第42話 勧誘
「やあ、少し話さないかい?」
バーベキューの片づけも終わり、皆が広場でなんとなく駄弁っていた時。
広場の端にある大きな石に一人で座っていた俺に、橘が声を掛けてきた。
……。
軽く辺りを見るも、近くに他の奴は居ない。
ここなら、話している内容を聞かれることもないだろう。
隣に腰掛けた橘が口を開く。
「昨日の試合、楽しかったよ」
「……俺は二度とやりたくないが」
「釣れないな、でも楽しかっただろ?」
そう聞かれ、言葉に詰まる。
……バドミントン狂と話しているとどうも調子が狂うな。
「あー……まぁ、そこそこな」
「ははっ、そっか。……なぁ、二宮」
彼は真剣な目でこちらを見た。
「部活に入ってみないか?」
…………どうやら。
彼が話しかけてきたのはこれが本題みたいだ。
「最近、頑張ってるみたいだし、どうかなと思ってさ」
俺が黙っていると、橘はこちらが悩んでいると思ったのか、そんなことを伝えてくる。
「2年のこの時期からってことは心配しなくていい。まぁ体力は分からないけど、実力的には問題ないだろうし。部員は少ないけど、皆いい奴らだよ、それは保証する。多分二宮も上手くやれると思う」
そこまで言って反応を伺うようにこちらを見る彼に、一つ息を吐いて逆に尋ねる。
「……分からないんだが、なんでお前は俺にそこまでする?」
すると橘は、少しだけ焦ったように顔を強張らせた。
「別に、他意はないよ。……いや、これは嘘だね」
橘は最初誤魔化そうとして、止めた。
苦笑いを浮かべた彼が、一度言葉を切って夜空を見上げたのに釣られて、俺も上を向く。
……綺麗な星空だ。一時期何かの漫画かアニメの影響で覚えていた星座の知識に照らし合わせて、何か意味のある形を見つけようとしてみるが。
その試みが実を結ぶ前に橘は実を言うと、と前置きしてから口を開いた。
「俺は中学の頃から、二宮のことを知ってるんだ」
――その言葉を聞いた途端、心臓が止まりそうになった。
隣に座る男の顔を見る。
喉がカラカラになって、うまく言葉が出てこない。
そんな俺を知ってか知らずか、彼は続けた。
「中学三年の最後の大会。俺は君と当たったんだが、覚えてないか?」
「………………ああ。そういうことか」
どっと力が抜ける。
いつの間にか強張っていた肩を下ろした。
……中学時代の知り合いの中でも、最もマシなケースだ。
ふう、と心の中で一息吐いてから、彼に向き直る。
「……あー、全然覚えてないわ、悪い」
「ははっ、いやいいよ。そんな気はしてた」
橘はそう言って笑ったが、俺は少し申し訳なく思いながら言葉を付け加える。
「いや別にお前だからって訳じゃなくて、本当に覚えてないんだ。あの頃は……まぁ、なんだ。色々あってな」
中学の頃のことを思い出すと、苦い記憶と共に少しだけ懐かしい気分になる。
いつも下校時刻ギリギリまで練習していた体育館。
部活だけでは物足りなくて、顧問に自主練を申し出たこと。
飛鳥と一日中打ち合いをしていた休日。
我ながら随分と、バドミントンに打ち込んでいたものだ。
今思えば、学校で溜め込んだストレスの発散にもなっていたのだと思う。
だが、中学最後の大会についての記憶は余り無かった。
ぼんやりとは思い出せるが、まるで熱に浮かされていたように、細部は曖昧にしか思い出せない。
そのことを伝えても、橘は落胆した様子を見せなかった。
「そうか。……まぁ、少し残念な気持ちがないとは言えないけど。でも、しょうがないのかもしれない。かつての君には、何か……少し、異常なものを感じたから」
こういう言葉は嫌いだからあんまり使わないんだけど、と断ってから。
橘は、俺の目を見て言った。
「あの時ばかりは思ったよ。天才っていうのはこういう奴のことを言うのかって」
「……」
「技術がどうとか、身体能力がどうとかって話じゃない。もっと根本的な心の在り方の問題。あの時の君相手には、どうしたって勝つ未来が見えなかった」
割と全国でも勝てる自信があったんだけどね、と橘はどこか遠くを見つめるような目をして過去を振り返る。
「しかも俺を破った君は、次の試合で嘘みたいにボロ負けしていた。分からなかったな、あの時は」
……当時の俺は躁鬱が激しかった。
ぐちゃぐちゃになった心は時折何もかもを台無しにしようとした。
あまり思い出せないが、きっとそのせいだろう。
「だからずっと覚えていたんだ、二宮誠っていう名前は。それでこの高校に入って、君の名前を見つけた時は驚いたよ」
「でも、最初は別人だと思ってた。随分雰囲気が変わっていたし、それに彼の出身は隣の県だったからね。だけど2年になって同じく隣の県出身だっていう前川さんが君を気にしているのを見て、思い出したんだ。……あの二宮には、物凄い美人の幼馴染がいたっていう噂を」
……そういえば当時、俺のことを心配した飛鳥は常に俺の傍を離れなかった。
会場でも彼女以外と話した記憶はないし、加えて無愛想だっただろう俺は、悪い意味で注目を浴びていてもおかしくない。加えて、飛鳥のあの容姿だ。そんな噂もありえるかもしれない。
