第27話 ボーンズの悲劇4-混迷
時は遡り、聖戦軍によってルイズベンの街が陥落して間もなく。
場所はエルドア国の旧ロマニア国領の東部。
「《猛き牙》。あの村もやはり避難を拒否されたぞ」
村への避難勧告を任せていた戦士からの報告に、《猛き牙》ファグル・ガルグズ・ガラムはただ「そうか」とだけ陰鬱な声を洩らした。
「畑や家畜の世話をするため離れられないそうだ。どこの村も同じ事を言うな」
徒労感をにじませて、そうぼやく戦士をガラムはたしなめる。
「だが、放置すれば聖戦軍に飲み込まれ、奴らの餌にしかならん。せめてボーンズの街へ避難してもらうよう、最後まで説得し続けるしかあるまい」
ガラムが蒼馬から命じられていたのは、旧ロマニア国領東部での避難民の誘導とやってくる聖戦軍への対処である。
そこでガラムは、まず人将マルクロニスを避難民の受入態勢を整えさせるため、避難先となるボーンズの街へ向かわせた。そして、迫り来る聖戦軍に対しては、先頃〈たてがみ〉の氏族を離脱して氏族姓と父姓を捨てて、メヌイン・バララク・バヌカではなく、ただのバヌカとなった彼に戦士を率いさせ、遅滞作戦に挑ませている。
そして、自身は大将軍という地位と権威をもって旧ロマニア国領東部に点在する農村へ避難を呼びかけていたのであった。
しかし、そのガラムの避難勧告に対して、人々の反応は思わしくなかったのである。
いくら聖戦軍の脅威を伝えても、大半の人々はその土地に拘泥して避難を受け入れようとしなかった。また、いったんは避難をしても、やはり畑や家畜の世話をしなければと戻ってきてしまう事例も相次いだ。中には避難勧告をした途端、土地を奪うつもりかと激怒して農具を手にガラムたちを追い払おうとする村さえあった。
これにはガラムたちもほとほと手を焼いていたのである。
また、そうした手合いに対しても心情的に強く出られない理由もガラムたちにはあった。
「だが、《猛き牙》よ。ボーンズの街とやらは、これより聖戦軍という連中に攻められるのだろう? そこへ避難させて本当に良いものなのか?」
痛いところを突かれ、ガラムは一瞬言葉に詰まってしまった。
本来ならばエルドア国西部の旧ホルメア国領まで避難させるのが理想である。しかし、それは同時に現実的ではなかった。避難民には多くの女子供老人が含まれるのだ。彼らに旧ホルメア国領まで避難できる足もなければ、体力もない。ましてや、早くも聖戦軍の先遣部隊の発見の報せが散発的に寄せられている現状では悠長に避難させるわけにもいかなかった。避難の途中で聖戦軍に見つかりでもすれば、それこそ格好の獲物である。
「何の守りもないところで聖戦軍に襲われるよりマシと思うしかあるまい」
まるで自分に言い聞かせるように戦士に告げたガラムの耳が、ピクリと動く。ゾアンの鋭敏な聴覚が、はるか頭上から空を羽ばたく翼の音を捉えたのだ。
その目を頭上へと転ずれば、空から舞い降りるハーピュアンの姿があった。
「大将軍閣下! 大将軍閣下は、おられますか?! 急報です!」
そう叫びながら地上に降り立ったハーピュアンの伝令兵にガラムも応じる。
「俺は、ここだ! 一体何があったっ?!」
種族差から個人の判別がつかないハーピュアンに対し、ガラムは大将軍の徽章を示して声を上げた。
目当ての人を見つけられた安堵からホッとした顔になるハーピュアンだったが、すぐにその顔に焦燥を浮かべる。
「大変です、大将軍閣下! 人将閣下よりの急報です!」
ボーンズの街で、そこの領主に協力して避難民の受け入れ態勢を整えている人将マルクロニスからの急報とあれば、よほどの大事に違いない。街の住民と避難民とのもめ事か、それとも早くも聖戦軍が姿を現したのか。
そうした様々な事態を想定して心構えを取ったガラムであったが、ハーピュアンがもたらした急報はそれ以上のものであった。
「街の領主が姿をくらませました!」
ガラムは驚きに目を見開いた。
そんなガラムへハーピュアンはさらに深刻な状況を叩きつける。
「人将閣下がその事態の対処に努められておりますが、現在ボーンズの街は混乱状態に陥っているそうです!」
「何だと……!」
