第64話 スノムタの屈辱4-兜持ち
新年あけましておめでとうございます。
本年も本作ともどもよろしくお願いいたします。
ホルメア最強の軍団「黒壁」の副軍団長ヒュアキス。
血筋や家柄は考慮されず、その本人の力のみで評価される「黒壁」において、副軍団長の地位に就き、実質的な指揮官と評される彼は、ホルメア国では将軍といえど一目も二目も置かれる武将である。
それは地位ばかりではない。その戦歴も赫々たるものだ。
ダリウス将軍の右腕として、幾多の激戦と呼ばれる戦いに参加。それは仇敵ロマニア国との戦いに始まり、各地の反乱鎮圧や山賊や野盗の討伐など数えきれない。
昇進をヒュアキス本人が固辞していなければ、とっくに将軍職。もしかしたら大将軍になっていたのではないかとも言われている。
そんなヒュアキスだったが、彼は自身をこう評していた。
凡将である、と。
ヒュアキス自身も、そこいらにいる将軍よりかは自分の方がはるかにできるという自負はある。
糧食や武具を整え、行軍の道を選び、部隊に指示し、戦場を見定め、陣を展開し、戦況を見、兵に指示を出し、それを遵守させる。
そうしたごく当たり前だが、他の将軍らならば部下や家臣に投げっぱなしにしてしまうことも人並み以上にこなせる自信はあった。また、そうでなければダリウス将軍とて、自分に副軍団長を任せたりはしなかっただろう。
しかし、それでも、それなりにできる将軍にしかなれない。
後世に名を残すような名将には自分はなれないのだと、ヒュアキスは誰よりも痛切に理解していたのである。
だから、ダリウス将軍が自らの後継者としてマリウスという名の青年を育て始めたと聞いた時も、そうだろうなと納得した。してしまったのである。
その時、多くの同輩たちがヒュアキスの心配をした。ダリウス将軍の後継者は「黒壁」の副軍団長であり、長きにわたり補佐を務めてきたヒュアキスだというのが、皆の共通した認識だったからだ。
そんな者たちにヒュアキスは「気にしていない」と笑って軽く返しただけだった。それに皆は一様に拍子抜けしたような顔をしたものだ。
もちろん、ヒュアキスとて多少の嫉妬は覚えていた。
しかし、それ以上に仕方がないという想いの方がはるかに強かったのだ。
それに、とヒュアキスは思う。
自分が願っていたのは、ダリウス将軍の後を継ぐことではない。
自分が願っていたのは、ダリウス将軍のおそばにいることである。ただただ、あの方が何を見て、何を考え、何を言い、そして何を感じるのか。憧れるあの方のそばで、それを間近で知りたかった。ただそれだけなのである。
そんなヒュアキスを口さがない者たちは、こう呼ぶ。
名将の兜持ち。
兜持ちとは、将軍などの兜を預かって付き従う小姓のことである。将軍と同格とされるヒュアキスに対しては蔑称ともいえる呼び名だった。だが、むしろヒュアキスは誇りすら感じていた。
しかし、今やその持つべき兜が失われてしまった。
今、目前の敵である「破壊の御子」によって名将の兜は地に落ちて、泥にまみれてしまったのだ。
本来ならば、ダリウス将軍の汚名を晴らすのは後継者たるマリウスの役目である。
だが、彼は将軍を落ち延びさせるために踏み止まり、勇敢に戦って散ったと聞く。いつかはダリウス将軍すら超える逸材と讃えられた素質を開花させる前に、その命を燃やし尽くしてしまったのである。
それならば、将軍の汚名を晴らす役目を果たすのは自分しかいない。地に落ちて泥にまみれた将軍の兜を拾い上げ、その泥を拭うのは、この名将の兜持ちしかいないのだ。
確かに自分は、名将の後ろをついて回るしか能がない兜持ちでしかない。
ヒュアキスは、だがな、と笑う。
「ホルメア最高の将軍の兜は、決して軽くはなかったのだぞ……」
