第17話 急襲
「突如、ロマニア国第二王子パルティスが兵を率いて渡河して参りました!」
エルドア国の王都ホルメニアの王宮に急遽舞い降りたピピ・トット・ギギがもたらしたその報せは、不可視の拳となって蒼馬たちを打ち据えた。
ちょうどそのとき、蒼馬たちは謁見の間で朝議の最中であった。蒼馬へ国の財務状況を説明していたミシェナ・エルバジゾがポカンッと口を開いていると、その頭にピピが打ち振るった翼から抜けた羽根がふわりと舞い落ちる。
しばし唖然としていた蒼馬は玉座から立ち上がってピピを問いただす。
「どういうこと?! ロマニア国ではゴルディア王子とパルティス王子との王位継承権争いが起きていたんじゃなかったの?」
蒼馬は隣国ロマニアの動向には常に気を配っていた。金を使って懐柔したロマニア国の人間や両国を行き来する商人たちなどからロマニア国の情報の収集は欠かしていない。
そして、当然、最近ゴルディア王子とパルティス王子の王位継承争いに端を発した内乱には蒼馬も注視していた。
しかし、これまで蒼馬が聞く限りでは、内乱はついには互いに支持する将軍諸侯らを率いての戦いにまで至ってしまったという話である。
それがどこをどうなればパルティス王子が軍勢を率いて、こちらに侵攻してくると展開になるのだ。
蒼馬の疑問への答えは、それを報せにきたピピもまた持ち合わせていなかった。
「確かなことはわかりません。ですが、ロマニア国の軍勢がロマニア王国旗とパルティス王子の旗をともに掲げて侵攻してきたのは間違いございません」
ピピが断言するのである。いったい何が起きたのかは定かではないが、パルティス王子がロマニア国軍を率いて攻め入ってきたのは事実と確信した。
それだけに事前の情報と、もたらされた報せとの乖離に蒼馬は困惑してしまう。
「何を呆けている、ソーマ」
茫然とたたずむ蒼馬をたしなめたのは、玉座の脇に立つシェムルであった。声を控えた彼女の叱責に、蒼馬は我に返る。いったん気を落ち着かせるために玉座に腰を下ろしてから、蒼馬は朝議に参加していた大将軍ガラム・ガルグズ・ガラムへと顔を向ける。
「ガラムさん」
そう言ってから、蒼馬は少し顔を赤らめる。
王に即位してから自分の呼称を「僕」から「私」に変えたように、みんなの呼び方も敬称を付けずに呼び捨てに変えていた。ところが、いまだにとっさの状況などでは昔の癖が出てしまう。
自分の失態を素知らぬ顔で聞かなかったことにしてくれている臣下の前で、蒼馬は軽く咳払いをして言い直した。
「ガラム。すぐに動かせる兵は、どれぐらい?」
ガラムは少し考えてから答える。
「ガッツェンの街には、陛下の命令どおり不測の事態に備えてセティウスが率いる一千の兵をあらかじめ待機させてある。これに加え、王都近郊に演習名目で伏せていたズーグとドヴァーリンがそれぞれ四千と一千の兵。後はジャハーンギルとエラディア殿の手勢が合わせて一千に満たぬぐらいだろう」
すぐに動かせる兵は総勢六千から七千ぐらいだと頭の中で計算した蒼馬は、ピピに確認する。
「ピピ。侵攻してきたロマニア国軍の兵数はわかる?」
「はい。その総兵数は、二万よりやや少ない程度と思われます」
ピピの答えに、蒼馬は難しい顔を作った。
単純に兵数で比較すれば、敵は二倍以上となる。これまで自軍を何倍も上回る敵軍を幾度となく撃破してきた蒼馬だが、それも事前に戦場を選び、策を用意したからこそできたことだ。何の策も用意しないまま、自軍の二倍以上にもなる敵軍と戦うのはあまりに危険である。
とはいえ、このままロマニア国軍の侵攻をただ放置するわけにはいかない。
「ロマニア国軍と正面からぶつかり合うのは得策じゃない。しかし、このまま何もしなかったら、多くの民が犠牲になってしまう。それは許されないことだ」
蒼馬の言葉に、ガラムたちはいっせいにうなずいた。
「まず、ガッツェンの街にいるセティウスに伝令を出そう。近隣の民に避難を呼びかけ、街へ収容させるんだ。それから決して攻めには出ないように伝えてくれ。いくら二万の大軍が攻め寄せてきたとしても、籠城に徹すれば助けに行くまで持ちこたえられるはずだ」
蒼馬の言葉に、ピピが声を上げる。
「すでにセティウス殿にはロマニア国侵攻を伝えてあります! その際、セティウス殿自身が陛下の御言葉と同じようにすると申しておりました!」
それに蒼馬は「よくやった」とうなずいた。
「では、ガラム。今動かせる兵だけでいいので、すぐに軍を編成してくれ。編成が済み次第、私とともに兵を率いてガッツェンの街の救援へ向かおう」
ガラムは「承知した」と自分の厚い胸を叩いて見せた。
「次に、マルクロニス」
