就職活動
1. 就職活動
大学4年の就職活動をする時期は過ぎていて、ほとんどの同級生が内定をもらい楽しんでいる時期でした。
そんな時に私は、まだ自分には何ができるのか、何がやりたいのかを悩んでいました。
私の名前は取手 晴、はれと書いて“ハル”と読む。
時代はバブルと言うとんでもない時代で、人が挙って投機目的で株や土地を買い、お金が湯水のように飛びかって、なんと土地の値段が山手線の内側だけでアメリカ全土が買えるぐらい短期間にはね上がり、経済が好景気になっているように見えていました。
それにより、仕事が増え、人が足らなくなり、どの企業も人材確保のために超売り手市場という時だったのです。
そんな時だったにもかかわらず、私は、他の人と同じが嫌、とか理由をつけて会社を決められずにいました。
どうせなら自分で起業するとか、あても無く自分探しの旅に出てしまう、などと考える事も出来たのでしょうが、そんな事をする勇気も無かった私は、父親のように馬車馬のように一生懸命会社に尽くすのだけは止めようと、自分の考えをまとめようとしていました。
でも時間がかかっているだけで、先に進む事も出来なかった私は、色々考えたましと。今急成長している業界の中で、新しい会社ならば仕事が沢山あるにもかかわらず、人材が少ないために、自分のやりたい仕事を選べるのではないかと都合のいい考えが思いついたのでした。
そして業種としては新しい、情報処理関係に絞って、その中で出来て間も無い会社探すと、簡単に見つけることが出来て、就職する事ができました。
ただ、他の人がある程度、名の通った会社を決めている中で、自分が決めた会社は独立系のソフトウェア開発関連で設立1年の会社でした。
その時パソコンの普及率はまだまだで、大きな会社でも一つの課に1台程度、メーカー直系のソフトハウス以外は名の知られた会社は無く、私が決めた会社はその中でも小さな会社でした。
ただそれでも、親は安心してくれました。
私が入った会社は、ソフトウェアを開発・保守する会社で、社員の全員が派遣と言う形で現地に出向いていたため、事務所には8個のスチール机に2台の電話だけの寂しい事務所でした。
他の先輩社員が会社に戻って来るのは、多い人で週に1回、少ない人では2ヶ月に1回程度だったので、折角入った会社だったのですが不安になることも度々あったのでした。
不安を抱きつつも、私の仕事は、1冊のマニアル本を読む事と、朝9:00から夕方5:30まで電話番をして、かかって来た内容を伝えるために担当者にポケベルを鳴らし先輩社員から電話を待って要件を伝えることでした。
そして、その仕事を半年続け、マニアルは手垢でボロボロなり、先輩社員の声を聞き分けるまでになったところで、次の仕事は3歳上の先輩とメーカー、銀行、新聞社と長くて1年、短いとろで3ヶ月といった単位でプログラマーを2年やりとげ、なんとか客が要求するプログラムが作れるようになったところで、次は先輩がやっていた要件や仕様を纏めてプログラマーに指示を出すシステムエンジニアと言う仕事を任されたのでした。
そして入社して7回目の桜が咲くころには、一端の1つのプロジェクトを全て任せられるプロジェクトマネージャーと言う仕事をやって、様々な難関を乗り越えて約3年が経つ頃には、サラリーマンとして達成感も充実感もある仕事で生活を送る事ができるようになっていました。
会社自体も私の入社当時は、全社員数10名ほどで、全員客先で仕事をしていたのですが、10年経って50名ほどの会社になっていて、自社でパッケージソフトの開発も行える、業界では傾いたシステムを立て直すSE軍団として、少し名が通るようになっていました。
そして私の会社も10年の節目で、記念式典が行われることになったのですが、古くから居る社員を対象にゴルフクラブセットの購入券またはそれ相当の報奨金がもらえる事となり、社長からゴルフは客先でのコミュニケーションツールだからとゴルフをやることを薦められたのでしたが、私はその時、時間を惜しんで打ち込んでいたことがあったため、丁重に断り報奨金をもらったのでした。
私がその時、打ち込んでいたものとは、以前出向先のお客さんに誘いで、見に行った車のレースでした。私は、レース場の独特な緊張感のある雰囲気、音やにおいに、誘ってくれたお客さんよりも、魅了されてしまったのでした。
私の人生で、すぐに行動を起こすことは、数えられるほどだったのですが、その時はどこにそんなエネルギーがあったのだろうかと思えるほど行動は早く、とにかくあのレースの雰囲気と一緒になりたくて情報を調べまくったのでした。
そしてレーシングクラブに所属する事が最も早い事を知って、家から一番近いレーシングクラブを探し出して所属するようになっていました。
このため、この時は週末だけで無く仕事が空く時間は全てレースの事を考えていました。
そんな仕事と車と大好きなビールに明け暮れて、ある意味充実した生活を送っていたのでしたが、私もいつの間にか30歳になっていました。
このころ親と顔を合わすたびに『嫁になるような人を連れて来い』やら、『お見合いをしろ』だのと言われるようになり、少し考えた方がいいのかとも思ったのでしたが、仕事をしている時以外は男達だけで楽しく過ごしていたので、結婚なんて想像も出来なかったのでした。
ただ、30過ぎて女っけが無いのも問題で、私が女性に対して奥手なのは、人に心配されるほどのものだったのです。




