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破壊の御子  作者: 無銘工房
龍驤の章
193/550

第59話 進軍

 突然、怒りをあらわにするアレクシウスの姿に、天幕の中に緊張が走る。

 当のカントビアス男爵も、いったい自分の発言の何が癇(かん)に障(さわ)ったのか見当もつかなかった。だが、アレクシウスの怒りが尋常ではないことだけはわかる。

「カントビアス男爵よ。今、何と申した……?」

 アレクシウスは努(つと)めて平静を装うとしていたが、その声が抑えきれない怒りに打ち震えているのは隠せていなかった。この想像を絶するアレクシウスの怒りの大きさに怯(おび)えながらも、カントビアス男爵は答える。

「で、ですから、何も軍をぶつけるだけが戦ではございません、と……」

「それではないっ! その後だっ!!」

 アレクシウスの叱責に、カントビアス男爵は思わず息を飲んでしまう。それから、その息を絞り出すようにして答えた。

「威をもって敵を調伏するのもまた、王者の戦いだと……」

 その答えに、アレクシウスはニヤリと笑った。

 しかし、それは寛恕(かんじょ)の笑みなどではない。

 それは抑え込まれた怒りと憎悪が笑みという形で現れたにすぎなかった。

「そうか、そういうことか……!」

 アレクシウスは、ひとりで納得しながら呟いた。

 王者の戦い。

 それは、かつてアレクシウスの初陣での勝利を祝う宴の席において、王子が次の大将軍になるのではないかといったワリウス王にダリウスが返した言葉である。そして、それはアレクシウスの中で、ホルメア最高の将軍と呼ばれたダリウスへの憧れが、憎悪に変わったきっかけの言葉でもあった。

 まるで獲物を前にした野獣が舌舐めずりするように、アレクシウスは言う。

「そう言えば卿(けい)の旗は、藍色の布地に黄色い山猫であったなぁ……。おお! これは、どうしたことか。私は、それによく似た旗を知っておるぞ」

 アレクシウスの言うとおり、カントビアス男爵の軍旗は濃い藍色の地に黄色い糸で山猫の横顔をあしらったものである。そして、これもまたアレクシウスが言うとおり、それとよく似た軍旗が存在していた。

「そう。その旗は確か、黒地に金糸で獅子のあしらった旗……」

 ひとりごちるようなアレクシウスの言葉に、カントビアス男爵の顔から、血の気が音を立てて引いた。

 黒地に金の獅子の旗。

 それはダリウスの旗である。

 アレクシウスの推察どおり、カントビアス男爵の軍旗は、ダリウス将軍の力にあやかるために、わざわざその旗を模した意匠(いしょう)を選んだものだったのだ。

 次の瞬間、アレクシウスが爆発した。

「おのれっ! まだ、あの老いぼれの信望者が残っていたか! 奴隷ごときに敗れた老いぼれの無能を糊塗(こと)するために、私の足を引っ張ろうという算段であろう!」

 とんだ言いがかりである。しかし、アレクシウスのものすごい剣幕を前に、カントビアス男爵に釈明する余地すらなかった。

「無礼打ちにしてやる! その首は戦勝祈願に神への供物としてやるから、ありがたく思え!」

 冗談や脅しではなくアレクシウスは柄に手をかけ、今にも剣を抜き放たんとした。

「殿下! おやめください!」

 それを止めたのは、ヒュアキスだった。

「戦いを前にして味方の血を流すのは不吉にございます! ましてやその首を戦勝祈願の供物にするなど、神に味方の血を所望するようなもの。おやめください!」

 ヒュアキスの弁も、もっともである。

 これには、さすがのアレクシウスも自制するしかなかった。

 また、実質的な「黒壁」の指揮官でもあるヒュアキスの言を軽んじられないせいもある。

 ホルメア最強の軍団として「黒壁」を編成するにあたり、ダリウスは他の軍団より「黒壁」の兵士の俸給を上げるのは無論のこと、ホルメア国内では「黒壁」以外は装備を黒一色にするのを禁じるなど、様々な差別化を図った。

 それは兵士たちに「黒壁」であることに強い優越感と帰属意識を植えつけるためである。

 そうして優越感と帰属意識を植えつけられた兵士は、個の活躍よりも「黒壁」としての勝利を優先するようになり、個の武勇が尊ばれるこの時代においては異例といっても良い強い団結力を持った軍団となったのだ。

