第246話 天の采配(下)
先週は祖父の四十九日でした(書いたつもりで書き忘れてました。申し訳ありません)。前倒しで祖母の一周忌もあるので来月1回日曜日をお休みさせていただく予定です。
台風は皆様ご無事でしょうか。私は15号の時より被害も少なかったので安堵している次第です。地震も重なった時は驚きましたが。
近江国 塩津
塩津には信長はおらず、平手政秀が待っていた。
「何故信長は来ない?」
「殿は戦支度を整えておく、と」
「父が倒れたのに来ないのか?」
「倒れたからこそ行かぬ、と」
普通なら遺言を受けて次期当主に、となるのだが、そこはもう盤石すぎるという判断だろう。しかし、親の死に目かもしれないのに会おうとしないとは、色々と複雑な気分にならざるをえない。
ただ、純粋に政治的な視点で見れば、信長が動揺しない姿勢なのは畿内への影響を最小限に抑える意味でも最善なのは俺にもわかる。だからこそ、悲しい。
「宮内大輔様へ、御頼み申す、との言伝と文を預かっております」
「分かった」
手紙には、せめて昔からの老臣である政秀を遣わせると書かれていた。林佐渡守は若狭から向かっているらしい。これで笑って全員が仕事に戻れればいいのだが。
♢
先行して病状を診ていた半井瑞策と合流する。部屋では信秀殿が静かな寝息を立てていた。
「血を二度、吐かれたと」
「血便は?」
「確認出来ておりませぬ。日頃から確認する習慣が御座いませぬ故」
「50近い歳だ。胃潰瘍か、食道炎か、胃がんか」
胃がんだったらどうにもならない。母の深芳野の乳がんが見つかったばかりだというのに。
「最近の食欲は?」
「側に仕えていた者曰く、ここ二週間は余り食欲が無さそうだったと」
「酒は?」
「近頃は控えめだったと。あと、肉の脂が口に合わぬと申しておられたそうで」
更に細かく聞くために、事情を聞いた人間を全員集める。色々と聞く限り、胸焼けに近い症状な気がする。
「胃潰瘍、が可能性として高いが」
「胃が溶ける病でしたな。ピロリなる虫が悪さをしている場合が多いとか」
「必ず、では無いがな。しかしそうならば困ったな」
胃潰瘍に関しては、前世でも治療したことがある。しかし、その時使っていたのは内視鏡だ。内視鏡による手術の経験は少しあるが、胃の切開はしたことがない。前世は技術が飛躍的に進みつつある時代だったため、胃がんによる切除以外胃を開くことなく治療のできる病気がかなり増えていた。俺が関わったことのある手術はほぼ全て内視鏡でできるものであり、内視鏡なしで手術する方法については完全に見聞きしたものだけになる。開腹自体は盲腸含め経験がないこともないが、開腹手術と一言で言っても切る場所が違えば勝手の違う部分も出てくる。技術の隔絶が大きいとこういうこともおこるという典型だろう。
「吐血しているから時間は無い。が、病名を断定するには情報が足りない」
「ペニシリンでは此の病は治らないのですか?」
「ピロリ菌なら治るが、別の病気だった時に困る。万能では無いからなペニシリンは。何より、潰瘍自体は治らん」
内視鏡で胃の内部が確認出来れば病名が断定できるのだが、これも無い物ねだりだ。先に症例の記録のためカメラをまず作るところからだろう。
「一刻を争う今、少々の危険は承知の上でまずピロリ菌除去を目指すか。ピロリ菌で無ければ打つ手が無い」
「ではペニシリンを準備致します」
結局頼ることになり、ペニシリン万能神話が生まれる負の連鎖だ。最近はペニシリンと偽った謎の薬がたまに流通していて、見つけ次第売っている人間を捕縛させている。だが、噂に尾鰭がついて人々がペニシリンを求める声は日増しに大きくなっている。厄介な話だ。
♢
10日後、信秀殿は亡くなった。数えで享年49。ペニシリン投与から2日後には胃の状態に改善が見られたが、失われた体力が取り戻せなかったのだ。食を満足にとれず、生理食塩水の点滴だけでは体力の回復は無理だった。
