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婿入りと嫁入り

 カリュートナム・パラント・ミスカテュエール、十六才の謁見の儀を前にしての武術大会のあらましはこのようなものであった。

 ところで、この武術大会をもって、クラウトナムス・テーダムドアン・サファリアヌスとカリュートナム・パラント・ミスカテュエールの婚約が成立したとする見かたが一般的なのだが、一部には異論も根強い。そのひとつの根拠として、この二人が公式に成婚したと認められるのは、十二年後のマツリヤムータの建国を待たねばならないというのが歴史家の言い分だからである。ただ、それは後代の歴史書編纂の都合で唱えられた恣意的なものであるのも確かなことだ。そもそも、二人の成婚がマツリムヤータ建国まで引きのばされたのなら、かの偉大なるラーマ大陸の統一者キュエルトヒェムス・ファラフライムを私生児扱いせねばならないことになる。それはファラフライム朝の創始者であり共同統治者のクラウトナムス王ならびにカリュートナム女王の本意でないことは明らかであって、少なくとも長子キュエルトヒェムスの生誕時には二人は夫婦である、と当人たちが考えていた証拠はいくつも存在している。この類まれなる恋人たちの、婚約、成婚時に諸説があるのは、この謁見の儀以降、二人の居座が定かでない時期が長かったからである。我々はそのことを熟知しているが、当の本人たちにとっては、思いもよらぬことだったに違いない。


 騒然と歓喜の中に終わった武術大会だったが、落ち着きを取り戻すと、少々やっかいな問題があることに皆は気づいた。

 ファラセラムの民はもちろん、パラシュラーマの全国民は、今回の出来事に皆、満足していた。クラウトナムス・テーダムドアン・サファリアヌスは、『裂け目の塞ぎ』の英雄の一人、クラウトナムス・テーダムドアン・サファリアヌスの長子である。それだけではなく隣国クールマ国の王子であるのだから家柄的にはまったく問題がない。サファリアヌス家では長子が父の名、もしくは母の名をそのままつけることが多いので、少々わかりにくい。当人たちは親父殿、伜ですむので便利らしいが、他人はそうもいかないので、慣例で父のほうを大クラウト、息子を小クラウトなどと呼んでいる。

 武術大会でのナムスの手連はまた人々の話題であった。前座の剃刀の妙技も抜きん出ていたが、やはり圧巻は、謎の女騎士とグラパッス王との試合である。もはや『伝説』と化したグランパエル槍術を実際にこの目で見た、という者たちの伝聞の勢いはすさまじかった。そうしたわけでパラシュラーマでのクラウトナムス王子の評判は天にも届くほどに駆け上がったわけである。

 クールマでのカリュートナム王女の評判はどうか、と言えば、これも悪くない。謁見の儀の期間、王族がラスロートで過ごすくらいであるから、当然、ファラセラムの祭にはクールマの民も多く訪れている。ことに武術大会でのカレッタ王女の美しさには、話に尾ひれがついて大変なことになっていた。事実、クールマからファラセラムに来た者は、皆、祭の輪の中で酒に溺れながら隣国の民と喜びを分かちあったのである。

 しかし、クールマ側に若干の負い目があったのも、また確かである。カレッタ姫はパラシュラーマの一粒種である。グラパッスの婿入りからカレッタの誕生までに、数年の間があったため、パラシュラーマの民はひどく不安にかられた。当時、王家の存続というのはまさに国の存続そのものと考えられていたため、断絶、という事態は民にとっても恐怖の的であったのである。数十年来の『暗きもの』の恐怖からやっと開放された後、その英雄の血筋である後継者を授かることは、自分たちの未来を磐石とするにかかせないと誰もが信じていた。そうして生まれたカレッタはパラシュラーマ繁栄の象徴でもあったのである。

 クールマ側も状況は似たり寄ったりだったのだが、幸い早くから子宝に恵まれ、三人の王子を得た。クラウトナムス、タイゲンナムス、カミュントナムスの三王子は、ともに武芸に優れ、容姿、知性、人柄にも恵まれ、近隣諸国の羨望を集めていた。ことに長子のクラウトナムス、小クラウトは、国民の信望厚く、父譲りの金色に光る『鷹の目』をもって、次期国王の最右翼であった。

 クールマとしては、今回はそれが裏目に出た。

 カレッタ姫を妃に、とは、非常に言い出しにくいのである。

 武術大会が事実上カレッタ姫の『婿探し』であったこと、最近、大クラウトと小クラウトが『小競り合い』した結果、小クラウトが出奔していることなど、他にも不利な状況はあったのだが、そっちにはまだ二人いるじゃないか、と言われるのが一番対応が難しい。

 無論、パラシュラーマ側も、その点については熟知しており、なおのこと言及は避けた。ナムスとカレッタの結婚は誰もが望むものであったが、クールマの王子とパラシュラーマの王女の結婚は、はなはだ微妙だった。

 では、サファリアヌス家とミスカテュエール家の場合はどうなのか?