ガラムはそれ以上の言葉を失った。
◆◇◆◇◆
「心配する暇があるなら、やるべきことをやれ! こうしている間にも助けを求めて避難してくる民たちが押し寄せてくるのだぞ!」
領主が姿をくらませたことに不安を覚えてやってきた騎士や街の名士たちに向け、マルクロニスはそう声を荒らげた。
「いなくなった領主は捜索している! 本人の意志でいなくなったのか、やむにやまれぬ事情があったのか、もしくは聖戦軍の手によって攫われたやも知れぬ! ことの真相がわかるまで民の不安を煽らぬように箝口令を敷く! みだりにこのことを口外すれば処罰されると知れ!」
断固とした口調で言い切ると、マルクロニスは事情の説明を求めてやってきた人々を力ずくでその場から追い出した。
人々がいなくなり、ようやくひとりになれたマルクロニスは苛立ちから壁を殴りつける。
「クソ領主めがっ! どこに行ったっ?!」
老練の将であるマルクロニスらしからぬ暴言であった。
しかし、それも無理はない。
消えたのは領主ひとりではなかった。その家族とめぼしい私財と、それらを載せるであろう馬車が一台まるごと消え失せているのだ。
明らかに街を見捨てての逃亡である。
ボーンズの街の領主が家族ごとその姿をくらませたのは、マルクロニスが街に訪れた、その翌日のことであった。街を訪れた当日、まずは現状を理解してもらうために聖戦軍の脅威とその暴虐ぶりを詳細に説明したのが悪かったのだろう。一夜明けて、これから押し寄せてくる避難民の受け入れや聖戦軍に対する防衛策を打ち合わせしようと領主への面会を申し入れたところ、その筆頭家臣である陪臣騎士から領主の姿が見えないことを告げられたのだった。
まず唖然としたマルクロニスだったが、すぐに領主が逃げたと理解すると、すぐさま箝口令を敷くとともにガラムへハーピュアンの伝令兵を飛ばしたのである。
もっとも箝口令については意味がなかったようだ。すでに街の名士たちの間では、領主の逃亡は周知の事実となっていた。
とりあえず狼狽えるボーンズの街の騎士たちの尻を蹴飛ばし、やってくる避難民の受け入れと、攻めてくる聖戦軍への備えをさせたマルクロニスだったが、数日後にはさらに事態は悪化する。
「領主の首が投げ込まれただと?!」
その日、街に備蓄された糧食の数量を確認していたマルクロニスは、街の騎士から告げられた報告をおうむ返しに口にした。
その騎士から詳しく話を聞くと、今日の早朝に聖戦軍と思われる一騎の騎兵がやってきて、街の周囲で土塁や逆茂木の設営作業に当たっていた人々へ血まみれの袋を投げ入れ、そのまま駆け去っていったという。
そして、その投げ込まれた袋を開いてみると、その中には領主とその妻子の首が入っていたというのだ。
死んだ領主が聖戦軍の裏を掻こうと、あえて東に進んだ挙げ句に虎口に飛び込んでしまったのか、はたまた自分らが想像するよりも西まで聖戦軍の手が及んでいたのかは定かではない。
いずれにしろ領主が聖戦軍の手によって殺害された事実は、街にさらなる混乱をもたらすことは必定であった。
聖戦軍が領主とその家族の首を投げ入れた意図は明白だ。逃げても無駄だ、という明確な脅迫である。これで追い詰められた街の人々が窮鼠猫を噛むが如く奮起すれば良い。だが、それは決してあり得ないことだった。すでに自分らを見捨てて領主だけが逃亡したという事実だけでも人々の心は折れかかっているのだ。ここへ逃げ道はないと知らされれば、それこそ心が完全にへし折れてしまう。
マルクロニスは怒鳴りつけるように言う。
「その場に居合わせた者たちを隔離し、箝口令を敷け!」
指示を受けてあたふたと走り去る騎士の後ろ姿を見やりながら、マルクロニスは「無駄だろうな」と自嘲した。
同じく箝口令を敷いたはずの領主の逃亡は、すでに知れ渡っているのだ。その首が投げ込まれたことも遠からず街中に知れ渡ってしまうことだろう。
マルクロニスは自身が領主の逃亡する切っ掛けを作ってしまったことに臍を噛む。
「このままでは陛下の作戦が瓦解してしまうぞ」
いくら強固な防衛壁があろうとも、その内側に立て籠もる人々の心がへし折れてしまえば何の意味もない。このボーンズの街も聖戦軍によって簡単に押しつぶされてしまうだろう。
