第57話 ベルテ川の戦い4-いつもどおり
「いよいよだね……」
間もなく布陣を終えようとするロマニア国軍を眺めながら、蒼馬は誰にともなくそう言った。
蒼馬の周囲に勢揃いする主立った者たちからは、何の言葉も返ってこない。しかし、それ以上に熱い闘志が答えとなって返って来ていた。
その熱量にわずかに口許に笑みを浮かべた蒼馬は馬上から、まずはこちらから見てロマニア国軍の左翼となるピアータが率いる百狼隊を見やる。
「よし。こっちの思惑どおりに、ピアータが布陣している。後は、頼んだよ、アドミウス」
無理を押してまで先んじて戦場に布陣した意味があった。そう胸を撫で下ろす蒼馬の言葉に、アドミウスは自慢の黒い鎧の胸を音を立てて叩いて見せた。
「お任せあれ! 小娘に、戦の何たるかをとっくりと教えてやりましょう!」
そう豪語するアドミウスに、ドヴァーリンが髭の下で顔をしかめて苦言を呈する。
「気づいたら酒樽の底を抜けていたことにならんように気をつけい」
上からは見えない酒樽の底が抜けており、気づいたときには大事な酒が全部なくなってしまったという故事から、そうとわかったときには取り返しのつかない大失敗となってしまったという意味のドワーフの格言を口にしてから、ドヴァーリンは苦いものを吐き捨てるような口調で続ける。
「重騎兵が突っ込んでくるのは、思ったよりもすさまじいもんじゃ」
ミルツァで実際にそれを体験したドヴァーリンの言葉は重い。
「確かに、突っ込んでくる重騎兵などこれまで見たことも聞いたこともありません。その衝撃たるや、おそらくは私が想像する以上のものでしょうな」
アドミウスはドヴァーリンに同意を示した。
これまで西域では、馬は将軍諸侯や一部の将校だけしか乗れない貴重なものであり、戦場で使われるのはもっぱら戦車や騎竜である。
しかし、片側の車輪が石に乗り上げただけでも横転の危険がある戦車や走らせるだけでも振り落とされないように必死にしがみつかねばならない騎竜では敵に突撃するなどできるはずがない。
そのため、敵に突撃する重騎兵などこれまでの常識では考えられなかった兵種であった。
それをいきなり目の前に突きつけられたドヴァーリンが心身に感じた衝撃は、アドミウスの想像も及ばぬものであっただろう。
アドミウスはそう認めつつも、「ですが」と言いながら蒼馬へ目を向ける。
「お忘れですか? コンテ河の近くで戦った際に、陛下は我らに荒れ狂う牛に曳かれた衝車を差し向けられました。そのとき我らは臆したでありましょうか?」
アドミウスの言葉に、蒼馬は部隊の勝利のために喜々として牛や衝車へ身体をぶつけて阻止してきた「黒壁」の姿を思い起こした。今でも脳裏に鮮明に浮かび上がる鬼気迫る光景に、蒼馬は思わず口許を引きつらせる。
「いや。果敢に向かって来たね」
我が意を得たりとばかりにニヤリと笑うアドミウスに向けて蒼馬は言う。
「なら、ピアータは任せた。おまえたちが、この戦いにおけるエルドア国の盾だ。おまえたちがピアータという剣を受け止められなければ、私たちは負けてしまう。預けられる兵が少ないけど、何としてでもピアータを止めて欲しい」
「お任せあれ!」
力強く承諾するアドミウスに小さく笑いかけてから、蒼馬はドヴァーリンの副将であるノルズリへと目を向ける。
「ノルズリ。おまえの作ったものの出番だ。その出来については一片の疑いもない。それらを用いて、アドミウスと連携してピアータを防ぎきってくれ」
ドワーフの職人に対する絶大な信頼を込めた蒼馬の言葉に、ノルズリは当然とばかりに鼻を鳴らした。
「職人の腕ばかりではなく、戦士としても一流じゃということをご覧に入れましょうかのぉ」
頼むとばかりに小さくうなずいてから蒼馬は、次にズーグへと目を向ける。
