第50話 軍使
ガッツェンの街の目の前からベルテ川の近くへ場所を移したロマニア国軍の野営地では、総大将のパルティスを中心に軍議が開かれていた。
その主な議題は、このまま征西を続行するか、ロマニア本国へ撤退するかである。
そして、その場で過半を占めているのは、征西を続行しようという意見であった。それを支持する者の多くは、パルティス派の将軍諸侯たちである。彼らにしてみれば、ここでゴルディア王子の王位継承権放棄の条件である破壊の御子の首級を挙げ、自分らが担ぎ上げるパルティス王子のロマニア国王への即位を確たるものとしたい思惑があった。そのため、ガッツェンの街の堅固な防壁に手も足もでず、また破壊の御子の呪いによる兵の士気低下、さらには敵の援軍まで到着してしまうというジリ貧の状況下にあってなお、その思惑を捨て切れはしなかったのだ。
しかし、彼らとて征西を続行するにしても、破壊の御子を討ち取れる展望がない現状は理解している。
そのため、パルティス派は軍議の主導権を握りながらも、決定打を繰り出せずにいた。
それに対して撤退を唱えているのは、主に中小規模の領地を持つ諸侯たちである。
領地から若い男たちを徴兵して参戦した彼らにしてみれば、できるだけ早く戦いを終わらせて徴兵した若い男たちを領地に帰し、畑仕事に戻ってもらいたい。そうしなければ今年ばかりか来年以降の税収までもが大幅に減ってしまう。その損失はエルドア国からの略奪で補う予定だったのだが、それも果たせそうにない悪化していく戦況に、これ以上損失が膨らむ前に領地に戻りたかったのだ。
しかし、征西続行を唱えるパルティス派の有力諸侯を前にしては、しょせんは弱小諸侯である。撤退を主張するその舌鋒は鈍く、主戦派に押されがちであった。
そんな諸侯らがすがるような目を向けているのは、征西軍の副将セルティウス侯爵である。
ゴルディア派の筆頭として、パルティス派の有力諸侯とも真っ正面からやり合える地位と権威を持つセルティウスだったが、彼は軍議の冒頭に意見を述べた以降、自身の意見を口にしなかったのだ。
これには撤退を唱える諸侯らも失望を隠せないでいた。
だが、セルティウスが口を閉ざすのも無理はない。
セルティウスが軍議の冒頭に述べたのは、征西軍の補給を担う者として、これ以上の征西続行は補給面で負担が大きくなりすぎるという、いたって真っ当な意見である。
ところが、これにパルティス派の将軍諸侯が過剰に反応した。
破壊の御子の首級を挙げる約束が守られなかったとし、ゴルディア王子の王位継承権放棄をなかったものにするつもりだろう!
そんな邪推を剥き出しにしたパルティス派の将軍諸侯らは、様々な理由や戦術論、さらには故事を引き合いに出してまで征西続行を強弁し始めたのである。
征西軍の副将として公平な意見を述べたつもりが、それですらパルティス派をいきり立たせることになってしまったセルティウスは、もはや自身が意見を述べれば、かえって軍議の正常な進行が妨げられると自らの意見を封じたのだ。
その代わりにセルティウスが発言を求めたのは、同じ副将のピアータである。
ゴルディア王子からはピアータが優れた将才の持ち主で、征西中は彼女へ便宜を図ってくれと頼まれていた。そして、この征西で実際にピアータが示した才覚はセルティウスが予想していた以上のものだ。
そんなピアータならば打開策を提示できるのではないか。そう思ったセルティウスは軍議の間に時折ピアータへと話を振り、水を向けるようにしていた。
ところが、そのピアータもまた反応が鈍かった。
それも、そのはずだ。
このとき、ピアータもまた悩んでいたのである。
せっかくここまで破壊の御子を追い詰めたのだ。このような好機は、二度とないだろう。ここで撤退しては、すべては振り出しにもどってしまう。いや、それどころか農民を見せしめに殺されたときの破壊の御子の様子から、今回の経験を得て奴は王として一皮剥けさえしている。もはや今回の南進によって誘い出すような策は通じないだろう。それを思えば、これまでよりさらに破壊の御子を倒すのは難しくなってしまっていた。