そう不敵な笑みとともに呟いたヒュアキスは、戦場を眺めた。
戦場となる土地の地形は、なだらかなくだり傾斜となっており、そこから討伐軍と反乱奴隷軍の中間あたりからコンテ河の岸まで今度はなだらかに上っている。そのため第二軍を指揮するヒュアキスの目からも、第一軍を翻弄するエルフ弓騎兵の姿が見て取れた。
「騎馬に乗りながらの弓を射る部隊か。確かに驚嘆すべき事実だ。されど――」
そう呟きながらヒュアキスが思い起こすのは、かつて目にした将軍たちの姿である。
これまでヒュアキスは、様々な種類の将軍と相対してきた。
神のごとき知略を振るう智将と呼ばれる男もいれば、現ロマニア国大将軍ダライオスのような単騎で敵軍を圧倒する猛将もいた。ただ甘いくせに、やけに兵士から慕われる仁将もいれば、義に篤く仲間の将軍から絶大な信頼を得ていた義将と呼ばれる男もいた。
そして、何よりもホルメア国最高の将軍と呼ばれた名将ダリウスを間近で見続けてきたのだ。
そうした将軍らを前にする度に、凡人のヒュアキスは常に圧倒されてきた。
それは、その将軍たちの軍功や姿かたちからではない。そうした名将などと呼ばれる将軍たちは、どこか人を魅了し、奮い立たせ、そして圧倒するような何かを持っていたのだ。
それを感じるたびに、ヒュアキスは自分が凡将にしかなれないのを痛切に思い知らされたものである。
そんなヒュアキスだからこそ看破する。
「――あの将と騎兵隊ともども、いまだ空を飛び始めたヒナにすぎん」
確かに、弓騎兵とは恐るべき存在だ。あれならば戦場を縦横無尽に駆け、敵の弱いところへ攻撃を加えられる。いや、わざと敗走したと見せかけて堅い守りの敵陣から敵を釣り出すことも可能だろう。
しかし、それほど驚異的な能力を持つ敵部隊だというのに、何ひとつ感じない。
これまでのヒュアキスの積み上げてきた経験が、あの敵は恐れるものではないと告げていた。
そうして落ち着いて敵部隊を観察すれば、それは一目瞭然である。
矢を射ながら自分の騎馬の手綱を取るのにエルフたちが四苦八苦している様子が見て取れた。中にはあわや味方にぶつかりかけて、慌てて避けようとし、隊から単騎で離れてしまうような者まで出ている。
これは明らかに兵の練度不足だ。
また、それを指揮する将も同様である。
第一軍全体を見渡せば、将軍の周囲など兵の動揺を押さえ込めているところもあれば、逆にいまだに激しく動揺を示しているところもある。そうした動揺しているところを果敢に攻め立てて混乱をあおり、さらにそれを広げるように部隊を運用させれば脅威だったのだろう。
しかし、それができていない。
先程から、ただ敵前で馬を右へ左へと走らせて矢を放つだけである。率いる兵の損耗を恐れ、思い切った手を打てていない。まるで教本に書かれた戦車の運用の基本を反復しているだけである。
おそらくは、敵の将は駆け出しなのだ。
だから基本を押さえるだけで応用が利いていない。利かせられないのだ。
そのヒュアキスの目は、間違いなかった。
弓騎兵を率いているエラディアは、そもそも武人ではない。
エラディアは元高級娼姫として鍛え上げた洞察力や話術によって類まれな力を発揮する交渉や折衝の達人である。
しかし、その弓の腕前となると、エルフとしては「それなり」のものでしかない。他の種族の弓兵よりは優れていても、とうてい傑出した弓の名手というわけではないのだ。
そればかりか、蒼馬によって解放されるまでは多くの兵を率いた経験もなければ、戦ったことすらない。また、ガラムやズーグたちのように生まれながらにして人を率いて戦う将の才を備えていたわけでもなかった。
そんなエラディアが、まがりなりにも部隊を率いているのは、エルフの女性たちから是非にと推されたからに他ならない。