そんなことになれば、この街で徹底抗戦をして時間を稼ぎ、その間に住民の避難と焦土作戦を進めようとしていた蒼馬の計画が根底から崩れ去ってしまう。
「急ぎ大将軍閣下のところへハーピュアンを飛ばせ! 街の準備も急がせろ! もはや一刻の猶予すらないぞ!」
自身も忙しなく動きながら、マルクロニスは部下たちの尻を叩いた。
◆◇◆◇◆
ボーンズの街の状況は、マルクロニスが憂慮したとおりとなった。
逃亡した領主が殺され、その首が投げ込まれたことは、早くもその日のうちに住民の間で衝撃をともなって広まってしまったのである。
領主にとって領地と領民は、その存在意義に等しい。その領地と領民を投げ捨ててまで領主が逃げたという事実は、押し寄せる聖戦軍から街は守り切れないという現実を住民らに突きつける結果となった。また、庇護者である領主から見捨てられたという失望と相まって、それはもはや絶望へと変じていたのである。
そのためマルクロニスたちがいくら叱咤し、奮い立たせようとしても、人々はあたかも生ける死体のように、無気力にただ言われるまま作業に従事するだけであった。また、中には「こんなことをしても無駄だ」と明言し、作業を放棄する人も出る始末である。
このような街の状況に、せっかく避難してきた避難民の中には、別の避難先を求めて街を出る者もいた。もはや聖戦軍が間近に迫って来ているという危険な状況にもかかわらず、それよりもこの街に留まる方が未来はないと判断されたのだ。
そして、そんな者たちを思いとどまらせる言葉をマルクロニスは持ち合わせていなかったのである。
それでも何とか避難民の受入と籠城戦の準備を進めていたマルクロニスであったが、彼は彼では火で炙られるような焦燥感に苛まれていた。
「人将閣下。斥候からの連絡では、聖戦軍が迫ってきております。ご決断を……!」
「わかっている。――わかっているが、このまま街を放置するわけにはいかんのだ」
マルクロニスが部下から決断を求められているのは、ボーンズの街からの退去であった。
焦土作戦によって聖戦軍を疲弊させてからの反撃に備え、兵を温存するために蒼馬からは聖戦軍との交戦は固く禁じられている。本来ならばマルクロニスは、さらに西へ避難を希望する避難民を連れて、とっくに街から退去していなければならない頃なのだ。それだというのに聖戦軍の影が伸びつつある今なおボーンズの街から離れられずにいる。
「このような街の状況では、聖戦軍を足止めするどころか、一揉みに押しつぶされるだけだ。それでは陛下の計画が破綻する」
民を避難させるにも、焦土作戦で聖戦軍を消耗させるのにも時間を要する。だからこそ、その時間を稼ぐために旧ロマニア国領東部でも城塞都市として名高い、このボーンズの街で徹底抗戦することが決められたのだ。
しかし、本来ならばその戦いを指揮するはずの領主は逃亡の挙げ句に殺され、その事実によって街の士気はどん底まで落ちている。
これでは、あの聖戦軍を相手に時間を稼ぐことなど、到底できはしない。
悲壮な決意を顔に浮かべたマルクロニスは、声を潜めて言う。
「例の準備は、どうなっている?」
「はい。――閣下のご指示のとおり、密かに進めております」
おどおどとした目で周囲に人がいないことを確認しながら報告する部下に、マルクロニスは「そうか」と言う。
「良いか。決して街の人々には気取られるなよ。万が一、街の人々に準備のことが洩れれば、重大な機密漏洩として貴様は処罰されると覚悟しておけ。――行け!」
そう脅しつけると部下は青い顔をして「わかりました!」と声を上げると、そのまま転がるような勢いで出て行った。部下がいなくなり、ひとりになったマルクロニスは自虐の笑みを浮かべる。
「できれば使いたくはないが、やむを得まい」
マルクロニスが街の人々に秘密裏で進めているのは、街を焼き払う準備であった。
この街が聖戦軍に占領されれば、ここはエルドア国侵攻における重要拠点となる。そうさせないためにも、街が陥落する際には聖戦軍に利用できないぐらい徹底的に破壊しなければならなかった。
