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破壊の御子  作者: 無銘工房
興亡の章
380/534

第58話 ベルテ川の戦い5-英雄談義

 パルティスに突然罵声を浴びせかけられた蒼馬は驚いておうむ返しに尋ねる。

「臆病者って?」

「破壊の御子に、決まっておろう!」

 パルティスは不機嫌そうに大きく鼻を鳴らした。

「いかなる策や思惑があるかわからぬが、多勢である我らに会戦を挑むとは天晴(あっぱ)れ。さては、英気溢れる英雄であろうと思い、こうして対面を望んだというのに、ここに至ってまで影武者を寄越して引っ込んでいるとは用心を通り越して臆病である! 即刻、本物の破壊の御子を連れて参れ!」

 どうやら自分を偽者と疑っているらしい。

 蒼馬は苦笑いを浮かべた。

 偽者扱いされるのには慣れている。何しろ今でもエルドア国の王宮ですら、不法侵入者と間違われることもあるのだ。

 もっとも、それは蒼馬にも原因がある。

 謁見や多くの廷臣たちの前へ出るときには、蒼馬も王らしい華美な装いの服を着る。

 ところが、この華美な衣服というのは、とにかく動きづらい。ひたすら上等な布地をたくさん使い、これでもかとばかりに装飾品をつけているのだから、それも当然である。

 そのため、蒼馬は親しい者たちだけのときや人前に出ずにすませられる仕事だけとなると、ボルニスの街のときと変わらずシェムルからもらったゾアンの衣服を愛用していた。

 しかも、着やすければ何でも良いという性格の蒼馬である。そうした衣服もすでに何年も着古されたもので、とっくに袖や裾がほつれ、かぎ裂きを(つくろ)った跡まであるのだ。そんな衣服では、とうてい西域でも屈指の大国の王に見えるはずもなかった。

 そのため、ちょっと息抜きのつもりで執務室を出たところで王宮の衛士や女官たちに呼び止められ、不審者として詰問されることも度々である。

 ちなみに、それは決まってシェムルが何かの用で一緒にいないときに限られていた。これには蒼馬も「もしかして、みんなはシェムルの存在で私を認識しているの?」と真剣に悩んだものである。

 そして、今もまたシェムルが隣にいないのに加え、自分の格好を見下ろした蒼馬は納得してしまう。

 乗っている馬やそれに付けられた馬具は立派だが、自身が身につけているのは相も変わらずゾアンの衣服だ。敵が迫ってきたら身を守るより先に逃げろと言われているので、武器や鎧などは身につけていない。せいぜい額に巻いた鉢金と腰に差した小ぶりな山刀だけである。

 これでは誤解されても仕方がないなと、かえって申し訳なさそうに蒼馬は言う。

「えーと……こんな格好しているけど、私がその破壊の御子なんだけど」

「嘘を申すな!」

 蒼馬の言葉尻を食うようにパルティスは言った。それから賛嘆の眼差しで蒼馬の後方を見やる。

「あそこに清廉(せいれん)なる気を感じる。かように清々(すがすが)しい気は、初めてである! 英気というには、いささか弱いが、きっとあれが破壊の御子に違いない!」

 自信満々に断言するパルティスの視線を追った蒼馬は、その先にこちらを心配そうに見つめるシェムルの姿を見つけた。

 シェムルは自分の半身なので仕方ない。

 そう自分に言い聞かせるが、何だか胸が痛む気がする蒼馬だった。

「嘘じゃないよ。私が破壊の御子だ」

 蒼馬が重ねて主張すると、パルティスは「しつこい」と言わんばかりに、わずらわしそうに目をやる。ところが、パルティスは不意にその目をパチクリとさせた。

「ん? はて? 嘘を言っていない?」

 パルティスの直感は、蒼馬の言葉に嘘はないと訴えていた。それでもにわかには信じられずに、パルティスはしきりと首をかしげる。

「本当に、貴公が破壊の御子なのか?」

「うん。まあ、いつの頃かそう呼ばれていて、私もそう名乗ってはいるけど、本当かと言われると困る。ただ、私以外に破壊の御子と呼ばれる人も、そう名乗っている人も見たことないよ」