 しかし、それと同時に自らを選ばれた兵士だとする強い自尊心は、他の兵士らを――時には将軍すらも見下してしまう傾向をも与えてしまった。

 そのため「黒壁」は、その力は誰もが認めざるを得ないものだが、それと同時に家柄ばかりの将軍には扱いかねる曲者揃いの軍団となってしまったのである。

 それはホルメア王家のたったひとりの王子であるアレクシウスであっても例外ではない。常勝不敗とはいうものの国境の小競り合いや国内の不穏分子掃討ぐらいしか軍功のない、そんなアレクシウスが曲がりなりにも「黒壁」を指揮できるのは、彼を立ててくれるヒュアキスがいるからこそである。

 深呼吸するように大きく息を吸っては吐きを繰り返し、何とか自分の怒りを抑え込んだアレクシウスは、吐き捨てるように言う。

「ヒュアキスに免じて、命だけは助けてやろう。――だが、二度と私の前に顔を出すな! 此度(こたび)の討伐においても、戦場に出ることまかりならん! 輜重(しちょう)隊の警護を命じる! すみやかに任に着けっ!」

 武勇が尊ばれる社会において、参陣したというのに戦場から遠ざけられるのは、武人にとっては恥辱である。カントビアス男爵は血がにじむほど自分の唇を噛み締めながらも、アレクシウスに頭を深々と下げ、天幕を出て行ってしまった。

 アレクシウスは残った諸将や将校に向けて言い放つ。

「よいかっ! 私は全軍をもって反乱奴隷を打ち倒す! これは決定である!」

 そして、いきなり剣を抜き放つと、それを広げられていた地図を縫いつけるように卓に突き立てる。

「何人だろうと、これに異議を挟めば、反逆として処罰されるものと心得よ!」

 もはや誰も異論は挟めなかった。


                    ◆◇◆◇◆


 休むと告げてアレクシウスが天幕から出ていくと、諸侯らも次々と自分たちの天幕に戻っていった。しばらくして天幕には「黒壁」の将校だけが残される。

 残された「黒壁」の将校らは無言で小さくうなずき合うと、視線をヒュアキスに向けた。自分に集まる僚友(りょうゆう)たちの視線を感じながら、ヒュアキスはため息を洩らす。

「……閣下の御意向に沿わぬ結果となったが、やむをえまい」

 この「黒壁」の将校たちのみの場で、名前を抜きで閣下と称せられる者は、ただひとり。かつて「黒壁」を創設し、彼らを率いて幾多の戦場を戦い抜き、勝利を手にしてきたホルメア最高の将軍ダリウスだけである。

 そして、先程のカントビアス男爵とのやり取りも、すべてはダリウスからの「彼の地での決戦を避けよ」という密書を受け、打ち合わせた上でのものだった。

 ダリウスの意向に沿わない結果となってしまったが、居並ぶ将校らの顔には失望の色はない。むしろこの展開を望んでいた空気すら、将校らの間には漂っていた。

 それが気のせいではないと証明するかのように、ひとりの将校が口を開く。

「だが、閣下も奴隷どもを過大評価しすぎではないか? 我らは『黒壁』なのだぞ」

 その言葉には、自分らがホルメア最強の軍団「黒壁」であることに、並々ならぬ自負が込められていた。

 これに対して、声に出しては賛意を示さないが、他の将校らもその顔を見れば同意見であるのは疑いようがない。

 そんな将校らをヒュアキスはたしなめる。

「……敵を侮(あなど)るな。敵は、閣下を翻弄(ほんろう)した策士なのだぞ」

 それに、最初に口を開いた将校が我が意を得たりとばかりに言う。

「それよ、それ。閣下が破れたと言っても、その時に閣下が率いられていたのは、尻に殻のついたヒヨッコどもではないか! 少し敵に抵抗された程度で逃げ出す者もいたと聞くぞ」

 何と不甲斐ない連中だと、憎悪すらにじませて、その将校は言った。

 それを皮切りに、他の将校らの口からも次々と怒りの声が飛び出す。

「俺もそれを聞いた時には逃げ帰った兵どもを斬り殺したくなったわ!」

「我らならば、閣下にあのような恥辱を……!」

「カドモスとジュディウスも情けない! 我らと同じく閣下に教えを受けておきながら、その恩を仇で返すとは!」

 しだいに将校らの口調は怒りどころか怨嗟(えんさ)さえ帯び始めた。

 現在の「黒壁」の中核をなす将校らは、大将軍であった頃のダリウスに憧れて国軍に入り、その力を見出された者たちばかりである。ダリウスによって名誉ある「黒壁」に抜擢された恩義ばかりではない。ダリウスの指揮の下で数多の戦場を駆け抜け、苦楽を共にし、勝利を分かち合った者たちなのだ。

