第37話 銅
破壊の御子が兵を退く。
その一報はすぐさま早馬を用いて王都へ届けられたのである。
「破壊の御子が、撤退しただと?!」
報せを受けたワリウス王は、しばし呆けてから呟くように言う。
「つまり、奴の狙いはマーベン銅山のドワーフと銅だったと申すのか……?」
マーベン銅山のドワーフらが銅とともに河を渡り、ボルニス側へと逃げ去ったのに合わせて陣を引き払うという破壊の御子の行動を見れば、その目的はマーベン銅山のドワーフと銅であったとしか考えられない。
ワリウス王の問いを無視するわけにはいかなかった重臣のひとりが、癇癪の矛先が自分に向けられるのではないかと戦々恐々としながらも答える。
「恐れながら、この状況を分析するに、そうであったとしか……」
重臣の答えに、ワリウス王はブルブルと身体を小刻みに震わせた。
自ら叩き潰されに出てくるとは、卑しい奴隷ながら可愛いところもあるものだと思っていたのだ。だが、それはこちらの注意をそらすための欺瞞でしかなかった。そればかりか、まともに戦おうとはせずに横から人の財貨を盗み取る盗賊のようなやり口に、ワリウス王は激怒する。
「あ、あやつめ……! どこまで余を愚弄するつもりなのだ……!!」
そして、その怒りの矛先は謁見の間の中央で平伏するふたりに向けられた。ワリウス王は玉座から立ち上がるなり、怒声を上げる。
「ルドフス! カフナー! 貴様らは余の信頼を裏切り、銅を奪い返せずに、よくもおめおめと余の前に顔が出せたなっ!」
びくりと身体を震わせたのはマーベン銅山のドワーフを取り逃がしてしまったルドフスとカフナーのふたりであった。
ワリウス王の怒りは恐ろしかったが、さりとて逃げ出すわけにもいかなかったふたりは、半ば死を覚悟して報告のために帰還していたのだ。
ところが、まさかそれに合わせるように破壊の御子が撤収したとの報せが届いてしまうとは、不運としか言いようがない。
「この無能者めが! それともおまえらは、余を軽んじる不忠者か?!」
ひたすら平伏するふたりに、ワリウス王は容赦ない罵声を浴びせかけた。その聞くに堪えない罵詈雑言に、その場に居合わせた者たちは眉をしかめるが、それでもふたりをとりなそうとする者はいない。誰もが雷を避けるように、ただ首をすくめてワリウス王の勘気が治まるのを待つしかなかった。
罵り続け、その語彙が尽き果てたワリウス王は、ふたりにとどめを刺す。
「両名とも、ラップレーの防衛に任ずる! ロマニアを前にすれば、その怠慢さもなくなるであろうからなっ!」
それまで一切の抗弁もせずに、ひたすらワリウス王の勘気から逃れようとしていたふたりだったが、これには思わず顔を上げてしまう。
ラップレーは、かつてワリウス王の弟ヴリタスが送られたロマニア国との境に近い辺境の地だ。王都からラップレーへの転属など、左遷以外の何ものでもない。そのような生き恥を晒させられるなど、死罪を言い渡された方がマシである。
「へ、陛下! どうか再考を。この身を削ってでも此度の失態を取り戻してごらんにいれます! ご再考を!」
そうルドフスが叫べば、カフナーも床に額をこすりつけて懇願する。
「ロマニアと戦えと仰せられるのならば、せめてラビアン河の砦へ! 命を惜しまず戦って御覧に入れます!」
しかし、ふたりの必死の懇願もワリウス王には届かなかった。
「たわけどもがっ! おまえらのような愚物にラビアン河の守りを任せられるものかっ! ――衛兵よ! こやつらを王宮より叩き出せっ!」
衛兵に囲まれて謁見の間から連れ出されながらも必死に嘆願の声を上げるルドフスとカフナーには目もくれず、ワリウス王は音を立てて玉座に腰を下ろした。
しかし、たかが将校ふたりを僻地に飛ばしたからといってワリウス王の怒りは、とうてい収まるものではない。謁見の間はワリウス王の無言の怒りに満ちて、ピリピリとした緊張感に包まれていた。