 苦笑とともに蒼馬が答えると、しばしパルティスは目を見張った。

 ようやくあってパルティスは蒼馬の言葉が嘘ではないと理解する。

「これは、とんだ無礼をした。許されよ」

 パルティスは素直に自分の非を認めて謝罪した。それからパルティスは、蒼馬の爪先から頭の先まで値踏みするように眺め回す。

「ふむ。そうか。貴公が破壊の御子なのか。大逆者や暴君などと聞いていたので、てっきりよほどの大人物かと思っていたのだが、これは驚いた」

 パルティスはほうっと吐息を洩らした。

「私が見るに、貴公は凡人である」

 馬鹿にしているのかな。

 そう思った蒼馬だったが、どうもパルティスは本気で驚いているようであった。

 そうなると、もともと自己評価が低い蒼馬である。不機嫌になるどころか、そうだろうなと納得してしまった。

 すると、そこでようやくパルティスが自分の失言に気づく。

「これは重ねて無礼であった。許されよ。――だが、私は決して馬鹿にしたわけではない。むしろ、感心しているのだ」

 言葉だけではなく、パルティスの口調からは惜しみない称賛の響きか感じられた。

「貴公は確かに凡人で間違いない。しかし、その所業はまぎれもなく英雄や王のものである。いや、それ以上だ。それ故に凡人である貴公がそれを成すために、いかほどの決意と苦悩を乗り越えてきたことだろうか。いかほどの矛盾に苦しめられてきたのだろうか。その苦衷(くちゅう)は、察するにあまりある」

 パルティスは自分の胸に手を添えた。

「このパルティス。心より敬服しよう」

 嘘やおだてではなく、パルティスは心底から深い敬意を示した。思わぬ称賛を受けて照れくさそうに自分の頬を指でかく蒼馬に、不意にパルティスの目がすっと細まる。

「だが、それ故に貴公は危険である」

 突然の言葉に、蒼馬はただおうむ返しに「危険?」と言うしかなかった。それにパルティスは重くうなずいてみせる。

「そうだ! 兄や妹が口を揃えて貴公を危険と言っておった理由がよくわかった」

 どういうことだと疑問を顔に浮かべる蒼馬の前で、パルティスは腕組みをして難しい顔で考え込む。しばらくして、パルティスはパッと顔を輝かせると、自分の右の拳で左手の平をポンッと打った。

「たとえばだ。自分が住む屋敷の隣に、とてつもない高い塔が現れたとする。それこそ天にも届かんという高い塔だ」

 蒼馬はパルティスの言葉に、現代日本の高層ビルを思い浮かべる。

「ところが、その塔の柱がか細く今にも折れそうなものだとしたら、風ひとつでぐらぐらと揺れるものであったとしたら、貴公はどう思われる?」

 蒼馬は東日本大震災のときの高層ビルが地震で大きく揺れる動画を思い起こした。

 免震構造でビル全体が揺れることで地震の揺れを分散する仕組みとは頭で理解していても、あのように波打つ高層ビルが自分の家の隣に建っていたら、とてもじゃないが気が気ではない。

「怖いね」

 蒼馬の率直な言葉に、パルティスは「そうであろう」と得意げな顔をする。

「そんな塔では、いつ倒れはしないかと気が気ではない。しかも、その塔が高ければ高いほど、万が一こちらに倒れてくれば大惨事だ。それならばいっそのこと、こちらの思う方へと崩したくなるのも無理はなかろう」