エラディアが高級娼姫とはいえ、扱いが違うだけで性奴隷には変わりない身でありながらも、それでも同胞を救おうと尽力してきたことを一緒に帝国から売られてきたエルフの女性たちの多くが知っていた。
だからこそ彼女たちは、エラディアを長に戴いているのだ。
そして、それに応えるためにもエラディアは多忙な女官長の職務をこなしながら、弓術や馬術の腕を磨いていた。高級娼婦だった時に軍人との会話に備えて名将インクディアスの書なども通読しており、机上ながらも兵法の初歩は心得ていたが、さらに嫌いな人間の男であるはずのマルクロニスにすら教えを乞いて練兵の方法も学んだ。ガラムやズーグらの兵の動かし方を観察し、どうしてそうするのか、どうしてそうせねばならないのか必死に考えもした。
そうして彼女は、この五年もの間に誰よりも努力してきていたのである。
しかし、それはあくまで机上のものでしかない。
エラディアには実戦経験が、圧倒的に不足していたのだ。
エラディアは自分が将才に恵まれていないのを承知した上で、それでも努力と経験を積み重ね、ホルメア国最強の軍団の副軍団長まで上り詰めたヒュアキスと同じ研鑽型の将だったのだろう。
しかし、そんな研鑽型の将にとって経験不足とは致命的である。
だが、だからといってヒュアキスが遠慮をする必要はない。
「兵も未熟。将も未熟では、恐れるに足らず」
いかに驚異的な力を秘めているであろうとも、その練度は低く、未熟な将に率いられているのであれば、何ら恐れる必要はない。ましてや、それもたかが百騎ばかりしかいないのだ。被害のほども、たかが知れている。それならば、弓騎兵という存在に惑わされず対処すれば良い。
ヒュアキスは伝令兵を呼び寄せて指示を出す。
「ラキウス将軍に伝令! 落ち着いて防御を固めよ、と伝えよ。騎馬に惑わされるな。こちらが防御を崩さなければ、足が速い弓兵が走り回って弓を射ているのと変わらぬ。それよりも前を注視せよとな!」
さらに念を押す。
「これはアレクシウス殿下の命である。殿下は美しき軍による圧倒的な勝利をお望みである! もし隊伍を乱すようなことがあれば、後で厳しい処分が下されるものと心得られよ。この旨をきつく伝えるのだ!」
第一軍を率いているラキウス将軍は、国軍の階級では上になる。下手に反発されないようにアレクシウスの名を使ったのだが、伝令兵も心得たもので何も訊かずに復唱した。
その伝令兵が白いマントをたなびかせてラキウス将軍の許へ駆けて行くのを見送りながら、ヒュアキスはさらに伝令兵をもうふたり呼び寄せる。
「第三軍、第四軍に伝令。五十歩前進し、そこで待機」
「……は? 待機、でありますか?」
復唱ではなく疑問の声を返す伝令兵を見れば、どうやら国軍に所属する伝令兵らしい。国軍の将軍どもは伝令兵もまともに教育していないのかとヒュアキスは苛立つ。
「第三軍、第四軍の戦車隊で、あの騎兵隊を排除しろとでも言うのか? 両軍は、この第二軍の脇腹を守っているのだぞ。あの足の速いゾアンどもを前に、弱点を晒せとでも言うのか?」
「し、失礼いたしました! ――第三軍、第四軍に伝令。五十歩前進し、そこで待機。承りました!」
泡を食って馬を走らせる伝令兵に嘆息を洩らしたヒュアキスは、改めて今もなお第一軍に矢を射かけるエルフ騎兵隊を見やる。
「矢を射る騎兵どもだけで、この地で我らを迎え撃とうとしていたのなら自滅行為だぞ。下手な小細工は不要。ただ数の利をもって押し潰してやるだけだ」
そう呟くヒュアキスは知らない。
彼の知らないところでダリウスが「ヒュアキスがもっとも、わしが求める用兵を実現できる。あれがいれば、わしは安心して兜を脱げるのだ」と評していたことを。