そんな謁見の間に報せを持ってきた侍従は運がない。だが、まさかここで回れ右をして帰るわけにもいかず、半泣きの表情で声を張り上げる。
「ワリウス王陛下にお伝え申し上げまする!」
それだけでワリウス王にギロリと睨みつけられ、侍従はすくみ上がった。しかし、それでも職責をまっとうするべく言葉を続ける。
「――コルネリウス殿が謁見を求めて参られました!」
ジェボアの商人ギルド十人委員のひとりコルネリウスの名前に、謁見の間の空気が、ざわりと動く。
すでに王都ホルメニア入りしていたコルネリウスだったが、銅を渡す期日はとっくに過ぎているというのに、これまで一度として銅を催促するどころか、謁見を求めようとすらしていなかったのである。そのため、約束した銅を奪われたワリウス王からも、あえて参上するように伝えることもなく、今日まで来てしまっていた。
だが、ついにその時が来てしまったのか。
さすがのワリウス王も暗澹たる気持ちになる。しかし、だからといってコルネリウスを追い返すわけにもいかず、謁見の間に通すように命じた。
いったいどのような厳しい催促の言葉が投げつけられるかと、重臣らが固唾を飲んで見守る中で、謁見の間に案内されたコルネリウスは、まずジェボア風の礼をしてからワリウス王に告げた。
「ワリウス王陛下に謹んで申し上げる。私めはこれよりジェボアへ帰らせていただきます。今日は、そのご挨拶にまいりました」
突然の帰郷の挨拶に、どういうことかと困惑するワリウス王と重臣らを前に、コルネリウスは淡々と言葉を続ける。
「それと先日納めさせていただきました商品も、一緒に引き揚げさせていただきます」
それに、ようやくワリウス王たちは事態を理解した。
銅の催促どころではない。つい今しがた銅の奪還が失敗したという報せが王宮に届いたばかりだというのに、すでにコルネリウスはそれを知り、もはやホルメア国が銅を用意できないと見限っていたのである。
「い、いや! もうしばらく待たれよ。銅は必ず用意する!」
そのワリウス王の抵抗に、コルネリウスは大きくため息をついた。
「では、いくら待てば、お約束した銅をご用意いただけるのでしょうか?」
ワリウス王ばかりか居合わせた重臣らは、うっと言葉を詰まらせる。
すでにマーベン銅山そのものは取り戻せていたが、それですぐに銅が用意できるわけではない。
それにマーベン銅山が西域有数の銅山であれたのは、高い採掘技術を有するドワーフの奴隷による部分が大きい。そのドワーフの奴隷がひとり残らず逃げてしまった今、銅の生産量がガタ落ちになるのは目に見えている。そればかりか、マーベン銅山の調査報告によれば、ドワーフの奴隷たちは逃げる際に一部の坑道などを崩落させたらしく、その復旧にも時間がかかると言う。
これでは今回ばかりか今後の銅の確保もおぼつかない。
「ホルメア国を信じて、今日まで待ち続けました。しかし、もはやそれも限界なのです。今すぐ銅をご用意いただくか、それができなければお預けしていた商品をお返しいただきたい」
コルネリウスの要求に、顔を真っ赤にしてうなり声を洩らしていたワリウス王だが、窮するあまり、とんでもないことを言い出す。
「用意すれば良いのだろう! 国中からかき集めてでも銅は用意してみせるわ!」
ワリウス王の叫びに、重臣らは顔を青くした。
確かに国内から銅という銅をかき集めれば足りるかもしれない。しかし、それによってホルメア国内は確実に深刻な銅不足に陥ってしまう。
もし、そんなことになれば、それこそ大問題だ。
庶民の間でもっとも使われている貨幣は、青銅貨や黄銅貨である。銅不足でこれら貨幣がなくなれば、商取引がいたるところで滞り、庶民の生活が悪化してしまう。
そればかりではない。銅不足によって銅が高騰して金銀銅の相場が崩れてしまえば、今度はコルネリウスが手に入れたばかりの銅を金銀へと交換するだろう。そして、待っているのはジェボアへの莫大な量の金銀の流出である。