 今回のことでへそを曲げているのは一人だけである。そしてその一人がへそを曲げると面倒は全てある人に向かうようになっている。


「国王陛下は?」

 ドライスターム侯爵は配下の衛兵にたずねた。

「はっ、ただいま、手の空いている者全員に探させておりますが、なにぶん、その…」

「もうよい」

「は?」

「もうよい、探索は中止させよ」クーンは言った「どうせ山で猪でも追い回されているのであろう。飽きたら帰ってくる」

「しかし、閣下」

「世間はクラウトナムス王子とカリュートナム王女の噂で持ちきりだ。謁見の儀の王の座にはクラウトナムス王子を座らせておけばいいだろう。そのほうがたぶん評判も良い」

「閣下」

 執権ドライスターム侯爵の冗談とも本気ともわからぬ発言に、衛兵長は返答に窮した。

「その発言には、修正すべき錯誤がある」

 ドライスターム侯爵は驚きの声を上げた。

「サファリアヌス公、いつ見えられたのですか?」

「他人行儀はよせ、クーン」クラウトナムス・サファリアヌス、ナムスの父、大クラウトは言った「息子を呼んでくれないか。話がある」

「わかったよ。クラウト」クーンは言った「すぐに呼ばせよう。それにしても錯誤、ってのはどういうことだ?」

「息子はクラウトナムス王子ではない。クラウトナムス王だ。私は隠居して家督を譲った」

「勘当したんじゃなかったのか?」

「隠居した者が勘当などできるはずもない」クラウトは言った「息子と私の不和とはこのことだ。あやつ、家督を譲った途端、出奔しおった。いまは次男のタイゲンが代行している。そのタイゲンに泣きつかれて、あやつを探しておったのだが、こちらに現れたと聞いてやってきたのだ」

「それはまた…」

「そんな顔をするな、クーン」クラウトは笑った「別に息子をどうにかしようと言うわけではない。ありがとう、と言いにきただけだ」

「ますます意味がわからんぞ」

 大クラウト自身は極めて論理的な人間であった。時々、言動に不明瞭さが付きまとうのは、彼自身が既知のことがらと想定していることを省略することが多すぎるからである。

「最初から、そういうことだと言えばいいのだ」クラウトの不満は、彼に対して皆が隠し事をする、という一点につきる「カレッタが義理の娘になるのなら、これ以上の喜びはない。ただ、パットは、あの男は、私の息子が婿入りすることが面白くないのだろう。ヤツが私の息子を毛嫌いしているということはないと思うが、おまけで私が付いてくる。パットにしたら我慢できないだろう」

「わかるような気はするが」クーンは事態の全貌を把握して暗鬱な気分になった「もう少し、その、なんだ、キミら自身が仲良くする、とか、そういう解決策、というか、あるいは、もっと端的に言えば努力、というか、そういうことは考えられなかったのか?」

 パラシュラーマの執権と、全世界の牡牛の世話を、どちらか三日引き受けねばならぬとしたらどうするか? とは使い古された言い回しである。パクーナス・エンファダック・ドライスタームは、その職を二十年に渡って勤めた。彼に対する評価が低めなのは、その業績以前に、彼の行動原理が常人には理解不能なことによる。

「努力は、したつもりなのだが」クラウトは彼の基準で控えめに答えた「パットのことはどちらかと言うと好きなほうだ。ことあるごとにそういう意思表示はしているつもりなのだが、なぜかパットには、私が彼をからかっているように思えるらしいのだ」

 根本の原因はそうであることぐらい、クーンにもわかっている。そしてそれが修復しようもないことも。

「たぶん、パットは山で猪狩りをしている。一緒にやってみたらどうだ? その辺から糸口がみつかるかもしれんぞ」

「おそらくそうではないかと推測していた」クラウトは答えた「ただ、猪の肉はこの時期臭くて食用に耐えん、干し肉にするにしても時間がかかるし。それより、市場で偶然、新鮮な鹿の肉を手に入れることができた。あれなら焼いてすぐに食べられるし、それを持ってパットを探しに行こうと思っている」

 それは、やめたほうがいいんじゃないか、と一応クーンは言ってはみたが、何故だ、とクラウトに切り替えされてうまく説明できなかった。

 ファムとテレーヌは、どうして、もう少し上手に自分たちの夫を扱えないのだろう、とクーンは恨めしく思った。八つ当たりのような気もしたが、自分の苦労の報われなさを誰かに理解してもらいたい、というのがクーンのせつない願いだった。


 カレッタとナムスはトラス夫妻の部屋にいる。

 武術大会の後は、皆、異様に興奮気味なので、なかなか休まる場所がなかったのである。トラス叔父とアムネム叔母は、二人を自然なままで迎え入れてくれる数少ない知合いだった。

