第259話 天下分け目の榛名山 (中) 東部戦線異状なし
先週は仕事の関係で投稿ができず申し訳ありませんでした。木曜投稿はできる予定です。
全編3人称は次話途中まで続きます。ちょっと文字数が多いです。
下総国 古河城
前公方・足利晴氏が北条長綱こと宗哲の本陣を訪ねたのは、8月に入る直前のことだった。約2ヶ月半の包囲で古河城内の食糧は底をつき、兵たちは現公方である足利藤氏に強い不満を抱いていた。その空気を感じていた晴氏が、事前交渉として送りこんだ季龍周興の結果が芳しくないため自ら乗りこんだのである。
「宗哲殿、藤氏は余が説得致し公方を辞めさせる故、許しては頂けぬか」
「まぁまぁ、先ずは此方の水菓子でも如何かな」
宗哲が差し出したのは信長お気に入りの凍らせたミカンである。美濃の氷室の氷に閉じこめた紀伊産ミカンを夏に氷のまま運び、関東に着く頃には周りを覆う氷が溶けていい具合になるのだ。宗哲は暗に「織田・斎藤との連携は完璧だぞ」ということと、「うちはこれだけ余裕があるぞ」ということを見せつけていた。
「い、頂こう」
「さて、思うに公方様は何か勘違いをされている様子」
「勘違い?」
「我等は逆賊たる長尾や佐竹から公方様を御守りしているだけ。一度たりとも城に害は加えておりませぬぞ」
宗哲の言う通り、北条軍は包囲を始めてから城を攻める行動は1度もしていない。外部に情報を得ようとした兵が捕まるか殺されたくらいである。
「城から長尾の下へ奔る愚か者でも無ければ、城内安らかに眠れるかと」
「し、食料に難が」
「では、御売り致しましょう」
間髪容れずに宗哲は言った。彼の戦略目標は古河公方の降伏ではない。古河公方が外部と遮断され、和睦の斡旋や連携をしなければ良いのだ。古河は里見・佐竹・長尾上杉の中間地点に位置している。古河が機能しなくなれば各領主が連携することは不可能に近いのだ。
「証文を頂ければ問題御座いませぬ。米も塩も味噌も酒も、支度させましょう」
「え、あ、いや」
「公方様の御嫡男は坂東の武士の評判芳しく無く、また御嫡男は京に公方無き今公方を称しておられるが、京の公方様に任ぜられた公方は公方様だけに御座います」
そして、最後の目的は現在古河公方を継いだとされる嫡男・足利藤氏の否定である。
「公方様が若し御嫡男を持て余されているなら、我等は何時でも御預かり致す所存に御座います」
宗哲は頭を下げているが、実際の立場は圧倒的に晴氏の方が弱い立場だ。このまま時間が経過すれば佐竹も里見も北条によって潰されるだろう。そしてそれを晴氏は理解している。
「余が死んだら、坂東の武士が京に抗する事は出来なくなるぞ」
唯一の泣き所はこれである。関東の武士が鎌倉の公方を望んだ理由は、つまるところ畿内の勢力への対抗である。京に支配されたくない、ちょうどいい御輿が欲しいのだ。しかし、公方の単純な世襲を否定すればその存在はいなくなってしまうのだ。
「其の心配は無用」
足利晴氏という人物にとって唯一最大の手札をあっさりと否定したのは、話し合いの場に現れた人物だった。
「関白殿下」
「心配無用。我等摂家より相応しき者を送る事になっておる。七条将軍の様に、な」
3年前に関白となった近衛前久。行動力のある人物で、今回の動きに協力すべくわざわざ関東までやって来た。織田信長と鷹狩りという共通の趣味があるため、彼らとの連携を重視した前関白二条晴良が大寧寺の変に関わる人々の後処理を終えてから藤氏長者を譲っていた。
そして七条将軍とはいわゆる摂家将軍・九条頼経だ。鎌倉幕府4代将軍であり、源頼朝の直系が断絶したため京より送られた人物だ。
「七条将軍は鎌倉武士の内輪揉めに利用され申した。殿下の御厚情と言えど余り良い策かは分かりかねまする」
「坂東は此度の戦で北条の下纏まるであろう。其れこそ鎌倉の再来よ」