「えっと……。それじゃあ、私が英雄だったら戦わなくても良かったってこと?」

 蒼馬の言葉にパルティスは苦笑いを返す。

「そうとも限らないが、戦嫌いのゴルディア兄上ならば講和なり、不戦の約定なりを結んだであろうな。逆に私や妹ならば、むしろ大喜びで戦いを挑んだやも知れん」

 パルティスは何が面白いのか、底抜けに明るい笑い声を上げた。その前で蒼馬は困り顔になる。

「英雄だったらって、どうすれば良かったんだか……」

 そう嘆く蒼馬に、パルティスは良いことを思いついたとばかりに顔を輝かせる。

「このようにふたりだけで顔を合わせるような機会は二度とあるまい。ならば、この好機に貴公へひとつ問おうではないか」

 子供のような純粋な好奇心と期待に顔を輝かせながらも、驚くほど真剣な眼差しでパルティスは蒼馬へ問う。

「そも英雄とは何ぞや?」

 蒼馬は困った。

 漠然とした英雄のイメージはある。しかし、それを言葉にするとなると難しい。しばらく蒼馬は首をひねり、何とか思いついた言葉を口にする。

「普通の人にはできないことをやり、多くの人の(あこが)れとなる人かな?」

 蒼馬の答えにパルティスは深くうなずいた。

「悪くない答えだな」

「じゃあ、正解は何なの?」

 可でも不可でもないパルティスの反応に、蒼馬は問い返した。ところが、それにパルティスは大きな口を開けて笑う。

「あくまで座興(ざきょう)の問いよ。正答などないわ」

 肩すかしを食らった蒼馬は「何だよ、それ」と呆れてしまう。すると、パルティスは再び笑ってから言う。

「それではつまらぬので、あくまで私の個人的見解に過ぎんが答えよう」

 パルティスは一拍の間を置いて言う。

「私が思うに、英雄とは我が(まま)な人間である」

 思わぬ答えに、蒼馬はおうむ返しに言う。

「我が儘?」

「そうだ。――たとえば、ホルメア国とロマニア国の建国王であらせられるホルメアニス王とロマニアニス王である。おふたりは、まさに英雄であられた。しかし、おふたりが相争い、古王国を割ったがために、どれほどの人が死んだことだろう。建国する際の戦いのみならず、建国後も両国は幾度となく戦い続けている。そこで命を落とした者たちの屍を積み重ねれば、ウワラルプスの(いただき)にも達しよう」

 ウワラルプスは大陸の中央と西域を分かつ峻嶺(しゅんれい)なる山脈である。その頂に達するとは誇張が過ぎるように思えるが、ホルメア国とロマニア国の長年の対立を考えれば、それは決して大げさな表現ではなかった。

「それほど多くの人命を失うことをホルメアニス王とロマニアニス王へ伝えれば、おふたりは剣を収め、どちらかが国を譲り、古王国を割らずにすませられたであろうか? その後に起きた両国の血みどろの争いを未然に防げたであろうか?」

 その答えに(きゅう)する蒼馬へパルティスは断言する。

「いや。あり得ぬ!」

 パルティスはさらに言葉に熱を込めて続ける。

「おふたりは我慢ならなかったのだ! 自らの上に何かがあることが、自分が他者の法に縛られることが、自分が他者に支配されることが、我慢ならなかったのだ! それが何人(なんぴと)だろうと、それが何であろうと、たとえそれが血肉を分けた兄弟であろうとも! (おのれ)こそが至尊であらねばならぬ! 己こそが法であらねばならぬ! 己こそが他者を支配し、意のままにしなければならぬ!

 だからこそ、おふたりは国を割って相争ったのだ! この圧倒的な我欲! 我が儘こそが人を英雄たらしめるのである!」

 パルティスの言葉に、蒼馬は釈然としなかった。

 国ひとつを打ち立てたのだから、ホルメアニス王とロマニアニス王は英雄と言ってもいいだろう。

 しかし、すべての英雄がそうした自分勝手で我が儘な人だけとは限らない。

 その思いが顔に出たのか、パルティスはフッと笑みをこぼす。

「貴公が言いたいことはわかる。英雄と呼ばれる者の中には、慈悲や仁愛を(うた)う者もいると言いたいのであろう」

 パルティスは小さく鼻を鳴らした。

「しかし、私に言わせれば、それもまた我欲である。

 考えてもみよ。ただ慈悲深ければ祈っていれば良い。ただ仁愛を謳うのならば、自分で実践して満足していれば良い。

 だが、英雄と呼ばれる者は、それだけでは満足できんのだ。

 (おのれ)()とするものが支配欲であれ名誉であれ慈悲であれ仁愛であれ、それが認められねば気がすまぬ。それが受け入れられねば納得できぬ。それができぬ国ならば、それを討ち壊し、それができぬ世界ならば、それを滅ぼし、その上に己が是とするものを受け入れる国を世界を打ち立てようとする。

 たとえそのために、その慈悲を向ける者たちを駆り立てることになろうとも、仁愛を信じる者たちを犠牲にすることになろうとも、それがわかってもなお(あきら)めきれぬのだ」

 パルティスは自分の胸元まで上げた右手の拳を握り込む。

「自分の意志、願い、夢、思想こそを()とする圧倒的な自負。自分が思いどおりにならないことが許せぬ傲慢(ごうまん)。自分が理想とするもののためならば、敵ばかりか自分を(した)う者たちの命、さらには自らの命すらも(かえり)みぬ覚悟。それを成すためには、いかなるもの――たとえそれが世の摂理であろうとも、たとえそれが神々であろうとも、そのすべてを敵に回しても自らの望みを果たさんとする強欲」