「それで、君があの時俺と対戦した二宮誠だと思ってからは、何かと気になってね。万が一、退学になったらと考えて、いくらか余計な世話を焼いてしまった。もしそれを迷惑に感じていたなら、済まなかった」
そう言って頭を下げる橘に、俺は慌てながら返事をした。
「いや、それはない。普通に助かってた」
欠席したときの連絡事項や、授業の大事な部分のノートなんかを橘はことあるごとにくれていた。あれのお陰で助かったことも多い。
そう伝えると橘はそうか、と表情を緩めた。
「それならよかった。今は欠席もなくなって、君のことながらほっとしているよ」
「……あ、そう」
お前は俺の母親か何かか。
僅かに照れくさくなって彼から視線を外す。
すると少し離れたところに、見慣れた二人の姿が見えた。
一人が笑顔に大きな身振りで何やら話していて、もう一人が頷きながら、時折優しげに微笑んでいる。
同じようにそちらを見ていたらしい橘が、ぽつりと口を開いた。
「水瀬さんの彼氏役、やめるんだって?」
「……ああ。もう聞いたのか」
俺の問いに橘は軽く頷く。
「さっき俺達にも話してくれたよ。……彼女からそんなことを言い出すとは思わなかった。これも、君のお陰なんだろうね」
その言葉に驚いて隣を見るが、彼は気にせず、彼女達の方を向いたまま続けた。
「前川さんも、バーベキューが始まるときの挨拶、少し前なら断ってたと思う。……いや、そもそも柊が名前を挙げることすらなかったか。小田達も、きっと君がいなければ球技大会に出場することはなかった。……君はそうやって、色々な人を変えていく。灯里も君に興味を持ったみたいだった」
頭に、橘に引っ付いていた後輩の姿が浮かんだ。彼女とは挨拶をした程度の面識しかないが。
「それは、当たり前だろ。人が一人増えれば、その影響で多少変化する奴が出るのは当然だ。それに、あいつらが自分で決めて、自分で変わったんだ。俺は何もしていない。どころか、助けてもらってばかりだ」
「……多少、多少か」
橘は何がおかしいのか笑いをこらえていたが、そのうち真顔に戻って言った。
「君がそう捉えていたとしても、他の人はそうは思わないさ。だから、君は自分が無価値な人間だなんて思うべきじゃない。そして君と関わって救われた人間もいるってことを、覚えておくべきだ」
…………。
返事の代わりに、首に手をやって夜空を仰いだ。
そうしていても隣の奴が整った顔に笑みを浮かべているのが分かって、そいつの脇腹を小突いた。
それで、と橘は話を戻す。
「昨日の話に戻るけど。君があの二宮だって確証が欲しくて、それで球技大会はいい機会だと思ってね。あの時、君がバドを選んでくれて良かったよ。危うく俺が出る意味がなくなるところだった」
つまり、こいつは俺と試合をする為にバドを選んだのか。
確かにこいつがバドにいるのは不自然だったが、まさかそんな理由でとは誰も思うまい。
「そして、あの試合で俺は確信したよ。君はやっぱり、あの時の二宮誠だ」
「……そんな大した試合じゃなかっただろ。ハンデもあった」
俺がそう言うと、橘は黙って首肯した。
「確かに、君には二年分のブランクがあったからね。それに、プレースタイルも随分変わっていた。……それでも、君のプレーには他の人にはない何かがあると感じる」
「……買い被りだ」
やや不躾に言ってやったにも関わらず、橘は爽やかに笑った。
「ああ、そうかもしれない。俺がただかつて憧れた選手に夢を見ているだけなのかもしれない。……だけど」
そこまで言って。
彼はその顔から笑みを消し、真剣な表情で右手を差し出した。
「君がもう一度バドミントンをする気があるのなら……この手を握ってくれ」
…………。
いや、そういうのは相手を間違えてないか。
「…………はぁ」
ため息を吐くと、橘が不安げな目をした。
……なんでこいつほどの奴が、俺のため息一つでそんな顔をするのか。
それが少しおかしくなって思わず笑いながら、未だ差し出されたままだったその手を乱暴に取った。
「あんまりキツい練習はごめんだぞ」
するとパッとらしくもなく子供っぽい笑みを浮かべ、橘が強く握り返してくる。
「善処するよ。無理のない範囲で頑張ろう」
あ、待ってこれ絶対ヤバいやつだわ。
握手を終えた途端、自分の選択を後悔しそうになるが。
そんな俺に構わず、よしと橘は立ち上がって声を上げた。
「そろそろ、解散にしようか!」
えー! というクラスの連中。
それでも橘が彼らに爽やかな苦笑いで答えつつ、柊達と合流して広場の出口の方へ歩いて行くと自然、皆もだらだらと荷物を持って彼の後を歩き始める。
ふと視線を彷徨わせれば、そんな中でこちらを見ている二人が目に入る。
「おーーい! もう行っちゃうよ!」
「あと五秒で来なかったら置いて行きましょう」
こちらに向けて大きく手を振る未来と、その隣で胸のあたりで小さく手を振っている飛鳥。
……すっかり暗くなった空には、満点の星空。
いつまでも変わらないその輝きと比べれば、俺達の高校生活なんて一瞬の瞬きだけれど。
俺は彼女達に返事をしつつ、腰を上げた。
<俺と優し過ぎる彼女と球技大会 了>
・現在のステータス(10段階)
勉強:6 運動:8 コミュ力:5 体力:6 見た目:7




