閑話 解き放たれた悪魔-1
「い~や~だぁ~!」
ファグル・ガルグズ・シェムルは、まるで駄々っ子のように拒絶の言葉を吐いた。
「私は絶対に嫌だからな!」
腕組みをして、ぷいっと顔を横に背けるシェムル。
子供のような拒否を示すシェムルに、蒼馬はなだめるように声をかける。
「ねえ、シェムル。そんなこと言わないでよ……」
「私は絶対に嫌だぞ!」
ところが、シェムルは即座に拒絶した。
「あのクソジジイを宰相とやらにするのは、私は大反対だ!」
シェムルが言うところのクソジジイ――ソロンの宰相への登用を協議する場に集められた者たちは、一様に困った表情を浮かべた。
◆◇◆◇◆
建国したばかりのエルドア国には、解決しなければならない様々な問題が山積していた。
その中でも、取り分け早急に解決しなければいけない問題は、蒼馬の負担軽減である。
建国以前からわかっていたことだが、とにかく蒼馬が裁量しなければならない問題が多すぎるのだ。そのため蒼馬は建国の前後から、朝は早くから重臣らと国の施策について協議し、日中は国内外の要人らと面談し、夕刻には諸問題への対策を打ち、夜は寝るまで上申書や嘆願書に目を通さなくてはならないという多忙な日々を送っていた。
これには蒼馬も「この世界には労働基準局はないの?」とぼやいたものである。
当然、周囲の者たちも蒼馬の状況には憂慮していた。
しかし、ボルニスの街以前から蒼馬とともにいる者たちは、蒼馬が行おうとしている改革をある程度は理解しているものの、国家運営ともなると門外漢ばかりだ。逆に、かつてのホルメア国で重職にあった者たちは国家運営の経験はあっても、蒼馬の斬新すぎる改革を理解するにはまだまだ時間がかかった。
結局は、ありとあらゆることに蒼馬が自身で裁量しなければならなかったのである。
だが、異世界の知識と常識を持つ蒼馬とて、身体はただの人間だ。このような激務を続けていれば、いつかは過労で倒れてしまうだろう。
それを危惧した者たちから提案されたのが、宰相の設置であった。
宰相とは王に代わり、国政を取り仕切る官吏たちの最高位という重職である。その権限は大きく、ただ官吏たちを取りまとめる内政の長というだけに納まらない。
たとえば、王が何らかの理由で政務を執れないときなどは、王に代わって裁可を下したり、国璽を代印したりできる権限を有する。また、おいそれと国を離れることができない王に代わって他国を訪問したり、逆に他国からの要人らを歓待したりするのも宰相の役割である。
まさに王に代わって国を代表する職と言っても過言ではない。
それだけに宰相となる者には高い能力が求められる。
政務を取り仕切るだけの知識と見識は無論のこと、国中の官吏を従えるだけの統率力と指導力。国内外の要人らと対等に渡り合えるだけの家柄と格式。雄弁家を向こうに張って自国の理と利益を勝ち取る交渉力等々。挙げればキリが無い。
当然、それだけの能力を兼ね備えた人物など滅多にいない。おべっかだけで宰相となったメンダックスのような例はあれど、国によっては相応しい人物がいなければ、あえて空席のままにするほどの重職。それが宰相なのだ。
その宰相を設置し、今は蒼馬に集中してしまっている政務の一部を代行させ、負担を軽減させようという提案であった。
ところが、そこでまたひとつの問題が生じる。
では、誰を宰相に任じるか? ――だ。
まず、メンダックスのような名前だけの宰相ではなく、実際に蒼馬の激務を肩代わりさせるのだから、それだけの能力が求められる。これだけでも人材が限られてくるというのに、その上蒼馬が行おうとしている改革に最低限の理解がなければならないのだ。
そんな都合が良い人材がいるわけがない!