そのため、何とかしてここで破壊の御子を討ち取る手はないものかと思案していたのである。
だが、それと同時に頭の冷静な部分では撤退すべきであるとも考えていた。
いまだ兵数では勝っているとはいえ、士気の落ちた兵では何かをきっかけに一気に軍が崩れないとも限らない。また、セルティウスが憂うように征西軍を維持するための補給で本国に大きな負担を掛けている現状も見過ごしてはならなかった。
攻めるも退くもままならない。
そんな現状にピアータは苛立ち、下唇をわずかに噛み締めていたのだ。
この紛糾する軍議の場となっていた天幕に、ひとりの衛兵が断りの声をかけてから入ってきた。セルティウスに何事かと問いただされた衛兵は片膝をついて恭順の姿勢を取りつつ言う。
「ただいま、エルドア国より軍使を名乗る者がやってまいりました」
◆◇◆◇◆
「パルティス殿下には初めて拝謁いたす! 某、エルドア国の王ソーマ陛下より軍使として遣わされた、アドミウスと申します!」
エルドア国の軍使としてパルティスの天幕に通されたアドミウスは、堂々たる名乗りを上げた。
一国の王子を前にしても卑屈さを微塵も感じさないどころか、ふてぶてしい歴戦の勇将の風格を漂わせるアドミウスの姿に、居合わせた将軍諸侯は小さくざわめきを洩らした。
どんなに激しく敵対していても軍使に危害を加えてはならないのは暗黙の了解である。
しかし、それでも時には凶行に及ばれることも決して珍しいことではない。そのため、軍使の人選には最悪の事態を考慮されるものだ。ところが、このアドミウスは軍使として使い捨てにしていい者ではない。
そんな者を軍使として遣わした破壊の御子の意図も不可解だが、それ以上にロマニア国側にとって衝撃的だったのが、アドミウスの漆黒の鎧である。
かつてホルメア国において、その黒い鎧が許された軍団はたったひとつ。そして、その慣習は彼らの自負を尊重するためにエルドア国においても受け継がれている。
すなわち、ロマニア国の怨敵とも呼ばれたダリウス将軍が率い、数多のロマニア国将兵を粉砕し続けたホルメア最強の軍団「黒壁」だ。
この場にいる将軍諸侯の中には、友人知人のみならず近親者の中にも「黒壁」に討ち取られた者がいるばかりか、自身すら手痛い目に遭わされた者もいる。そうした者たちは、ギリギリと歯噛みをしながら怨嗟のこもった眼差しでアドミウスを睨みつけていた。
ここで例外なのは、ピアータであろう。彼女だけは宝物を目の前にした子供のようなキラキラとした目でアドミウスを見ていた。
そんないくつもの視線をものともせず、アドミウスは尋ねる。
「パルティス殿下にお尋ねいたします。殿下は、いかなる大義名分をもって我が国の領土を侵すのでありましょう?」
色々と粗忽の多いパルティスによる直答を避け、代わりに副将のセルティウスが答える。
「無論。ホルメア国王ヴリタス殿からの要請を受け、義により兵を挙げたものである」
それに、アドミウスはわざとらしく「はて?」と声を上げる。それから手で目庇をつくると天幕の中をぐるりと見渡した。
「それにしてはヴリタスめの姿が見えないようですが?」
それにロマニア国の将軍諸侯は、うっと言葉に詰まった。
本来ならば征西の大義名分であるヴリタスは参陣しなくてはならない。ところが、よほど破壊の御子が恐ろしいのか、ヴリタスはあれこれと愚にもつかない理由を言い立てて従軍を拒んでいたのである。中でも「あの国には恐ろしい魔女がいるのだ!」というヴリタスの言い訳には、ロマニア国の人間はそろって失笑を浮かべたものだ。
また、根っからの武人気質のパルティスが、ヴリタスのような者を陣に入れるのを嫌がったこともあり、この征西軍に参陣していなかったのである。
