第54話 あの時の結末
どうして、彼女がここにいるのか。
今日は中学の同窓会だったはずだ。
だけど少なくとも、同じクラスにこんな女の子はいなかった。
俺が怪訝な目で見ていたからだろう。えー、ちょっとショック、と彼女はなんてこと無い調子で言った。
「分からない?」
そう言ってあの時さやかと名乗った彼女は、その下ろした髪を手でまとめ、後ろに回した。
「あの頃は三つ編みだったかな。後は、眼鏡か」
まだ分からないかな? と問われてようやく、脳内に文学少女然とした彼女の姿がフラッシュバックする。
忘れもしない、俺の学校生活が一変した事件。
以前に俺がペラペラの正義感でもって止めようとした嫌がらせ、その被害者。
目の前の少女、本条さやかは俺がかつて守ろうとした相手だった。
「あ。その顔、思い出してくれた?」
「……おう」
「昨日会った時、いつ思い出してくれるかと思ってどきどきしてたんだけど」
「……あー、それは、えっと」
本条の残念がるような声音に、俺は若干の気まずさを感じて言葉を探すが。
しかし俺が何かを言う前に彼女は冗談だよ、と軽やかに言った。
「改めて、久しぶり。……次に君に会えたら言いたいと思ってたことは色々あったけど、まずは、一つだけ」
そう言ってすうと息を吸い、目の前の女の子は口を開く。
「――ありがとう! あの時、私を守ってくれて!」
息が詰まる。
それは多分、かつての俺が一番欲しかった言葉。
その一言だけで、俺は救われた気がした。
「貴方にずっと憧れていました。何を言われても負けなかった貴方に勇気をもらいました。……あの日、貴方が助けてくれたから、私は今こうして笑っています」
本条は言葉を言い終わると、自分の胸に手を遣って、にこと微笑んだ。
……俺は無意識に手のひらをきつく握り込んでいたことに気づき、そっと力を抜く。
そしてゆっくりと、あの時から考え続けて、それでも答えの出なかった考えを口にした。
「……もっとうまいやり方があったんじゃないかと思うんだ。あの時は、余りに考えが足りていなかったから。俺は、ただ正義を振りかざしただけだ。底の浅い感情だった。あの時、『お前を助けるような自分』に酔っていなかったかと聞かれれば、否と答えることは出来ない」
結局あの時の嫌がらせは、対象が彼女から俺に移っただけで、問題は何も解決していなかった。俺が耐えればいいだけの話でもなかった。当時のクラスの雰囲気が良かったとはお世辞にも言えない。
これは本条に言うべき言葉じゃなかったかもしれない。だけど、彼女は俺を過大評価していて、それを正さないのは誠実ではないと思ったのだ。
本条はそんな俺の言葉を聞いて少し悲しそうな表情をした後、それでも穏やかな笑みを浮かべた。
「あの行動の原因が例え、君の言うように浅ましい感情であったとしても。それで救われた私が確かにいたんだから、どうか胸を張って。それが間違いだったなんてお願いだから言わないで」
そう口にした元いじめられっ子の瞳は優し気ではあったが、それでも強い意志の光を灯していた。
……俺は、認めても良いのだろうか。
自分に酔っただけの、正しいとはとても言えない心理から出た行動だったけれど、それでも救えたものがあったのだと。
正解ではなかったとしても、間違ってはいなかったのだと。
悩む俺に、見てて、と言った彼女は、くるりと背後の元クラスメイト達に向き直る。
「さっき、皆何やってたの?……もしかして、二宮君に絡んでたんじゃないよね?」
「……」
気まずそうに眼を逸らしたお調子者に対して、本条はあくまでコミカルな口調で語りかけた。
「いつのネタ引きずってんの? 今さら言うとかダサすぎだから!」
ね、と周りにいたの女子の一人に視線を飛ばすと、その子は戸惑った様子だったが、こくりと頷いた。
「あ、えっと。……ちょっと、古い?」
思わずといった彼女の言葉を皮切りに、周りからあいつなんかダサくね、とお調子者をからかうような呟きが漏れ始まる。
次第にそれはだっせーだっせーというコールに変わり、囃し立てられたお調子者がくっそーー! と大袈裟に悔しがった。
そんな彼のピエロのような様子に笑いがあちこちから零れる。
俺はその様子に目を見張った。本条の一言を発端として、その場の流れが確かに変わったのだ。
彼女は少し得意げに胸を張っていた。
「ね? 私、あれから頑張ったんだから」
中学時代の本条さやかは、いつも教室の隅でじっと本を読んでいるような奴で、間違ってもこんな風に場を仕切るようなタイプではなかった。
「なんつーか、すごいな。お前は……」
彼女は俺の言葉にふふっと笑う。
「ありがとう。……他でもない、二宮君にそう言ってもらえて、私がどれだけ嬉しいか」
呟くように言って、一瞬その表情をくしゃりと崩しかけた目の前の少女は、込み上げる何かを噛み締めるように俯いた。
少しして顔を上げた彼女は、もう先ほどまでと同じように、落ち着いた笑みを浮かべていた。そして俺の背後に向けてひらひらと手を振る。
「あ、前川さん。昨日もあったね」
「……そうね」
にこにことした本条に、少し思うところがあるような飛鳥。
本条はそんな彼女に向けて何か言いかけたが、その時店に入るタイミングを失って居心地悪そうにしている元クラスメイト達が、未だ周りにいることに気がついたようだ。
ごめん先お店入ってて、という本条に、彼らはほっとした顔を浮かべてぞろぞろと店に入っていく。そして外に俺達だけが残ると、彼女は俺達の方を向いてぺこりと頭を下げた。
「そちらの皆さんも、今回は本当にごめんね! うちの人達が迷惑かけて」
本条自身はこちらに友好的だったし、彼女が謝ることではないだろう。
しかし、考えてみればあの中には彼女の友達もいたのかもしれない。そもそもここらに高校は数えるほどしかない、よほどのことがなければ、中学の知り合いと関わらずにはいられない。
よほどのこと。
例えば――県外の高校を受験したりだとか。
「いや、俺たちは特に大丈夫だけど……」
橘が代表するようにそう言うと、皆の視線が俺に集まるのを感じた。
「俺も別に、気にしてない」
それは三割は強がりで、七割は本心だった。
彼らのうちの多数には、恐らく悪気がなかった。
ただ、「その場の空気」に乗っていただけであり、言わば「空気を読んだだけ」だったのだろう。それは、本条の一言で状況が変わったことからも明らかだ。
だから今回はたまたま、その空気が「二宮誠をからかう空気」だったに過ぎない。俺としては堪ったものではないが。
そして、俺はそんな彼らを責める気にはなれなかった。
「空気だけで行動するのはおかしい、ちゃんと自分を持って行動しよう」なんて、言葉にするのは簡単だ。
だけど、それを実行するのは容易なことではない。
いくら言葉を費やして決意を固めたつもりになったって、そう簡単に人は変われない。そのことを、俺は実体験として知っていた。
だから少なくとも俺は、彼らを糾弾出来る立場にはないと思うのだ。
そして、そんな俺の言葉を聞いて本条は何故か口元を綻ばせる。
「優しいんだね、やっぱり。……ああ、それに強くなった」