誰もが、そう断言せざるを得ないところであった。
だが、たったひとりだけ条件に該当する人物がいたのである。
その人物は、蒼馬がもたらしたアラビヤ数字の普及を推奨するなど既存のものに囚われない柔軟な思考と、それらを受け入れるだけの度量を示していた。そればかりか蒼馬がやろうとしている法治主義の基幹となる法の成立においては蒼馬と議論を重ね、多大な貢献を成している。それだけ見ても、蒼馬の改革への理解においては蒼馬に次ぐと見て間違いない。
それどころか能力においても、宰相を任せるに不足はなかった。
西域の大国ロマニアの元侯爵という身分。さらにはロマニア国では内政と外交において大いにその手腕を振るい、ロマニア国前王ナバスからは「一国を任せるに足る」とまで絶賛された傑物である。
このエルドア国においても、すでに一部の官吏たちからは一目も二目も置かれているとなれば、もはやこの人以外に宰相はいないだろうと言っても過言ではなかった。
すなわち、ソロンである。
しかし、これにシェムルが大反対を示したのだった。
◆◇◆◇◆
「私は嫌だ! 絶対に嫌だ! 嫌だと言ったら、絶対にイ・ヤ・だ!」
もはや、完全に臍を曲げた子供状態である。
しかし、ソロンの名前が挙がるまでは、むしろ宰相の設置を一番率先していたのはシェムルだった。
それも当然であろう。何しろ、王佐として常に蒼馬の傍に控えているシェムルである。彼女が一番蒼馬の激務を目の当たりにしているのだ。蒼馬が敬愛すべき「臍下の君」でなかったとしても、シェムルの気質ならば何とかしてやりたいと思うだろう。
ところが、その宰相候補としてソロンの名前が挙がったとたん、彼女は拒否反応とも言うべき強い拒絶を示したのである。
「ねえ、シェムル。何がそんなに嫌なのさ?」
もともとソロンを毛嫌いしていたシェムルではあるが、これほど強く拒絶を示すとは蒼馬も予想外であった。何か理由があるのではないかと思って尋ねれば、シェムルはムスッとした顔を作り答える。
「……宰相とやらは、王の右腕と言うではないか」
それに蒼馬が「そうと言われることもあるね」と返すと、シェムルはカッと目を見開いて吠える。
「あのクソジジイがソーマの右腕になるだと?! ソーマの半身は私だぞ!」
蒼馬は唖然としてしまった。次いで「やれやれ」と言わんばかりに首を小さく左右に振ってから、頭痛でも覚えたかのように額に手を当てる。
「何だ、そんなことか……」
しかし、それはあまりに不用意な発言であった。即座にシェムルが食ってかかる。
「何だ、とは何だ?! おまえが私を半身だと言ったのだぞ! それを今さらあのクソジジイに乗り換えようとでも言うつもりか?!」
藪蛇である。不用意な発言から怒りの矛先を自分へと向けてきたシェムルを前に慌てふためく蒼馬に、エラディアが助け船を出す。
「シェムル様。あくまで宰相が王の右腕というのは、喩えにございます。陛下の半身は、あくまでシェムル様。それは陛下を始めとし、私を含めたこの場にいる全員が承知していることでございませんか?」
シェムルに目で「本当か?」と問われた蒼馬は、慌ててコクコクとうなずいてみせる。その場にいたガラムたちも、これ以上話が進まないのを憂慮し、同意を示した。
すると、シェムルはころりと機嫌を直す。
「そうか。それならば良い」
それに蒼馬は、今こそが好機とばかりにシェムルに尋ねる。
「じゃあ、ソロンさんを宰相にしても問題ないよね?」
「それとこれとは話は別だ」
ところが、またもやシェムルはぷいっと横を向く。
「私はソロンの奴を宰相とやらにするのは反対だ!」
蒼馬は、ほとほと困り果ててしまった。
何をそんなに嫌っているのかはわからないが、とにかくシェムルはソロンの宰相登用には頑として反対するのだった。
「みんなは、どうかな?」
やむなく蒼馬は、他の者たちの意見を尋ねた。
「その性格に難はあれど、能力は申し分ないかと存じ上げます」
そう言ったのは、エラディアである。
「一緒に酒を飲んでいても、気づけば酒代をこちらに押しつけて消え失せる性悪だが、まあ頭はキレる奴だな」
そう言うズーグの隣では、ドヴァーリンがいかにも不服そうだが同意を示すようにうなずいていた。
ガラムもまた難しい顔で腕組みをしながら言う。
「ひねくれた老人ではあるが、その能力は認めないわけにはいかんだろうな」
他の者たちの意見も似たり寄ったりであった。
それに、蒼馬は苦笑いする。
誰の意見にも共通しているのが、その能力は認めつつも、同時に性格の問題を指摘しているところだ。
それは「あの方を置いて、他にどなたが宰相に適任とおっしゃるのですか?」と言い切るポンピウスですら、「その性格に難はありますが」と前置きするぐらいである。
手放しの絶賛でソロンを宰相へ推すのは、養女のミシェナぐらいなものであった。
しかし、蒼馬はみんなほど心配はしていない。ソロンは何のかんのと言いながら、困っている人を見過ごせないお人好しだと信じているからだ。
そうでなければ、新法の制定や制度整備などで四苦八苦している自分のところに、わざわざ顔を出して手伝ってくれたりはしなかっただろう。
「反対がなければ、私はソロンさんを宰相に任じたいと思う。――反対の人はいるかな?」
蒼馬が皆に確認を取ると、シェムルが真っ先に「反対だ! 嫌だ!」と駄々をこね始める。だが、それ以外の者たちからは異論や反対は出なかった。