尾張で葬儀を行うとのことで彼の遺体は尾張に向かって出発した。俺は臨終の状況を信長に伝えるのも兼ねて京へ向かうこととなった。
人の命を救うことの、難しさを感じながら。
♢
山城国 京
冬の間に動ける人間の数は限りがある。うちから出せたのは兵数でいえば500だけだ。彼らと共に琵琶湖を渡り、大津に入ってから京に入るのはすぐだ。
信長はいつにも増して黙々と事務作業の報告書の山と戦っていたそうだ。俺を出迎えた時の顔も少し寝不足がうかがえるものだった。
「すまぬな、もう少し確りと出迎えねばならぬのに」
「構わん。父親を喪った者に多くを望むは却って無礼だ」
「親爺は、苦しまず逝けたか?」
「寝顔は安らかだった。憂いのある顔では無かったよ」
「で、ある、か」
信長は泣かない。ただ、上を向いた。数枚の白と桜色の花びらが、空を舞うのが視界に入った。山茶花だろうか。どことなく、その花びらが信長の涙のように見えた。
時間としては長くない間をおいて、信長がこちらに向き直った。
「三月前親爺に、天下を差配し戦を無くす、と話した。もう話す事は無い」
「そうか」
「夏前に戻って弔う。支度は蝶と丹羽に任せてある。我等は出来る事をやろうぞ」
「喪中に兵を出して良いのか?」
少しいじわるな質問をした。うちの兵にも織田の兵にも信心深い者はいる。だからこそ、毅然とした態度を見せてほしいという俺の意図を信長は正しく受け取ってくれた。
「大蛇を斬った神剣を奉る社に向かうのに、刀を持たずに行くのも無礼であろうよ」
石上神宮が天羽々斬と布都御魂を奉じる神社だからこその、見事な返しだった。
♢
大和国 内山永久寺
石上神宮の勢力圏である布留郷は布留川を南北にはさむ位置にある。古くは『日本書紀』にも記述され、日本最古の神宮などと呼ばれることもある。そのため大和最大の勢力をほこる南都興福寺とは犬猿の仲であり、これまでも何度となく軍事衝突を繰り返してきた。興福寺が藤原家の氏寺なのに石上神宮が対抗できるのは、院政期をつくりあげた白河法皇の庇護を受けていたからだ。神社の敷地内には白河法皇の寄進した拝殿があり、古い灯籠が遠目に見える。
信長が先行させた2500の兵と合わせ3000で興福寺に入り、使者を送った上で石上神宮の側にある内山永久寺に向かった。永久寺は興福寺の影響が強い寺でありつつ、神仏習合の影響で石上神宮とも関係が深い。会談場所としては最適といえる。
永久寺の多宝塔そばにある明王院という坊舎に俺と信長、そして興福寺現大乗院別当の尋憲様が集う。会談相手である石上神宮の代表者を永久寺の座主が連れてくる手筈だ。
大乗院の尋憲様の父である二条尹房様は大寧寺で陶に殺された。美濃にも1度来て下さった方であり、その縁もあって二条家とは今も交流は絶えない。朝敵として陶討伐に加わった織田やうちに二条家の方々はかなり好意的だ。それもあって興福寺との連携は強くなっている。現在進めている興福寺の武装解除も、尋憲様の協力があるから着実に進められている。
「しかし、石上の者は遅いですな」
「尋憲様も来ているのが分かっているのか、彼の者共は」
時間の感覚が曖昧とはいえ少し待たされている、と感じる時間が流れた頃、石上神宮の代表がやって来た。物部の姓を継ぐ宮司一族の人間が3人、やって来た。宮司本人は体調を崩しているらしい。それでもと本人が顔を出そうとするのを止めるために遅くなったそうだ。
話に聞いているよりも物腰は柔らかかった。こちらの使者が無位無官に近い立場の人間が多かったせいなのだろうか。
「本題に入ろう。大和の寺社が皆払った矢銭を其方にも払って貰いたい」
「仰る事は分かります。然れど興福寺の僧兵が完全に居なくなってからでなくば其れは厳しゅう御座います」
彼らの言い分としては、興福寺の勢力拡大への対抗策として布留一揆がある。近年は興福寺に押し込まれ気味なので、布留一揆への費用が嵩み矢銭を払う余裕がないということなのだろう。