摂家将軍であった九条頼経は北条氏との権力争いの後、最後は鎌倉を追放された。幕府の安定する以前の出来事だが、今の状況では当時の北条氏より現在の北条氏の方が関東限定ならば強い権力基盤を有している。近衛前久はそういう意味をこめて答えた。
「故に、公方は最後の公方として道を誤る子を正すが良い」
この言葉に、足利晴氏は返事を返せなかった。従えば公方という地位を失うことになり、かつ息子を北条に引き渡すなり出家させるなりしなければならなくなる。かといって反発すれば自分たちは終わりだ。近衛前久という大物がここにいる限り、晴氏は大義が自分たちにあるなど口が裂けても言えないことを理解していた。
「米の件、宜しく御頼み申す」
精一杯の返答をして、彼は古河の屋敷に帰って行った。古河には金もない。収入となる周辺の農業地帯は籠城の影響で今年の収穫を見込めない。自ら一筆認めた証文の支払いは不可能である。そしてこれが、時限爆弾となる。
「此の証文の取り立てという名目で古河を取り上げる道は整った。後は佐竹と里見と長尾の片が付くのを待てば宜しい」
「此方も支度をしておこう。二条様の二人目の御子息が産まれたばかり故な」
北条宗哲は関白近衛前久と顔を見合わせ、笑い合った。傍にいた宗哲の子三郎時長が恐怖を感じるような笑顔であった。
♢♢
常陸国 小田城
佐竹攻めに派遣されたのは当主・北条氏康の弟である北条十郎氏尭だった。5000の兵を率い笠原康勝の白備えと共に常陸へと進軍した。これに呼応する形で小田氏治が小田城の味方に反乱を起こさせて小田城を奪回。霞ヶ浦南部一帯を再度支配下に治めると、土岐原氏・鹿島氏・結城氏・那須氏なども一斉に兵を常陸に進めた。佐竹氏当主の佐竹義昭は各城に籠城を指示。長尾上杉氏の動きを待ちつつ、自力での打開を図る形となった。
そして、各領主の兵を合わせて18000の兵が常陸に入ると、その作戦に関する評定が小田城で行われることとなった。
「左衛門督(結城明朝)殿、乗国寺(結城政勝)殿の事御悔やみ申し上げる。そして讃岐守(小田氏治)殿、城を取り戻した事御慶び申し上げる」
北条十郎氏尭は北条の名代としてまず各領主との挨拶を行う。結城政勝は昨年死んだ。その後を継いだのが嫡男の結城明朝である。
「父は下総や下野の安定を喜んでおりました。此の戦に勝ち、関八州が安寧と成る事こそ、父の弔いとなるでしょう」
「うむ、父上も左衛門督殿には格別の御助力に感謝しておられた。関八州の静謐の為、期待させて貰おう」
そして、土浦の重臣・菅谷政貞の尽力と不思議な民衆の支持を元に自らの奪われた城を取り戻した小田氏治。
「御陰様で何とか城を我が手に戻せました」
「いやいや、我等が何もせずとも城を落とした事、此の地の主が讃岐守殿であると改めて知らしめたかと」
「忝い」
そして、彼らの作戦会議が本格化する。
「江戸氏は嫡男の藤五郎(通政)が又病に倒れたとか。其れで何方に合力するかも定まらぬそうで」
「藤五郎は病がちと相模にも聞こえる程。我等に従っていれば宮内大輔様の力で助かるであろうに」
「然り然り。佐竹に与して命を捨てるとは此の事」
長年江戸氏と対立してきた小田氏治はご機嫌な様子を隠さない。
「では確認致す。先ず相手は笠間左衛門尉(高広)の笠間城、多賀谷下総守(政経)の下妻城、真壁右衛門督(久幹)の真壁城、江戸但馬守(忠通)の水戸城である。我等は佐竹の本隊を牽制しつつ、前線の城を落とす事を目指す」
「下野衆は笠間に向かいましょう。愚弟も其処に居ると聞き及んでおりまする」
そう言うのが那須高資。下野3000の兵をまとめ、代表者としてやって来た。彼の弟森田次郎資胤は権力争いの中で那須領から高資に追い出され、佐竹に身を寄せていた。
「結城に逆らった多賀谷を滅ぼしたく。御許し頂ければ下妻に攻め入りたいですな」
「確かに、後方に残る下妻は目の上の瘤。後顧の憂いを断つのは肝要ですね」
