第6話 弔辞
その日、王都ロマルニアの王宮にある神殿には多数の人が押しかけていた。
その顔ぶれを見れば、まず祭壇に程近い前列にはロマニア国の武闘派と呼ばれる将軍や諸侯の姿が多く見受けられる。彼らは一様に殺気立ち、剣を帯びていた。
また、彼らが担ぎ上げるパルティス王子に至っては、これより戦場に向かうと言わんばかりの戦装束である。安らかに眠る亡き父王を悼むには似つかわしくない格好であった。
そして、そうしたロマニア国の人々からやや離れた後列の席にいるのは、ドルデア王の大葬に合わせて訪れていた近隣諸国や地域の有力者たちの弔意の使者たちである。殺気立つロマニア国の人間とは対照的に、彼らは一様に目を好奇に輝かせていた。
もちろん、彼らが待ち構えているのは、ソロンである。
これより一週間後に執り行われるドルデア王の遺体を王墓に移す本葬を前に到着した弔意の使者は、ドルデア王の遺体の前で弔問として訪れたのを告げ、亡きドルデア王への弔辞を述べるのが習わしだ。
それに従えば、間もなくここにソロンがやってくるはずである。
今やソロンと名乗るエルドア国から来た老人が、かつてロマニア国でその名を知られた賢人にして、ドルデア王の無二の親友だったアウレリウスだったことは、西域の情勢にそれなりに通じる者の間では周知の事実であった。
王城の門で起きた騒動から、そのソロンが弔意の使者として訪れたのを知った人は、亡き王の憎き仇を討とうと、またはその姿を一目見ようと、そしてロマニア国がどのような対応に出るのか見届けるべく、まるで申し合わせたように人が集まってきたのである。
そうしたピリピリと張り詰めた緊張感が漂う神殿の中に、弔意に訪れた者の所属や官位姓名などを告げる役割の神官の声が響き渡る。
「エルドア国よりの弔意の使者――」
神官はわずかに言いよどんでから、その者の名を言った。
「――元エルバジゾ侯爵アウレリウス殿!」
ざわりと空気が揺れた。
そして、いっせいに視線が神殿の入り口へと集中する。
その無形の圧力をものともせずに、ソロンが悠然と神殿の中へ足を踏み入れた。
着ているのは普段の薄汚れた服ではなく、弔意の使者に相応しい純白の礼装だ。常に酒精に赤く染まり、だらしない笑みを浮かべていた顔は鋭く引き締まり、古の賢者を思わせる風格を漂わせている。
このソロンの姿に、神殿内ではいたるところで他国の使者たちが声をひそめて会話する声が洩れ聞こえた。
「お聞きになられたか? 友の死を悼むため、己が身の危険を顧みずに単身で乗り込んだそうな」
「実際に、その首を刎ねよと息巻く者たちも多いと聞くのに、大した度胸ではないか。見よ、怯えた様子ひとつない」
「口先だけの文弱の徒ではございませんな。その肝の太さもただ者ではござらん」
そうした会話の大半は、このようなソロンを称賛するものであった。
そして、それがロマニア国の武闘派と呼ばれる将軍や諸侯にはなおさら苛立たしい。目の前に生肉を置かれた飢えた狼さながらの表情でソロンを睨みつけ、ギリギリと歯ぎしりをした。
左右に居並ぶ参列者の間を悠々と通り抜けたソロンは、まず祭壇の手前にいる神官へ一巻の羊皮紙を差し出す。
「取り急ぎ、我が身ひとつで参りました故、今は弔意の品を携えてきてはおりませぬ。ですが、エルドアの国王ソーマ様よりの弔意の品が後ほど届けられましょう。これは、その目録。今はこれのみですが、謹んで捧げたい」
その目録を神官は捧げ持つようにして受け取った。それから中を読み上げるために、まとめていた紐をほどき、目録を開く。
そして、ギョッと目を剥いた。
しかし、すぐに我に返った神官は、失態を取り繕うに小さく咳払いをしてから声を張り上げて目録を読み上げる。
「エルドア国の王ソーマ様より亡きドルデア王陛下への弔意の品。ドワーフの熟練の職人の手による金銀の細工品を五十点。秘蔵の蒸留酒を五樽。エルドア国の最高級の布を百反。ジェボアの海で育まれた大粒の真珠二十個――」
次々と読み上げられる目録に書かれた弔意の品の数々は、これまでのいずれの国をも圧倒するものであった。
発展めざましいエルドア国の噂は聞いていたが、これだけのものをポンッと用意できるとは思った以上の豊かさだ。
各国の使者たちの間から、驚嘆の吐息が洩れる。
しかし、亡きドルデア王の弔意の場を利用して、露骨に自国の豊かさを諸国へ見せつけるやり口に、ロマニア国の人々はさらに怒りをかき立てられた。
特に武闘派と呼ばれる将軍諸侯らの憤懣たるや筆舌に尽くしがたい領域に達していた。
もはや、近隣諸国や地域の有力者たちの使者が立ち会っていようとかまわない。もし、アウレリウスが弔辞を一字一句でも間違えようものならば、それを非礼と難癖をつけてでも問答無用で斬り捨ててやる!