そして、彼の「名将の兜持ち」という呼び名は、それを冷やかしたものであったということを。
◆◇◆◇◆
「アレクシウス殿下の命だとっ?!」
伝令を聞いたラキウス将軍は蒼白になった。
今さらながらホルメア国の王子の前で戦っているのを思い出す。それなのに、このような無様な姿を晒してしまうとは今後の国軍での昇進に関わる。
「で、殿下にはご安心くだされとお伝えしろ! ――貴様ら、隊伍を乱すな! 勝手に動くものがあれば、斬り捨てるぞ!」
血相を変えてラキウス将軍が叫ぶのに、子飼いの部下らが慌てて兵の手綱を取る。そのおかげで混乱していた第一軍は、何とか統率を取り戻しつつあった。
それにホッと安堵していたラキウス将軍だったが、その耳に後方で叩かれる太鼓の音が届く。
「こ、今度は何だ? この拍子は……『前』?」
太鼓の音は、前進でもなく、ただ「前」を意味する拍子を繰り返し叩いていた。
それはラキウス将軍の動きが悪いのに業を煮やしたヒュアキスが叩かせたものである。
「前? 前進でもなく、ただ前とはなんだ?」
ふと前方を見やったラキウス将軍は、あっと驚く。
そこにいたのは、エルフの弓兵部隊の姿である。
こちらが弓騎兵たちに目を奪われている間に、ひそかに近づいていたのだ。すでに弓矢の射程内に入っており、盾を立てて防御を整え、矢を射る準備を終えていた。
「いかん! 前方に盾を向けろ!」
右へ左へと駆けるエルフ騎兵隊ばかりに気を取られていたため、本来は強固な壁として並べられるはずの盾が散々に乱れていた。このまま矢を喰らえば、大きな犠牲が出てしまう。
ラキウス将軍が泡を食って叫ぶのに、ようやく自分らが敵の弓兵たちに無防備な身体を晒しているのに気づいた兵たちは、慌てて盾を並べ替える。
「急げっ! 敵の矢が飛んで来るぞっ!」
第一軍のいたるところで怒号が飛び交った。しかし、いくら将校や隊長らが叫んでも、そう簡単には盾の壁を作れない。慌てるあまり盾同士を激しくぶつけ合い、転倒する兵士も続出する。
そこへ準備を終えたエルフの弓兵隊が、ついに矢を放った。
盾の裏に隠れるのが遅かったり、せっかく隠れられたというのに後から飛び込んできた仲間に突き飛ばされたりしたところへ容赦なく矢の雨が降り注ぐ。これによって第一軍の兵に少なからぬ犠牲が出た。
「こ、こんなはずでは……こんなはずではっ!」
こちらは二千に対して、敵はわずか四百程度。圧倒するはずだったというのに、蓋を開けてみれば、こちらが一方的にやられている始末である。しばし呆然としてしまったラキウス将軍だったが、我を取り戻すと激しい怒りをぶちまけた。
「おのれ、あの売女どもがぁ! ――急ぎ盾を並べろ! こちらも反撃するのだ! 騎兵は無視してかまわん! とにかく矢を放てっ!」
地団太を踏まんばかりのラキウス将軍であったが、何も思いどおりに展開が進んでいないのは彼ばかりではない。
「お姉様! 敵は私たちを無視して、弓兵隊と矢の応酬を始めました!」
自分の後ろに続くエルフ騎兵の叫び声に、わずかに下唇を噛んだエラディアは討伐軍第一軍へ向けて矢を放つ。
「私たちは、このまま攻撃を続行します! 敵前で動き回り、敵兵を少しでも攪乱するのです!」
今は一方的に攻撃を加えているはずのエラディアもまた、ままならぬ戦況に苛立っていたのである。
名将の兜持ちヒュアキスによって、ジワジワと圧されていくエラディアたちエルフ弓兵隊。
防御用の盾を貫く強弓を使うガウ族の狩人たちによって犠牲者も出始めてしまう。
さらに後方では、戦況に不安を覚える蒼馬。
そして、ついにアレクシウスが号令を発する。
次話「スノムタの屈辱5-弓勝負」