下妻は常陸の西に孤立する形となっている。これは元々主家筋である結城氏から独立を企てていた多賀谷氏が、上杉平三政実の下野出兵に呼応して反旗を翻したためである。一応真壁氏とは連絡をとっているが、孤立しているのは事実である。結城氏からすれば、北条と協力して周辺の勢力拡大を狙っていたら後ろから刺された格好である。当然結城氏は激怒し、多賀谷一族の助命嘆願を現在無視している。
「多賀谷を攻める間、此方は真壁を攻めながら佐竹の本隊を誘き出したいな」
「佐竹の総兵力は今や六千が精一杯でしょう。逃げ出す兵も居るとの噂ですので四、五千が精々かと」
これまで領主との会話で加わらなかった白備えの笠原康勝が発言する。言葉の楽観的な雰囲気とは裏腹に、その顔は険しいままだ。北条を支える五色備えの1つ、白備えを受け継いで間もないため、使命感の強さが表情に出ていた。
「佐竹の配下でも此方に通じんとする者はおります。新介殿を此処に」
「はっ」
小姓に呼ばれて部屋に入って来たのは佐竹新介基親。美濃佐竹氏出身で最近まで畿内での佐竹氏交渉を担ってきた男だ。しかしこの情勢を佐竹氏の誰よりも早く理解していたため、長尾攻めの決定前から主家を織田に変えていた。
「実は和田安房守(昭為)は四年程前から北条と和睦すべきと訴えておりましたが、今や追放同然の身とか」
「佐竹内部は宇都宮氏の遺臣が逃げ込んでいる為か強硬な意見の者が多い。安房守の様に畿内の事情を知らずんばこうもなろうな」
宇都宮支援の過程で婚姻関係の結ばれた家臣同士・国人同士が多い佐竹内部は反北条で染まりきっている。外部との交渉役や財政を担っていた若き能臣・和田昭為は、窮乏する領内の事情を訴えつつ織田の存在を考えて諫言を計画した。しかしこれが一部重臣の不興を買ってしまい、彼は当主の佐竹義昭から遠ざけられた。
「和田の領地は久慈の麓か。余程此方が優位にならねば挙兵は出来ぬな」
「最後の一押しに期待、ですな」
そして8月。下妻城・水戸城が陥落し真壁氏が降伏したタイミングで和田昭為が常陸太田城にて佐竹嫡男の徳寿丸と佐竹義廉の協力を得てクーデターを強行。小野崎成通や小田野義房、宇都宮旧臣が前線に出た隙を見計らったものであった。城内を制圧した和田昭為は北条氏に対し降伏を願い出て、当主・佐竹義昭と岡本禅哲の首、佐竹義廉・義堅の出家、所領の半減、さらに宇都宮旧臣を謀反人として差し出すことで許されることとなった。
あまりにスムーズに全てが進んだため、北条家中は当主らによる降伏のための策と思われたが、長引かせることを嫌った北条氏康の意向もあって常陸戦線はこれで終結となった。若き新当主は元服して次郎康重を名乗ることとなり、佐竹氏は独立を失うこととなった。江戸氏は孤立したため降伏。所領をほぼ失い、北条の一家臣に落ちぶれた。小野崎氏は当主の成通が前線から後退しようとして結城家臣の水谷正村に発見され、一族共に討死。その所領の半分が佐竹氏に吸収され、佐竹義昭の弟が名跡を継いでいくこととなった。
♢♢
上総国 久留里城
北条の本隊2万が向かったのは里見氏の領内である。陸路は内房・外房の二方向から、海路は三浦半島から攻めこむこととなった。
鎌倉近くの六浦湊に集結した北条の水軍は相模・伊豆・駿河の三国から来ており、食料や物資を運ぶのを織田水軍に任せることでこれまでの数倍に及ぶ大船団であった。最初に里見氏へ攻撃を始めたのはこの大船団だった。
船団は対岸の富津湊をまず襲撃し、請西の茂木氏を降伏させて拠点化を進めた。水軍の反撃を図る里見だったが、その頃には北東から北条綱成率いる千葉氏との連合軍が、北西からは北条氏康率いる本隊が南下してきており、兵を分ける余力のないことを悟った里見義堯は各城に籠城を指示し、嫡男の義弘に久留里城を任せて自ら海に出た。しかし勝浦の正木時忠と万喜の土岐為頼を敵に回した状態で外房総が籠城に耐えられず、決戦を前にして瓦解。三浦半島沖の海戦でも里見水軍は善戦したが数の差は覆せず、槍大膳こと正木時茂が船とともに海に沈み、里見義堯は安房に逃れた。
