第128話 未練(後)
驚く将軍や諸侯の目も気にせず、ゴルディアは落ち着いた口調で言った。
「ホルメア国よりの全面撤退を決めるのは、私の裁量を超える。父上の御裁可がなければ、それは承諾できん。そして、父上は今、ここにおられぬ。マサルカ関門砦へと向かわれているらしいが――」
わずかに言いよどんでからゴルディアは続ける。
「――そなたたちの矢に当たり、意識不明の重体とか。とうてい父上の御裁可は得られぬ」
ゴルディアの言葉に、ロマニア国の者たちは激しく動揺した。
普通、戦時中に自国の王が意識不明の重体などと敵に明かすなど、もっての外である。全軍の総大将である王がそのような状態ならば、ここぞとばかりに敵が襲いかかってこないとも限らないからだ。
だが、動揺する将軍や諸侯らと異なり、ゴルディアはそれを明かすべきだと考えていた。
そして、それが正解であるのを証明するかのように、ソロンはわずかに眉を動かしただけで口を閉ざしてしまった。
息が詰まるような沈黙が続く。
その間、事の真意を確かめるように、ソロンはゴルディアの目をジッと凝視していたが、それをふいっと逸らすとため息をひとつ洩らした。
「退くのは、マサルカ関門砦までといたしましょう。いかにドルデア王とて、自らが退いたところまで王子と兵が退くのを咎められますまい」
それは事実上、ロマニア国に攻め落としたマサルカ関門砦までの領有を認める発言だった。それによってロマニア国は、征西の最大の難関とされていた渡し場と、ラビアン河で行われる交易や漁業などの権利を獲得したことになる。
「助かる。――皆もそれで良いな?」
ソロンへ感謝の言葉を告げてから、ゴルディアは臣下へ問いかけた。
しかし、将軍や諸侯らは互いの顔を見合わせ、即答はできなかった。
確かにラビアン河の権益を獲得できれば、今回の征西における最低限の面子は保たれるだろう。
だが、武具や牛馬を置いて街を退去するという条件だけは、そう簡単に受け入れられるものではなかった。
それは単に父祖伝来の武具や愛馬を惜しむだけではない。
将軍や諸侯は、騎士である。そして、騎士とは馬に乗って戦う者だ。すなわち馬に乗ることが彼らの特権であり、権威であり、誇りなのだ。
それなのに馬を置いて行かねばならぬということは、徴兵した農民などの下級兵士と同じように徒で街を出て行軍せねばならないことになる。それは騎士である彼らにとっては耐えがたい恥辱であった。
しかし、これがゴルディア王子が自らの首をかけて、ぎりぎりで勝ち取ったものだとも理解している。それだけに異を唱えられない。
そこで講和の条件ではなく、それが守られるかどうかに難癖をつけてきた。
「ですが、殿下。武具を置いていった我らの安全は本当に保証されるのでしょうか? 破壊の御子が武具を捨てた我らをこれ幸いに襲いかかって来ないという保証はございませんぞ。何しろ相手は野蛮な反乱奴隷どもですからな」
そう言った諸侯のひとりに、他の者たちも同意の声を上げた。
それにゴルディアは眉をしかめる。
すべての武具や馬を置いて行くというのは、破壊の御子側にとっても譲れない一線だろうとゴルディアは気づいていた。
マサルカ関門砦より東を割譲した上で自分らに悠々と街を退去されては、それを見たホルメア国の人々が納得できるはずがない。また、自分らもそれを凱旋と言い張れる余地が生まれてしまうだろう。
それは今後ホルメア国を統治していこうとしている破壊の御子にとって間違いなく禍根となる。
そうならないためにも、破壊の御子は誰の目から見ても明確な形で自分の勝利を見せつけねばならない。それが武具と馬を置いての退去なのだ。
それだけに、これを取り下げさせるのは不可能。
将軍や諸侯らを何と言って説き伏せようかとゴルディアが眉根をしかめていると、ソロンはほとほと呆れ果てたようにため息をついてから言う。
「ゴルディア殿下。かような有様では、こちらとて信頼が置けませぬ。街より退去する折には、このわし自らが殿下のお側で約定が守られるか監視いたさねばなりますまい」
それはロマニア国を批難する体裁を取っているが、その実はソロンが自らを人質として差し出そうという提案に他ならなかった。
「アウレリウス。重ね重ね、助かる」
そう言ってからゴルディアは臣下へ厳しい目を向ける。
「皆の者。これ以上、私に恥をかかすな。これで講和をまとめる。良いな?」
ゴルディアの言葉に、今度こそ否やはなかった。
◆◇◆◇◆
決まった講和の条件をいったん報告しなければならないソロンであったが、ゴルディアに引き留められた。そして、ゴルディアは将軍や諸侯ばかりか近習たちまで人払いすると、たったふたりでソロンと向かい合った。そして、しばし過去の面影を見出そうとするかのようにソロンの顔を見つめていたゴルディアだったが、ふっと破顔する。
「とっくに死んでいたと思っていたぞ、アウレリウス。しかし、ずいぶんと老いたな」
それにソロンも笑って応じる。
「ゴルディア殿下。ドルデアに叱られ、鼻水を垂らして泣いていた子供が、ご立派になられましたな。道理でわしも歳を取るはず」
「立派なものか」
ゴルディアは苦笑した。
「やはり私には弟のような軍才はないらしい。何をすれば良いかわからず、慌てふためくばかりだった。今も、おまえを前にして恥ずかしい姿は見せられんと虚勢を張っているにすぎん」
