第33話 球技大会開幕
二話分くらいあります。
球技大会。
うちの学校では勉強に力を入れる生徒が大半で、運動部でも練習はそこそこにして、それなりに楽しければ良しとする奴が多い。だから球技大会も真剣にやる奴は少なく、ワイワイやろうぜという空気が強い。
とは言え、それでもやっぱり勝負事だ。
ここは進学校。少なくとも勉強においては真剣勝負が染みついた連中だ。
だから球技大会も例年それなりに盛り上がるし、それに日々のこつこつとした勉強が必須な試験と比べて、球技大会は一発勝負。何かの拍子に上手く行けば、一躍ヒーローになれる可能性もある。故に密かに気合を入れる男子は多い。
そしてここにも、そんな男が1人。
球技大会当日の朝。
俺は玄関で靴を履いていた。エプロンを着けた飛鳥が洗い物を中断して見送りに来る。
「今日は部活無いから、帰りは三人で帰りましょうか」
「了解、それじゃ終わったらそのままいつもの定食屋行くか」
「あ、でもそういえば今日打ち上げするって未来が言ってたわ」
「勝ったらな。終わる頃にはそんな空気じゃない可能性もある」
「私と未来が出るからバレーは任せて頂戴。後は男子次第よ」
「……期待はしないでくれ」
俺が肩を竦めてそう言うと、飛鳥は俺がいつもの通学鞄とは別に肩に掛けたラケット袋に視線を遣った。
「期待は、するわ」
「あ、そう」
「でも、無理だけはしないで」
そう言って、飛鳥はいってらっしゃいと手を振った。
そして俺は、いつもより少しだけ早く家を出た。
俺が駅前まで歩いて行くと、改札を出た広場で待っていた水瀬が手を振って駆けてくる。
「おっはよー!」
「おはよ」
「今日もよろしくね」
「ん」
挨拶を交わして、どちらからともなく手を繋ぐ。手のひらに柔らかい感触。
この関係はまだしばらく続くのかもしれないが、この感触と、手以外も触れそうなほどに近くにいる水瀬には、未だ慣れる気はしなかった。
それにしても、エネルギーの塊みたいな奴なのに、手のひらはこんなにちっちゃくて柔らかいのは本当に不思議だ。
そして相変わらず周囲の視線感じた。
ひそひそとこちらを見て話をしているうちの学校の生徒の姿も周りに見える。
俺は内心ため息を吐いて、考えていたことを改めて実行する決意を固めた。
一方の水瀬は、それほど気にした様子も見せずに笑っている。
「とうとう今日は球技大会だね! 頑張ろう!」
「……おう」
そして教室。
「おはよう」
「おはよう!! 前川も気合入ってっか!?」
「ええ、まぁ」
「何だ何だその返事は! 気合を入れんか気合を!!」
ジャージ姿の柊がおぉん!? と登校して来た飛鳥にうざ絡みしている。飛鳥はそこまでで愛想を尽かしたのか、なおも話しかける柊をガン無視して姫野や古賀に挨拶しに行った。
「貴様前川! お前がジャージに着替えるまで、俺は絡むのをやめねぇ!」
鼻息荒く、飛鳥をしつこく追いかけて絶対零度のような視線を女子三人から浴びている柊。
一方俺と水瀬は窓際で駄弁りながらそれを眺めていた。
それにしても柊の奴。
朝から誰かが教室に入ってくる度に絡みに行っている。
お陰で既にクラスにいる奴は全員ジャージに着替えてるし。
つい昨日までは「球技大会? あー、そういや明日だっけ? はー、マジで怠いな! あーあ、明日小規模な隕石学校に墜落してくれよぉ」なんて言っていたのに。
一体どうしたんだ?