 そんな彼らのダリウスへの想いは、もはや崇敬の域に達していた。

 逃げた兵の不甲斐なさを口々に批難する僚友たちをヒュアキスが叱責する。

「閣下のお言葉を忘れたか! 閣下は自分が何と言われようと、我が身がどうなろうとかまうな。我らには、ただホルメア国に尽くせと仰(おお)せになられたのだぞ!」

 それは、ダリウスが謹慎を申し渡された直後に「黒壁」の将校らに宛てて出された密書の言葉であった。

 つい頭に血を上らせてしまった将校らも、敬愛するダリウスの言葉の前には頭を冷やさざるを得ない。

 そんな僚友らに、ヒュアキスは念を押す。

「よいか! 今、我らが閣下のために為(な)せることは、ただひとつ! 怨敵『破壊の御子』の首級をあげることぞ!」

 ダリウス将軍に恥辱を与えた憎き仇を討つのに否やはない。将校らは力強くうなずいた。

「皆、肝に銘じよ。敵は閣下をも翻弄した策士。いかなる策を用いるやもしれぬ。ゆめゆめ油断するな。そして、そやつに指揮されるは平原の覇者ゾアンの軍団! 奴らの脚力を活かした突撃に、我らは如何(いか)に対応する?!」

 ヒュアキスの問いに将校のひとりが一歩前に進み出ると、自らの鎧の胸甲を叩いて豪語する。

「ゾアンの突撃など、何するものぞ! 我が兵の守りは鉄壁! 三十有余年前のソルビアント平原を再現して見せましょう!」

 さらにヒュアキスは問う。

「ならば、エルフの弓は如何に?!」

 それに、また別の将校が前に出る。

「我らの兵が作る盾の壁は、針が通る隙間さえなし! エルフの弓など、恐れるに足らず!」

「ならば、ドワーフの槍兵は如何に?!」

 さらに、また別の将校が声を上げる。

「手足の短い地虫が持つ槍など笑止千万! 奴らの槍が届かぬところから、我らの槍は奴らを串刺しにしてご覧に入れましょう!」

「ならば、ディノサウリアンは如何に?!」

「ディノサウリアンとて、不死身ではございません。槍で距離を取り、囲めばいかようにも片づけられます! 五人で一斉にかかれば、ふたりは死すとも、三つの槍がディノサウリアンの命を奪うでしょう!」

 ヒュアキスは僚友らの顔をぐるりと見回してから、力強く宣言する。

「よいか! 反乱奴隷どもを我らが完膚なきまでに叩き潰すのだ。そして、西域中に知らしめよ。閣下に鍛えられし我ら『黒壁』こそが最強の軍団であると!」

 将校らは「おお!」と唱和したのである。


                    ◆◇◆◇◆


 翌日、アレクシウス率いる国軍の精鋭たちはコンテ河の渡し場へ向けて進軍を開始した。

 その報せを受けたダリウスは、王都ホルメニアにある自分の屋敷の中で、無言で天井を振り仰(あお)いだという。

 しかし、そんなダリウス以上に、この進軍に衝撃を受ける者がいた。

「え? ホルメア軍が、まっすぐこちらに向かってきているの?」

 時ほぼ同じ頃、いまだにドワーフが振るう槌の音が聞こえる砦の前に設けられた天幕の中。そこで報せを届けに来たゾアンの戦士を前にして、蒼馬はキョトンとした顔になる。

「え? なんで? どういうこと?」

 何を言っているのか理解できない様子だった蒼馬だが、しだいにその目に理解の色が浮かぶようになると同時に、激しく動揺し始めた。

「ソーマ。いったい、どうしたんだ?」

 不思議そうに尋ねてくるシェムルの声も耳に入らぬ様子で、蒼馬は天幕の中央に置かれた卓に駆け寄った。そして、その上に広げられたコンテ河の渡し場近辺の地図を食い入るように見つめる。

「なぜだ? どういうことだ? どうして?!」

 シェムルばかりかその場に居合わせた者たちに奇異な目を向けられているのにもおかまいなしで、蒼馬は大きな声で独り言を口にしながら、地図の上に置かれたいくつもの駒を激しく動かし始めた。駒を並べては動かし、また並べるのを何度も繰り返す蒼馬だったが、ついにその手が止まる。

「まずい。どうしよう……」

 卓の上に両手をついて、うなだれてしまう蒼馬に、シェムルが眉をしかめながら声をかける。

「いったいぜんたい、どうしたというのだ、ソーマ?」

 ようやく蒼馬は顔を上げたが、その顔は固くこわばり、引きつっていた。その目が周囲の人たちを気にしているのに気づいたシェムルは、エルフの女官や報せを届けに来たゾアンの戦士を追い払い、蒼馬とふたりっきりにしてもらう。

 それから再び何があったのか尋ねると、ようやく蒼馬はその重い口を開いた。

「どうしよう、シェムル――」

 蒼馬は、くしゃりと顔をゆがめた。

「――僕らは負けるかもしれない」

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