獣王の思惑?
・現在のエリーの状況
外交服で登城
四角いクッションの上に座って、後ろには同じくクッションに座ったジュウハ、側には鼠人族が入った檻箱。
目の前の高台には獣王、そして左右の壁には家臣達が立っている
それから進んだ事務的な交渉は、順調とも言えず難航とも言えず、なんとも言えない空気で進んでいくことになった。
何故かと言えば、既に決まっているような話にまでいちいち獣王が口を挟んでくるからだ。
たとえば国境の話、既に獣人国との話し合いは終わっているはずなのに、関所が出来てしまっているのに獣王が領地を少し譲ってくれと言い出してくる。
それにエリーが難色を示すとあっさり撤回をし、からからと笑って次の話題へと促してくる。
獣人国での商売も既にセキ達がしていて、当然その許可も取っているのだが、それについても口を挟んで……またすぐに撤回。
それが獣人国にとって意義のあることならまだ分かるのだが、そうではないことに一々口を挟んできて……そしてすぐに撤回し、無かったことにする。
全く意味が分からない、意図が読めない。
交渉自体を破綻させようと思っている訳ではなく、話が決着する度に喜び、次の話題へと意欲を見せるのだが、やはり口を挟み、流れを断ち切ってくる。
そうやって自分が流れを握ろうとするのならまだ分かるが、そんな様子は一切なく、結局はエリー達にとって望む形で決着していくものだから、なんとも気味が悪い。
挙句の果てにアースドラゴンの大発生の際、避難民を受け入れたことにまで言及し、勝手に国民を奪ったとも取れると非難をしようとしてくる。
……誘拐の件にはああいった態度だったのに?
すぐさまエリーが反論すると、やはりすぐに撤回……そのまま話は流れて次の話題に。
そうしてふらふらと余計な寄り道をしながらも話し合いは進んでいって……結局は全てエリー達が望んだ形で決着していった。
国境は改めて今の形で確定。
行商はペイジン商会とだけ、獣人国東側の一領だけで許可、港の使用などは現時点では無理で、また追々交渉していく必要がある。
それ以外の行き来は厳禁、お互いに軍事的に不干渉を貫くが、それはあくまでメーアバダル領とマーハティ領に対してであって、王国全体にではない。
メーアバダル関所内で獣人国民が行っている売買を正式に許可、関所内で犯罪が起きた場合は、メーアバダル側が裁くが、関所までの行き来での犯罪は獣人国側が裁く。
モンスターの襲撃が関所周辺で起きた場合は、例外的にメーアバダル軍の展開を認めるが、獣人国民への攻撃などがあった場合は賠償責任を負う。
マーハティ領とは正式に和解、今後責任を問うようなことは一切行わない、竜光などの贈り物をもって賠償は終わったと見なす。
などなど……一度の交渉ではまとまらないだろうとエリー達が考えていた案件も、結果としてはあっさり決まっていった。
変な寄り道ばかりで空気はおかしいままだが、決まりはしていて……両者が用意した書面への署名と押印も行われた。
……あまりにも順調過ぎてエリーは肩透かしを食らったような気分となる。
対モンスターに関する技術や、血無しの仮説、さらなる贈り物や関税などの支払いを受け入れるなど、様々な譲歩を用意していたのに全くの無駄となってしまった。
……それ自体は喜ばしいことなのだが、あまりにも順調過ぎるためかエリーの心中は、言葉に出来ない不安感に包まれていた。
だからと言って、ここで何かを言い出したりしでかしたりして、メーアバダルの名誉を傷つけたり損害を出すのは論外で……外交官としての仕事に徹することにし、どうにか心を落ち着かせる。
そうして一段落と言って良い所まで話が進み、獣王の指示で茶が用意されての中休みとなって……用意された濃い茶を一口で飲み干した獣王が、王国とは全く違うコップとは言えない、大きな器に淹れられた茶をゆっくりと飲んでいたエリーとジュウハを見やりながら口を開く。
「話してみれば人間族とは、礼儀正しくこちらの文化に理解を示し、こちらの話をよく聞き、こちらに妥協をする勇気を持つ文化人であることがよく分かった。
それだけでなくドラゴンを多数屠る強者でもあり、外交官であっても体を良く鍛える程に誇り高くもあり……全く今までの対立は何だったのだろうかと思う程だ。
……これは何者かの陰謀が絡んでいるのかもしれん、調査をすべきかもしれんなぁ。
一体何者が吾と人間族の仲を割いていたのか……獅子身中の虫は探らねばなぁ」
そう言ってから獣王は左右に並ぶ臣下達へと視線をやり……挑戦的と言うか挑発的と言うか、そんな笑みを浮かべる。
すると臣下達は俯くなりして視線を逸らし……毛を逆立たせるか尻尾を力なく垂れるか、震えることで恐怖を表現する。
そこでエリーはようやく気付く……気付くと言うか、ようやく臣下全員を見渡す余裕を持てたとも言えるが、並ぶ臣下の中にキコの姿がないということに気付く。
キコは確か参議という、王国で言う大臣に相当する役職だったはず……それでいてエリー達とも面識があり、メーアバダルとの友好を訴えていた人物で、それがこの場にいないというのはなんともおかしな話だ。
そしてヤテンの姿も見当たらない、ヤテンは常に国内を巡っているらしいのでいなくともおかしくはないが……事前に日程を知らせた上での今回の会談に、現れないというのはおかしくはないだろうか?