 パルティスは握り締めた右拳を掲げると、それを見上げる。

「そして、だからこそ人は英雄に(あこが)れるのだ」

 パルティスは穏やかな笑みを(たた)えながら言葉をつないだ。

「人は誰しも英雄だったときがある。初陣を前にした新兵。わずかな銅貨を握り締めて行商へ踏み出す若人。海の彼方にある黄金の国を求めて船を漕ぎ出す水夫。いずれもが、我こそが夢を叶え、その名をあまねく天地に轟かせる英雄であると信じていたときがある」

 何かを振り払うように右の拳を振り下ろしたパルティスは、沈痛さすら感じさせる表情を浮かべた。

「しかし、現実は過酷であり、非情だ。戦場の血泥の中で新兵だった者は自分がただの雑兵であったことを思い知る。日々の糧を得る生活の中で若人は自分の非才さに打ちひしがれる。水夫は海の彼方でこの世に黄金の国などなかったのだと(さと)る。――そして、思い知るのだ」

 パルティスは、わずかに奥歯を噛み締めてから言う。

「自分が英雄などではなく、ただの凡人にすぎなかったのだ、とな」

 蒼馬は思わず自分の胸を掴んだ。

 パルティスは、ただ自分の考えを口にしているだけに過ぎない。しかし、その一言一言に胸をえぐられる。

「それ故に、凡人たちの目に英雄はまぶしく映る!」

 そんな蒼馬を前に、パルティスは吠える。

「自分が破れた現実を前に、それでもなお立ち向かおうとする英雄の意志に胸を熱くさせる! 自分の破れた夢よりも壮大な英雄の夢に恋い焦がれる! 自分が挫折(ざせつ)した苦難を乗り越える英雄の姿に自らの姿を重ね合わせる!

 そして、いつしかその人そのものにならんと欲し、その人の夢こそ己が夢であると錯覚し、そのすべてをその人に捧げてしまう! 捧げずにはいられなくなる!」

 パルティスは、すうっと息を吸い込んだ。そして、それを言葉に代えて蒼馬へ叩きつける。

「それが英雄と呼ばれる者である!」

 蒼馬はパルティスの言葉に圧倒された。

 パルティスへの反論はいくつも思い浮かぶ。しかし、それを口にはできない。パルティスの揺るぎない自負に裏打ちされた言葉を前にしては、何の自信も経験もない自分がどんな言葉を吐こうとも、それは空気よりも軽く感じられてしかたなかったからだ。

 それでも蒼馬は何とか声を絞り出す。

「もし、それが英雄だというのならば、私は英雄などにはなりたくないよ」

 目的のためなら敵ばかりか、自分を信じてついてきた人たちすら犠牲にしても顧みぬのが英雄というのならば、蒼馬は御免だった。

「まさに、それよ!」

 ところが、蒼馬の答えにパルティスは我が意を得たりとばかりに笑う。

「貴公は英雄になどなりたくないと言う。そして、私が見る限り、貴公は英雄ではない。貴公には、何をも敵に回しても成さねばならぬという渇望がない。いかなる者を犠牲にしてでも果たそうという欲がない。すべてを壊してでもやりとげたいという夢がない。

 されど、貴公の行いはまぎれもなく英雄の所業である!

 この矛盾! この不合理! 凡人ならば、とうに心根を折られ、すべてを投げ出していることだろう。しかし、貴公はなぜいまだ英雄でいられる? いることができるのだ? 凡人である貴公を支えているものとは何だ? 貴公を駆り立てるものとは何なのだ?」

 パルティスは、その目で蒼馬を捕らえた。

 ただ見られているだけだというのに、自分の奥底まで見透かされているような恐怖を蒼馬は覚える。

 しばらくすると、パルティスはクツクツと笑いを洩らした。

「なるほど、なるほど! 確かに、それは強い感情である。人として当然の本能である。凡人であるが故に、もっとも強い感情。それこそ英雄の我欲にも勝る本能であろう。貴公を突き動かす感情とは、すなわち――」

 そのとき、ふたりの間を一陣の風が吹き抜けた。

「――なのだな」

 風に吹き消され、パルティスの言葉は蒼馬の耳には届かなかった。

 しかし、蒼馬の心には、聞こえなかったはずのパルティスの言葉がしっかりと届いていた。

 蒼馬のこめかみをつうっと冷たい汗が一筋流れた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 次も楽しみにしてる。
[良い点] fate zeroの聖杯問答に強烈にインスパイアされてますね笑 あの回好きだったので、面白いです。
[一言] ロマニア、後継者候補3人とも一芸に秀でているとか、マジでソロンが出奔しなかったら今ごろホルメニアは地方都市になり、御子は初めからロマニアと当たっていたかもな。 登場当初は脳筋かと思わせてこの…
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