「アドミウスたちが盾ならば、ズーグは剣だ。それも巧みな剣だ。多勢の敵と戦いつつそれをいなし、奴らの弱点をさらけ出させなければならない」
そこで蒼馬はロマニア国軍の右翼へ目を向けた。
「私の予想に反して、ロマニア国は戦車を後ろに下げている。おそらく、おまえたちゾアンの動きに対処させるためのものだ。予想以上に難しい用兵を求められることになるだろう。だが、おまえならできると私は信じている。もし、おまえができなければ、私たちは負けるだけだ」
これにズーグは奥歯まで見える程大きな口を開けて笑う。
「陛下は人を乗せるのがうまいな! それほど言われれば、やらねばならないではないか!」
獰猛な笑みを浮かべるズーグから蒼馬はガラムへと目を移す。
「ガラム。おまえは、もう一振りの剣だ。敵に止めを刺す、必殺の剣だ。失敗は許されない。いや、手間取ることもだ。私たちが耐えきれなくなるのが先か、ロマニア国軍に止めを刺せるのが先かの時間勝負。おまえの働きに、全軍の命がかかっていると思ってくれ」
「俺に任せてもらおう。必ずや成し遂げてみせる」
ガラムは蔦を編んだ胴鎧の上から、その厚い胸を拳で叩いて見せた。
力強い言葉に蒼馬は満足げにひとつうなずいてから、次にセティウスへ言葉を掛ける。
「他の者が盾や剣というならば、おまえは鎧だ。エルドア国の命を守る最後の守りだ。おまえが失敗すれば、全軍が崩壊してしまう。そんなおまえに頼むのは、これまで経験をしたことがない用兵だ。だが、おまえならできる。いや! おまえだからこそできると信じている」
「御意。全力を尽くさせていただきます」
いつもの仏頂面で答えた後、セティウスは「これだからうまい話なんてあるわけないってんだ」とひっそりとぼやいた。
みんなの反応に満足げに微笑んでいた蒼馬だったが、その耳に重いものが地面を打つ音が届く。
何だと音がした方を蒼馬が見やると、そこにいたのはジャハーンギルである。
人間には表情がわからないディノサウリアンのジャハーンギルだったが、蒼馬には何となく不機嫌そうに見えた。
「ジャハーンギル。どうかした?」
蒼馬が問いかけたが、ジャハーンギルは無言でビタビタと尻尾で地面を叩くだけである。ジャハーンギルの様子に困惑してしまう蒼馬だったが、すぐに心当たりがついた。
「えっと……万夫不当、がんばれ」
とっさに言葉が思いつかなかった蒼馬は、苦し紛れに適当な言葉をひねり出した。
さすがに、これはないだろう。
そう蒼馬も自分自身で思ったが、ジャハーンギルはブフーッと大きな鼻息を立て、満足げな様子であった。
それにホッと胸を撫で下ろしていた蒼馬にシェムルが声を掛ける。
「なあ、ソーマ。ちょっと良いか?」
「どうかした、シェムル?」
シェムルは鼻に小さくシワを寄せ、しばし躊躇ってから言う。
「さっきからおまえが言っているのは、誰かひとりでも失敗したら私たちの負けだということか?」
蒼馬は、目をパチクリとさせた。
確かに自分の言動を振り返れば、みんなにはそれぞれが失敗すればそれで自分たちの負けだと伝えていた。
それに気づいた蒼馬は小さく「あっ」と声を上げると目を見開いて固まってしまう。
そんな蒼馬にシェムルは盛大にため息を洩らすと、呆れたような口調で言う。
「つまりは、こういうことだろ?」
シェムルはニイッと牙を剥いて笑う。
「いつもどおり、だ」
蒼馬は呆気に取られた。
その場に沈黙が下りる。
それを破ったのは、全員の笑い声であった。
「確かに、いつもどおりだな」
ガラムがそう笑えば、ズーグもそれに応じる。
「言われてみれば、そのとおりだな」
「まったく。楽な戦いだったことなど、ありゃせんわ」
ドヴァーリンがぼやけば、セティウスも重くうなずく。