それに蒼馬はひとつうなずいてから、シェムルへ顔を向ける。
「シェムル。これは君の『臍下の君』の決断だ。私はソロンさんを宰相に任じるよ」
自身の「臍下の君」の決断とまで言われては、これにシェムルは反対できない。さすがに口を閉ざすしかなかった。しかし、押さえ込んだ怒りと不満が彼女の口から、ギリギリという歯ぎしりの音として洩れ聞こえてくる。
これは後でご機嫌をなおしてもらうのは大変だな、と思いつつも蒼馬は皆に向けて言う。
「それじゃあ、ソロンさんの意思を確認した上で宰相登用を正式に公布しようと思う」
それから蒼馬は部屋の壁際に控えていたエルフの女官に向けて言う。
「悪いけど、ソロンさんを呼んできて。この時間は、たぶん実験室にいると思うから――」
その言葉を最後まで言い切る前に、いきなり部屋の扉が蹴破られるような勢いで開かれた。
「ドヴァーリン殿! 一大事じゃ!」
開け放たれた扉から転がり込んできたのは、豊かな髭を震わせて声を上げるドワーフであった。すぐさまドヴァーリンが叱責の声を上げる。
「たわけがっ! ソーマ陛下の御前ぞ! いつまで以前のままのつもりでおるか!」
叱責を受けたドワーフは慌てて協議の場を乱したことを謝罪する。それからいそいそと足を動かし、ドヴァーリンのところへ行くと何やら耳打ちをした。
とたんにドヴァーリンは驚愕の表情になったかと思うと、ついで焦燥を顔に浮かべる。
「なんと?! そりゃいかん! ――ソーマ陛下! 面倒事が起きおった! わしの裁量では手に負えん! すまんが、ご足労を願いたい!」
そう言うなり、背丈が低いドワーフ専用の高椅子から飛び降りたドヴァーリンは、その短い足をドタバタと動かして部屋から飛び出していった。
いったい何が起きたのかは不明だが、とにかく一大事のようだ。
協議をいったん止めると、蒼馬はシェムルを連れてドヴァーリンを追いかけた。
ドワーフと人間では、その歩幅が圧倒的に違う。あっという間にドヴァーリンに追いついた蒼馬は何があったのか尋ねた。すると、ドヴァーリンは足を必死に動かしながら答える。
「最近、ノルズリたちの故郷が復興したのは聞いておられるだろう」
蒼馬は、こくりと頷いた。
ドヴァーリンの副将を務めるノルズリは、元はホルメア国北部のマーベン銅山を故郷としていたドワーフである。ホルメア戦役の際に、そこで鉱山奴隷として酷使されていたところを蒼馬に解放されて以降は、ボルニスの血族を名乗っていたドヴァーリンたちと新たな一族に統合された経緯があった。
それでも、やはり生まれ育った故郷への愛着は捨てがたいものがある。かねてよりノルズリたちは、故郷のマーベン銅山の復興を蒼馬へ願い出ていた。また、西域有数の銅の産出量を誇っていたマーベン銅山の復興は、蒼馬にとっても願ってもないことである。ホルメア国譲渡直後から多大な資金や資材を援助しながら、ノルズリたちに故郷の復興を任せていたのだ。
そして、最近になってノルズリからは、以前の採掘量には及ばないまでも銅の採掘を再開したとの報せを受けていたばかりであった。
「実は、ノルズリよりひそかに教えられておったのだが、あそこは銅だけではなく、黒い粉の秘薬も産出するらしい」
蒼馬は「黒い粉の秘薬」と聞いて、真っ先に思い浮かべたのは黒色火薬であった。しかし、産出するというからには自然物のはずだ。さすがに異世界とはいえ、黒色火薬が鉱山から出てくるわけがないと思い直す。すると、今度は「黒い粉の秘薬」がいったい何なのか気になった。
それはいったい何なのかと蒼馬が尋ねるとドヴァーリンは少し躊躇ってから答える。
「ガラスを透明にする秘薬よ」
現在、ドヴァーリンたちはガラスを製造するのに、素材としてわざわざ遠い砂漠から砂を取り寄せていた。それはというのも、その辺りにある砂では、できたガラスに色が着いてしまうからだ。
色つきのガラスも、それはそれで用途があるのだが、この時代においては無色透明なガラスが最高級品とされている。
そこでドヴァーリンたちは少しでもガラスを無色透明に近づけようと、不純物が少ない砂漠の砂をさらに細かく砕いて水に浮かべるなどして選別するなど面倒な手間を費やして不純物を徹底的に取り除いてガラスを製造していたのだ。
しかし、そうまでして造られているガラスも、陽に透かしてみればほんのりと青緑色を帯びているという。
「黒い粉の秘薬は、その色を打ち消す力を秘めておる。今以上のガラスを製造しようとすればなくてはならない秘薬よ」
そんなものがあったのかと素直に感心する蒼馬の前で、ドヴァーリンはムスッと顔をしかめる。
「ところが、その秘薬を盗みおった馬鹿者が出たらしい」
蒼馬は嫌な予感がした。いや、既視感すら覚える。
「……まさかとは思いますが、もしかして盗んだのって――」
そう蒼馬が言いかけたところで、通路の向こう側からこちらに向かって騒々しく駆けてくる集団が目に入った。
「待て、この盗人がぁ!」
「叩き殺しちゃる! このコソ泥め!」
「捕まえて吊せ! それからタコ殴りじゃ!」
手に手に角材や棒を持ち、怒声を上げながらドタバタと駆けてくるのは、ノルズリを先頭としたドワーフの工匠たちである。
そして、彼らが追いかけているのは、仙人のような白い髭をなびかせながら若者顔負けの健脚を披露する人間の老人。
「おお! 小僧! 助けてくれ~! 殺されるぅ~!」
すなわち、ソロンであった。




