「治らない……?」
「………?」
白亜が耳に触れて首をかしげる。キアスがその様子を見て、
「火傷でもしたか?」
「や、熱いと耳たぶをさわるって結構意味がない行為じゃないですか」
「真面目に返されると反応に困るんだが……」
白亜は熱々の飴細工をケーキの上に乗せながら再び首をかしげる。
「耳鳴りがするんですよね……」
「耳鳴り?」
「何となく音が聞こえづらいと言いますか」
完成したケーキをコンマ一秒ほどで切り分けつつ片目を瞑る。
「疲れてるんじゃないか?」
「今日ちゃんと寝たんですけどね……」
ぼんやりと右目が紅く光る。
「どうでしょうか」
「なにが材料だ?」
「ちょっと変わってますけど、ほうれん草入れました」
「ケーキに!? ………うっめぇ」
ほうれん草ケーキ。意外と美味しかったそうだ。
「キルカが帰ってきてない? どこ行ったんだよ」
「インクを買ってくると言ってそこから………」
「なんで護衛をつけないで……いや、あの人だからな……」
白亜は軽く眉を潜めながら耳に意識を集中する。
「っ!?」
しかし、直後に耳を押さえてその場にしゃがみこんだ。
「ハクア様!?」
「………?」
キキョウにそう声をかけられたが苦しげに耳を押さえたまま聞こえている様子がない。
「き、きょう……?」
「ハクア様、何があったんですか?」
「え………?」
白亜は目を見開いて小さく口を開けたまま固まってしまう。
「何かあったのか?」
「ダイ! ハクア様が………」
「白亜がどうかしたのか」
ダイも駆け寄ってくる。
「……ダイ」
「どうかしたのか?」
「………聞こえない」
呟くようにそう言う白亜。
「聞こえないんだ。俺は、今ちゃんと声を出せているか?」
「何を言っている? はっきり聞こえて―――」
「自分の声も人の声も風の音だって聞こえない。どうなってる………?」
早口でそう捲し立てる白亜。
「聞こえないってどういうことですか」
「そのまんまさ。万物の呼吸どころか普通に聞こえる音すらない」
「じゃあ今どうやって会話しているんですか……?」
「読唇術だ。ゆっくり話してもらえると助かる」
そういわれてみれば、白亜は先程からずっと二人の顔、というか口元を凝視している。
『マスター』
「あ、シアンは聞こえるのか」
『聞こえると言うより耳を介して聞いているわけではないので聞こえているだけだと思うのですが……先程から気配がします』
「気配?」
『五感を鈍らせる能力の残滓が感じ取れます』
能力、とシアンは言い切った。つまり、魔法ではなく能力を持った誰かが居た訳である。
能力を持っている者は極端に少なく、国が直接保護をするほど貴重な存在だ。
白亜の創造者やシアン、万物の呼吸も能力である。異世界人はこちらにわたってくる際に例外なく能力をひとつ授けられる。
日本組も全員異なった力を持っていた。因みに勇者も能力を持つことができる。
「五感を鈍らせる……デバフ効果のある能力か」
『見たことのない能力ですので、なんとも言えませんが』
白亜が立ち上がって目を凝らす。ぼんやりと両目が輝きを持っていき、鮮やかに光りはじめる。
「キキョウ。今からキルカを探しに行く。ついてきてくれ」
「了解しました」
「ダイはここを守れ。他の者にも伝えろ」
「了解だ」
そう指示してからキキョウと共に外へと走っていった。
「くっ……聞こえないとここまで不便だとは思ってなかった……」
歩く人の足音が聞こえないのだ。迂闊に動いて怪我をさせかねない。
「ハクア様、東にそれらしき反応がありました」
「東……あっちか」
人が多くて危険なので屋根づたいに移動する。屋根を移動する者も居ないわけではないのだが、運よく白亜しか居なかった。
「………居るな」
「わかるんですか?」
「この香水の匂いはキルカだ」
「そうなんですか」
耳が聞こえなくても会話可能な上に目や鼻があるので十分な気がする。
「下りるぞ。多分キルカの目の前に着くと思う」
キキョウに一言言ってから大きく空中に踏み出す。数メートル空を舞い、音もなく目的地に到着する。