「おい水瀬ぇ! こいつに気合入れてやってくれぇ!」
いきなり話がこっちに飛んできた。
突然のことに困惑する俺を置いて、水瀬はうんっ! と返事をして鞄をごそごそと探り、何かを取り出した。俺はそれを横から確認して、思わずおうっと呟く。
鉢巻きであった。
水瀬はそれを綺麗なおでこにするりと巻いてふんす、と飛鳥達の方を向く。
「おいおいおいおい! 最近の若者は気合が足りないんじゃないかね!?」
「「「えぇ……」」」
飛鳥達も水瀬の加勢に戸惑っているようだ。
「気合入れてくよ! じゃあ飛鳥ちゃん達、ついでに二宮君も一緒に! せーのっ」
「「うぉぉおおおおお! やるぞやるぞやるぞやるぞぉー!」」
「うぜぇ……」
気を高めるようなポーズで叫びを上げる2人に、俺はつい本音を溢した。
暑苦しい2人のお陰でまだ夏前なのに、ここだけ気温が上がった気がする。
俺は絡んでくる2人の魔の手から逃れ、今居る場所の反対側、廊下側の壁際に避難する。
そこは陰なる者たちの定位置。
ジャージ姿の彼らは、いつも通り仲間内でデュフデュフ笑い合っていた。
「なぁ、あいつどうしたんだ?」
俺が狂乱の柊を指差すと、一番近くにいた小田があぁ、と頷いた。
「昨日までとは大違いでござろう? 柊氏は直前までは興味ない振りしてるけど、本当はこういうイベントごとが大好きなのでござる。だから当日になるとああやってはしゃぎ出すので候」
「えぇ、そんなギャップ要素いらねぇ。……あいつに毒されたのかと思ったわ」
俺がおでこに「常勝不敗」と書かれた鉢巻きを巻いた水瀬を見ながら言った。
「それもあると思うでござるよ。水瀬氏って、なんかそういうとこあるでござらんか? 共鳴させるっていうか、インフルエンサー? みたいな」
「ああ、なんか分かる気がする……お前も当てられたりしないのか?」
「まぁ、多少は。拙者も盛り上がりたいところではあるのですが、生憎競技が……」
小田は言い淀んだが、俺は周りのすみっこぐらしをしている集団を見て納得した。確かにこいつらにバスケはなぁ。
「それより、二宮氏も着替えた方が良いでござるよ」
小田もなんやかんや、既にジャージに着替えている。
「いや、俺はもう下に着て来てるから」
小田はおっ、と目を開いた。
「気合入ってるでござるなぁ」
「そんなことはねぇよ。学校で着替えるのが面倒だっただけだ」
「でもそれって、少なくとも参加する意志はあるってことでござるよな?」
「う……。まぁ、な。ってそれ当たり前じゃねぇか」
「……当たり前、そうか、当たり前でござるか」
俺の言葉に、何が可笑しいのか小田はヌフフと笑った。何故か周りの他のオタクたちもヌルフフフフと共鳴した。
「ま、バドには橘氏がいるでござるし。一位分の得点はほとんど確定でござるから、気楽にいけばいいのではないでござるか?」
小田の言う得点とは、クラス毎に集計されるもので、総合順位を決めるのに使われるものだ。
とは言え、団体競技に比べれば個人競技の得点など微々たるもの。球技大会のメインが団体競技であることは周知の事実だ。特に男子の団体競技はクラス全体が応援して、中々の盛り上がりを見せる、らしい。ちなみにらしい、らしい、と言うのは俺は去年球技大会をサボっているからである。
全員がジャージ姿で着席して、少し非日常感が漂う朝のショートホーム。
何となく少し浮かれた空気が漂うが、やる気なさげな奴が大半だ。まぁもう俺達は高校二年生だ、たかだか球技大会ではしゃぐのもなぁ。という皆の考えが何となく伝わってくる。
そんな空気を読んだのか、はたまたいつも通りなのかは分からないが、あくびを堪えつつ担任が言う。
「おーす。お前ら、今日は待ちに待った球技大会だ。……盛り上がってるかー?」
最後にこちらの反応を伺うような言葉を付け加えたが、特に反応を期待した訳ではなかったと思う。まぁ、半分冗談みたいなものだっただろう。
しかし。
「「いっっぇぇえええええええい!!」」
そんな空気を切り裂くように、ガタリと立ち上がる二人。
