第291話 浅筒討伐戦 その1 焦土作戦に物量をぶつけること
途中3人称です。
美作国 三星城
三星城の城主・後藤勝基は本領さえ安堵されるなら降伏すると伝えてきていた。だがそれはもう通用しない。在地勢力は残さない方針だ。土地に固執する勢力がいては今後の政策が進まないため、既に越後・上野などではそれは許容されなかったのだ。
17000の兵に囲まれ、大砲を撃ちこまれたことで、三星城内で後藤一族の内紛が発生した。東美作をほぼ統一するほどの勢力を築いていた後藤氏は、わずか10日で地図から消えた。当主含め一族は責任のなすりつけ合いの結果殺し合いに発展し、全滅した。
他の美作攻めを行っている部隊からの報告を受けた十兵衛光秀が戻ってくる。
「上月から竹山を攻めている部隊は如何だ?」
「筒井一族が城を放棄して周辺で夜襲などを仕掛けてきているそうで」
「遅滞戦術か。兵糧切れ狙いか?」
「恐らく」
「新免に周辺の砦など、拠点となりうる場所を案内させよ。連中も拠点が無くなれば雑兵が逃げだす筈だ」
「殿がそう仰ると思いまして、新免に使いを出してあります」
「流石だ」
新免氏。宮本武蔵の父親がそんな名字だったのをバカな絆的剣豪漫画で読んだことがある。新免氏は竹山の領主だったが、後藤氏に攻められて三好に保護されていた。今回、その一族と旧臣を案内役にして地の利をこちらも確保している(彼らは既に丹波に新領地を与えられているので竹山に未練はないようだ)。
「医王山城が筒井の本拠になっているのだったな」
「はっ。三星が東の要、中央の要が医王山、西が高田となっております。高田は山間の城で攻め難いので、医王山を優先したいところです」
「高田も筒井に追われた三浦の一族が案内してくれるからな。医王山が一番の山場か」
実際のところ、俺達は伯耆と美作を同時に攻めているので、敵も辛いだろう。三星は完全に孤立無援だった。四方から攻められているために、筒井も浅井も手が足りていないのだろう。
♢
1週間後。三星城周辺の完全制圧が終わり、医王山城周辺に兵を派遣する準備をしていたところ、出雲方面軍から連絡が入った。浅井義政(毛利に見捨てられたのでまた改名したらしい)の奇襲により、尼子勢が敗れたそうだ。浅井のかつての盟友であった朝倉龍景が率いる部隊のいる西部の兵7000にはあまり攻めてこないのではと油断していたので、その緩みを突かれた格好だ。浅井軍は4500を動かしたそうで、かなりギリギリの動員だろう。
「島左近はいたのか?」
「恐らく。火縄銃も幾つか見られたと」
「筒井は一時火縄銃を確保していたからな。それに尼子が買っていた火縄銃の一部も流出しているだろうし」
「で、大友・毛利経由で硝石等を確保していた、と」
「まぁ、追加で供給されないだろうから、今後は無用の長物になるだろうが。で、被害は?」
「尼子兵に多少。とはいえ、庄五郎(斎藤利堯)様が迅速に立て直すべく兵を退かれたので大事には至らず」
「成程」
比較的兵数の少ない戦線を押し返すことで攻め手のスピードを遅らせ、遅滞による物資の消費でこちらを追いこもうという作戦だろう。
「美作は全体的に食料不足が深刻だから、俺が食料援助する様に仕向けて来るとは思ったが」
「我等が態々七つの湊を利用して物資を運び込んでいるのを敵は知りませぬ故」
食料不足に陥っているのは容易に想像できた(経済封鎖していた訳だし)ので、運びこんだ食料は占領後の美作・伯耆への援助分も含んでいる。色々な遺恨が生まれる可能性を想定し、占領地域に即時食料を運びこんで慰撫に務めている状況だ。それに占領地域には兵を常駐させて、反乱の芽は徹底的に潰しているからな。想定以上に美作が食料不足だったのは、恐らく浅井本隊や医王山が食料をかき集めたからだろう。焦土作戦みたいなものだ。浅井も筒井も全く思い入れがない土地だから、全く民衆に配慮などしていない。
「美作を落とせば如何にも動けなくなろう。何れの戦場も、焦らず無理せず、時に退いても良しと思って進めよ」
そう。浅井はどうしたってジリ貧なのだ。焦って決戦をする必要もないし、一度奪った城を奪い返されても時間をかけてまた奪い返せば良いのだ。
辛いのは相手の方だということを忘れなければ、問題はないのだ。
♢♢
伯耆国 羽衣石城
浅井軍4000が織田軍の撤退する様子を苦々しく見ていた。
「此方が兵を揃えても戦にならぬとは!何故だ!」
先鋒の南条元続は苛立ちを隠さない。米子城を奪還したことで一時的に上がった士気は、しかし食料不足・消耗する武具の不足で既に意味がなくなっていた。同じく先鋒の島左近が宥める。
「深追いすれば火縄銃の的。此処は追い返せた事を喜ぼう」
「しかし、米子に運び込まれていると思われた食料は僅かだった故、我等の動ける日数にも限りがある」
「船で毎日の様に其の日の分の食料だけを運んでいるのでは、嵐でもなければ足りなくならぬのか。恐ろしい限り」
実際は陸路・海路で食料を運び、周辺の慰撫している民衆に配っている段階のため自分たちの食料がその日分のみとなっているだけなのだが、そのような事情を彼らは知らない。
「とにかく、一度野戦で勝たねば兵が保たぬ!もう少し奥まで追えぬか、左近殿も父上殿に御伺いを立ててくれ!」
「畏まった」
後姿からでもわかる怒りをまき散らしながら、南条元続は居城の羽衣石城に戻って行った。
左近の傍らには逃げる織田軍から辛うじて確保し、南条兵と分け合って残った米俵が1つ。
「殿、折角ですので米を」
「兵に分けてやれ。某は粟の粥で良い」
「し、しかし」
「果敢に前に出て誰よりも動いた者共に与えねば誰も動かなくなる。だから良い」
「はっ」
島左近は既に勝敗以前の状況である事を理解していた。しかし、直接朝敵として名が示された父のためにも、彼は玉砕覚悟で戦い続けるしかない。
(亡くなった大殿を恨むは筋違いなれど、主君に恵まれぬな)
せめて来世では良き主君と巡り合いたい。そう思う左近であった。
四面楚歌。島左近はこの頃だと元服して間もないですが、状況はかなり正しく把握しております。