「へ、陛下! それだけはおやめください!」
ワリウス王の勘気を恐れている重臣らも、さすがに国を潰しかねない暴挙を止めようと、血相を変えて懇願する。
「陛下、御再考を! それではホルメア国が傾いてしまいます!」
「それだけはなりません、陛下!」
重臣らがこぞって諌めるのには、さすがのワリウス王も我を通せない。怒りと屈辱に顔を真っ赤にし、痙攣でもするかのように全身をプルプルと震わせるしかなかった。
それを冷ややかに眺めていたコルネリウスは、大げさな仕草で礼をする。
「どうやら結論が出たご様子。――それではワリウス王陛下、私めはこれにて失礼いたします。陛下とホルメア国のますますのご繁栄をお祈り申し上げております」
莫大な量の銅を強奪されたのに加え、マーベン銅山が潰されたホルメア国の財政への痛手は計り知れない。それを承知したうえで繁栄を祈るという痛烈な皮肉を残し、コルネリウスはさっさと謁見の間を後にしたのである。
◆◇◆◇◆
ワリウス王のあげる奇声に見送られてホルメア王宮を出たところで、待たせてあった小者のひとりがコルネリウスに耳打ちした。
「旦那様。シャピロ商会の放蕩息子から使いの者がやってきました」
続けて託った用件を告げようとしたが、それよりも早くコルネリウスがため息交じりに言う。
「……お受けすると伝えておけ」
内容も聞かずに良いのかという顔をする小者に、コルネリウスは言う。
「どうせ銅の買い取りを持ちかけて来たのであろう?」
「は? はい! 旦那様のおっしゃるとおり、格安で銅をお譲りしたいと申しております」
小者は驚いたが、コルネリウスとしては当然の推測である。
表向きは商人ギルドを脱退したヨアシュといえど、さすがにジェボアと対立するつもりはないはずだ。特に今回の件によってワリウス王を怒り狂わせてしまった現状では、なおさらジェボアとの友好を深めておきたいだろう。
そのジェボアの十人委員のひとりである自分から、いくら直接的な金銭の損害はないとはいえ、手に入れるはずだった銅を横取りしたままではまずい。それならば、その銅を安く譲って、こちらに恩を売ろうとするぐらいは簡単に想像がつくことだ。
「さすがは旦那様です。――ああ。あと、知人のところに優秀な職人が多数入ったので、もしご要望があれば銅を加工してお渡しすることもできると伝えて欲しいと」
小者の言葉に、コルネリウスは含み笑いを洩らす。
マーベン銅山から移住させたドワーフたちの働き口まで考えての提案とは、呆れるほどの手回しの良さだ。しかも、こちらにとっても決して悪い話ではない。
「では、半分は銅塊のままで。残りは何か作っていただこう。詳細は後日改めて話し合いたいとお伝えしろ」
自分の言葉を伝えに小者が走り去ると、コルネリウスは自分の顎ひげをいじくりながら、思案を巡らせた。
これまでコルネリウスは、破壊の御子よりもホルメア国との関係を重視していた。いくら破壊の御子が新興勢力として勢いがあるとはいえ、比べる相手は西域屈指の大国なのだ。それも当然の判断である。しかし、今回の銅の一件は、コルネリウスの中の天秤を破壊の御子へと大きく傾かせるに十分であった。
「これはホルメア国より破壊の御子に乗り換えるべきかもしれんな……」
そのコルネリウスの独り言を耳にした従者のひとりが忠言を口にする。
「旦那様。間もなく反乱奴隷鎮圧のための諸侯軍が動くでしょう。その趨勢を見極めてからの方がよろしいのでは?」
乗り換えたとたん、破壊の御子が諸侯軍によって討伐されては意味がない。かえってホルメア国の不興を買うだけになってしまう恐れがある。
そう指摘する従者に、しかしコルネリウスは小さく鼻で笑った。
「すでに決している」
その主人の言葉の意味がわからず困惑する側近に、コルネリウスは次のように断言した。
「諸侯軍など、破壊の御子によってとっくに瓦解しているのだよ」