「はく、あ………?」
「………これ、どんな状況だ?」
キルカは見知らぬ男に小刀を突き付けられていた。
「誰だ、お前? ………ぁあ、思い出した。銀髪の男」
「誰だ、とはこちらも聞きたいのだが。俺はあんたとは面識なかったと記憶しているが」
「ないな。一方的にこっちが知っているだけだ」
かなり軽装備な白亜の様子を見て鼻で笑った男は、
「この状況がわからないのか?」
と憎たらしい笑みで言う。
「俺の部下が何かしたのだろうか? もし気にくわないことがあるならせめて俺を通してくれ」
「ハッ、そんなんじゃねーよ。っていうかなんで聞こえてるんだぁ? 耳は塞いでる筈だぞ?」
「ああ、耳が聞こえないのはあんたのせいか」
キルカをちらりと見て、頭をかきながら軽く男を睨み付ける。
「聞こえてない? じゃあどうやって会話してるんだよ」
「読唇術は心得ている。流石に早すぎると何を言っているのかわからないけどな」
「読唇術ねぇ……なに、カッコつけたいの?」
「そんな意味不明なことに労力は割かない。情報収集の為に身に付けた。それ以外にもこんなときに役立っているしな」
白亜にとって見栄など前世で捨てている。素材が良いのでそんな目では見られていないが、これで顔が不細工だったら気持ち悪い根暗人間だろう。
「話を戻す。あんたどこの国のやつだ?」
「この国って発想はないのか?」
「無いわけではないが、この国でその形状の刃物を扱う者はそう居ない。それ以外にも服装だって変わっている。雰囲気で大体どこから来たのかはわかるけどな」
「へぇ? じゃあ当ててみろよ」
「妥当に考えてウィーバルだろうな。キルカを殺せと命じられたんだろう?」
キルカを狙っているのだ。その線が最も有力だろう。白亜が判断したのはそれだけではないのだが。
「ふぅん。馬鹿ではないんだな」
「何故そんな結論に?」
「いや、ウィーバルって限定しないところがさ」
「………もしあんたがウィーバルって名乗ったとしても完全にそうとは信じないけどな」
「俺が白状してもか?」
「俺にバラしてもメリットがない。それにウィーバルに罪を着せようとしている可能性もあるしな」
キセルをポケットから取り出して口にくわえる白亜。
「――――んだよ」
「……すまない。口の動きが読み取れないんだが」
「ムカつくんだよ! 全て判ってますみたいなその余裕な感じが! どいつもこいつも大人面しやがって!」
「……………」
白亜はなにも言わなかった。いや、言えなかったのだ。
『早口すぎて何言ってんのか判らない………』
こんな緊急事態にも実に冷静かつ天然記念物だった。
「皆死ねば良いんだ! 親父も、良い顔するやつらも、クラスのやつらも! 皆、皆死ね!」
「………」
キルカの首に小刀を突き付けたまま叫ぶ。
「っ!」
すると突然なんの前触れもなく白亜の方目掛けて何かが飛んできた。耳が反応しなかったために一瞬回避行動が遅れたが、なんとか頬を掠める程度に被害を抑える。
「治らない……?」
おかしいと白亜が気づいたのはその直後。回復魔法をいくら掛けても傷が塞がるどころか止血もできない。
ポーションをかけてみたがただ水をかけただけのように全く効果がない。
「あははは! どうだ、それが俺の力! この力さえあれば皆殺しに出来るんだ!」
「…………傷が治らない、五感を鈍らせる。まさに殺しに特化した力だな」
白亜が頬の傷を押さえながら立ち上がると、耳についている真珠石が白く光り、その瞬間にキルカの体が小刀の範囲外に引き摺り出された。
よく見るとキルカの足には蔦が巻き付いている。白亜が緊急離脱させたのだ。
「殺しがしたいのなら是非とも戦場に行って欲しいね。この国は休戦中だ」
「そんなのどうでもいいんだよ!」
白亜は無音の世界の中、鞄から短剣を二本取り出して両手に構える。なんとなく、村雨やアンノウンは使わない方がいいと思ったからだ。
「そんなに暴れたいのなら、自国でやってくれ」
キィンと刃を合わせて男と打ち合った。