誰もが、そのような覚悟を決めていた。
そんな殺意のこもった視線を背中に受けながら祭壇の前に立ったソロンは、目の前に横たわるドルデア王の死に顔をジッと見つめる。
その胸に去来する想いとは何だったのだろうか。
ゆっくりと五を数えるほどの間、無言のまま友の死に顔を見つめてから、ソロンはおもむろに大きく息を吸うと弔辞の言葉を口にする。
「今は亡き君との思い出は、いずれも忘れがたきもの。今こうして永遠に眠る君が前に立てば、それは昨日の如く我が脳裏に鮮明に浮かび上がる」
高齢の老人とは思えぬ声量と、詩を吟じるかのような抑揚に富み、情緒をたたえる声に、居合わせた者たちは引き込まれるように耳を傾けた。
「初めてそのご尊顔を拝したのは、この枯れ木のごとく老いさらばえた我が身がいまだ小さく、その齢を数えるに両手の指でこと足りる幼齢のときでございました」
ソロンは、朗々と歌い上げるように弔辞を述べていった。
その中で語られるのは、ソロンとドルデア王との思い出である。
王宮の庭で繰り広げた取っ組み合いの喧嘩をした幼き日々。王妃となる少女の部屋に蛙を投げ込んだ悪戯。大泣きしてしまった少女を前に、先代のナバス王にしこたま怒られたこと。悪所の酒場で一服盛られてあわや身ぐるみを剥がされかけた失態。ともに王と宰相になり、ロマニア国を西域一の国にしようと語り合った若き日の情景。
いずれもただの王と臣下という関係だけではおさまり切らない友愛に満ちた思い出の数々であった。
それらを澱みなく語るソロンの弔辞には、殺気立つロマニア国の人々ですら思わず聞き入ってしまうほどである。
そのため、人々がそれに気づくのは遅れてしまった。
「おい。もしかして……」
「確かに、言われてみれば……」
「まさか……」
徐々にそれに気づく者が出始めた。
そして、そうした者たちの指摘の声に、それは周囲の人たちへと驚愕とともに伝播する。
すでにソロンが弔辞を述べ始めてから、ずいぶんと経っていた。
それだというのに、ソロンは顔をまっすぐにドルデア王の遺体に向けられたままである。一度たりともソロンは他へ目を向けていない。
すなわち、これほど長い弔辞をずっと空で語り続けているのである。
それは、ただ長文を暗記しているというだけではない。
背後には一字一句とて間違えれば無礼討ちにしてやろうとするロマニア国の将軍らが手ぐすね引いて待ち構えている状況である。その状況にあって、いくら暗記していたからといって何も見ずに弔辞に臨めるわけがない。
ましてやソロンが語る過去の情景は、初めて耳にする者ですら、その場に居合わせたような臨場感を伴うものである。
まさに、弔辞の冒頭で述べていたようにソロンの脳裏の中でドルデア王との過去の情景が鮮明に浮かび上がっているとしか思えないものであった。
誰もが驚愕する中で、ソロンの弔辞は佳境を迎えていく。
王になったばかりのドルデア王が無謀としか思えない征西を決断したとき、言葉を尽くして思いとどまらせようとしたこと。それが受け入れられず、大敗という結果を防げなかった自らの無力さに打ちひしがれたこと。
そして、大敗の事実を糊塗しようとするドルデア王への怒りと、それがための出奔。
しかし、旅先で事あるごとに思い浮かぶのは後悔。
なぜ本気で止めようと思うのなら、自らの命を賭さなかったのか? 自身もまた征西の成功に期待したのでは? それがために本気でドルデア王を止めなかったのでは? そして、大敗という結果に一番苦しむドルデア王にすべての罪を押しつけ、自分は逃げ出したのではないか?
