第32話 ボーンズの悲劇10-最初と最期の光景
獣の咆吼のような怒号とともに、扉を打ち壊さんとする勢いで外側から扉が押された。領主の威厳を保つために重厚な造りであった両開きの扉も、その圧力にたまらず悲鳴を上げ、扉と枠とをつなぐ蝶番は今にもはじけ飛びそうである。人間の兵士とゾアンの戦士が必死の形相で扉を支え、押し返そうとしていたが、それも今にも押し切られそうであった。
このまま扉を守っても時間稼ぎにもならないと判断したガラムは吠える。
「良いか! いちにのさんで、扉から下がれ!」
そんなことをすれば、ここへ一気に敵が雪崩れ込んでしまうではないか。
ガラムの言葉に人間の兵士とゾアンの戦士らは顔を見合わせた。
「大将軍閣下の言うとおりにしろ!」
ガラムの意図を察したマルクロニスが有無を言わせぬ迫力で言う。
「いち、にの――」
続いてガラムが数を数え始めたのに、扉を支えていた兵士たちも腹をくくる。
「――さんっ!」
ガラムの号令とともにいっせいに兵士たちは後ろへ飛び退いた。
支えを失った扉が一気にはじけ飛びそうな勢いで開かれる。いきなり扉が開いたことで、体重をかけて扉を押していた聖戦軍の兵士たちが勢い余ってもんどり打って部屋へと雪崩れ込んできた。
「かかれぇー!」
そこへガラムが叫びながらふた振りの山刀を手に斬りかかる。マルクロニスたちもそれに続いた。
床に転がる敵はマルクロニスらに任せ、ガラムは彼らの上を跳び越えると、扉の外で突如の事態に右往左往する聖戦軍の兵へ躍りかかる。
まずガラムは一番手前にいた敵兵の顔面を右手の山刀で唐竹割りに両断し、次いで間髪を入れずその横にいた敵兵の首を左手の山刀で斬り飛ばした。
瞬く間にふたりを斬り捨てたガラムは、ずおっと音を立てて息を吸うと、それを咆吼に変えて放つ。
「我はゾアン十二氏族がひとつ〈牙の氏族〉ガルグズの息子、ガラム! 字は《猛き牙》! 〈牙の氏族〉の族長にして、平原のゾアンの大族長! そして、エルドアの大将軍! 推して参る!」
次の瞬間、ガラムは黒い竜巻と化した。
ガラムは両手に握るふた振りの山刀を縦横無尽に振るい、一瞬の停滞すらない流れるような体捌きを披露し、次々と聖戦軍の兵たちを切り伏せていく。それはさながら悲鳴と怒号を舞曲にし、聖戦軍の兵らを相手にした一対多の輪舞である。
この思わぬ反撃に聖戦軍の兵士たちは驚き、混乱し、逃げ惑う。
そんな敵兵にもガラムは容赦しない。死体と血飛沫と断末魔の叫びを量産しながら、ガラムは扉前からさらに通路の先へと斬り進んで行く。
そのガラムのあまりの勇猛ぶりに、腰を抜かして通路の床にへたり込んだ聖戦軍の兵士のひとりが、血の気を失った青い顔でガラムを指さして叫ぶ。
「ま、魔物だ! 魔物が出たっ!!」
その悲鳴を契機に、聖戦軍の兵士たちは恐れをなして一斉に雪崩を打って逃げ出した。
その体毛の先からも血の滴がしたたり落ちるほど浴びた返り血で全身を濡れそぼらせたガラムは、荒い息とともに肩を激しく上下させながら、こちらに背を向けて逃げる敵兵を睨みつける。
「大将軍閣下! いったんお戻りください!」
謁見の間に雪崩れ込んだ敵兵を排除し終えたマルクロニスがガラムへ呼びかけた。
「おまえたち、死体を通路に放り出せ! 死体を積み上げて奴らの足止めにするんだ! 早くしろ!」
自身でも敵兵の亡骸を通路に放り出しながら指示を出すマルクロニスの脇を抜けて謁見の間に戻ったガラムは上がった息を整えるために大きく深呼吸をする。