(……もしかしてここに並んでいるのは重臣ではないのかしら?
会談中ずっと立ちっぱなしなのを少しだけ不思議に思っていたのだけど、このクッションを用意する価値もない地位ってこと?
……それとも、あえてこの場で失言させるように仕向けている? そうやって彼らを処分したいと考えている……?
だからキコさんはこの場にいない? 彼女は安易に処分出来るような立場ではないはずだし、きっと助け舟を出してしまうような優しい性格だから……)
恐らくその考えは当たっているのだろう、そして何故獣王がこの場でそんなことをしようとしているのか……そして会談前にジュウハが抱いていた違和感の正体を掴みかけた所で、エリーの背中に何かが当たる。
柔らかで、うっかりすると感じ取れないような小さな感触……折りたたんだ小さな紙を軽く投げてきたような、そんな感触を受けてエリーは、ジュウハが後ろから畳んだ紙のようなものを投げつけてきたのだろうと察する。
今はそれを考えるな、会談に集中しろ、獣王に視線を戻せ、まだ会談は終わっていないぞ。
そんなジュウハの声が聞こえてきているかのようで……エリーはすぐさま思考を切り替えて、茶の残りをゆっくりと飲みながら目線はしっかりと獣王へと向ける。
そんなエリーに気付いているのかいないのか、獣王は臣下への言葉を獣人国の言葉で続けている。
『―――そもそも未だ国内に乱の火が燻っているのは、お前達が不甲斐ないからだろう。
参議達は常に励み、国内国外を駆け回り、こういった成果を持ち帰っているというのに情けないとは思わないのか?
……貴様らに何故領地を与えているのか、何故兵権を持たせているのか、考えたことすらないのだろう―――』
そんな言葉を聞いているとエリーはついつい考えてしまう、ジュウハが今はやめろと伝えて来たのに考えてしまう。
つまり……獣王は内乱を収める気がないのだろう、内乱が起きていたほうが都合が良いのだろう……あえて内乱を煽っている節すら感じられる。
罠を仕掛け、言いがかりをつけて、圧倒的な武力と権力で頭を押さえつけた状態で相手をなぶり……反感を育てている。
……キコが以前、獣王は人材収集家だと言っていたことを思い出す、善悪を問わず有能な者を好むと。
……つまり有能な者以外は好まない、それらをどうにか処分したいと……先程弱者どうこうと言っていたように考えているのかもしれない。
そして国内で内乱を頻発させながら、王都の安寧だけはしっかりと守り、王都だけ発展させることで自らの権力を確固たるものとしているのではないだろうか?
キコは人徳に優れた王だと言っていた、それらの方策は人徳に優れた王のすることだろうか?
……そうしなければならない理由がある? それともキコの過剰評価?
あるいはその両方かもしれない……つまり獣人国とは、そういう王が統治する国なのだろう。
そう考えてから横に置いた檻を見る……これもまた獣人国を表するものなのだろう。
……そうなると獣王は王国との完全な和平や友好も望んでいないかもしれない、内乱を起こすための良い火種と鳴り得るのだから、完全なる和平など邪魔とさえ思っているかもしれない。
鉄を融通してくれるメーアバダルとはある程度の友好を考えても良いが、王国全体となると考える気はなく……マーハティへの厳しめの態度の理由もそれなのかもしれない。
……そうなるとメーアバダルとしても胸襟を開きすぎる訳にはいかなくなってくる。
こんな治世、長続きするとは思えず……仮に獣王が崩御したとなったら、どれだけの混乱が広がるのかも分からない。
そう考えるとついつい暗い顔をしそうになるが……今は外交の場、友好的な柔らかな表情を崩す訳にはいかない。
ジュウハが考えるなと止めたのもそういう理由に違いないと理解したエリーは、それ以上は考えるのをやめて、懸命に外交官としての仮面を維持し続けるのだった。




