第275話 見えぬままに進むもの
現在在宅になっているのもあり、当分の間木曜日曜の週2投稿を続ける予定です。
後半は三人称です。
感想いただきました林崎甚助に関してですが、まだ19歳の若者なので武芸百般何でもできる状態ではありません。仇討ちのため居合に近い剣術のみ仕上げた状態と思っていただければ幸いです。まだまだ成長中です。
出羽国 山形城
夏の盛り。天童氏が降伏した。物資不足によって動けなくなった結果、東根一族の一部が最上に寝返って防衛線が崩壊したのが原因だ。
天童頼貞らは辛うじて伊達領に逃げこむべく城を脱出したらしい。天童を丸ごと手に入れた最上は周辺の領主の中で一歩抜きん出た。東根寝返りを成功させこの戦を主導したため、最上源五郎信光殿は家督相続前ながら実権をほぼ掌握したようだ。
そんな最上殿に招かれて山形城に入った。昨日届いた手紙で信長が揚北衆の新発田の所領に攻めこんだと聞いているので、少し余裕ができた形だ。
「最上の若殿は聡明で思慮深い。今後も我等と良き間柄を築いて頂きたいな」
「林崎甚助なる男も中々の腕。刀を納めた形からの速さは某でも敵いませぬ」
「七郎五郎(奥田利直)でもか。相当だな。志村という若者も目端が利く。良い家臣が多い。我等程では無いがな」
「で、御座いますな」
たとえ俺の助力を多くもらうことになっても時間をかけて兵糧攻めにし、かつ兵は自前でなんとかして内外に自分の軍事力をアピールした。食糧は用意したが、それ以外は自前だ。当然この貸しは酒田を通じて回収するが、これは同時に『最上は俺に大量の食糧援助を受けられる立場』であるとアピールできている行為だ。信長の偏諱に俺からの援助、これで中央と誰より強いパイプがあると言える地位を築きあげたといっていい。強かだ。
「信長が直接来れなかった事を不義理と詰る者を一喝したそうだしな。今後も山形で睨みを利かせて貰おう」
信長・義兄上とは各地域で1つは在地領主を残そうと話している。越前の朝倉、遠江の井伊と飯尾、近江の遠藤といった者たちだ。南部出羽は最上になるだろう。酒田の砂越は既に国替えを受け入れている。大砲の威力に恐怖している様子だった。大宝寺領と合わせて一帯はうちでおさえる。
葛西方の城である米谷城が落ちたと連絡があった。大崎氏との勢力境となっていた北上川の東岸にあるこの城が落ちたことで、葛西氏を一気に追い込めたとみて良いだろう。
数年ぶりに会った源五郎信光殿は背も伸び、上半身下半身とも鍛え上げられた偉丈夫となっていた。
「背が伸びた様ですな、源五郎殿」
「宮内大輔様には遠く及びませぬ」
まぁ、俺は身長195超えているからね。息子も180は超えているし、母深芳野からの高身長が代々受け継がれている。
「天童氏の件御目出度う御座います」
「忝い。宮内大輔様の御助力あっての物に御座いますれば」
「此の後は此方御任せしても?」
「小野寺の件も含めてで御座いますね?何とか致しましょう」
「我等は米沢を一気に攻める心算です。米沢が落ちれば揚北衆も孤立させられる」
「蘆名攻めには相馬の残党が加わっているとか。大砲も火縄銃も無いので問題は無いかと存じまするが、御気を付け下さいませ」
「相馬か。騎馬が有名でしたな」
「左様に御座います。相馬の馬は南部の馬と合わせて奥羽の名馬が生まれる地ですので」
伊達氏の内乱である天文の乱が長引いた理由の1つらしい。稙宗方だった相馬氏が晴宗方を大いに苦しめた。稙宗の武力的な頼りは相馬だったと言っても過言ではない。
「伊達当主の直轄地を渡して兵を用意している、か。米沢を落としても簡単には終わらぬか」
太平洋側の陸奥南部や千代(仙台ではないらしい)周辺は騎馬の活躍できる地形が多いらしい。そちらを潰さなければ相馬は止まらないだろう。思った以上に時間がかかりそうだが、それでも畿内北陸にかかった時間ほどではないだろう。質量ともに負ける状況ではないのだから。
♢♢
石見国 山吹城
毛利元就が直々に兵を出し、雪解け以降半年にわたって攻撃をくり返した石見銀山周辺がついに毛利方の手に落ちた。尼子軍が出雲に撤退してしまい、孤立した吉見や西石見国人はそれでも抵抗を続けるものの、情勢は毛利優位で固定されつつあった。元就も石見を奪った後、安芸・周防・長門・石見・備後・備中を掌握した状態で三好・織田・斎藤との和睦交渉に入ることを目指していた。しかし、それが許されない情勢となりうる急報が、元就の元に届けられた。
「(備中)高松城で元春が倒れた、と?」
「はっ」
備中に出陣していた熊谷直実からの早馬。それが知らせたのは、備中をまとめている吉川元春が病気で倒れたというものだった。
