第36話 不信
無事に逃げおおせたルドフスとカフナーは、ゾアンが追撃してこないのを見ると、生木を焚いて狼煙を上げた。しばらくすると、逃げ散ってしまった兵士らが狼煙を見て次々と集まって来た。しかし、そうして集まって来た兵を数えてみれば、千五百あまりでしかない。五百名以上もの兵が討ち取られたか、そのまま逃亡してしまったのである。
「どうする、ルドフス? もう一度攻撃をかけるか?」
地面に力なくへたり込む兵士らの間をルドフスと肩を並べて歩きながら、カフナーが尋ねた。
兵は千五百にまで減ったとはいえ、ドワーフたちの大半は足手まといの女子供や老人である。それならばまだ戦えるはずだ。再度の攻撃を提案するカフナーに、しかしルドフスは首を横に振る。
「ダメだ。兵士の顔を見ろ。これでは戦えぬ」
兵士たちは、いずれも虚脱したような表情を浮かべていた。
それは、ここ数日の強行軍による疲労のせいだけではない。伏兵による奇襲と、それによる敗走という衝撃によって、体力ばかりか気力も根こそぎ奪われたのだ。これではとうてい戦えるものではない。
しかし、だからといってこのまま手をこまねいているわけにはいかなかった。
「ここならばルオマの街よりガラフ砦の方が近いな。――よし、俺はこれからガラフ砦へ向かい、応援を要請してくる。おまえはこのまま兵を集めながら休んでいてくれ」
ルドフスはそう言い残すと、疲れた身体に鞭打って、ガラフ砦へと馬を走らせた。
ガラフ砦とは、ルオマの街と渡し場の間にある小さな砦のことである。
かつて、コンテ河の渡し場がある辺りには凶暴な蛮族たちが住んでおり、たびたびホルメア国に侵入しては略奪の限りを尽くしていたという。そうした蛮族の襲撃に備えて建造されたのが、このガラフ砦である。
わざわざ北部の山から切り出された石材を用いて建てられたガラフ砦は、その堅牢さで知られていた。蛮族たちが七日七晩に渡って攻め立てても落とせずに、ついには諦めるしかなかったという逸話が残されているほどだ。
現在、そのガラフ砦にはコンテ河の渡し場に現れた破壊の御子に備え、およそ一千名の国軍の兵士が詰めていた。ルドフスは、そこから兵を借りようと考えていたのである。
砦にたどり着いたルドフスは、急ぎ守備兵の隊長と面会すると、これまでの事情を話し、応援を要請した。しかし、その隊長は腕組みをすると、難しい顔でルドフスに告げた。
「砦の守りを薄くするわけにはいかぬ。すまぬが、兵は割けぬ」
まさか断られるとは思ってもみなかったルドフスは血相を変えて懇願する。
「どうか、考え直してくれ。このまま銅を奪われれば国の一大事。五百とは言わぬ。二百、いや百でもかまわぬ。兵を貸してくれ!」
自分らのところには、まだ千五百の兵がいるのだ。今は精も根も尽き果てて立ち上がれさえしない。だが、そんな苦境に味方が応援に来てくれたとなれば、彼らは再び奮起し戦えるようになるだろう。そのために、たとえわずかでも応援を連れて行かねばならなかった。
頭を下げ、必死にルドフスは頼み込んだが、砦の隊長はすげなく断る。
「銅の奪還を命じられたのは、貴公らである。我らの任務は、反乱奴隷どもが河を渡ってきたときに、この砦を守り、反乱奴隷どもの侵攻を防ぐこと。――私の一存で、陛下の命に背くわけにはいかぬ」
ルドフスは、愕然となった。
何のことはない。この隊長は、ワリウス王の癇癪が怖いのだ。
たとえホルメア国のためと思っての行動や進言であろうと、ワリウス王は自分の意に沿わねば頭ごなしに否定し、退ける。そればかりか、癇癪を爆発させでもしたら、あのダリウス将軍と同じく更迭や追放という憂き目を見ることになってしまう。
それが嫌ならば、ワリウス王の命令には逆らわず、また命令の枠から逸脱することはなく、ただひたすらに従順であるのを示し続けるしかない。
