判っていた御様子でした」
静かに話し始めたキキョウの言葉に皆耳を傾ける。
「そして、今から丁度一ヶ月ほど前でしょうか。………突然、自分が死んだらどうするか、という話をするようになりました」
「もうその時には………?」
「ええ。ポーションなんてまじない程度の効果しか無くなってきた頃でしたから」
キキョウは、まっすぐ前を見て、皆に伝えるように話し掛ける。
「ハクア様は………私達に、遺品を1つずつ渡すと。もし再び生を受けてここに戻ってきたとき、その時まで守って欲しいと」
その言葉を聞き、全員がハッと顔をあげる。
「もしかして………」
ジュードが白亜の横に置いてある懐中時計を手に取る。光りに反射して使い込まれた時計が幻想的に浮かび上がっていた。
ジュードは、ゆっくりとその蓋を開ける。
カチ、と音がして蓋が開いた。魔方陣に彩られた美しい文字盤の上に一定の速度で秒針が動いていっている。
突然、魔力が大幅に吸いとられた。
「!?」
一瞬眩い程の光が辺りを照らしたかと思ったらいつの間にかジュードの目の前に本とペン、何らかの液体で満たされた瓶。それと一通の手紙が現れた。
手紙には、白亜の字で、ジュードへ、と書かれていた。
「そういうことか……」
ダイが懐中時計を持つと再び光が周囲を覆い、収まった頃には一通の手紙と何かが書いてある紙束、掌に収まりそうな位の大きさの魔道具があった。
それを見た者が、懐中時計を手に取り、物を出しては次の人に渡していった。
「全員、出しましたね」
白亜は、全員の魔力の波長を完璧に覚えていた。魔力の波長は人各々違い、兄弟や親子で少し似る事はあっても一致することは先ず無い。
指紋のようなものである。
白亜はそれを理解した上で、これを手に取ったときに発動するようにと予め細工を施していたのだ。
ジュードは、死んでもこういうことをする白亜に少しだけ笑みを浮かべながら手紙を開いた。
ーーーージュードへ
これを読んでるってことは、俺はもう死んでるんだな。
黙っててごめん。
皆には……特にお前には知られたくなかったんだ。
馬鹿だと思ってくれて良い。良い年して、恥ずかしいけど。
キキョウから聞いたと思うが、お前に渡すものがあるんだ。
この手紙と一緒に出てきたペンと本、それと瓶。これをお前に預ける。
いや、少し違うな。
お前が、使いこなせ。俺はもうこれを使うことができない。だから、お前に託そう。
だが、一歩間違えば本当に危険なものだ。もし、これがこの世にあってはいけないものだと判断した場合、処分してくれて構わない。
それは、お前の判断に任せる。
先ず、その瓶とペン。
それは二つでワンセットのもので、俺の自作魔道具だ。
ペンの後ろの蓋を開けるとチューブが見える筈だ。それに瓶の中身を入れて使う。
要は万年筆だな。
そのペンで書いたものは具現化出来る。ただし、インクもペンも別のものでは発動しないから注意しろ。
絵を描けばそれがそのまま浮き出てくる。動物以外なら基本なんでも使える。よく考えて使うように。
そのペンのインクのレシピや使い方は俺の研究所にある。場所はアンノウンがよく知っているだろうから、聞いてくれ。
それから、その本の方だ。
その本には二種類の魔法の使い方が書いてある。
『絶対防御』と『鉄壁防御』だ。
絶対防御はその名の通り、どんな攻撃でも絶対にダメージを与えられることのできない魔法だ。俺でも無理だ。
ただし、一回使ったら多分魔力切れで倒れるし、一回使ったら一週間は使えない。
デメリットも多いが、その分どんな攻撃でも防げるメリットも大きいと思う。
鉄壁防御だが、これはどんな攻撃でも絶対にダメージを負ってしまう魔法だ。
たとえ静電気並みの攻撃でも腕が痺れるほどの痛みを感じる。
デメリットしかないような魔法だと俺も最初は思っていた。
でも、これは使いようによってはとんでもない魔法だったんだ。
この魔法は『どんな攻撃でもある一定ダメージに変換される』魔法だったんだ。
例を出せば、1のダメージを与えられる攻撃を受けても100のダメージを負ってしまうが、1000のダメージを与えられる攻撃を受けても100のダメージを負うだけで済むんだ。
要は、どれだけその攻撃が強かろうが弱かろうが同じダメージしか受けない魔法なんだ。
即死級の魔法を受けても転んでも同じダメージしかたまらない。
これのもっとすごい点は、どんな攻撃でも絶対にダメージを一定化出来るという点だ。
たとえ体が真っ二つになるような攻撃だとしても傷を負うことはない。
そして、継続的な物も防ぐことができる。炎の中に閉じ込められたとしても、最初の一回の一定ダメージだけで、熱さも感じなければ火傷も負わない体になる。
ただし、攻撃を当てられる前に発動しないと効果はない。
保険をかける魔法だと思ってくれ。
それから、発動中の魔力消費は勿論、攻撃を受ける度に少しずつ減っていくし、弱い攻撃でもかなりの痛みを伴うことになる魔法だ。
かなり使いづらいやつだが、お前ならうまく使ってくれることを信じている。
こんなにいろいろと押し付けて申し訳ない。
だが、幸いにもジュードはハーフエルフだ。
お前が生きている間に会える確率も低くはない。
また、いつか帰ってこれたら、手合わせでもしながら互いにあったことを話そう。
身勝手で、ごめんな。
こんな時に何書いてるんだって自分でも思うけど―――
俺は、幸せでした。ありがとう。
――――ハクア
いつの間にか、ジュードの両目からポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
飾り気の無い、白亜の言葉。
まるで、白亜が今横にいて読み上げているかのような感覚に陥る。
ただただジュードに残したものの話をしているだけなのだが、それがかえって白亜らしい態度で、妙に懐かしい。
「師匠………任せてください。僕は、これを使いこなして見せますから」
本とペン、インクを握り締めて真っ直ぐ白亜を見る。
その顔は真っ直ぐ前を見据えており。決意と覚悟に満ち溢れていた。