信長が俺に先行して兵を送りこんでも、手紙を送って来ながらこの場に来るのを躊躇った。それくらい興福寺の勢いは強大だったわけだ。
「今の興福寺には力が御座いませぬ。復旧も弾正忠殿の御尽力無くば進まなかった程」
興福寺代表・大乗院尋憲様はそう答える。筒井順昭が遺した爪痕は大きい。彼が焼いた結果として、興福寺は俺たちに従わざるを得なくなった。ある意味筒井順昭のアシストだ。敵対していたこの石上神宮に順昭が逃げ込んでいないか真っ先に調べられた程度には、彼の行動は助けになったはずだ。
「宮内大輔様は慈悲を知る御方と伺っておりまする。猶予を頂けませぬか?」
「我等既に一揆に兵を送る事能わず。燃えた御堂の復旧に手一杯に御座います」
俺に求められているのはこの件の仲裁。興福寺と石上神宮からの訴えを丸く収めることだ。信長から言わせれば、自分の武力を背景にしたとは言え、『寺社が裁判という形で自分たちを頼った』ことが大事なわけだが。裁判という俺たちの政府の枠組みに寺社も取り込みたいのだろう。寺社も国人も関係なく裁判という形式で争い、その実行に責任を持つ。自力救済の否定だ。とてつもなく大きい転換点といえる。このことに気づいた十兵衛は信長を「恐ろしい御方ですな」と珍しく表情に出るほど驚いていた。
「一揆を動かさず済むなら、矢銭は払えるのだな?」
「一揆を動かせば田畑を耕せなくなりまする。其れでも布留の民を生かすには銭が必須なので御座います」
となれば方向性は決まりである。
「矢銭を払って貰う。但し、水で」
「水?」
この山辺郡の水利権を握るのが石上神宮だ。昨年干ばつに遭った大和の状況を打開する上で、新しい政府で水利権を少しでも得られるのは大きい。
「断るなら、天子様の名で神宮に兵を送らねばならないかもしれない」
「天子様の?」
石上神宮を朝敵認定、ということになるが、幼い天子様の名でこれを行いたいというのが院の意向だ。実際に采配を揮うことはないだろうが、権威復活を狙う公家の意向が見て取れる。力なき朝廷と幕府が生んだ戦乱の時代を嘆き続けた後奈良院らしいといえばらしいが、どちらかというと朝廷の復活を目指す公家の声に押された形だろう。院はそこまで好戦的な人物ではない。
「我等としても、皇家の方々に出て来て貰いたくは無い」
皇族は可能ならば世俗に関わらない形を目指したい。ここは義兄長慶も信長も俺と共通している考えだ。『君臨すれども統治せず』。必ずしもこれが最善ではないが、今の朝廷ならばこの方がいいだろう。
「少し、考える時間を頂きたい」
代表者たちはそう言ってその日は帰って行った。
翌日、石上神宮は水利権に関して今後信長が管理することを承諾した。とはいえ、優先利用権は布留郷なのは変わらないので、実質的に大きな変化はなしだ。
「しかし、戦時や奴らが反抗すれば其処から締め付けられる。何より、煩雑で争乱の種である水を我等が府が差配する先例を得た」
「俺は其処迄不便を感じた事は無かったが、信長は苦しめられている様だな」
「場所によるが、面倒な場所は至極面倒だ。御蔭で遠淡海(浜名湖)の整備も中々進まぬし」
水は近代化にも不可欠だ。結果としてはその場限りの矢銭よりいいものが手に入ったかもしれない。天子様が采配を揮う必要もなかったしな。
ピロリ菌は日本人なら持っている人も多く(私の両親も持っていました)、割と身近かなと思います。とはいえ投与の方法的にそこまで効果はありませんし、結果的に死因は衰弱死です。史実より長く生きましたが、それでも桶狭間の年まで生きられなかったということになります。
どうでも良い話ですが翼が好きです(分かりにくいネタ)。冬場だから送れる兵も少ないわけですが、それ以上に本気で戦うための兵ではなく、裁判の場に呼び出すための兵だった形です。
史実では信長に社領を没収される石上神宮ですが、本作では代わりに布留川の水利権を奪われました。どちらが良いのかはわかりません。