そう自嘲するゴルディアに、ソロンは首を横に振ってみせる。
「何の何の。内心の動揺を隠し、虚勢を張ってみせるも、また王者の度量でございましょう」
「そう言ってもらえると、うれしい」
それは掛け値なしのゴルディアの本心からの言葉であった。
それからゴルディアは、ふっと思いついたように言う。
「父上だが、矢に当たったもののお命に関わるものではないらしい」
「……どうでもいい話ですな」
ぶっきらぼうに言い捨てるソロンに、ゴルディアはクツクツと笑う。
「とうてい、そうは見えないぞ」
さらにソロンは仏頂面になった。
その表情の中に、かつて父王に無理難題を押しつけられたときの面影を見て取ったゴルディアの胸の内に暖かい感情が湧き上がる。それが言葉となって口をつく。
「アウレリウスよ」
そう呼びかけて、しかしゴルディアは言葉が続けられなかった。
本当は、ロマニア国に帰順して自分を助けてくれないかと言いたかった。誰が何と反対しようとも、それを押し通すだけの覚悟があり、またそれだけの価値があると信じていたからだ。
だが、こうして反乱奴隷の使者として自分らの前に立った時点で、アウレリウス当人の中ではロマニア国への未練などとっくに断ち切られているに決まっている。
そんなわかりきったことをつい尋ねようとしてしまうとは、なんと未練がましいことだ。
そう自嘲をしてからゴルディアは、別の話題を振る。
「破壊の御子とは、おまえが仕えたいと思うほどの者なのか?」
それにソロンは「とんでもない」と笑った。
「あの小僧は、馬鹿をしでかして勝手に自滅をする類いの愚か者。放っておけずにやむなく少しばかり手伝っておるだけですわ」
そのソロンの言葉に、ゴルディアは懐かしい記憶を思い出す。父王ドルデアになぜ仕えているのかと訊かれると、必ずアウレリウスは「あのような殿下では、放っておけずにやむなく」と口にしたものだ。
しかし、ソロンはゴルディアの記憶にはない言葉をさらに続けた。
「あとは、あの小僧を近くで見ているのも面白いですからのぉ」
それに、ゴルディアはしばし目を見張る。それからフッと寂しげな笑みを浮かべると、こう言った。
「それは、そなたにとっては最大級の賛辞ではないか」と。
◆◇◆◇◆
ゴルディアの前を辞去したソロンは、杖を突いて通路を歩きながら胸の内でひとりごちた。
「まあ、予定どおりかのぉ……」
ゴルディアが勝ち取ったかに見えたマサルカ関門砦から東の割譲も、予定の内であったのだ。
蒼馬としては、王子救出のために敗走しているロマニア国軍がとって返してくる恐れがある以上、長期化は避けたい。早期に交渉を締結させるためにも、ロマニア国軍が退くのに見合うだけの条件を提示する必要があった。
それがマサルカ関門砦とラビアン河の権益である。
しかし、最初から及び腰を見せれば、こちらの窮状が悟られてしまう。そこで、いかにも渋々こちらが譲ったという形に持っていかねばならなかった。
そして、それをソロンは見事にこなしてみせたのである。
唯一、予定外であったのはロマニア国軍が街から退去する際に、自らを人質として差し出すことだけだった。
「やれやれ。これでは小僧のことを甘いなどとは言えんなぁ……」
そんなことをぼやきながら歩いていたソロンの前に、ひとりのロマニア国軍の将軍が現れた。それは真っ先にソロンの正体に気づき、糾弾したあの将軍である。
苦虫を百匹ばかりまとめて噛みつぶしたような表情をした将軍は、まず鼻を鳴らして見せた。
「故国に唾を吐き、生き恥を晒しておるくせに、死ぬ覚悟ができているなど、大言を吐きおって」
どうやら、先程ゴルディアの前でやり込められたのが、よほど腹に据えかねていたらしい。わざわざそれを言うためだけに待っていたようだ。
こういうわかりやすい手合いならば簡単なのだがな、とソロンは内心で呟いてから、ニカッと笑ってみせる。
「いやはや、ばれましたか」
あっけらかんと言うソロンに、てっきり死ぬ覚悟はできていると反論するかと思っていた将軍は面食らう。そんな将軍にソロンは無邪気な笑みを浮かべてこう言った。
「最近、行く末を見守りたい者たちができましてな。もう少しばかり生きていたいと未練が生まれたところですわ」
ソロンは、カラカラと笑い声を上げた。
―在りし日の光景―
ドルデア「おお! 我が無二の親友よ!」
アウレリウス「またかっ! 今度は何だ?! ――ああ、これなら邪魔な貴族どもをまとめて粛清した方が早いぞ」
ドルデア「それは勘弁してくれ、我が友よ。俺が王になったら、必ずやおまえを宰相に取り立ててやるから、何とかしてくれ」
ゴルディア「父上。アウレリウス殿が未来の宰相なのですか?」
ドルデア「そうだとも! しかも西域を統一する大ロマニア帝国の大宰相様だ!」
ゴルディア「すごいですね。さすが、アウレリウス殿!」
アウレリウス「……チッ。見捨てると気分が悪くなりそうだ。――とっとと資料を寄越せ、わが君よ」
もしかすればドルデア王はソロンの力によって大ロマニア帝国を築き、そして軍事は苦手でも政務に優れたゴルディアが帝国を盤石なものとし、ふたりとも名君となっていたかもしれませんね。