蒼馬に名を呼ばれたのは、顔に無数の刀創を刻んだ初老の男――かつてはホルメア国軍の中隊長補佐であったが、今はエルドア国の人間種の兵を指揮する人将マルクロニスである。
「おまえは王都に残り、義勇兵の徴募を頼む。今は北部に巡察に行っているアドミウスが帰還次第、彼とともに義勇兵を率いてガッツェンに来てくれ」
それから蒼馬はシェムルを振り返る。
「シェムル。今、平原でゾアンの戦士たちを指揮しているのは誰?」
「グルカカとバヌカだ」
シェムルは即答した。
ファグル・ジャガタ・グルカカはシェムルとガラムのふたりの父親の親友であり、今はエルドア国の大将軍として多忙なガラムに代わり〈牙の氏族〉を族長代理を務めている赤毛の戦士である。
そして、メヌイン・バララク・バヌカは〈たてがみの氏族〉の族長であるバララクを父に持つゾアンの若き青年だ。父バララクがエルドア国への協力に消極的なため、代わりに氏族の戦士を率いて蒼馬に協力している。
「よし。じゃあ、ふたりにはゾアンの戦士たちを集めて来てもらおう。太鼓で伝達してくれ」
シェムルがうなずくのを確認してから蒼馬はピピへと顔を向ける。
「ピピ。東部から飛んできたばかりで悪いけど、マーベン銅山の工房へ行ってノルズリにも兵を出すように伝えてきてくれ」
ピピは地に伏せるように翼を大きく広げて恭順を示した。次に蒼馬はミシェナに命じる。
「ミシェナ。急ぎ糧食の準備と運搬の手配を頼む。糧食の準備に関してはマルコも協力してくれ」
ミシェナが緊張でうわずった声で、マルコが状況がわかっていない気の抜けた声で受諾するのを聞き届けてから、蒼馬は玉座から立ち上がった。
「さらに、ロマニア国襲来を国全土へと報せよ。それと同時に全軍に招集をかける! 皆、国を守るために全力を尽くせ!」
それに謁見の間にいた者たちは「御意」と唱和した。
◆◇◆◇◆
自分らに与えられた役目を果たすべく皆がいっせいに謁見の間から飛び出していくと、残った蒼馬は玉座に腰を下ろし、ため息をついた。
「いったい何が起きたんだろ……?」
あらかじめセティウスに一千の兵とともにガッツェンの街に向かわせていたように、蒼馬も不測の事態が起こるのを考慮していた。
しかし、それはゴルディア派とパルティス派が激突し、いずれか負けた方が破れかぶれになってエルドア国へ逃げ込んで来るのを懸念してのものである。
だが、この直前にロマニア国西部まで飛行偵察してきたハーピュアンの報告によれば、両軍が衝突するのはおおよそ今頃のはずだった。まさかロマニア国をふたつに割っての戦いが、半日も経たずに決着して、そのままこちらへ攻め込んできたとはとうてい思えない。それに、国内に侵攻してきたロマニア国軍の数が多すぎる。ふたりの王子の一方というより、むしろ両軍が合流しなければあり得ない数であった。
そうなると考えられるのは、ただひとつだ。
「ゴルディア王子とパルティス王子が手を組んで一芝居打った?」
ふたりの王子が共謀して王位継承争いと見せかけ、実は堂々とエルドア国征西の準備を押し進めていたのではないかと蒼馬は考えた。
しかし、蒼馬は自分の考えを即座に否定する。
少なくともふたりの王子が王位継承に名乗りを上げ、競い合っていた状況なのだ。以前ソロンも指摘していたとおり、たとえ王子同士に協調できる余地があったとしても、それをそれぞれの派閥の人間が許せるとはとうてい思えない。
ましてや蒼馬が知る限りロマニア国内で優勢なのはパルティス王子の勢力だ。時間はかかるだろうが、このまま行けばパルティス王子がロマニア国王になる確率が高いと思われた。そんな状況にあって、敵対するゴルディアに軍の生命線である補給を任せて、自身らが危険な敵地へと攻め込めるものだろうか?
あり得ない、と蒼馬は考える。
劣勢であるゴルディアがなりふり構わずパルティスを排除する可能性を考えれば、とうてい後方を任せて敵地に攻め込めるものではない。
仮にパルティス側が劣勢であれば、一発逆転を狙ってエルドア国征西という大功を求めて攻め込んできたとも考えられた。しかし、征西に失敗すればかえって支持を失う大失点ともなりかねない。今、優勢であるパルティス派がそのような博打に打って出るとはとうてい思えなかった。
蒼馬は頭をガシガシと掻きむしる。
「ダメだ。いくら考えてもわからない」
そう言うと蒼馬は玉座から立ち上がった。すると、すかさず蒼馬の脇に立ったシェムルが尋ねる。
「ソーマ、どこかに行くのか?」
「ああ。――一番事情を推察できそうな人のところへ行こうと思ってね」
蒼馬がそう言うなり、シェムルは盛大に顔をしかめた。