久留里城で孤立した里見義弘は戦況を知ると即座に白装束で城を包囲する北条氏康の元に向かった。ほぼ同時期に里見義堯も安房から北条水軍が居留していた富津湊に降伏に赴いており、両者の間では予め敗れればこうすることが決まっていた。
本陣で氏康と対面した里見義弘は、一切物怖じする様子なく切りだした。
「里見の名、此れが残れば最早多くは望みませぬ」
「潔いですね」
「海で敗れたなら、最早我等に戦える余地は無し。抑織田が出てくれば我等に勝ち目は無かった。故に上杉殿には武田を何とか動かせと申してきたが、動きませなんだな、武田は」
「伊達の牧野と文を交わしていたな」
「蘆名が動けば終わりだ。上杉は謀るのが不得手でな。蘆名を止めるには伊達を崩すより他無かった。故に(岡本)禅哲殿と動いたまで」
だが三歩届かなかったな、と里見義弘は悪びれずに言った。勝者と敗者。それ以上でもそれ以下でもない、といった様子だった。
「其方の妹が今七つか」
「左京大夫殿の御子の竹王丸とか申したか?我が家の豊と同じ年頃でありましょう?」
「里見を継がせろ、と?」
「今、此処で我が首級を斬れば久留里の城は二月は耐えましょうな。常陸も公方様も全て落とすのは叶わなくなるでしょう」
「自らの身を晒して脅すか?」
「更に、白装束の当主を殺したとなれば我が部下も死兵となりましょうな。さて、如何程の北条兵を道連れとするか」
実際、この交渉は里見義弘が白装束で目立つように北条本陣を訪れた時点で終わっていた。自身の命を賭けても家名を残そうとする姿勢を否定してでも戦うには、北条には柵が多すぎた。関東武士の新しい棟梁を自任する以上、この行動を否定することは難しかったのだ。
里見氏が白装束を着て親子共々敵地に赴いた話は数日中に味方に知れ渡った。富津からやって来た青備の富永直勝も、氏康にある意味自分達の負けだと伝えた。
「此れ以上里見を憐れむ者が出ぬ内に、里見親子の首で満足する他御座いませぬな」
「上総介(綱成)も同じか?」
「佐竹攻めも順調とは言え、攻め切るなら里見の久留里は竹王丸に任せるしか無いでしょうな」
「だが、水軍は此方の支配下に置きたい」
「其れが落とし処かと。龍も翼を奪えば飛べませぬ」
里見や足利氏が家紋とする『二つ引き両』の両は龍に通ずると言われる。北条綱成は古河公方と里見の双方をそう表現した。
「我等は落ちぬ龍と手を取り合えば宜しいかと」
「道理よな。では、急ぎ常陸に向かう為、安房と上総の戦は終わりとしよう」
「そして、越後龍退治と戯れこむとしましょうぞ」
「上野攻めを慎重に進めておる様子。あわよくば我等も加わり論功を都合良くしたいが」
「其れを許す弾正忠様……今は右少弁様でしたか。ではありますまい」
「違いない」
彼らが祝いの盃を舐めるように味わっていた時、織田の戦況が彼らの耳に入ることになる。決戦の様子が。
北条の状況をまとめて1話にしました。古河公方は次代の藤氏の公方就任を否定しつつ、いわゆる摂家将軍を迎える方向性で既に行動中。古河公方の価値は変わりませんが、北条に反発する藤氏はいらないという姿勢は明確にしています。
また、佐竹・里見は長尾上杉が勝てるかどうか関係なく、北条が全力を出した段階で1戦に賭けて負ければこう動くと決めて動いています。基本的に長尾上杉・佐竹・里見で戦力分散を起こしているから対抗できているだけなのは彼らは理解しているので。史実では里見は久留里攻めに対して賭けに勝ったため勢力を回復できていますが、本作では兵站との関係から海路確保優先のため対里見に全力を出したのでそれはなりませんでした。