そのような自問自答に苦悩する日々において、常に脳裏に描いていたはドルデア王の姿であった。
この懺悔のような告白に、気づけば神殿内の誰もがうなだれてしまう。
この場でソロンを斬り殺さずにはいられないとすら決意していた将軍たちですら、気づかぬうちにその手を剣の柄から退け、熱くなった目頭を押さえずにはいられなかった。
ソロンに対して「アウレリウスは、父の仇! これを斬らずして我が怒りが如何におさまろうか!」と気炎を吐き、神殿に乗り込んでいたパルティス王子も例外ではない。パルティスは、人目もはばからずに号泣していた。
「されど、すべては過去のものと成り果てた今、安らかに眠る君が顔を見れば、我が胸の内に去来するは、ただただ深い悲しみのみ」
そして、ついにソロンの長い弔辞は終わりを迎える。
「今は、別れを告げましょう。されど、すぐに私もまたそちらに行くでありましょう。しばしお待ち下され、友よ」
そう弔辞を締めくくったソロンは、くるりと振り返った。
そのとたん、列席していたロマニア国の将軍諸侯のみならず諸国の使者たちまでもが、どよめいた。
ソロンの目からは、滂沱と涙が溢れていたのである。その長い髭までしとどに濡らす涙を拭いもせず、ソロンは毅然と胸を張って参列者の間を歩いていく。その姿は、あたかも友の死に涙するのを恥とは思わぬと言わんばかりの態度である。
これにはソロンを斬らずにおくものかと息巻いていたロマニア国の将軍諸侯らも参列者の間を抜けて神殿を出て行こうとするソロンに向け、胸に手を当てて黙礼するという敬意を示さずにはいられなかった。
そうして死地であった神殿から無事に出てこられたソロンだったが、その背中に「アウレリウス」と声をかけられる。振り返れば、そこにいたのは自分を追って神殿を出てきたゴルディアだった。
「アウレリウス。王宮の門まで見送ろう」
ゴルディアはソロンへ手巾を渡してから、先に立って歩き出した。手巾で濡れた頬や髭を拭いながら後ろを歩くソロンに向けて、ゴルディアは言う。
「良き、弔辞であった。亡き父も冥府で喜んでいよう」
ゴルディアの賛辞にソロンはケラケラと笑って見せた。
「なあに。この身を害しようとする連中の気を削いだだけ。なかなかの名演技でございましたでしょ?」
それにゴルディアは笑い声をひとつあげた。
「演技ならば、最後までそれをやり通せと以前おまえから教わったはずなのだがな?」
ゴルディアは肩越しに人の悪い笑みを浮かべてみせる。
「それに、そのようにすべてを演技で片付けられるような者を亡き父はお人好しとは呼ばぬぞ」
これにソロンは、しかめ面を作った。
ゴルディアは、敬愛する師をやり込められたことに腹の底から笑い声を上げた。
そうして、ひとしきり笑ってからゴルディアは不意に真剣な面持ちを作る。
「本来ならば我が家で歓待したいところだが、あまり厚遇すれば要らぬ反発を招こう。――ラウゼンを覚えているか?」
ラウゼンとは、いまだソロンがアウレリウスとしてロマニア国に仕えていたときに親しくしていた文官のひとりである。穏やかな人柄の人物で、当時からひねくれ者と人から避けられていたソロンとも親しくしてくれた数少ない友人であった。
「今は高齢から職を辞したが、長年の忠勤を認められ王都に屋敷を賜り、ひとりで暮らしている。あやつに話を付けてある。お互い旧知の間柄であろう。世話になると良い」