そのためにマルクロニスは密かにボーンズの街中に火種を隠すよう指示を出していたのである。それは街を退去する際に少数の決死隊を残しておき、街の陥落が明らかとなったときに一斉に火を放つためのものだ。
当然、街が陥落したときの混乱の中で、残っている人々を避難させる暇などありはしない。住民や避難民ごと街を焼き払うことになる。その犠牲となる人の数は、数万に及ぶだろう。とうてい許されるものではない。そして、だからこそ街には秘密裏で準備を進めているのである。
「陛下もまだまだ甘い。やるならば徹底的にやらねば」
マルクロニスからすれば、蒼馬の焦土作戦は生ぬるかった。
どうせやるのならば、問答無用で村々に火を放ち、抵抗する者を斬り殺し、蓄えられていた食料はすべて接収すれば良いのだ。いちいち村人のことを気に懸ける必要などない。悪評が気になるのならば、実行する兵士には聖戦軍の恰好をさせ、すべて悪評を聖戦軍へ押しつけてしまえば良いのだ。
平民出の成り上がり者として、ホルメア国の貴族や騎士らにそうした汚い仕事を密かに押しつけられていたマルクロニスは暗い笑みを浮かべた。
しかし、マルクロニスは、その暗い笑みを苦笑に変える。
「まあ、それができないからこその陛下でしょうな」
そのような非道な行為を平然と行える蒼馬であれば、おそらく今エルドア国を支える人々のうち、大半はそこにいなかっただろう。自身もまた蒼馬がホルメア国の貴族と変わらない人間ならば、率先して仕えようとは思わなかったはずだ。
「陛下はあのままでよろしい」
マルクロニスは納得する。
本当かどうかもわからない平和な母国のことを語り、それをエルドア国で実現したいという妄想とも言うべき壮大な夢を口にしては周囲に呆れられ、政務をさぼっては重臣らに追い回され、王佐にお菓子を取られて涙目になり、弱音を吐けば王佐から尻を蹴り上げられる。
そんな陛下で良いのだ、と。
それ故にマルクロニスは、すべてを独断専行で進める。
蒼馬が数万の自国民を焼き殺すという汚名を被らないように。その罪に良心の呵責を覚えないように。
すべてを蒼馬ばかりか大将軍であるガラムにも秘密裏にマルクロニスは準備を進めていた。
◆◇◆◇◆
「この太鼓の音は何だ……?」
その日もまたボーンズの街で奔走するマルクロニスの耳に、どこからか太鼓の音が聞こえてきた。
それは通信のためにゾアンたちが叩く独特な拍子のものではない。その太鼓の音は、一定の拍子を保って連続して叩かれる楽曲のようではあるが、それにしてもやや単調な拍子であった。
しかし、それは歴戦の兵士であるマルクロニスにとって馴染み深い拍子でもある。
「これは行軍の太鼓か?」
それは、多くの兵士を行軍させる際に兵たちの歩調を一定に取るために叩かれる行軍用の太鼓の拍子のようであった。
それに気づいたマルクロニスが街壁へと向かって走り出す。
「まさか、もう聖戦軍がやってきたのかっ?!」
聖戦軍の動向については、数多くの斥候隊を放って随時報告させていた。その報せを信じれば、聖戦軍の先遣隊となる部隊がここへ到着するまでには、まだ数日の猶予があったはずである。それが、すでに太鼓の音が聞こえる距離まで迫られていたなどとは思いもしなかった。
太鼓の音に、早くもボーンズの街は騒然となっていた。
右往左往する者もいれば、もう駄目だと茫然自失する者もいる。あちらで悲壮な顔で棒を手に飛び出す男もいれば、こちらでは慌てて家の扉を閉める女性もおり、そちらでは訳もわからず泣き叫ぶ子供の姿があった。
その中でマルクロニスは偶然行き会った部下を捕まえると、その耳元に告げる。
「急ぎ兵を集め、武装させろ。最悪、犠牲を覚悟で包囲を切り抜けるぞ」
ボーンズの街と心中するわけにはいかないのだ。いまだ完全に包囲されないうちに兵をまとめて街から脱出しなければならない。
告げられた部下も心得たもので、何も言わずにうなずいて承諾を示すと、兵を集めに向かった。
マルクロニスは脱出の準備を部下に任せると、自身は状況を確認するために街壁の上へと駆け上がる。
「……! な、何だと?!」
そして、マルクロニスは絶句した。