その気持ちはわかるが、ことは国家の大事である。
ルドフスはことの重大さを必死に説いたが、しかし隊長の決断を変えることはできなかった。取りつく島もなく砦から追い出されたルドフスは、途方に暮れる。
もはや銅の奪還は不可能だ。今さらルオマの街まで行っても、その間にドワーフたちは悠々と河を越えてしまうだろう。
ルドフスは失意のままカフナーのところへ戻るしかなかった。
ひとり馬に乗って、悄然とうなだれて戻ってきたルドフスの姿に、カフナーは泣き出しそうな顔になる。
「どうすれば良い、ルドフス? これでは俺たちは陛下の怒りに触れてしまうぞ……!」
「どうすれば良いだと? それこそ、俺の方が聞きたいわ!」
ルドフスはそう吐き捨てると、空を振り仰いだ。
陛下を信じられずに大事を報せぬ諸侯たち。
国の威信を守るよりも、自己保身に走る国の兵。
そして、威信を傷つけられた国をよりも、我が身を憂う自分ら。
「我が国は、どうなってしまうのだ……?」
決して口にはできない言葉が、ルドフスの胸に湧いた。
◆◇◆◇◆
北の山から届いた太鼓の音に、まずゾアンの戦士たちがわっと歓声を上げた。それからシェムルに太鼓の拍子を解してもらった蒼馬も、ぐっと握り拳を作る。
マーベン銅山のドワーフを救出して無事に帰還。しかも、ほとんど犠牲らしい犠牲も出さずに、途中で敵を撒くために放棄する可能性が高かった銅まで持ち帰ったのだ。これ以上ない大成果である。
「良かった。――ガラムさんたちに感謝と賞賛を伝えて」
そうシェムルにお願いした蒼馬は、太鼓の音が鳴り響く空を見上げながら、ふと思い出していた。
それは、ナールに懇願された蒼馬がマーベン銅山をいかに攻略しようかと悩んでいた時のことである。机の上に広げたホルメア国の地図を前に、うんうんと唸っていたところに、ひょっこりとソロンが現れると質問を投げかけてきたのだ。
「ダリウス将軍の処罰において、ワリウス王は大きな過ちを犯しました。さて、それはなんでしょうかな?」
それに蒼馬はしばし考えてから、こう答えた。
「たった一度の敗戦だけで、あれだけ国に尽くした将軍から将軍位を取り上げ、謹慎させたことかな?」
「さにあらず!」
ソロンは即座に否定した。
「いかに大功がある将軍といえど、過ちを犯せば厳しく罰するというのは決して間違いではございません。それによって規律が正されれば、それは精強なる軍の礎となったことでしょう」
では、ワリウス王の過ちとは何かと蒼馬が問うと、ソロンは答えた。
「ワリウス王が犯した過ちとは、すなわちダリウス将軍の言をないがしろにし、感情のままに斬首にするとまで口にしたこと。さらには、それすらもたかが姫の言葉により撤回したことにありまする。
これによってホルメアの人々は、ワリウス王は感情のままに法を恣意し、ときには自らの発した言葉すらも容易に翻すと思ったことでしょう。また、その後もダリウス将軍と縁が深い人物をささいなことで更迭するなど、さらにそれを諸侯や武官らに強く印象づけたのです!」
ソロンは、そう断言した。
「帝国の名将インクディアスが残したという書に『懸軍の将、君命をも顧みざることあり』との言葉がございます」
懸軍とは、国や本隊などより遠く離れて行動する部隊のことである。そうした部隊を率いる将は刻々と変化する状況に応じて独自の判断で行動を決めなくてはならず、時には与えられていた君命に背くこともあるのだという意味だ。
「しかし、それも王と将の間に強い信頼関係があればこそ。信頼がなければ王は将の行動を怪しみ、将は王を恐れて動けませぬ」
ソロンは地図上のホルメア国を杖で指し示した。
「そして、今まさにホルメア国は、その『信』を欠いておるのです。いかに大国といえど――いや、大国だからこそ『信』の柱を失えば、その国は乱れまする。ならば、このホルメアと対するには、この欠けた『信』を攻めるのが上策と考えまする」