「マルクロニス! こちらの被害は?!」
「はははっ! 今、ここにいるのは精鋭中の精鋭ですぞ! あの程度の弱兵ごときにやられる者はおりません!」
ガラムの問いかけにマルクロニスは、そううそぶいた。それに兵士と戦士たちも、底抜けに明るい笑顔で賛同する。
わずかに弛緩した雰囲気の中で、ガラムはいったん退いた敵が再び押し寄せてくる気配を感じ取った。
「よし! 扉を閉めろ! 次が来るぞ!」
ガラムの指示で兵たちが扉を閉めると、程なくして敵兵が扉の向こう側に戻ってきた。戻ってきた敵兵たちは、再び扉を押し破ろうとする。その中にはどこかで調達してきたと思われる木槌や丸太で扉を殴打する音も加わっていた。
「敵ながら勤勉なことだ。こちらに休む暇を与えてくれんとはな。――もう一度やるぞ、マルクロニス」
ガラムの提案にマルクロニスも承知とばかりにうなずいてみせる。
「彼らの勤勉さに報いるため、私たちの手で永遠に休ませてやりますかな」
「それは良いな。――さあ、いち、にの、さん!」
ガラムの掛け声とともに、再び扉が開かれた。
◆◇◆◇◆
扉を利用した反撃方法によってガラムたちは聖戦軍の攻撃を二度、三度と跳ね返し続けた。
しかし、聖戦軍も馬鹿ではない。
何度も同じ手を繰り返し使えば、聖戦軍とて学習し、対策を立ててくる。ついに五度目の攻撃では、扉が開け放たれると同時に雪崩れ込んできた敵兵の中で態勢を崩す者は手前の数人のみで床に倒れ込む者はひとりもいない。後続を断つために扉を閉めようにも、他の部屋から持ってきたと思われる家具などが投げ込まれ、容易には扉が閉じられなくされてしまう。それを撤去しようにも、そうさせるものかと次々と敵兵が雪崩れ込んで来る。
敵兵を押し返そうとガラムは猛然と斬りかかるが、これまでのように通路まで押し返せず、謁見の間の中での乱戦となってしまった。
そうなると、いくらガラムたちが個々の力で勝ってはいても、しょせんは多勢に無勢である。ひとり、またひとりと取り囲まれて討ち取られてしまう。
その劣勢にあってなおガラムは気炎を吐く。
「ひるむな! 押し返せ!」
ガラムは誰よりも果敢に、そして勇猛に戦った。
そんなガラムを勇姿は、マルクロニスたちにとってこの死地での唯一の希望の光である。その姿に胸を震わせ、その叱咤に戦意を奮い立たせ、彼らもまた戦い続けた。
そして、今もまた槍で突きかかってきた敵兵を返り討ちに斬り伏せたマルクロニスは、自然とガラムの姿を求めて目を向ける。
そして、驚きに目を見張った。
数人の敵兵に囲まれながらも獅子奮迅の立ち回りを演じるガラム。その姿を挟んだ向こう側。入り口の扉の手前で横一列に並ぶ五人の敵兵たち。彼らが構えるのは剣でも槍でもない。
それは、弩であった。
「狙えっ!」
部隊長らしい敵兵の号令とともに弩につがえられた矢が向けられたのは、当然のごとくガラムであった。
「まずいっ!」
マルクロニスは考えるよりも先に駆け出した。自身に向けられた敵兵の槍の穂先や剣の切っ先を無視し、それらに身体を傷つけられながらも強引に前へ出る。
「放てっ!」
部隊長の号令とともに振り下ろされた手を合図に、いっせいに弩から矢が放たれようとする。
「させるかっ!」
マルクロニスは弩とガラムの射線の間に飛び込んだ。
その直後、弩の弦が音を立てて矢を飛ばす。
立て続けに起こる矢が肉をえぐる鈍い音。
短い苦鳴を洩らしながらマルクロニスは倒れた。