「まったく同感です、と言わせていただきます」
「なんじゃ。そんなギリギリの戦いばかりじゃったんか」
ノルズリが呆れれば、アドミウスは誇らしげに言う。
「我ら『黒壁』が相手ならば、それも当然であったでしょう!」
そして、ジャハーンギルは良くはわからないが胸を張って鼻息を荒げていた。
そんなみんなの笑いに釣られて、蒼馬もまた笑い声を上げた。
ひとしきり蒼馬は笑ってからみんなに言う。
「それじゃあ、みんな。いつもどおり頑張ってくれ。そして、勝利しよう!」
皆は蒼馬に「おう!」と唱和で答えると、それぞれの持ち場へと向かっていった。
頼もしい仲間を見送った蒼馬は、自分とともにその場に残ったシェムルへと声を掛ける。
「……シェムル」
何だと馬に乗る自分を見上げるシェムルに、蒼馬は言う。
「君も、いつもどおりだ」
シェムルは目を細める。
「当然だろう。我が『臍下の君』よ」
そして、ふたりは微笑を交わした。
と、そこへ前方の中央主力本隊から伝令兵のゾアンが駆けてくる。
「伝令! ロマニア国軍よりパルティス王子とその護衛と思われる者たちがこちらへ向かってきております!」
伝えられた内容に、蒼馬とシェムルはしばし顔を見合わせた。それからすぐに蒼馬は自分の目でも確認しようと、馬を前へと進める。すると、伝令兵の言ったとおり、布陣を終えたロマニア国軍の中から馬に跨がったパルティス王子と見られる人間と、その周囲を固める衛士たちが向かい合う両軍の中央へと進む姿があった。
「たぶん、開戦前の舌戦だろう」
大きな戦いを始める前には、双方の軍を率いる者が前へ出て自らの正統性を主張して自軍の士気を高め、また相手の非を鳴らして敵軍の戦意を貶める舌戦を行うのが西域での習いである。
それだろうと判断した蒼馬もまた、シェムルと旗手のモラードや護衛のシャハタたちを連れて自身が跨がる馬を前へと進めさせた。
両軍の中央付近で互いの声が届くだけの距離を空けて行われるのが舌戦の習わしなのだが、何とパルティスは護衛の兵たちをその場に留めると、さらに自分ひとりだけで馬を前へと進めてきたのである。
これに護衛のシャハタが「どうしますか?」と目で問いかけてきた。
「シェムルたちは、ここで待っていて。ここからは、私ひとりで行く」
「大丈夫か、ソーマ?」
シェムルの心配ももっともである。もしパルティスが蒼馬を害そうと襲いかかってきたら、恩寵のせいで戦えない蒼馬に勝ち目はない。
しかし、ここに来て今さら卑怯な不意打ちを仕掛けてくるとは思えなかった。だが、まったくあり得ないという話でもない。
だが、ここで尻込みするような姿を見せれば全軍の士気にも関わる。
そう腹をくくった蒼馬は「大丈夫だ」と言うと、自分ひとりで馬を前へと進めていった。
向かい合う双方の軍のほぼ中央で馬を止めて待つパルティスに、張り上げずとも互いの声が十分に相手に届く距離まで来たところで蒼馬は馬の足を止める。
「あなたが、パルティス王子か?」
「如何にも。私がパルティス・ドルデア・ロマニアニスである!」
そう吠えるパルティスに、蒼馬はわずかに困惑した。
想像していたパルティス王子とは大分違う。
見かけはいかにも大胆不敵な武将という姿であった。ところが、その目は幼い少年のように輝き、全身から興奮とも喜びともつかない感情を振りまいている。今もまた、まるで明日の遠足を楽しみにするようなワクワクとした顔で蒼馬を見つめていた。
ところが、パルティスはしだいにその眉を訝しげにひそめる。そして、ついには顔をしかめて不機嫌そうな表情を造った。
いったいどうしたのかと思う蒼馬にパルティスは吠える。
「この下郎めが!」
突然の罵声であった。
「疾く戻り、臆病者に出てこいと伝えよ!」