自分の言葉に「なるほど」と呟いて腕組みをして考え込んだ蒼馬に、ソロンはニカッと悪戯小僧めいた笑みを浮かべた。
「小僧も皆の『信』を失わぬことじゃな。『信』とは小石を積み上げて高い塔を築くようなもの。築くのには多くの労力と時間を要するが、崩れるときはあっという間よ。常に自分が衆目に晒されているのを自覚せよ。自らを律し、他者の範となるよう心掛けるのじゃよ」
それに蒼馬は「ご忠言に痛み入ります」と殊勝に頭を下げたのだ。
ところが、その直後にソロンは、「では、おまえから範を示して棒で殴られろ!」とどこからか棒を持ってきたシェムルに追い回され、ボルニスの領主官邸中を鬼ごっこすることになり、せっかくの蒼馬の感心もどこかに吹き飛んでしまったのは余談である。
「さて、これからどうするのだ、我が『臍下の君』よ」
ガラムへの伝言を太鼓で叩き終えたシェムルに尋ねられた。
「うん。――予定どおりに行こう。まずは、マルクロニスさんを呼んできてもらって」
シェムルが近くにいたゾアンの戦士をつかまえて、新兵訓練に励んでいるマルクロニスのところへ使いにやる。
そして、マルクロニスがやってくるのを待っていた蒼馬だったが、その頬に強い視線を感じた。そちらの方に目をやると、そこにいたのはジャハーンギルである。彼は河の渡し場を見張るために貸し与えた水晶製の遠眼鏡を手にしたまま、感情をうかがわせない爬虫類の目で、じっと自分を見つめていた。
いまだにディノサウリアンの顔から感情を読み取ることはできない蒼馬だったが、このときばかりはジャハーンギルが何を考えているかは簡単に想像がつく。
「言っておきますけど、予定どおりですよ」
下手に期待されても困るので蒼馬が念を押す。すると、ジャハーンギルはふて腐れたように、ぷいっと横を向いてしまう。しょうがないなぁと蒼馬が、ため息をついていると、ちょうどそこにマルクロニスがやってきた。
「どうやら、策は成功したようだね」
ゾアンの太鼓の拍子を解せないマルクロニスだったが、ゾアンの戦士たちの様子を見れば、それが朗報だということぐらいはわかる。
「全部、ガラムさんたちのおかげですよ」
そう謙遜する蒼馬に、マルクロニスは「そういうことにしておこう」と苦笑をひとつ洩らしてから、やや真剣な顔になる。
「それで、諸侯軍への対策は、予定どおりでいいのかね?」
アッピウス侯爵を総大将としたホルメア諸侯軍がすでに編成を終えて、いつルオマの街から進軍して来てもおかしくない状況だという報せが届いていた。その報せによれば、諸侯軍は総勢一万二千を超えているという。そのような大軍が押し寄せてくれば、蒼馬の今の手勢だけでは、ひとたまりもない。
だが、それと同時に蒼馬はある情報も掴んでいた。
「はい。――僕のところには、諸侯軍の動きが悪いという情報が届いています。おそらくは、僕の予想どおりの状況にはまってくれているんだと思います」
ニッコリと笑う蒼馬に、シェムルが大きなため息をついて肩を落として見せた。
いまだ人間の表情を理解しにくいシェムルだったが、さすがにこれだけ蒼馬と一緒にいるのだ。今、蒼馬が浮かべた笑みは、とてつもなく人が悪いものだというぐらいは察せられる。
「ああ、我が『臍下の君』よ! 人を陥れるときだけ活き活きとする、その性癖だけは、この私も受け入れがたいぞ」
大げさに嘆いて見せるシェムルに、蒼馬は笑い声を上げた。
「それじゃあ、性格の悪い僕は、予定どおり最後のひと押しをしてやろうかな」
それから大きく腕を上げると、自分とマルクロニスの打ち合わせを注視していた周囲の人たちにも聞こえるように声を張り上げて告げた。
「撤収です! 街へ戻りましょう!」