ゴルディアの配慮に、ソロンは頭を下げて謝意を示した。
そんなソロンから、ゴルディアはついっと目を背けて言う。
「私も目を光らせておくが、それでも不届きな輩が出ぬとも限らぬ。万が一の場合は、王宮にある我が邸宅に逃げ込むが良い。王宮の門衛には、おまえが来たら通すように命じておく」
これにソロンは、ゴルディアの横顔をしばし見つめる。それから、不意にニカッと笑う。
「何から何まで殿下のご配慮に痛み入ります」
◆◇◆◇◆
「おやおや。とっくにどこぞで野垂れ死んだとばかり思っていたのに、息災で何より何より」
屋敷を訪れたソロンを出迎えたのは、まん丸の顔に満面の笑みを浮かべた老人――ラウゼンであった。
ラウゼンはいかにも好々爺といった満面の笑みを浮かべてソロンを屋敷に招き入れる。
「妻に先立たれた寂しい男のやもめ暮らし。さしてもてなしもできぬが、遠慮なく泊まっていってくだされ」
庶民からすれば立派な屋敷だが、顔を見せる従僕の数も片手の指にも満たない。寂しいとの言葉どおり貴族の屋敷としては質素な生活振りであった。
華美を嫌うソロンからすれば、むしろ好ましいところだ。しかし、それを素直に言えないのが、ソロンである。
「しばらく見ぬうちに、本当に寂しくなったものじゃな」
哀れむような目を向けるのは、ずいぶんと寂しくなったラウゼンの頭部である。
これにラウゼンは自分の頭をぴしゃりと叩くと、「この半分は、どこかの悪友のせいで負った気苦労のせいじゃろが」と笑って見せた。
しばしふたりで笑い合ってから、ソロンは頭を下げる。
「ご迷惑をおかけするが、お世話になりましょう」
「何の何の。この歳になれば、頭の毛と同じく友と呼んだ者たちの多くがいなくなり、斯様に寂しくなる。死んだと思っていた友と再会できるとは、生えぬと思っていた毛が生えたほどの喜び。何の遠慮もいらん。なんぞ欲しいものでもあれば、言ってくだされ」
先程いじられた頭髪にからめた返しの言葉に笑いを洩らしてからソロンは言う。
「それでは、部屋は屋敷の二階の一番奥にしてもらいたい。あと、ひとつ欲しいものがあるので手配してもらおうかい」
何を言い出すのかと好奇心に目を輝かせながら、ラウゼンがそれは何かと尋ねると、ソロンは指一本を立てて見せた。
「丈夫な縄をひと束いただきたい」
◆◇◆◇◆
歓迎と再会を祝したささやかな宴も兼ねた夕食をラウゼンととも取ったソロンが客室に引き下がる頃には、西の地平線に太陽が沈み、王都ロマルニアに宵闇が静かに訪れる時分となっていた。
その宵闇とともに、ラウゼンの屋敷の周囲に複数の不審な人影がやってきた。
それは、いずれも若い男たちである。一番年下の者は十代半ば、一番年上でも二十を少し越えたぐらいの若さだ。
彼らはロマニア国軍に所属する青年将校たちであった。
ドルデア王の大葬が終わるまでの間は、王都ロマルニアは喪に服するようお触れが出されている。本来ならば夜間の外出も控えなければならないはずだ。ところが、彼らは鎧を身につけ、腰には剣を吊すという物騒な装いのまま、まるで人目をはばかるようにしてラウゼンの屋敷の前に次々と集まってきたのである。
その数が七人ほどになったところで、一番年上の青年が口を開く。
「良いか。卑劣な裏切り者アウレリウスの首を刎ね、亡き陛下の御前に捧げるのだ!」
仲間たちは、小さく「おう!」と唱和した。