「何故だ?毒か?」
「医師が申すには癪であろう、と」
「癪か」
癪。病名というより内臓疾患の総称としてこの時期使われた病気。いわゆる盲腸や胆石症、胃がんなどの様々な病気が癪と呼ばれた。内臓に対する知識・経験の不足や認知不足によるものといえる。ただし、共通しているのは痛みである。内臓の痛み。これほどこの時代に恐ろしいものはない。
「近隣の医師を集めよ。元春の一大事也」
「其の、申し上げ難いのですが」
「申せ」
「備中の医師は、宮内大輔様に診て頂かねば仔細分からぬ、と」
「宮内大輔、か」
内臓の痛む部位や痛みの方向性である程度病気の方向性がわかるのは現代の医師だけである。全ての医師が医科大学で学んだわけでもない。ある種の徒弟制度の中でしか誕生しない医師では、内臓に関する正しい知識が全員にあるわけではない。
「京から医師を迎える事は出来ぬだろうな」
「恐らく」
陸路は激戦地である播磨・因幡を通過することになるし、日本海も瀬戸内海も戦時輸送で織田・三好に掌握されている。医師が1人通るとなれば、理由は聞かれることになるだろう。そもそも、使者がこれらの地域を通って京に辿りつけるかわからないと元就は考えていた。
「一先ず、可能な限り医師を集め、宮内大輔の薬を領内外から掻き集めよ。戦の為と思わせて構わぬ。銀山の銀も使え」
「はっ」
世の中思い通りにいかないことを元就は知っている。しかし、自分より息子が先に命の危機を迎えるとは考えていなかった。
「若し此れが宮内大輔に逆らう者への天の裁きだと言うなら、天は恐ろしい物よ」
使者が出た無人の部屋で、彼はそう呟いた。
♢♢
伊予国 恵良城
来島村上水軍の当主・通康の一族である得居聖運が自害したことで伊予の来島村上水軍は拠点を失い、三好による瀬戸内海の優位が確立した。河野氏から早々に三好氏に接触していた河野氏家老家の1人大野直秀(家督相続時に揉めて出奔し、早くに三好に仕えていたらしい)の支援もあって河野氏は劣勢となっていた。大友の援軍も少なくないものの、来島衆が陸上に追い込まれ忽那衆も降伏した状況では守勢が精一杯だった。一方の三好氏も、織田軍の帰還が始まってようやっと軍勢の移動準備が始まった段階であり、三好筑前守義興にとってここからが本番といっていい状況でしかなかった。
得居氏から獲得した恵良城で連日物資の搬送などを書類で管理し、瀬戸内海の状況だけでなく土佐の情勢や播磨の情勢も確認している義興は多忙を極めていた。
「筑前(義興)、もう戌の刻(午後10時頃)になろうぞ。寝よ」
「叔父上(十河一存)」
「根を詰め過ぎだ。確かに総大将は其方だが、気負い過ぎては体に障るぞ」
「叔父上に迷惑はかけませぬ」
「いや、そういう話では無い。口が達者で無い故上手く言えぬが、抱え込み過ぎるなと言いたいのだ」
「しかし」
数瞬、義興は口から言葉を発するのをためらう。
「叔父上は一条や能島の水軍を如何思われますか?」
「ふむ。『らしい』と思う」
「『らしい』で御座いますか」
「一条殿は御父上が聡明だった故、己も聡明だと信じている。だから我等の言にも従わぬ」
一条兼定にとって、亡き父の官位である従三位以下の人間の言葉は聞く気がない。辛うじて父が亡くなる前に後事をたくした土居一族らの話をたまに聞くだけだ。そして、三好氏は長慶が従三位になっていないのに参議になった一族だ。元々の出自も含め、兼定にとって面白くない相手ではあったのだ。
「能島は同じ村上の水軍衆との血縁がある。幾ら力の差があれど、縁や情は捨てられぬ」
「其れは分かります。分かりますが」
「頼りになる味方が欲しい、か。分からぬでも無い。だが、兄上程頭が切れぬ故如何すれば良いかは教えられぬ」
「いえ、叔父上が居られなくば今此処迄攻める事も出来無かったでしょう」
「一先ず今宵はもう休め。顔色も余り良く無い様だ」
「其れは蝋燭の火に慣れていない故では?」
「かもしれぬ。だが、疲れているのは分かる」
「承知致しました。今宵は休みまする」
「うむ」
満足そうに頷いた十河一存は部屋を後にし、そして義興も部屋の明かりを吹き消した。
義興は立ち上がるとわずかに目が眩んだ気がしたが、次の瞬間には特に問題は感じなかったため、そのまま寝所に向かうのだった。
吉川元春の癪、一時かなり生命の危機と思われる状況だったようです。今作では畿内から医師が呼べた史実とは違う状況です。
主人公自身は米沢攻めへこのまま一気に移行し、本拠を落として決着をつけたい考えですが、このクーデターの本体は中野・牧野ら在地領主なので難しいところです。