「待ちきれないね! この日の為に、ハイキュー全巻読んで来た! 私の1人時間差で全てを破壊してやる!!」
元気良く言い放ったのは鉢巻きを巻いた少女。
一人時間差ってそういう技だっけ。
それに続いてキラリ、と星が飛んでそうなキメ顔をしたもう1人。
「俺も黒バス全部読み返して来た! 俺にボールを回してくれれば、全てイグナイトパスで繋いで見せる!」
それ多分皆一度はやったことあるよな。
そんな既にテンション最高潮な2人に釣られて、段々とそれまで興味なさげにしていた奴らからも声が聞こえ始める。
「俺はミラージュシュートかな、やっぱ」
「折角だし、優勝したいよね〜」
「それな! 先生、僕たちが勝ったらおっぱい見せて下さい!」
最後に馬鹿なことを言った男子は担任に無言で出席簿の角で頭を殴られて、それが彼の最後の言葉になった。嘘だけど。
しかし、確かに空気は変わった。
水瀬と姫野と飛鳥が頑張ろーね! と手を振り返しているかと思えば、古賀は1人無言で卓球の素振りをしていて、柊は近くの奴らと試合の戦術を語り始め、小田はそれにふんふんと相槌を打って、橘は頑張ってと声援を送る女子に爽やかな笑顔で応えている。
他にも実は今日の為に友達と公園でバスケを練習したと言っていたあいつや、終わったら打ち上げ行こうよー、と言っているあの子や、女子に応援来てくれよ! と頼んでいるそいつもいて。
そして張り切っていくぜー! と腕を上げた柊に続いて、クラスの連中はおー! と腕を突き出した。俺もなんとなく、おー、と軽く腕を上に掲げてみたりして。
――その瞬間こちらを見ていた水瀬と目が合った。
穏やかな笑みを浮かべた彼女から、俺は慌てて目を逸らす。
ショートホームが終わると、生徒達はぞろぞろと教室を出ていく。廊下は同じ色のジャージ姿の生徒で一杯だ。
「俺達バスケは第一だよな?」
「最初は開会式あるから皆第一でござるよ」
そわそわと前方を歩く柊に、小田が呆れた様子で返事をしている。
この学校には第一体育館と第二体育館があり、第一は綺麗で広く、第二はぼろくて狭い。
俺の出るバドミントンと、女子の卓球は第二で行われる。個人競技は毎年第二らしい。
「えー、本日はお日柄もよく……」
体育委員長が壇上で長ったらしい口上を述べているのを、俺は全部室内競技じゃねぇか、とぼやきながら聞いていた。
体育館の床に学年全員が座らされ、目の前で喋っているのも生徒ということで大半の生徒は真面目に聞かず、こそこそと近くの者と喋っている奴もいる。
「ねぇ、今年の優勝はどこだと思う?」
隣に座っていた奴が話しかけて来た。と言っても、知らない奴じゃない。同じクラスの……確か、村田だったか。多分向こうも俺と同様、暇を持て余しているのだろう。
「さぁ……」
正直最近までお前の名前も知らなかったくらいだから、他のクラスことなんて全く知らんと、俺は首を傾げた。ごめんな、村田。
「やっぱ団体の得点が大きいから、男子ならバスケ、女子ならバレーが重要だよね」
「うちのクラスのバスケって強いのか?」
「さぁ……多分柊君はスポーツ全般出来るけど、他は知らないね……小田君達次第かな」
そう言えばこいつも結構なアニメ好きで、小田達とはかなり仲が良かった。俺とも話が合うかもしれない。友達候補だな。
「お前もバスケ?」
「そう。一応規則で全員一度は出ることになってるから、出なきゃいけないんだけど……経験者にボコボコにされそうで嫌だなぁ」
「あー。でも、そういうのって、確かなんかレギュレーションっていうか、ハンデ? なかったっけ」
「あるにはあるけど、高校で部活に入ってる人にしか適用されないし……」
バスケ部は得点が半分になり、さらに出場出来る時間に制限があるらしい。バドの方は、確か相手の得点が半分入ったところから始まるんだったか。
しかも、と村田は声を潜めた。
「なんか聞いた話だけど、A組の西城君がバスケ部入ってないけど経験者で、めちゃくちゃ強いらしいんだよね。だから、要注意」