「死ぬかと思った」

 コルセットをはずしたカレッタの弁である。タングツカ紅をそのまま着ているので、ナムスには闘技場で見たカレッタとどこが違うのか区別はつかなかったのだが「それは言ってはダメ」と叔母たちに口々に言われていたため、中途半端な笑いでその場をごまかした。

「はじめてだったの? コルセットをつけたのは?」

 うん、と元気良く答えるカレッタに笑みを投げかけながら、アムネムはナムスをさりげなくつついた。

「そんな無理しなくても良かったのに」アムネムが、カレッタへの視線を外さず、目尻だけでナムスを睨んだので、ナムスは言葉を代えた「あ、いや、でも嬉しかったよ。その、ドレスが引き立って見えた。それで頑張れた」

 カレッタの首がドレスと同じほどの赤に染まった。ナムスは横目でアムネムを探った、彼女が微笑んでいるところをみると及第点らしい。

「にしても」トラスが言う「パットにも困ったものだ」

「はあ」

 カレッタはまた顔を真っ赤にしたが、それは別の理由だ。

「謁見の儀はどうするつもりかな」

「それは大丈夫でしょう」トラスの問いにカレッタが答えた「父上が謁見の儀をずる休みするのはこれが初めてではありません」

「ずる休み、なのかな?」

「ずる休みです」

「まあ、パットにしても、娘が嫁ぐなんてことは、初めてだから、狼狽えているんだろう」

「トラス叔父上もそうでしたか? ミーム姉様や、アガッサ姉様のときとか?」

「どうだったろうなあ、覚えてないな」

「まあ、あまり普通ではありませんでしたね」アムネムが口添した「ペローやフラムス、チャペスのときとは違いましたよ」

「男親は、娘たちのことは苦手でな」

「うちの親父殿は息子のこともあまり得意そうではない」

「それは息子による」

「かもしれない」

「ところでナムス」トラスは、ナムスとカレッタ、双方の顔を見ながらたずねた「これからどうするつもりだ?」

 ナムスはカレッタと顔を見合わせた。トラスは結婚のことをたずねているのではなさそうだ。

「ダムールの書のことは知っているな?」

「知っている」

「ダムールの書だけではない、あれが一番まともだが、その他、諸々の書、忘れられた予言、神託の切れ端や、わらべ歌にいたるまでだ」

「あなた」

 アムネムはトラスを制したが、これは必要なことだから、そう言ってトラスは続けた。

「君もカレッタも、そういうものの中に名前を記されている。だから、どうというほどのこともないがな。かつては私もそうだった。あれは当たっているようなものもあれば、まったくのはずれ、というものもある。ほとんどは意味のわからない戯言であるしな」

「かつては、なのか?」

「私はアンクレインを手放した」

「それは」

「だから私は、今や、ただのトンピュード・トラッサムだ」トラスは笑った「ナムス、誤解しないで欲しいが、キミにテーダムドアンを捨てろ、と言っているわけではない。ただ、そういうやり方もあるということを知っていてほしいだけだ。それにもし、アンクレインが私を必要とするなら、あれは私の手元に戻ってくるだろう。そうでないことを私は知っているがね」

「トラス叔父、何故、そんな話を俺に?」

「君の父上と君が異なる意見で動いているのは知っている」トラスは慎重に言葉を選んだ「しかし、その基になっているものが、ダムールの書であれ、パオの予言であれ、その他のものであれ、完全なものはないのだ」

「そのことは、わかっている、つもりだ」

「君の父と、クラウトと、もう一度話し合え」トラスは言った「新しいことは見つからないかもしれんが、誤解があれば、それは解けるかもしれん」

 ナムスは眉間に皺をよせて、しばし考え込んでいたが、やがて立ち上がるとトラスに向かって右手を差し出した。

 トラスはそれを固く握り返した。

「ありがとう、トラス叔父、親父殿と話してみよう」そしてカレッタの方を見て笑った「花嫁の姿を見れば、親父殿も考えを変えるかもしれん」

「それは十分あり得るな」

 二人が立ち上がって部屋を辞し、扉の向こうに消えたのを見届けたトラスは深いため息をついた。

「私は間違っていたよ、ネム」トラスはアムネムに言った「あの二人に予言の影がまとわりついていることを、そして私の子供たちがそうでないことを、パットとファム、クラウトとテレーヌが不幸で、私が幸運だと、そう思っていた」

「そうではありませんの?」

「そうではない、あの二人も私の子供たちだ。予言など糞喰らえだ、私にはあの二人の幸せを見届ける義務がある」

「また間違っているわ、あなた」

「ネム?」

 アムネムは微笑んだ。普段は物静かだが本当は直情的な夫、肝心のところでいつも早とちりするトラスのことを、彼女は放ってはおけなかった。

「ナムスとカレッタの幸せは、あなた一人の義務ではありません、私たちの義務よ。そしてその義務は幸福の別の言い方でもあるわ」

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