このアドミウスの指摘にセルティウスは、最近では体調を崩して病床にあるヴリタスがそれでもなおホルメア国復興を涙ながらに訴えるのにパルティスが義をもって応えたための挙兵であるとアドミウスの攻めをかわした。
ヴリタスが体調を崩しているのは事実である。もっとも、それは過度の美食と怪しげな薬のせいなのだから、まったくもって同情に値しないのだが、ここで言う必要はない。
アドミウスにもまた、それを追求する気もなかった。
「そもそも正当なる王統は、亡きワリウス王にあり。そして、その姫たるワリナ王女より正式に王権の移譲を受けたソーマ陛下が、ホルメア国を廃して新たに興したのが、このエルドア国。それをヴリタスごときが今さらになって茶々を入れてくるとは呆れるばかり」
アドミウスは口にするのも馬鹿馬鹿しいというように肩をすくめて首を小さく横に振る。
「それに、義をもって応えたなどとは見当違いも甚だしい。また、我が国の民ならば、いくら肥え太った豚をくれると言われても、飢えた狼がくっついているとわかれば、誰ひとりとして家に入れるものではございますまい」
ヴリタスを豚に、ロマニア国を狼に例えてのアドミウスの皮肉である。
その後もアドミウスとセルティウスは互いの陣営の正統性を主張し合うが、結局は水掛け論に終わった。
アドミウスは「やれやれ」と言わんばかりに、ため息をついて見せる。
「もはや、こうなれば仕方ありますまい」
議論はこれで終わりという態度のアドミウスだったが、ロマニア国側に緊張が走った。
なぜならば、これまでのやりとりはあくまで前哨戦である。互いの立場と見解を主張し合っただけに過ぎない。
ここからが本当の戦いだ。互いに要求を突きつけ、相手の譲歩を引き出し、自国の利を得るための戦いが始まるのだ。
エルドア国は、ミルツァの地で大敗。そこからの王の惨めな敗走を経験したばかり。街の堅い守りによってロマニア国軍の猛攻をしのぎ、ここに来てようやく援軍が到着したとはいえ、いまだにロマニア国軍の方が多勢と予断を許されない状況だ。
この情勢におけるエルドア国の要求は、速やかなロマニア国軍の撤退だろう。
ロマニア国軍の将軍諸侯らは、そう考えた。
それならばロマニア国としては、兵を退く代償をどれだけエルドア国から引き出せるかが焦点となる。
さすがに破壊の御子の首級を寄越せという要求は通らないだろう。だが、それに見合うだけの領土割譲などの国益が得られれば、十分にパルティス王子の王位継承のための功績となる。
しかし、兵を退くのを条件にロマニア国が代償を求めてくるのは、エルドア国側も承知しているだろう。
その代償をわずかでも減らそうと、エルドア国は兵を退くことの利を説き、征西を継続する損失を示し、時には決死の覚悟で戦うと恫喝し、またはへりくだって見せるはずだ。
このアドミウスという「黒壁」の将が、いったいどのような手を打ってくるかと次の発言に注目する。
「パルティス殿下。我が主君ソーマ陛下より殿下へご提案がございます」
注目を一身に集めながらアドミウスは、言葉ひとつひとつをはっきりと発音するように、ゆっくりとした口調で提案する。
「ソーマ陛下とパルティス殿下がそれぞれ全軍を率いて、決着をつけるというのはいかがでございましょうか?」
双方の総大将が直接に軍を率いての戦い。
すなわち、会戦の提案である。
構成ミスのお詫び。
本来ならば前話のラストで蒼馬が何らかの狙いがあってアドミウスが軍使に抜擢し、今回で蒼馬からの会戦の申し込むという展開で次話へと続く構成でした。
ところが、前話で蒼馬の台詞の修正を忘れていたため、前話で会戦を申し込むことをばらしてしまいました。
すでに前話のラストは修正いたしましたが、すでにお読みになられた読者の方々にとっては同じ内容で次話に引くという展開になってしまったことをお詫びいたします。