西城。最近何処かで聞いた名前だ。どこだったっけ……としばらく考えて思い出した。水瀬をナンパしようとしてた奴らの1人だ。確か、やたら軽いノリの方か。
しかし、だからと言って別にどうと言うこともない。
その後も村田と適当に話をしていると、ようやく開会式も終わり、生徒達は移動し始めた。
並んでいた列の前の方で、柊と水瀬がクラスの奴らを集めている。なんだなんだと集まっていく皆を見て、俺達も行くかと腰を上げた。
「そんじゃ、お互い頑張ろうぜ! 村田!」
「僕の名前は田中だよ」
「よし、お前ら全員いるな!? 行くぜB組! 目指すは優勝、ただひとぉつ!」
俺たち2―Bの連中は円を描くように並び、互いに肩を組んでいる。円の中心には勿論、すっかりお祭り男と化した柊。
お前本当に昨日までと違いすぎだろ、という突っ込みも今は無し。
発破を掛ける柊に、クラスの連中は皆一様にニヤリと不敵な笑みを返す。
その中でも一際目立って、大輪の花のような笑顔を浮かべた少女が呼び掛ける。
「選択肢は2つしかない。私と生きるか、私と死ぬかだ!」
「「「うぉぉおおおおお!!」」」
ネタが分かるオタク集団と、後は良く分かんないけどとりあえず盛り上がっとくか! というノリの良い奴らはともかく、他の生徒は水瀬の突然の発言についていけずにぽかんとした。
「ま、まぁ……頑張ろうぜ」
水瀬の作った微妙な空気をかき消したくて、俺がぼそりと言うと、辺りが一瞬静まり返る。
それから、ふっと笑う誰かの声が聞こえた。
「貴方がそれを言うの? 体育の授業をサボりすぎて、次休んだら単位落とすとまで言われた貴方が?」
俺はうっせー最近は休んでねぇわ、と投げやりに返し、
「二宮の言う通り。優勝して、そして気持ち良く打ち上げに行こうか」
いつも通り爽やかな男がきっちりと締めて見せて。
それじゃ行くか! と円の中心から声が上がり、
「ファイトぉぉおお!!」
「「「「いっっっぱーーーつ!!」」」」
声に合わせて中心に向かってドン、と全員が一歩足を踏み出し、否が応でも気合が入る。
円陣を解いてクラスの奴らがよっしゃー、頑張ろうぜ! と言い合っている中、なんでリポビタンなんだよ、と俺は一人呟いた。
球技大会は各種目トーナメントで行われる。男子はバドミントンには1クラスだいたい6人、バスケはそれ以外の生徒で2チーム作って参加する。
俺は第二体育館のトイレの個室にいた。キュキュッとシューズが擦れる音。羽を打つ音、イベントにはしゃぐ話し声。そんな体育館の騒がしさから少し遠ざかったここは、気持ちを落ち着けるには丁度良い。
もうすぐ1回戦が始まる。
真剣勝負をするのは、この前の中間以来だ。
俺は最近話をするようになった、クラスの皆のことを考えた。
皆。
例えば、前川飛鳥。例えば、橘圭介。例えば、小田和弘。例えば、柊慎一。
例えばーー水瀬未来。
俺の高校で出来た初めての友達にして、偽、彼女。
普段は口が裂けても言えないが、俺は彼女のことを大切に思っていた。
俺に変わるきっかけをくれたからだ。真剣に向き合ってくれた彼女がいたから、俺は今ここにいる。
だから、彼女の力になりたかった。
この数日で、俺と水瀬が付き合っているという噂を聞かない日は無かった。そこには、俺の悪評と、そんな俺と付き合う水瀬の見る目の無さ、なんてものも含まれていた。
俺が少し見た目に気を遣うようになってから、飛鳥と水瀬は悪評については随分よくなったと言っていたけれど、俺は相変わらずの視線を感じていた。多分――それだけじゃ足りないんだろう。学年の二大美少女と付き合うのだから、当たり前か。
俺は自分が何と言われようと今更構わない。だけど、彼女が人を見る目の無い馬鹿な女の子だと思われるのは耐えられなかった。
だから、この球技大会で変えてみせる。
果たして、この二年のツケがある俺がどれだけやれるかは分からない。
だけどせめて、精一杯のことをやろう。それが俺に出来る、彼女への報い方だ。
そして俺は靴紐を固く結び、扉を開けて外へ出た。