「マルクロニスっ!」
床に倒れたまま起き上がろうともしないマルクロニスへ向けてガラムは叫ぶ。
だが、マルクロニスはピクリとも動かない。
そんなマルクロニスに向かって、手柄首を上げようと目の色を変えて敵兵が殺到する。
「邪魔をするな!」
怒号とともに目の前の敵兵を斬り捨てたガラムは、倒れたマルクロニスに群がろうとする敵兵へ斬り込んだ。欲で目がくらんだ敵兵らは、怒り狂うガラムの前に抵抗する間もなく斬り伏せられる。敵兵を蹴散らしたガラムは、殺意に燃える目で弩を持った敵兵を睨みつけた。
その目は怒りに爛々と燃え、めくり上がった唇からは噛み締められた牙が覗く。
「おまえらかぁっ!!」
ガラムは殺意とともに怒号を発した。
それに聖戦軍の兵士たちは悲鳴を上げると、慌てふためきながら次々と謁見の間から逃げ出して行く。
ひとりとして生かして帰さんと襲いかかろうとしたガラムだったが、背後でマルクロニスが小さくうめき声を上げるのに、たたらを踏んだ。
ガラムが肩越しに振り返って見れば、仰向けに倒れるマルクロニスの胸がわずかに上下していた。
「大丈夫かっ?! しっかりしろ、マルクロニス!」
ガラムはすぐさま駆け寄ると、素早く負傷の状況を見て取る。
弩の矢は胸に二本、左脇腹へ一本、そして首元近くに一本が突き刺さっていた。
致命傷である。
ガラムは自身の胸も矢に打たれたような痛みを覚えながら、ただマルクロニスに呼びかけることしかできなかった。
「マルクロニス! しっかりするんだ!」
仰向けに倒れるマルクロニスの上に身を乗り出すようにしてガラムが呼びかけると、マルクロニスはうっすらと目を開く。
焦点の定まらない目をさまよわせていたマルクロニスだったが、しばらくして目の前のガラムの顔に気づいた。
「ははは……懐かしいですな」
そして、マルクロニスは嬉しそうに微笑んだ。
「しゃべるな! すぐに血を止める! 誰か、包帯となるものを持って来い!」
ガラムは悲鳴のように叫ぶが、マルクロニスはそれが聞こえていないのか、淡々と語り続ける。
「あのときも倒れた私の上に乗りかかるように覆い被さったあなたの顔が、こうして間近にあったんですよ」
マルクロニスは楽しげに笑った。
「覚えていませんか? 平原の砦の戦いですよ。ああ。本当に懐かしい。懐かしいですなぁ」
マルクロニスは痛みに一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに笑みに目を細める。
「あのときまで、私は何の目標もありませんでした。なりたくて兵になったわけじゃありません。食うために仕方なく兵になったんです。ただその日を生きるために兵士をやっていたんですよ」
マルクロニスは目の前のガラムの目を見つめた。
「それが変わったのは、あの日です。あなたに倒され、引き合わされたソーマ陛下に従うようになって、それから変わったんです。いろんなことをしました。いろんな、本当に楽しくて、大変だけど生きているんだと思えた。これが生きてるってことだって思えたんですよ。だから、私の本当の人生はあのとき始まったのです」
マルクロニスは、にこりと笑った。
「人生の最初と最期の光景が、同じだなんて、何とも愉快ではありませんか?」
その言葉とともにマルクロニスの身体から力が抜けていくのを感じたガラムは溜まらず叫び声を上げる。
「マルクロニスっ!!」
しかし、マルクロニスは二度と言葉を返すことはなかった。




